【鋼の錬金術師】

■残された者の決意

作成日[2006/09/27]












 昨日まで降り続いていた雨はもうすっかり止んで、その朝は浄化されたようなすがすがしい空気に包まれていた。窓のカーテンから透けてくる朝の光がいつもよりもまぶしくて、寝起きが良いとはいえない彼女にしては珍しく、いつもよりも早い時間に目が覚めた。寝ぼけ眼を擦りながら体を起こして伸びをする。せっかく早起きできたのだ。このまま着替えて階下に下りていけば、きっと祖母はびっくりするに違いない。
そう思った彼女、ウィンリィ・ロックベルはいそいそと着替えると、スリッパを履いてぱたぱたと元気よく階段を下りていった。

「おっはよー、ばっちゃん!」

 朝食の時間まで間があったため、台所では支度の真っ最中だったばっちゃんこと、ウィンリィの祖母、ピナコ・ロックベルは驚いたように目を見開いていた。

「おやおや!珍しいこともあるもんだね。あたしが起こしに行くまでぐっすりの寝ぼすけウィンリィが…」
「えっへへー!顔洗ってくるね!」

 上機嫌でぱたぱたと足を鳴らしながら洗面所に顔を洗いに行くウィンリィ。そんなウィンリィを見てから、ピナコは大鍋に向き直るとできたてのスープをゆっくりと攪拌した。とろみのあるスープは子供達が大好きなコーンポタージュ。ピナコの孫はウィンリィ一人きりだが、もう少ししたら食べ盛りの元気な少年二人が朝食を食べにやってくるはずだ。兄のほうは牛乳嫌いだが、スープの類になってしまうとおいしそうに食べるので献立を考えるのに困ることはそうない。弟のほうは何でも食べるのでこちらも問題ない。

 ピナコは大鍋に火を調節しながら焦がさないようにゆっくりゆっくり攪拌を続けていた。ふと、台所の壁がわに備え付けてある窓の向こうを見やる。いつもならその道なりに二人の少年は子犬がじゃれあうようにやってくるのを見つけることができる、のだが。
 異様な光景が目に入ってきた。一瞬何の冗談かと自分の視覚を疑いたかったほどだ。

「煙…?」

 驚いた。昨日まで雨が降っていたから、自然発火の山火事が起こるはずはない。しかし現に目に入ってくるのは黒々とした灰を含んだようなやけに妙に重みのある煙だ。この方角は言わずと知れた少年達、エルリック兄弟の住む家の方角だ。
 ピナコは驚愕に顔を強張らせつつも、冷静に大鍋の火を止めた。胸に掛けていたエプロンを外し、ウィンリィ、と呼んだ。

 ピナコとウィンリィがエルリック兄弟の家にたどり着いたときには、家の大半が焼けてしまっていた。湿り気を帯びていたはずの木材もひとたび火に飲まれるとあっけないほどあっさりとその身が崩落するのを受け止めたようだった。それは、その家に火を掛けた少年たちの決意に飲まれたかのようにも見えた。
 あまりにも無残な残骸になっていくその家を見ても、もはやこれまで遊びに来ていた家と判別がつかないほど家は焼け落ちていた。ただひたすらに赤い火の中で、木材の塊ががらがらと音を立てて崩れていくのを見ながら、ウィンリィは泣いていた。

 あまりにも強い決意の炎が、きっとエドとアルの胸のうちにもあるのだと悟った。
 もう一緒に遊んだり、騒いだりすることはできないのだと。
 幼馴染じみとして楽しんできた毎日は、これからはもう思い出となってしまうだけなのだということを。
 あまりにもあっさりと、ウィンリィも受け止めていた。この家と同じように。少しも抗うことなく。

 ウィンリィの涙を見つけたエドが、申し訳なさそうに肩をすくめた。それから、少し眉根に皺を寄せて無理に笑うと、ウィンリィにこういった。

「昔っから泣き虫なのは変わんねーな、ウィンリィは」

 その言葉が、許してくれよ、と言っているようで、ウィンリィは余計哀しくなりそうだった。
 何も言わずに決めてごめんな、ずっと困らせてごめんな、たくさん怖い思いもさせてごめんな。
 そんな謝罪の言葉を元来不器用でひねくれ者のエドがいうわけがない。それは幼馴染じみである自分が一番よくわかっているはずなのだ。けれど、そのときのエドの顔はそんな風に見えたのだ。だから、ウィンリィは何もいえなかった。詰ることも、責めることも、行かないでと引き止めることも、何も。

 家が完全に炭になったところでエドは錬金術で井戸を掘り、勢いよく噴き出した井戸水があっという間に鎮火させた。轟々と音を立てていた火もまた、役目を果たしたことを知っているかのようだった…。

煤けた炭の残骸になりはてた家を見ると、エドとアルは朝食も摂ることもなくそのまま駅へ向かった。
 あまりにも淡白で潔いその姿を見て、ウィンリィにはもう一緒にはいられないんだということがはっきりわかった。でもまだ、せめて駅まで見送るくらいなら、と二人を追おうと足を歩ませたのだが、それに気づいたエドが振り返りもせずにいいよ、と言った。
「学校、あるだろ。ここでいい」
 エドはそう言って立ち止まった。しばらく迷いのような沈黙があって、それからぐっとエドの拳に力が入ったのが、ウィンリィの目に見えた。

「ばっちゃん、ウィンリィ、二人とも、本当に世話になった。ありがとう」

 それは、エドにしてはおそらく最上級の感謝の言葉だった。礼儀云々を言えば、きちんと目を見て、お辞儀をして、という難癖をつけようと思ったらそれこそいくらでもあったが、エドがここまで素直にいえたこと自体が…言い方が悪いが珍事だ。だからこそ、ウィンリィとピナコは長い付き合いからエドの感謝の気持ちを素直に受け取ることができた。

 よりにもよって感謝の言葉を言い捨てて歩き出すエドをいつもならたしなめる鎧姿のアルではあったが、兄が一番親しい人に感謝の言葉を言うという難題をやり遂げたことの方が嬉しかったようだ。兄ができなかった代わりに、とばかりにアルはウィンリィとピナコにお辞儀をして、それから手を振った。

「元気でやるから…絶対帰ってくるから、心配しないでね」

 豪腕そうな鎧の姿なのに目だけにはアルの優しさが宿っているような気がして、ウィンリィはアルの目を見てやっと安心した。あの二人なら大丈夫、と思うことができて、やっとのように手を上げて手を降り始めると、最初はゆるゆるとしていた腕に、だんだん力がこもって来た。ぶんぶんと思いっきり手を振って二人の小さな背中が見えなくなると、ウィンリィは手を下ろした。悲しみが一気に襲ってきて、涙が溢れた。溢れる涙をそのままに、立っている事もできなくなって、ウィンリィはしゃがみこむと…思いきり泣いた。

 その日は学校を休んだ。
 一日、部屋に閉じこもって泣いた。

 翌朝、目を晴らしながらもお腹がすいて階下に下りると、ピナコはいつもの朝と同じように食事の支度をしていた。昨日食事を摂らなかったことや、学校をさぼったことをひとつも咎める事もなく、ピナコはいつも通り朝食をウィンリィの席に整えていた。
「早く顔を洗っておいで。酷い顔だよ全く。学校で笑われても知らないよ」
 ピナコはそれだけ言うと、忙しそうに台所に戻っていった。
 そうして、ウィンリィもようやく気づく。昨日と言う日が、少年二人にとっての分岐点でもあり、また、自分の分岐点でもあったことを。
 メソメソしていても始まらない。あの二人が旅に出たのはもとの体に戻るためには仕方の無いことなのだ。世界中の情報を手に入れて、国土全体に散らばる文献を読み漁っても、本当にみつかるかどうかわかりはしない。けれど、少年達はやると決めた。
 私も、決めなければ、とウィンリィは思う。
 いつでもあの二人とは兄弟のように一緒だった。今更違う道を歩む気などさらさらない。それなら徹底して彼らをサポートできるようになればいい。ウィンリィはようやく自分が早急にしなければならないことに気づいた。

――機械鎧(オートメイル)

 今まではピナコの手伝いをするだけだった機械鎧。それを自分の腕で設計デザインできるようになれば、二人の手伝いができる。それは逆にふたりにはできなくて、ウィンリィにできるただひとつのこと。
 そもそも、今生の別れをしたわけではない。どうせ横着で乱暴者のエドのことだ。機械鎧のこまめなメンテなど行わずに故障させるか、無茶なことをして動かせなくなってなってしまうことも容易に想像ができる。きっと悪びれずに早く治せ!などと勝手なことを言いながら帰ってくるに決まっている。そのときそのときに修理だけではなく、せっかくリゼンブールに足を運んだときには常にエドの腕を、足をもっと使いやすくすることができるなら、と思ったのだった。

「決めた。あたしは、もっともっと機械鎧を極めてやるわ…!」

 この村で待ち続ける戦いすると決めたウィンリィは、昨日までとは違う颯爽とした足取りで洗面台に向かった。


■Fin.


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