【鋼の錬金術師】

■大空の先へ[1]

作成日[2006/10/02]
Ver1.1[2006/10/05]
Ver1.2[2006/10/15]

















 西暦1923年11月、ミュンヘンの美しい町並みから外れていく馬車にエルリック兄弟は乗っていた。3時間ほど揺られてようやくたどり着くことのできる町に向かう途中である。
 アルフォンス・ハイデリヒの葬儀を終えてすぐに二人は馬車に乗り込んだ。その馬車は御者の住む小さな町が終着地点らしく、行く当てがなければ、と誘ってくれたのでエドとアルは断る理由もなく、その町まで馬車に揺られることにしたのだった。

 ここは、エドとアルが生まれた世界とは別の、錬金術とは別に科学が発達した世界。そして、兄弟が、いやエドが、ようやくここに立つことを現実として受け止めた世界だった。

 そもそも、二人は元々この世界とは違う世界に生まれ育った。

 そこでは機械工学と錬金術の二つの技術がほぼ同等に発達していった世界。そこで、錬金術師であった父の書物と偶然に出会った師との修行のお陰で、二人は錬金術の力を上達させていった。目的はただ一つ、死んだ母を取り戻す為だった。
 エドが10歳、アルが9歳の時、人体練成の理論にようやく到達した二人は、迷うことなくその理論の正しさを信じ、母を取り戻そうと人体練成の錬金術を発動させた。人体練成は最大の禁忌と謳われていたのを知っていたが、しかし何故禁忌にされているのか理由が理解できなかった。何故、を知る事例がなかった。だから、兄弟は躊躇うことなく母を取り戻せることだけを信じた。
 そして二人は、禁忌の理由を身をもって知ることになった。
 人体練成の代価は、恐ろしいほどに大きなものだった。弟のアルは体ごとを全てを、兄のエドは左足を失った。
 取り残されたエドは、即座にアルを取り戻そうとした。何の予感かはわからないが、人体を形成する肉体、精神、魂のうち、アルの魂だけを呼び戻そうと考えた。そして、その魂をその場にあった鎧に定着させようと試みた。
 結果、それは成功した。弟は鎧姿にはなったものの、完全に向こうの世界につれていかれなかったことだけはよしとした。たとえそのために右手を失う結果になったとしても、だ。そして、アルは体を、エドは左足と右手を失ったのだった。そしてそこまでの代価を奪われたにもかかわらず、甦らせたものは求めた母ではなかった。それは人の形ですらない、化け物だった。
 それから、二人は決意する。アルの体を取り戻す旅に出ることを。
 まずエドは齢12歳で国家錬金術師の資格を取得し、軍部が管理する書物を閲覧できる権限と、研究と言う名目で自由にできる資金を手に入れた。そしてその後すぐ二人は故郷を離れた。
 さまざまな場所や書物から得た結果として、アルの体を取り戻す代価がエド自身になる必要があった。
 エドは事実上、自分の生まれた世界から追放されたのだった。


 御者の住む田舎町まで揺れられる途中、アルは不意に兄に不満をぶつけ始めた。
「あれだけ自分を犠牲にしないでって頼んでたのに・・どうして兄さんはそう無茶ばかりするの!」
 エドが世界から追放された後、アルはエドとの記憶を失っていた。しかし、その後アルが無理やりエドと追放された世界に飛び込むと、何の因果か全ての記憶を取り戻していた。
 取り戻したお陰で、アルは兄が自分のために無茶をしたことに対する憤りを隠せなくなっていたのだった。
「そもそもオレの責任じゃねぇか、アルがあんな体になったのはさ。だからオレはオレの意思でそれが正しいと思ったんだ」
「あっちの世界で僕を一人きりにすることへの罪悪感はなかったの?」
 大人びて静かにそう問いただすアルの瞳は、まっすぐエドの瞳を覗き込んでいた。あからさまに怒りを表現しない分、瞳に怒りが静かに宿っているようで、エドは縮み上がりそうになるのを兄の威厳だけでなんとか堪える。
「そ、そりゃ…」
 エドは思う。それはもちろん、あった。一人取り残された寂しさは、アルよりも先に思い知っている。母を練成しようとしたあの日、いつも隣にいたアルがいなくなったあの心細さは、今思い出しても筆舌に尽くしがたい。
 そういう思いをさせることを差し引いても、アルは体を取り戻すべきだとそのときはそう感じていた。だから、どうしても、あのときの自分を止めることはできなかった。
 けれど、今思えば、もっといい方法があったのかもしれないな、とも思う。
「ごめんな、アル…」
 やっと弟の怒りを理解することができて、エドはしょぼくれた顔でそう言った。アルは少し微笑むとそれ以上兄を追い詰めることを諦め、兄から目をそらした。流れる景色はいつのまにか大草原のみになっていた。さきほどまでぽつぽつと民家があったのに、今では小屋一軒も見当たらない。次の町にたどり着くまではおそらくこの単調な景色が続くのだろう。
「なんだかリゼンブールみたいな景色だね…」
「そうだな…」
 馬車に身を任せながら、流れる景色を兄と一緒に見ることができる喜びをアルはようやく実感しはじめていた。ずっと自分を取り戻す旅をしているころは当たり前すぎてなんとも思わなかったことなのに、ひとたび離れて寂しさを知ったアルには今のこの時間が奇跡のように嬉しい。そして、ふっと思い浮かぶのは、おそらくまた自分と同じ想いをしているはずの幼なじみ。ウィンリィ・ロックベル。
「ウィンリィには…もう会えないのかな…」
 ぽつりとアルはそう言ったが、エドは聞こえない振りをした。錬金術も使えないこの世界で元の世界に戻りたいと願うということがどれほど難しいことかを、エドはこの2年間で思い知らされていた。エドだって、戻る為にできるあらゆることを試したのだ。航空学を勉強し、ロケット工学の書物を読み漁り、打ち上げ実験に幾度となく試行錯誤を試みた。この世界で絶大な力として働く科学の力を一から学んでも尚、世界を越える方法は見つけることはできなかった。
 けれど、それは一人きりだったころの話だと言うことにエドは気づく。
「アル、オレな、これまでずっと元の世界に戻ろうと結構頑張ったんだ」
「そうなの?あ、でもそうだよね。兄さんは努力の人だもんね」
 アルはそのことを嬉しそうに聞いていたが、エドはアルの期待に添えなかったことを恥じるように頭を掻いてうなだれた。
「いや、でも正直ここんところ、諦めてた。もうやり尽くした気がしてさ。錬金術も使えないし」
 アルはエドのそんな様子を、優しいまなざしで見つめていた。兄が続けて何を言おうとしてるかを読み取っているかのようだった。
「けど、アル、オレまだなんか方法がある気がしてきた。だって俺ら、絶対無理だって思ってた体を取り戻す方法を見つけたんだもんな。それだったら今回は1度ならず3度も世界を越えた実績があることなんだから、なんとかなる気がしてきたんだ」
 アルはエドのそんな言葉に頷く。勢い込んで、嬉しそうな顔を兄に向けて、声を上げる。
「そうだよ、兄さん。僕ら無理だって思うこと全部越えてきたじゃないか!きっと何か方法があるはずだよ。方法はまた探せばいいんだ。諦めなければ、それは終わりにならない」
 アルの信念のこもった言葉に勇気付けられて、エドは顔を上げて笑う。一人よりも二人の方が、やはり心強い。
「そうだよな。うん、やっぱりお前がこっちに来てくれてよかった」
「僕も兄さんと一緒にまた過ごせるのが嬉しい。だから、今までずっと一緒だったウィンリィにもその喜びを分けたいんだ」
「アル…」
 可能性がゼロでない限りエドとアルは諦めることなく前に進みつづけてきた。そしてそれは今も同じ、今更止まることなどできない。これまであらゆる可能性を試したといっても、一人の力によるものだ。高が知れている。これから二人で、もしくは向こうで国家錬金術師の権限を駆使したように多くの権限をこちらの世界でも得られれば、また何か新しい可能性が見えてくるかもしれない。エドはそう思って空を見上げる。
 空は透き通ったガラスのように青く明るい。こんなに気持ちよく空を眺められたのは久しぶりだ。
 ふと、不安げに顔を曇らせているウィンリィの顔が浮かぶ。
「待ってろよ…!絶対オレは帰ってやるから…」
 やっと兄らしい顔を取り戻したエドを、アルが嬉しそうに兄を眺めている。しかし、割とリアリストで頭の回転の速い弟はすぐに問題を兄に問い掛けた。
「で、田舎町まで下って、どうするの?」
「どちらにしてもミュンヘンはしばらくごたごたしてるだろうからな、政権交代で混乱状態の都市にいたってなんにもいいことはない。一度田舎町でハヌッセンの目撃情報がないか聞くんだ。ウラニウムとか言うボール球、とっとと回収しないとな。それに、錬金術に変わる決定的な体術も身に着けないとな…」
 エドは機械鎧の手をグーパーしながら眺め見る。こっちの世界に来てからは、父が作ってくれた義手と義足を使っていたが、一度エドの生まれた世界(アメストリス)に戻れたタイミングでウィンリィが機械鎧を装着してくれた。頑丈な上にさらに軽いデザインが施され、エドが不在の2年間も修行を欠かさなかったのが見て取れた。
「元々僕らは組み手で鍛えてはあるけどね。やっぱりこっちの軍隊とかに入った方がいいかなぁ」
「軍隊じゃ多分逆に突出した能力は削がれる怖れがあるからな。もっと別の方法を見つけないと」
 色々問題は山積みだ。しかし明確な問題があるというのは逆にいえば解決する対象が明確になっているということで、まず八方塞がりというわけではないのだ。一つずつ一つずつ、捩れた問題を解(ほぐ)していけばいずれその先の大問題への解決の糸口は見えてくる。
「そうだなぁ…またフリッツ・ラングにまた世話になろうかな。映画監督らしいぜ」
「映画監督?」
 不思議そうにそう繰り返しながら、アルはエドを見つめる。エドはにっと笑って見せると、アルにはこれだけ言った。
「アル、きっと会ったらびっくりするぜ!」
「ええっ?どんな人なの?気になるよ兄さん!」
「会ってからのお楽しみだ」
 いたずら好きの少年のような表情でにやにや笑うエドを、アルは苦笑いした。しかし、こんな風に笑えるのはエドに余裕がある証拠だと思う。以前の旅では真実に近づくたびに、苦しげにもがく姿が多くなっていって、笑う表情も辛そうで見ていられなかった。今はそうじゃない。兄が子供のときのまま笑うので、アルはすっかり嬉しくなる。
「じゃあ、会えるのを楽しみにしてるよ。映画監督ね…映画って子供の頃リゼンブールで行商の人がみんなを集めて見た以来だね。映画監督に先に会えるなんて楽しみだなぁ」
「そうだな、オレも映画なんて対して興味がなかったし…今度あいつに頼んでみようか」
 二人の兄弟は田舎町への道のりを、尽きることのない話題で笑いあっていた。

「兄ちゃん、着いたよ」
 いつのまにか赤く染まった空の下でエドは体を揺すられた。いつのまにか荷台で眠りこけていたようだった。目の前でもアルが横になっている。
「あ、すみません…、おい、アル、着いたとさ」
「ううーん」
 今度はエドがアルを揺すり起こす。今までは鎧姿になって眠りにつけない弟が起こしてくれていたが、弟を起こすという他愛ないことまでが新鮮で嬉しくなり、エドは嬉しそうに口をゆがませた。アルが普通に眠れるのだ、ということを、神など信じるエドではないが、そのときばかりは神に感謝したい思いが溢れた。正しくは、神になどではなく、ただ嬉しくてはしゃぎたいだけなのかもしれない、とエドは自分を分析する。
「ほら、行くぞ。とっとと飯にありついて力つけないとな」
「うん…」
 寝起きでよろよろとなっているアルを支えつつ、エドは荷台から降りた。御者には心付けを渡し、代りに食堂と宿を教えてもらう。小さな町なのでいくつもあるわけではないが、おかげで探す手間は省けた。
「ありがとう、助かったよ」
「へえ。こちらも。ありがたく頂戴します」
 御者は駄賃をもらえるとは思っていなかったのか、嬉しそうに荷馬車を引いていった。
「おい、まだアル。目がさめないのか?」
 まだぼんやりしているアルの隣で、エドが仕方なさそうにアルを見つめる。アルはあたりを見回しながら、兄を見つけてこういった。
「うーん。兄さん、なんかここ、暑くない?」
「へ?お前、何言ってんだよ。空っ風吹いてて寒いくらいだぞ?」
「そう?僕なんか暑くて頭が煮立ってる感じ…」
 エドは言われて改めてアルの額に手をやると、熱があることに気づいた。うっかりしていた。エドは長旅に慣れきって多少の暑さ寒さで体が参ることは少なくなっていたが、以前はアルは鎧だったことで体の抵抗力があまり発達していないようだった。
「アル、歩けるか?」
「うん、平気だよ」
 そう言って歩き出したものの、ふらふらとして頼りないことこの上ない。エドはアルの荷物をすばやく奪うと、アルの腕を肩に乗せて歩き出した。
「兄さん?」
「大丈夫、すぐ宿で寝かせてやるからな」
 そう言ったエドを見て、アルは嬉しそうに頷いた。
「やっぱり僕は兄さんの傍がいいや…」




←戻る続き→
Copyright 2006 BY SAE