【鋼の錬金術師】

■大空の先へ[2]

掲載日[2006/10/21]

















 具合の悪いアルを宿屋までなんとかアルを宿屋まで運ぶと、気のいいおかみさんはすぐに医者を呼びに馬車に走っていった。この町は医者が常駐していないので、隣町まで呼びに行かないと医者に診てもらえないのだった。
「兄さん、ごめん。生身の体ってこんなに簡単にダウンするものなんだね…」
 水差しとコップを貸してもらったエドはコップに水を注いで、ベッドで枕に寄りかかっているアルに手渡した。アルはしっかりとコップを握ったので、それほど心配はないだろうとエドは安心した。
「お前が旅をするのは鎧の姿以来だからな…オレもうかつだった。ごめんな、気づいてやれなくて」
「ううん、兄さんが気にすることじゃないよ」
 アルはエドからもらった水をゆっくりと飲み込んだ。全部を飲むことは出来ず、エドにコップを返す。
「もういいのか」
「うん。それよりちょっと眠りたい」
「そうか」
 アルが体を布団の中に入りなおすと、エドは毛布を掛け直してやった。軽くぽんぽん、と安心させるようにエドが叩いてやると、アルが少し笑った。そのまま何かに吸い込まれるように眠りにつく。
 エドはそんなアルを見つめて息をつくと、手にしたコップを持ったまま窓に寄った。下に誰もいないのを確認して、コップに残った水を窓の外に捨てると、水差しにコップを被せてテーブルに置いた。どっと疲れたようにエドはソファに座り込む。
 考えてみればアルがダウンするのも当然だ、と今更ながら思う。

 アルはエドが練成した生身の体になってまだたったの2年しか経っていない。鎧の体をしていた4年間分、魂から離れたアルの肉体は完全に成長が止まっていた。同時にその体は外界から完全に断絶状態にあり、あらゆる刺激も受け付けられない状態になっていた。結果、おそらく肉体はその体力は魂とのつながりが断たれた10歳のまま、刺激を受けない肉体は徐々にその体力が落ちていったに違いない。
 その後、師イズミの元でみっちり修行したおかげで人並みの体力は取り戻したと言えるかもしれないが、先日、門の超えたときに受けた圧倒的な衝撃にアルは思った以上の体力を奪われたのだろう。
 エドもまた門を超えた人間だ。しかも望みもせず一往復させられるハメになった。
 こちら側の人間がアメストリスの世界を軍事利用しようと門を開いてしまったのだ。エドはそれを阻止すべくその門を再びくぐる事になった。せっかく生まれた世界に戻ったのだし、アメストリスに残りたい気持ちもあったが、このままにしておけば再び門が開き、別の人間がアメストリスを利用する者がでてきかねない。そう思ったエドは、両側から門を閉じる必要があると考え、一人また門を超えた…と、そのときは一人だと思っていたのだが、そのときにアルも紛れ込んでいたのだった。
 そういったこともあってエド自身にも門を超えた衝撃はあったのだが、しかし、エドとアルではもうすでにそもそもの基礎体力が違う。4年間の旅を終えてもなお、頼みの錬金術も失ってこちら側の世界で2年間を一人耐えることができたのは、まずエドにそれを乗り越えるだけの体力があったからだ。
 鎧のアルに慣れすぎてしまったのか、と少しエドが自己嫌悪に陥りそうになった頃、その思考を遮るようにノックの音が鳴った。

 その音のおかげでエドは我に返った。アルが音にも気づかずに寝ていることを確認すると、エドはそっと立ち上がり扉を開けた。宿屋の娘だろうか、エプロン姿の女性が皿に切り分けたリンゴを持って佇んでいた。
「よかったらリンゴをどうぞ。お連れの方に」
「ありがとう…いいのか?もらっちゃって」
 今、ミュンヘンは酷いインフレで貨幣価値が既に破綻している。しかもここの所農作物は不作が続いているらしく、食料全般の値段は高騰したままの状態が続いているらしい。この辺りならば農業を営む家庭も多く、ある程度物々交換で切り盛りしている部分があるのだろう。いわば物自身がヘタな貨幣という紙切れよりも役立つのが現状なのだ。リンゴ一個とってもそのはずである。エドはそのことに気づいて遠慮したのだ。
 けれど娘もまたそんなエドの気遣いに気づいたようだった。優しく微笑んで、エドの胸に皿を押し付けると反射的にエドはその皿を受け取ってしまう。
「宿屋ができるのはここまでですからね。あとはしっかりお医者さんに見て貰ってください」
 それだけ言うと娘はさっさと階段を降りていってしまった。エドはその強引さに苦笑しながらも、娘の優しさに感謝した。部屋に戻るとアルのベッドのサイドテーブルにリンゴを置き、自分はソファにもう一度座った。
 アルが休んでる間、エドは買っておいた新聞を目に通すことにした。

 ドイツに住んでから2年、先の大戦(後に第一次世界大戦と呼ばれる)によりドイツは敗戦国として屈辱の日々を送り続けてきた。帝国としての誇りだった軍力を削がれ、多額の賠償金を課せられ、過度のインフレにも悩まされている。しかし、どうやらドイツ国民はそう言った経済的打撃よりも、国として負けを認めた政府に不満が募っているようだった。
「また、戦争が起こるな…この分じゃ。早くハスキソンのウラニウム爆弾を回収しちまわないと」
 いつもの癖で考え事をつい口にしてしまう。
 フリッツ・ラングはどこまで知っているだろうか、と思う。
 ハスキソンはエドと同じく、門を超えてこちら側にたどり着いてしまった人間だ。向こうでは物理学者を名乗り、ウラニウム爆弾を中央司令部にとりなして欲しいと懇願していた。それをエルリック兄弟は断ったので、腹いせに自分の実験の犠牲者と自分を融合させようとした。それはすなわち人体練成を意味していた。禁忌を犯したハスキソンは、そのウラニウム爆弾ごと門を超えてこちらの世界に来てしまったらしい。のち、どうやらトゥーレ協会がその爆弾を手に入れたというところまでは、フリッツ・ラングが情報を入手していた。その爆弾をトゥーレ協会は国家社会主義労働者党(ナチ党)に見せて、彼らの勝利を約束したのだという。
 しかし結局、トゥーレ協会が支援していたナチ党の武装蜂起が失敗に終わり、トゥーレ協会会長だったデートリンデ・エッカルトは錬金術の世界を滅ぼそうと企んだためエドたちが即刻この世界に送り返した。しかし、門を超えたときに変形した体は化け物として扱われ、エッカルトは射殺された。おかげで、今では爆弾の在り処がわからない。
 エッカルトの傍にいたヘスという軍人が今ではトゥーレ協会の会長の後釜に納まっているのだろうか?という予測がよぎったが、所詮ヘスは政治家とトゥーレ協会の仲立ち役に過ぎないように見えた。残るは、カール・ハウスホーファー教授になる。彼には、彼らのいうシャンバラ(実際はエドたちの世界)へ抜ける作戦の実質的な指揮権があったように見えた。妥当な線かもしれない。一度会ってみる必要があるな、とエドは考えた。

 にわかに下が騒がしくなったので、エドは窓から下の様子を窺った。昼間乗せてくれた馬車の御者が宿屋に乗り付けてきたところだった。御者の隣に医者らしき男が座っているのをエドは見つけた。アルを医者に診てもらうことができそうで、ほっと胸をなでおろす。
「おかみさん、すまない。御者の人も」
 エドは窓から宿屋のおかみさんと御者の人に向かって礼を言うと、荷台のほうに座っていたおかみさんがすぐ声を上げた。
「いいんだよ!宿屋にできることはここまでだから、あとはお医者様にしっかりみてもらうんだよ!」
 ああ、やっぱりさっきの娘はこの母親の娘に違いない、とエドは笑ってしまう。
「ああ、ありがとう!」
 エドはそう言って窓から顔を引っ込めた。寝ているアルを起こすのは忍びないが、医者が診てもらえるときにしっかりと容態を話せる状態にしておかねば意味がない。エドはそう思ってアルが寝ているベッドに歩み寄った。
「アル、アル」
「・・・なに?」
 やはりまだ熱があるのか、声がだるそうだった。エドはやはりアルを起こすことに抵抗を覚えながらも、アルに声をかけることによって徐々に眠気を覚ましていくように心がけた。
「医者、ここのおかみさんが呼んでくれたんだ」
「・・・本当に?そんな、寝てれば治るのに・・・」
 アルは兄の言葉に反応しながら、少しずつ意識が戻ってきているようだった。エドは階段を上がってくる足音を聞きながら、あとは医者に任せようと思った。
「でも、診てもらえるなら診てもらったほうがいいからさ。その方がオレも安心だ」
「わかったよ、兄さん」
 二人がそこまで会話をしたところでドアがノックされ、エドが扉を開けると初老の男があまり大きくない鞄を持ってそこに立っていた。
「わたしの患者はここかな?」
 男はそう言うと帽子をひょいと上げて挨拶した。エドは頷くと、アルの方に顔を促した。男はベッドに横たわるアルを見つけて頷くと、アルのベッドの隣に椅子を寄せて座った。
「こんばんは、具合はどうかね?」
「あ、すみません。たいしたことないと思うんですけど、熱があるみたいで」
 アルはいつも通りの優しい口調で目の前に座った男にそう言った。男はアルの顔色を確かめて頷くと、鞄から聴診器を取り出した。
「ほほう、どれ。ちょっと手を貸してみなさい」
 男はアルの腕をまず丹念にチェックしてから、聴診器を耳に入れ心臓の音を聞いている。
 その様子を見て、エドは信頼置ける医者だと判断したのか、新聞を再び読み始めた。
 しばらく男とアルとの会話、アルが服を脱ぐ衣擦れの音が交互にあったが、それもふと途切れた。
「この辺で流行ってる病の兆候も見られないし、単なる風邪だろう。熱が下がらないようならこの薬を飲ませてやるといい。解熱剤だ」
 エドの前に男が立ってそう言った。エドは新聞を畳むと立ち上がって、男から薬を受け取った。
「ありがとう。この辺、流行り病があるのか」
 エドは気になって聞いてみると、ああ、と男は憂いの表情を見せる。
「今では下火になっているがまだ予断を許さない状況だな。抵抗力が落ちている者は特に注意した方がいい。アルくん、早く治すんだよ。無理は禁物だからね」
 男はアルに向かってそう言うと、アルははぁい、と子供のような素直さで返事をした。肉体的には13歳、精神年齢は17歳というややこしい体のアルなのである。エドは肉体と魂が精神で連結された今となっては、アルの肉体はその魂の年齢につられて急成長を遂げるのではないか、と見ている。実際すでに13歳にしてはかなり大きい方の体になっているようだ。身長は…まだ怖くて比べていない。
「その流行病のせいで死に至る者も少なくない。まあ、流行病だけというわけではなくて、何かに併発してしまうと恐ろしいほどの高熱を出してしまうようで。そうだ、一人それで亡くなったよ。不思議なことにもともと全身大火傷でね。どこでどうやったらあんな大火傷になるんだかみんなで不思議がったものだよ」
 男の話を何と無しに聞いていたエドだったが、最後の言葉の端が何かに引っかかった。
「火事でもあったんじゃないのか?」
 エドはそう言ってみたが、頭の中で違うことを直感していた。
「いや、その男が倒れていた場所も奇妙でね。町外れの雑木林に倒れていたらしい。辺りが何かで焼けた様子はない。その裏は切り立った断崖になっていてそこを越えてきたとも思えないし、雑木林にたどり着くには町のいずれかの場所を通過しなければ行けないのだというが、そんな全身大火傷の男が通ったらわかりそうなものなのに誰も見てないと言うしでね」
 エドは考え込みながら男の話を聞き続けた。
「その男がトゥーレ協会の幹部に似てるという話で、トゥーレ協会の人間を寄越してもらったんだが、不思議なことにその幹部は既に死亡届が出ていることがわかってね。他人の空似というのは本当にあるらしい」
「トゥーレ協会…」
 そのキーワードまで出てきてしまったか、とエドは心の中で苦笑してしまう。益々エドの頭の中で組み立てられる仮説が真実味を帯びてきた。
「その男は何か不思議な丸いものをもっていなかったか?」
 それを聞いて男がびっくりしたようにエドを見返した。
「ああ!そう。なにか得たいの知れない恐ろしいものを嬉しげにトゥーレ協会に自慢していたよ。爆弾なのだと言っていた。結局彼は亡くなり、その丸いものはトゥーレ協会が持ち帰っていったよ」
「ビンゴ。ありがとな、情報提供料も渡したいとこだけど、医療費だけで勘弁してくれる?」
 エドが嬉しそうに顔を上げて男にそう言うと、男は不思議そうな顔をしていたが、すぐに金勘定のことに頭を切り替えた。
「500マルクだな」
「うわっ、予想通り高いなぁ」
 エドはしぶしぶ財布を開いて紙幣を取り出し、男に手渡した。
「しかたなかろう、このインフレでは薬代もばかにならんよ」
 男は笑いながらエドから札を受け取り、ポケットにしまった。エドは財布の中身を確認しながら、口を尖らせる。
「しばらく厄介にならないようにするよ」
「その方がよかろう。では、失礼するよ」
 男は帽子を被りなおすと、部屋を出て行った。エドは財布をポケットに仕舞うと、再びソファにどさりと腰をおろした。しかし、治療費が思わぬ情報提供料になったことは幸運だった。走り回っても情報が得られないときは得られないものだが、こういうことは意外なところでひょいと顔をのぞかせるものである。
「アル、こう言うのも不謹慎だけど、お前が熱出してくれて助かったよ」
「ハスキソン、だね」
 アルも先ほどの話で気づいたのだった。門を超えて、ハスキソンはこの町の外れに出てきたことに。
「でも、大火傷ってどういうこと?」
 アルはエドが座っているソファ側に寝返りを打つと、兄の表情を覗き込みながらそう聞いた。
「アイツも人体練成の等価交換で持っていかれたのさ、おそらくその部位は皮膚、だったんだろうな」
 エドは苦々しく眉根を寄せながら言う。その言葉にアルが驚愕した。
「皮膚って…全身の!?」
「さあ、どこまでかはわからないけど、顔は判別できたみたいだからそこは除いたとしても、医者は全身大火傷って表現をしたってことはほとんどの部位の皮膚だったんじゃないか?一人の人体練成のときの等価交換の比じゃないな、さすがに…」
「うわ…さすがにむごいね…」
 アルは苦悶の表情を浮かべてハスキソンに同情する。禁忌であることを知ったうえで人体練成を行ったのだから、自業自得といえばそうなのだが、その姿は想像以上に哀れだ。
「そうだな…。しかも、人間は40%以上の火傷で生命の危険があるとされてる上、感染症もかかりやすくなるらしい。おそらくそう言った経緯で流行病にかかり死に至ったんだろうな…」
 アルはそれを聞いてしばらく黙り込んでいた。病人のアルに酷い話をしすぎたか、とエドはふと顔を上げたが、アルは別のことで悩んでいたようだ。
「兄さん、僕たちハスキソンの申し入れを受け入れた方が良かったのかな」
「それはない」
 エドはきっぱりという。エドは自分の正義にゆるぎない自信を持っている。時にそれが恐ろしく冷酷なものが含まれているとしてもだ。
「俺たちがあそこで受け入れたとして、その爆弾は何に使われるんだ?爆弾は効率的に人を殺す道具だからな。それ以外の利用法は無いんだから、あのときの答えを俺は後悔してない」
「でも、そのせいで爆弾はこちら側に来てしまったんだよね…?」
 アルは本来無関係だったはずの世界に爆弾が持ち込まれたことに、自分の非があったのではないかと恐れているのだった。エドはそれを察してソファから立ち上がるとアルの傍に歩み寄った。先ほどまで医者が腰掛けていた椅子にまたがるように座ると、アルの目を見つめて優しく諭すように言った。
「じゃあ、受け入れたとして中央司令部に執り成したとしよう。そのとき爆弾はやはりどこかの戦争で試験的に使われるはずだということは否めない」
「うん」
「結果として爆弾はこちら側に来たことは事実だ。俺はそのことを知っている以上、爆弾を使用される前に回収するのが俺の最善だと思う」
 エドはアルの額に手をやり熱の具合を診る。どうやらいろいろ考えさせたせいで熱が上がっているようだった。傍に置いたタオルを水差しの水で濡らしながらいう。
「アル、最善を尽くすのはいいことだが、所詮人はどこかしらで間違える。それは人間としての汚点であり特権でもある。俺たちはそれを許されている、と思う」
 エドはそのタオルを窓の外に絞りに行った。絞ったタオルをアルの額に置くと、すぐにまた座りなおす。
「間違えても、生きることを否定されはしない。誰にもな」
「兄さん」
 エドはそう言ってから、でも、と釘を刺す。
「俺は間違えたと思ってない!からな」
「わかってるよ」
 エドは自分の答えをアルに押し付けようとはしなかった。アルが間違っていたのでは、と自分の非を恐れたとしても、そのことでアルが苦しまないようにしてくれたのだった。それが嬉しくて、アルはエドの優しさに感謝した。
「ああ、そうだ。リンゴ、貰ったんだ。食べろてろよ。適当に軽いもの、持って来てやるからな」
 言いながら、エドは立ち上がった。アルはあ、と声を上げる。
「どうした?」
「ううん、ちゃんと兄さんが食事してきなよ。僕はリンゴ食べたら少し眠る」
 言われてから、そういえば、とばかりにエドのお腹がぐうっと音を立てた。エド自身がそんな自分の腹にびっくりしたように自分の腹を見つめてから、ははっと笑った。
「ばたばたしててうっかりしてた。腹減ってたんだった、俺」
「うん、僕はリンゴがあるから、兄さんはしっかり食べてきて」
 アルはそう言ったが、エドが少し残念そうな顔をしたことに気づく。
「どうしたの?」
 エドは少し照れたように笑う。
「いや、せっかく久しぶりに一緒に食事できるものだと思ってたからな…ってな」
 鎧のアルは、食事も睡眠も摂れない体だった。食事を摂れないアルは食事するエドの隣で鎧を磨いていた。食事ができないので手持ち無沙汰だったのだろう。それを見ているのが、正直エドには辛い時間だったのだ。だから、ようやく肩を並べて同じように食事ができることが嬉しく楽しみだったのだが…。
「治ったら一緒に食べようね!兄さん!」
 兄の気遣いに気づいたアルは、すぐに元気よくそう言った。エドも嬉しそうにおう!と笑うと、上機嫌で部屋を出て行ったのだった。




■兄弟二人が可愛らしくてたまりません…。その割に遅筆…くそう。

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