【鋼の錬金術師】

■大空の先へ[3]

掲載日[2006/10/24]

















 食堂に移動したエドはおかみさんに自分の食事を頼むついでに、アルに消化のいいものを用意してくれないか、と頼む。おかみさんは機嫌よく笑うと、具合はどうだい、と優しく聞いてくれた。
「リンゴ食べてちょっと寝るってさ。あ、リンゴ、ありがとう。娘さんにもらったんだ」
「おや、そうかい。いいよ。早く元気になるといいね」
「うん」
 エドは窓際のテーブルに腰掛けた。窓の外は既に日が落ちて真っ暗だった。街灯があるようなおしゃれな町ではない。松明がそこここで申し訳ばかりに焚かれているのが見えるが、探し物ができるほどの明るさはすでになかった。これではハスキソンがいたという雑木林を探し当てるのも大変そうだ、とエドはぼんやり思う。タイミングを見て町の人に聞いてみよう、とエドは思う。
 こちらに来てからの2年間、弟と離れていても一人で食事することは少なかった。こちらに来たばかりの頃は、同じく門を越えた父が傍にいたし、その後、父がふらりと行方不明になりエドはロケット工学仲間のアルフォンス・ハイデリヒの家に転がり込んで生活をしていた。アルフォンス、という名から察せられる通り、この世界には向こうの世界とよく似た人物がそれぞれ向こうの人間と対を成すように存在するようだった。そう、アルフォンス・ハイデリヒは、向こうの世界のアルフォンス・エルリックと瓜二つだったのだ。
「多分同じ人間は同じ世界に二人と存在してはいけない法則があるんだな…」
 エドは門を通算2往復半している。一度目はロンドンという町に住むエドワードと言う同じ名の少年に精神だけが乗り移ってしまった。しかし、その頃ロンドンは戦争真っ只中でその爆撃にこちらの世界のエドワードは死んでしまう。体がなくなってしまった反動で、なんとか自力でエドは門を抜け戻ることができた。その後、アルを練成する為の代価を自分に選んだエドは自分自身を門に取り込まれそうになって、門を越えてしまう。今度エドは、こちらの世界に自分の体のまま落ちた。こちらの世界の同じ魂がいないからそのまま受け入れられたのだ、と考える。
「はいよ、お待ちどう。なんだい、そんなに難しい顔をして?」
 おかみさんが刻み野菜のスープと鶏肉のソテーらしきものを置きながら、苦笑いしていた。後ろで先ほどリンゴを届けてくれた娘がパンの籠を持っている。
「あ、いや…」
「そんなに心配しなくても、男の子なんだからすぐ元気になるって。お医者様もただの風邪だっておっしゃったんだろ?」
 どうやら難しい顔をしていた理由を取り違えられたようだった。エドは頭を掻いて、はは、と誤魔化すように笑った。
「ご兄弟ですよね。いいですね、仲良くて。私は一人っ子だから羨ましいわ」
 籠をテーブルに置きながら娘は本当に羨ましそうな顔をしていた。一人っ子、という単語だけでふわり、と頭に浮かびかけた人影を、エドは慌てて打ち消す。顔が判別できないうちにその影を打ち消したはずなのに、心の奥底では誰なのかははっきりしている。幼なじみのウィンリィ。
(…くそ…)
 できるだけ、思い出さないようにしているのに、とエドは唇を噛む。
「どうかしました?」
 エドが不機嫌そうな顔でうつむくので、娘が困惑した顔でエドを覗き込んでいた。エドはその声に気づいて顔を上げると、慌てて手を振って答える。
「あ、なんでもない。うん。あ、オレ、小さい頃は一人の方がいいって思ってたけどな。喧嘩しなくていいしさ」
「ああ、でも喧嘩もちょっと羨ましかったです」
 娘はそれだけ言うと、ぺこんと頭を下げて厨房に戻っていった。エドはそんな娘の後姿を見て、息をつく。
(今なら、その気持ちもわかるな。アルがいなかったらってことを今はもう想像したくない)
 窓を見つめると、もう外の景色は判別できないほど真っ黒に染めあがっている。松明は夜も更けたので火を落としたようだった。結局見ているのは、窓ガラスに鏡のように映った食堂の様子だった。飲み屋としても機能しているらしいこの店は、町の人の溜まり場になっている。エドはそのはずれで一人食事をしている形だ。
(あいつも、そうだったのかもな。兄弟みたいなものだったし)
 血は繋がっていなくとも、気がついたときからずっと一緒に遊んでいた。それこそ朝から晩まで他愛ないことを繰り返して、無茶なこともずいぶんやったから3人とも全身真っ黒になって家に帰っていったこともあった。分かれ道で手を振るのが名残惜しくて、どちらかの家に遊びに行って親が迎え来るまで遊んだことも何度もある。小さい頃、ウィンリィも同じ家だったらよかったのに、とアルと話したこともあったような気がする。
 学校に行き始めてからガミガミやかましくお姉さんヅラしていたのは、エルリック兄弟に姉という存在として一緒にいたかったからかもしれない。いつまでも兄弟のように同じ場所にいられたら、と思っていたのかもしれない。
(……だからか?だから、家を焼いた日、泣いてくれたのか…?)
 今更、そんなことを思う。ずっと弟の体を元に戻すことばかりを考えていたから、ウィンリィの気持ちなんて考えたことも無かった。ウィンリィがどんな気持ちで自分たちを送り出したのか、待っていたのか、と言うことをこれまで一度も考えられなかった。そんな余裕も無かったし、考え始めたら多分、自分が罪悪感に苛まれることをどこかで知っていたのかもしれない。
 国家錬金術師の資格を得てすぐ旅に出てそれからもう6年が経過している。その間離れていたはずなのに、思い出すウィンリィの笑顔はいつも近くて、暖かい。幼なじみというあって無いような絆が、その記憶に感じられた。右手と左足につけられた機械鎧がその媒体になっているのか?などと珍しく非科学的なことを考えて、エドは一人顔を赤らめた。
(アホか俺は。何を非科学的なことを)
 頭を振って思考を切り替える。ウィンリィのことを考えようとする自分の思考回路を無理やり断ち切らせた。
(さて、どうするかな)
 目の前のスープを啜りつつ周りを見渡して見ると、どうやら屯しているのは農家の男が多いようだった。来る途中に金色に光る稲穂たちの風景を見たような気がする。あれは小麦畑だったのだろう。
(あの人たちはハスキソンのこと知ってるかな)
 医者の話では『どうやったらあんな大火傷になったのかみんなで不思議がった』と言っていた。その言葉は、当時ある程度の町の人がその黒焦げの人物に興味を示していたことを指している。
 エドは目の前の食事にがっつくと手早く食事を済ませて、男達に近づいた。
「あのー、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 エドが屯している男達にそう声をかけると、男達はエドを振り返って気後れしたように黙り込む。やはり僻地のせいか余所者になれていないんだろうな、とエドは頭の端でそう思い、手早く用件を話したほうがよさそうだと口を引きかけた。しかしそのうちの一人、ひときわ大柄な男がそれよりも早く声を上げた。
「おう、なんだい兄ちゃん。旅の途中かい?何か探し物か」
「さっき医者に聞いたんだけど、前に大火傷の男がこの辺に倒れていたって。そいつ、俺の知ってるやつかもしれなくて」
 それを聞いて男達は顔を見合わせた。さっきの大柄の奴とは違う男が、エドを気の毒そうに見上げてこういった。
「気の毒だが、その人は亡くなったよ」
 どうやら身内か何かと間違われたのだろう。エドはそのことを嗅ぎ取って一瞬冗談じゃない、と思ったが、逆に身内と思わせておいた方が話は聞きやすいかもしれない、と考え直す。
「あぁ、それは医者に聞いたから。どの辺に倒れていたのか、知りたくてさ」
「今から行くのか?」
 別の男が興味津々、と言った様子で声をかけてくる。余所者とは言え身内に死なれた哀れな旅人、という間違った認識が彼らの同情する気持ちにさせた。結果として、エドは余所者として見られる胡散臭げな目より、どちらかと言えば哀れむような目でみられている。エドは少々それに戸惑ったが、今更色々事情を説明するのも面倒なので、余計なことは言わないでおく。
「うん、できれば」
「やめとけやめとけ。どうせ真っ暗で何も見えやしねぇ」
 大柄の男ががはは、と笑いそう言うと、確かに、と周りの男も笑っている。その大柄の男がどん、と飲み干したジョッキをテーブルにおいてエドを見た。
「兄ちゃん、よければ明日の朝なら俺が案内してやるぜ」
「マジで?助かるよ」
 エドが嬉しそうに大男に身を乗り出すと、大男がにかっと白い大きな歯を見せた。
「ただし農家の男は朝が早いからな。朝4時にこの店の前に迎えに来てやるよ」
「4時ぃっ?」
 エドはびっくりして声を荒げたが、他の男達はさもありなん、という表情でエドを見つつ笑っている。
「そんな早起き無理!」
 エドは威勢良く抗議したのだが、大男はがはは、と笑いつつエドに痛恨の一撃を放った。
「じゃあ今から寝ろ!睡眠時間が足りんと俺のように大きくなれんぞーチビ助!」
「だぁれぇが虫より小さい豆チビかぁぁぁあ!」
 身長のことを言われたのでいきり立つエドを見て、男達がどっと笑った。エドをおもちゃにして遊ぶことを思いついた男達がエドを空いた椅子に座らせる。
「酒飲めばでかくなるかもしれんなぁ〜」
「いやいや、こっちのソーセージを食べてみな、ぐんぐんのびるぜ」
「おーい、おかみさん、コイツのビールを頼むよ!」
「馬鹿いってんじゃないよ!まだ未成年だろ、この子」
 おかみさんに叱られた男はじゃあ、これ飲め!とばかりに自分のジョッキをエドに飲ませようとした。
「未成年に飲ますなよ!」
 エドは苦笑いしながら切り分けたソーセージをもらう。しばらく男達の話を聞きながらこの辺の暮らしぶりを聞いてみることにした。この辺では農作物は豊作と言えないまでも、そこそこ収穫できているらしい。ヘタに換金するより市場で物々交換をすればそれほど暮らしに困ることはないそうだ。そんな話を聞いていると、おかみさんが後ろから話し掛けてきた。お盆の上には野菜とやわらかそうな団子が浮かんだクリームスープがあった。団子のようなものはニョッキというらしい。ジャガイモで作ったのだそうだ。
「温かいものを食べてゆっくり休むのが一番の薬だよ。早く持っていっておやり」
「ありがとう」
 エドは立ち上がって、じゃあ、と男達に挨拶した。
「よしよし、ちゃんと寝て早起きしろよ!4時だからな!」
 大男にまたもや言われて、エドはげんなりしながらも了解、と返事をして部屋に戻っていった。
 階段を上がってすぐの扉が自分達にあてがわれた部屋だ。エドはお盆を片手に持ち直して扉を開けると、アルの傍に歩いていく。
「アル?」
 アルは、やはり疲れのせいなのか、ぐっすりと眠っている様子だった。サイドテーブルを見てみると、リンゴはなくなっていた。食欲に問題はなさそうだな、と思うとエドは安心した。食欲がなければ体力の回復が難しいのを判っているからだ。
「やっぱあったかいうちに食べた方がいいよな」
 エドはまた起こすのか、と少々難儀な顔をしていたが、仕方ないよな、と思い直す。
「アルー、ご飯だぞー。うまそうなやつ、もって来たぞー」
 エドが思い切って声を上げてやると、アルは身じろぎをして目を覚ました。目を擦りながら兄を確かめると、ゆっくり体を起こす。
「…あ、ごめん兄さん」
「起きてすぐ食べられるか?おかみさんがあったかいうちにっていうからな」
 エドがベッドの布団を均してその上にお盆ごと置くと、アルが嬉しそうに声を上げた。
「うわぁ。おいしそうだね、僕こんな料理はじめてみるよ」
「ニョッキっていうらしいんだ。俺もはじめてみた」
「へえぇ!いただきまーす」
 アルが嬉しそうにフォークを手にしてそう言うと、野菜やニョッキを口元で冷ましつつ頬張っていく。
「すごくおいしいよ、これ。兄さんもこれを食べたの?」
「いや、俺は肉のソテーだったよ。そっちが消化にいいんだろう」
 ふーん、と言いつつ満足げにアルは口にほ頬張ったものを咀嚼している。とても幸せそうに食べるその姿を見て、エドもなんだか嬉しくなってくるのだった。
 エドが食事するアルをあまりにじっと見すぎていたので、アルがそれに気づいて、どうしたの?と声をかける。
「いや、なんかお前が普通に食事してるのが…嬉しいんだ。なんだか、子供の頃に戻ったみたいでさ」
「そうだね、僕達が一緒に食事したのって、もう7年も前になるんだもんね」
 にっこりと笑いかけながら、アルがそう言う。それは、まるで一つも苦しいことなど無かったかのような顔である。しかし、エドはそんな弟を見てやりきれない思いに駆られてしまう。食事ができない、睡眠をとることも出来ない体で、一体どのくらいの強靭な精神があればそれを乗り越えられるのだ、と思う。しかも4年間も。
「アル、俺…」
「謝っちゃだめだよ、兄さん」
 アルはなんでもないことを言うように、そう言った。エドがはっとさせられてアルの顔を見るが、アルは食事をすることに専念するようにエドを見ない。兄の悲壮な顔をできればみたくないという強い意志と、本当になんでもないことなのだ、ということを頭の固い兄にわからせるためのジェスチャーだった。
「僕は、僕の意思で母さんを取り戻そうと思った。だから、鎧になったことは兄さんだけのせいじゃない」
 きっぱりとそういいきる弟の言葉を、それでもエドは信じることが出来ない。エドは膝の上でぐっと拳を握り締めて、喘ぐように言った。
「でも、でも、俺はそのせいでお前を苦しめた…!言い出しっぺの俺よりも酷い目に…」
「でも、同じようにやっぱり兄さんも苦しんだよね」
 アルがようやく、エドを見る。苦しみに喘ぐエドが顔を上げると、アルもやっぱり苦悶の表情をしているのだった。
「ね」
「俺の手足なんかより、お前は全部を…」
 アルはふうっと息を吐くと、頑固頭の兄に少し痺れを切らしたのか目が怒りを帯びている。
「そういう質量的な問題じゃないの、兄さんにだってわかってるでしょ?判ってるくせにどうして、そう意固地になるの」
 エドは情けない顔で瞳を彷徨わせてから、のろのろとアルを見つめなおした。
「僕は確かに全身を失って辛い思いをしたけど、兄さんがそうなった僕のことに責任を感じて苦しんでいることを知っていた。兄さんだって逆に、僕に比べて手足だけしか奪われなかったことが辛かったんだ。そうでしょ?」
「アル…」
 エドは、アルの言葉にがっくりと深く頷いた。言われた通りだった。自分が身代わりになれるものならば、と何度思ったことだろう。弟だけに酷い苦しみを背負わせて、自分はなんにもできない、と。だからこそ、アルの体だけは絶対に取り返すと、それだけがアルを救う、ひいては自分を救う希望だったのだ。
「これは禁忌を犯した者の事故だったんだ。例えばまだ生きている母さんを迎えに行って二人して馬車に引かれたとして、片方が手足がなくなって、片方が全身不随になった。そう言うことと同じだよ。違うのは、兄さんが僕の体を元通りに取り戻してくれたってことだけだ」
 アルはそういってにっこり笑った。
「だから、これで不幸な事故のことを言い合うのは終わりにしよう。…ありがとう、兄さん。僕の体を元通りにしてくれて」
 あまりにも平穏な顔をしたアルに、その強さに、エドは心を動かされた。アルが今まで自分を恨んでいなかったのだと、同じように苦しんでいたのだと判って、ようやくエドの顔に笑みが戻ってくる。
「俺も、ありがとな、アル。俺を赦してくれて」




■なんでこんなに話が進まないのだろう…。

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