【鋼の錬金術師】

■大空の先へ[4]

掲載日[2006/11/09]








 翌朝4時、エドはあの大男の指定時間通りに階下に降りていった。久しぶりの快眠だったので、時間が短くともちゃんと寝たという実感が持てた。昨晩、アルとの会話でずっと感じていた弟への負い目がようやく氷解したせいだろう。気分が高揚しているせいか、朝の肌寒ささえ気持ちいいと感じるほどだった。
 朝起きるのが苦手なエドにしては上機嫌な表情で宿屋のドアを開くと、外は一面濃厚な霧にけぶっていた。その景色はエドの嫌いな乳白色の飲み物を思わせ、思わずエドは顔をしかめる。その霧の仕業で陰になった人影にエドが目を凝らすと、やはり時間通りにたどり着いていたらしい大男がエドを見つけてよお、と太い腕を挙げてエドに挨拶した。
「ちゃんと起きたらしいな。よく眠れたか」
「お陰さんで。悪いね、忙しいのに」
 軽い足取りで大男のところに近づくと、男がエドの格好を見て幾分目をむいた。
「お前な、そんなんじゃお前まで風邪引くぞ」
「平気平気」
「あほぅ。今は平気でもここらの朝霧の湿度を甘く見るんじゃねぇ。ほれ、これ着とけ」
 手にもっていた何かの動物の毛皮のようなものをばさりと頭からかけられて、エドはわっと声を上げた。どうやらエドが薄着で出てくるのを見越していたようだ。男もまた別の毛皮のようなものを羽織っていたので、渡された毛皮はエドが着ていいものらしい。
「ありがとう」
 なんだか昨日から妙にこの町の人には助けられてばかりだ、と思いながら、エドは毛皮を羽織りなおした。
「ほんとに、すごい霧なんだ」
「ああ、ほっといたら帰りにゃ濡れ鼠さ。こら、頭までちゃんと被っとけ」
 男はそう言うと毛皮についたフードをエドの頭に被せた。さすがにエドと大男との身長差があるので、エドはまるで子供のように扱われてしまう。しかし、エドはこの大男に子ども扱いされるのがそれほど嫌ではなかった。思うに、この大男は自分の師匠イズミ・カーティスの夫のシグに似ているからだとエドは思った。父親にでさえ子ども扱いされるのは苦手で嫌悪感すら催すエドだが、師匠のイズミとその夫シグの夫妻に対してエドはそれほど気分が悪くなったりしない。実の父親は父親らしいことを何一つしてくれなかったことに比べ、カーティス夫妻には幼くして両親のいなかった二人に数々の叱咤や躾に対して、感謝以上のものを感じているからだろう、とエドは思う。
 歩きながら、エドは被ったフードの縁に練成されているかのように生まれている水滴に気づく。毛皮の縁は既にしっとりと濡れていくつかの毛束ができていた。そこに空気中に漂う水分が集められてひたひたと滴っている。言われた通り恐ろしく水を含んだ霧なのだとわかる。
 二人が歩くのはこの町の大通りで、それ以外の道からでは目的の雑木林の方にはいけないのだそうだ。
「雑木林に限ったことじゃねぇがな。このメインストリートを中心に町が長くできてるようなもんだから、ここの道を利用しないで移動するとしたら裏手の川沿いの道を遡るか、山沿いの寂しい小道を歩くしかない。お陰で余所者が入るとすぐにわかるって寸法だ」
「ところが大火傷の男はこの道を通った気配も無かった、って医者が言ってた」
「ああ、目立つ風体だったにも関わらずな」
 全身の火傷のことを言ってるのだ、とエドも気づいて無言で頷く。やはり、どこかから唐突に現れたのだ、という仮説が立ってもそれほどおかしくない状況だ。
「裏手の川沿いにしろ、山側の道にしろ、ここ以外を通ったとして雑木林にたどり着ける?」
「たどり着けないことはないさ。しかしな、川沿いの道といっても町から外れていてなおかつ川幅は結構ある。橋だって架かってねぇから、もし川沿いの道を選んだって言うなら奴は泳いで渡ったってことになる。大火傷のやつが、だぜ?」
 ふーん、とエドは顎に親指が当たるように拳を作って考え込んだ。自分の仮説に流されないように、現実的な話として楽に川を渡る方法を考えてみる。全身に痛みに耐えながら川を渡る方法をだ。しかし、船や架け橋がないのでは、泳ぐ他無い。しかも、奴は必至の研究の末に手に入れたウラニウム爆弾を手にしていたはずだ。まさか水に晒すような馬鹿な真似はしないだろう。やはり川を越えることは無理なようだ、とエドは考える。
「山沿いのほうは…?」
「無理だね。昼でもうっそうと繁る木々に光を遮られちまう暗い山道でね。土地勘の無い奴がそこに入るなんて自殺行為だね。迷って狼に食われるのがオチだろうな」
 あっさりと答える大男の言葉に耳を疑った。
「狼?」
「ああ、この辺は結構多い。気をつけろよ」
 男は表情も変えずにそう言うと、そろそろ終着点の見えてきた。正面に断崖絶壁が見えてきたのだ。メインストリートの終着点は唐突にこの雑木林で打ち切られている。
「たしかこの木のあたりだよ」
 男はそう言って一つの木に近づくとエドに振り返った。エドもその木に近づくと、その幹や根元を確認する。確かに何かが燃えた形跡は無い。
「どんな様子だった?」
「そりゃ全身赤く爛れた体だし、物も言わず座り込んでじっとしてたよ。ああ、意識はあったようだ」
 エドは話を聞きながら何かの痕跡を求めて木の根元を覗き込む。木の根が地に根を下ろしている部分は死角になりやすい。エドが覗き込むように地面に頬をつけると、ふと何か薄っぺらい金属が目に見えた。
 エドは物も言わずに手を伸ばして、その金属を指で弾き手前に引き出した。
「なんだ?」
 男がエドが手にしたものを見ると不思議そうにそう言った。エドもその薄いヘラのような金属を表と裏を幾度かひっくり返す。エドにも見当がつかなかったが、よくよく見ると端に小さな陣の印が刻み込まれている。錬成陣のようだが、エドは少し異質なものを感じた。エドがその陣に触れると、わずかながらの微弱な電気が走ったように感じられた。
「静電気か?」
 男が淡々とそういうので、エドは思わず笑ってしまう。
「あ、そっちかもしれないな。こんな毛皮被ってるし」
 錬金術と何とか結び付けたいとする自分の希望のせいで、思考が偏ってしまっていることにエドは気づいた。しっかりしろ、とエドは自分の頭を軽く小突く。
「とりあえずこのヘラ、もらっていいかな?」
「拾ったのはアンタだし、大して問題もないものだろう。かまわんよ」
 エドは男の了解を受けてから、そのヘラのようなものをポケットに入れる。男は背伸びをしながら、仕事を思い出したのか
「さて、俺は仕事に戻るか。一本道だったから、お前さんは一人で戻れるな?」
「ああ、平気だよ。あ、でも毛皮返さなくちゃ」
 エドは貸してもらった毛皮を握りながらそういうと、既にエドから離れて歩き出していた男は振り返りざまエドに手を振った。
「宿屋のかみさんに渡しておいてくれれば俺があとで受け取るよ。じゃあな!」
 あわただしく走っていく男を見てから、エドは一息つくともう一度木の周りを一通り見てみた。ハスキソンは他にも何か残しているかもしれないと思ったのだが、もうそれ以上の収穫は無さそうだった。
「ちぇっ、起爆装置くらい置いていってくれればとりあえず爆弾の危険度も落ちるってのに…。破壊力から言って、爆弾そのものに起爆装置があるとは思えないんだけどなぁ…そんなものを置いていくほど間抜けじゃないか…」
 つい独り言でそんなことを言ってから、さっき拾ったヘラのようなものを取り出してみる。
「こんななにかの切れっ端みたいのじゃなぁ…」
 手がかりにもならない、と肩を落としていると、あら?と呟く声が後ろからした。エドが振り返ってみると、宿屋の娘がメインストリートの方から歩いてくるのが見える。
「おはようございます。早いですね」
「ああ…昨日はリンゴ、ありがとうな」
 エドは娘に近づきながら礼を言った。娘がにこにこと笑いながら、エドに首を振ってみせる。
「本当に律儀な人ですね。昨日もそれ、聞きましたよ」
「あ、そうか。でも、このご時世じゃさ、なんか言っておかないとなって思わされるんだよ。それに、弟も喜んでたから」
 エドは照れ隠しをするように手にもっていたヘラのようなものを右手で放りなげては捕まえる仕草をしていた。そのヘラに気づいて、娘はまたあら、と呟く。
「それ、みせてもらえます?」
「これ?いいよ」
 エドは娘にそう言ってヘラのようなものを手渡すと、娘はそれをしげしげと見つめる。それから、ヘラをエドに返して、みつかっちゃいましたね、と微笑む。
「え?それじゃ…」
「はい、私がそれを隠したんです。それの持ち主の方に頼まれたので」
 娘はそういうと、ヘラを見定める為に下ろしていた籠をまた拾い上げた。どうやら農作物を取りに行く最中だったらしい。昨日の小さなパンの籠とは違って、両手でしっかり持たないといけないほど大きな籠だった。
「火傷の男にか」
「はい。自分の命が持たないことを知って、私にこれを隠すように頼んできたんです。丸いボールのようなものは協会に見せてしまった手前隠し切れないのでこれだけは、と言ってました」
「ってことは、これも何か重要な部品ってわけだな」
 おそらくハスキソンは自分の目で研究の成果を確かめられない以上、協会にその爆弾を売るのも辞めたかったはずだ。そう思ったがすでに協会にその爆弾を紹介していたため、協会の人間は今にも食いつかん勢いでその爆弾を見ていたに違いない。協会の人間はもう少ししたら変わり果てる自分の骸に喜び、傍らの爆弾を取っていってしまうことが手にとるように判ったのだろう。ハスキソンはそれが許せなかったのではないか、とエドはそこまで考えた。
「これだけは、か。やはり起爆にかかわる部品かな」
「やっぱり、ここに隠して正解だったみたいです」
 娘はエドが思案をめぐらせている姿を見てそう言った。エドがそれに気づいて、そういえば、と思う。
「確かに、家の中に隠したりせず、ここに隠したっていうのはハスキソンの指示だと思ってたけど、そうじゃないのか?」
「いいえ、協会の人に見つからないように、とだけ。私は家の中では不安だったので、もしもあの人に縁のある人が探せるようにとここに隠しておいたのです」
「へえ。やっぱり協会の人間だけには渡したくなかったとみえる」
 エドはにやりと笑ってそのヘラをもう一度宙に放った。くるくると回転し落下するヘラをぱしっと握り締め、まずまずだ、と一人ごちた。そんなエドを見てから、はっとして娘は手を口に当てた。
「今更こういうこと言うのも間抜けですけど、あなたは協会の人間じゃないですよね」
 不安がる娘の表情に気づいて、エドが安心させるように笑ってみせる。
「ああ、俺たちは何にも属しちゃいない。安心していい」
「そうですか。それなら、きっとあの人の思う通りになったってことですよね。安心しました」
 娘はほっと胸をなでおろすと、籠を担ぎなおしてそれでは、と歩き出した。雑木林から左にそれていくとどうやら農地があるようだ。案内してくれた男と同じ方向に歩いていく。
 エドは娘が見えなくなってから、ふと手伝うべきだったか?と思ったが、どちらかと言えばこのヘラと刻まれた陣に対する調査を即刻始めたかった。アルにも見てもらって相談したい。
 ヘラをポケットに入れ、エドはアルが休んでいる宿に戻る方向に歩き出しながら、ふと、さっきの自分の言葉を思い出す。
「何にも属していない、か。そういえばそんなことを言うのは初めてだな」
 元の世界でならば、エドは国家錬金術師として軍に属していた。ひとたび戦争が始まれば人間兵器として狩り出されることを条件に、あらゆる軍の権利を認められた。資金にも困らず、錬金術師としての力をさらに探求するという名目があれば何をするにも許された。また、その命を狙われれば、望みはせずとも警備の人間があてがわれた。軍に尽くす義理はない、と頭では思っていたものの、その恩恵は絶えず受けていたことに気づかされる。
「今は何もねぇ…」
 生身の左の手と機械鎧の右の手を見つめる。いつも腰のベルト架けに引っ掛けていた銀時計も、何かにつけ利用しようとしては心配してくれていた上司も、壊れてしまった機械鎧を直してくれる幼なじみも、温かな料理で迎えてくれる保護者も、困ったときに相談に乗ってくれた師匠も、みんな、ここからでは手が届かない。
 今まで一人でなんでも頑張ってきたように思ってきたのに、今更のように周りの人間の存在の大きさに気づかされる。どれだけ自分が支えられて生きてきたということかを、知らされる。
「もしかして、これが業って奴か…」
 エドは諦めたように頭を振ると、両の手を握り締めて歩き出す。これまでは少し憂えた表情だったのが瞬間、毅然とまっすぐ前を見据える顔になっている。失ったものの大きさに気づけたことは、悪いことではない。だから、それを嘆く必要もない。そう、エドは考え直したのだ。
 驚くべき精神力である。
「案外、俺も幸せだったってことだもんな。だったら尚更、取り戻してやろうじゃねぇか!」
 まるで、エドの精神状態に合わせるように陽の光が射し始めた。あたりを見てみると、すでにさっきまで濃かった霧も晴れて来たようである。エドは先ほど男に被らされたフードを下ろした。湿り気を帯びた空気はもはやそれほど残ってはいなかった。エドに向かって吹いてくる風も心地よくすがすがしい。エドは機嫌よく笑みを浮かべると、歩みを止めていた足を思い出したように進ませ始めた。
 ざっざっと足を鳴らしながら歩み進める足も、片方は生身ではない。けれども目的のために前に進むことができるのであれば、その足が生身であろうと無かろうと関係ない。エドはそういう合理的な思考回路をもつ者だった。それが優れているかどうかは別にして、そのお陰で効率のいい行動をとれることは間違い無い。
 エドはその足で走り出した。一つ括りにした髪が軽やかに揺れる。力強く地を蹴り腕を振り上げる姿に、憂いを帯びたものは既に微塵も無い。
 彼は、この世界で前に進むことを選んだのだ。













■アルが出なかったよ(汗)ごめんな…アル。

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