【鋼の錬金術師】

■大空の先へ[12]

掲載日[2007/03/22]








 中は灯りのために火が焚かれているおかげでずいぶんと暖かかった。外から大体の建坪を見ていたエドは、思ったとおり余り広くないと思いながら奥に進んでいった。入ってすぐは礼拝堂があってその奥には両側に二つのドアがあった。女はもう目に見える範囲からは居なくなっていた。どうやら先に進んだのだろう。広さから見てどちらを選んでもたいした問題ではないだろうとエドはとりあえず右側にあるドアを開いて先に進んだ。
 その先の右側には簡単な炊事場があったが、そこにも女の気配は無い。エドはそのまま直進してその先にあったドアに進む。するとその先にはぽつんと地下へ下りる階段がみつかった。
「こんな山崩れしそうなところに地下なんて大層なもん作っちまったんだな」
「昔はここまで崖ぎりぎりに建ってたんじゃないのかもね」
 アルがそう言って、確かにそうかもしれない、とエドも頷く。エドは先にその階段に足を踏み出した。
 階段は一度崖側に降りて今度は山側に折りかえした。それから折り返しはなく、山の内部に入り込む方向で下降が続く。
「アル・・・これって・・・」
「うん。完全に山の中に一室を作ったらしいね。本で読んだピラミッドって奴に似てる」
 アルが興味深い顔をしながら天井や壁に手を当てている。文様こそはないが所々に灯りが灯してあるだけの地中階段は、最近作られたものと言うよりもずいぶん昔からの作りのように見えた。おそらく、この地下階段から先の設計と地上にある修道院の設計は別の時代のものだろうと二人は推測する。
「階段の秘密を守るために、あの修道院が作られたのかもしれないな。そして修道院の人間がそれを見張るわけだ」
「安心の二重構造ってやつだね」
 地下2階分くらいを降りていった先にようやく階段の終着地点が見えてきていた。その先もまた仄かな灯りがあるらしく、揺らめく光に導かれるようにその先の部屋に入っていく。
 たどり着いた場所はそれほど広くはなかったが妙に天井が高い部屋だった。土の色は地上よりもかなり黒く、粘土質のようだ。完全に密閉された空間かと思いきや、空調のために天井にはいくつかの穴が空いているのをエドは発見した。酸素不足で死んでしまうようなことにはならないようだと、エドはそれを見て思った。
 そしてその部屋の床には、すでにエドが予想していた通り錬成陣が描かれていた。
「人体錬成の陣・・・」
 子供の頃の過ちから始まったその陣をエドが見間違えるはずがなかった。そしてその先に先ほどドアを開けた修道女がいた。頭から足元まで真っ黒な布で覆われたその人は、手にしていた銀製の杯を二人に渡した。中は無色透明のもので臭いも無い。単なる水にすぎないようだと思って二人は、ありがたく頂いた。
「ようこそ、神の間へ」
 二人の杯を盆で受け取ると、その娘はそう言った。
「神の間?」
 エドとアルがそのまま娘の言葉を繰り返す。しかし、娘はそれに答えず、話を続ける。
「私はエステル、ホーエンハイム様のお手伝いをさせていただく者です。どうぞよろしく」
 その娘はホーエンハイム、つまりエドたちの父親が死んでいることを知らないかのような口ぶりだったので、エドがああ、と口を挟んだ。
「ホーエンハイムはもうこの世にいないんだ」
「この世に体が在るか無きかは問題ではありません。ホーエンハイム様より託された叡智そのものが私にとってのホーエンハイム様、その叡智そのものが神。私は神の言葉を代弁するだけの体なのです」
 朗々と謳うようにそう言う女の言葉を聞いて、二人は一瞬気味悪そうに顔を見合わせる。女の方に声が聞こえないように、エドはアルにひそひそと耳打ちした。
「なんだかヤバイ系の女?それともあの野郎がこの人をこんなにしちまったのか?」
「うーん・・・」
 アルもなんと答えていいかわからず唸りこんで言葉を失っていると、女がかたん、と音を立てたので二人は吃驚したように女の方を向いた。女は単に杯の盆をテーブルに置いただけだった。
「私を訝るのも怪しむのも結構。とにかく私は勤めを果たさねばなりません。お話を聞いていただけますか?」
 威圧感のある切迫した声でそういわれて、二人は思わず慌てて身を正す。はい、と返事をすると、女は杯を伏せてテーブルの隅に置くと、静かに話を始めた。
「そもそも、異世界の人間が来たのはあなた方が初めてではありません。ホーエンハイム様ですら初めてではない。最古の異世界人はこの神の間を作った人だと言われています」
「ええっ?」
 扉を越えた人間がそんなに昔から居たと言う事実に驚いた二人だったが、あちらの世界で人体錬成が禁止されていることを考えればそれは不思議でもなんでもない。禁止されている、という事実は何度かその行為が行われてその危険度が判っているからこそ、という過去を示しているからである。
「あなた方の言葉では『扉を越えた者』でしたね。その人はまず『人体錬成』というものを行い『扉』から『真理』を得た者であり、それを繰り返したことによって『扉』を超えることが希にある。その扉を越えた人間は、何も判らないこちらの世界で『真理』という『叡智』を駆使して生き延びたのです。それはまさに、ここにいるものにとっては神の御業にすら思えたことでしょう」
 エドは言われて、なるほど、と頷いた。確かに『真理』として得た知識をそれほど文明が栄えていない時代に披露したとすれば、その言葉や事柄は神の御業に見えたに違いない。
「その初めてこちらにきた異世界人を『始めの人』と呼ぶことにしましょう。『始めの人』は叡智を利用してこの『神の間』も作られました。『始めの人』は神と祭り上げられて大層不自由の無い生活ができたことでしょうが、それでももとの世界に帰りたがっていたのです。それは、この神の間を見れば一目瞭然でしょうね」
 二人はその言葉に無言で頷いて見せた。ここに人体錬成の陣があるということは、再び人体錬成を行ってその扉を開いて、元の世界に戻ろうとしたことを物語っているからだ。
「それで、そいつは戻れたのか」
 意気込んでエドがそう尋ねるが、女は首を振った。
「わかりません。記録としては陣を発動させたことまでは記してありますが、彼がちゃんと元の世界に戻れたかどうかなど、私たちには知ることができる情報ではないのですから」
 エドとアルは確かにそうだと思ったのだろう。ぐっと何かが詰まったように黙り込んだ。
「しかし、ホーエンハイム様は陣を解析しておそらくは失敗したのだと仰っておいでです。代価がやはり足りなかったのだと」
 そう、人体錬成に限らず錬金術は必ず代価を必要とする。そして人体錬成というこの世の理を覆すような錬成術ならば代価も相当なものになるのだ。今の二人はかつてその代価によってその体を失っていたのだから。
「ホーエンハイム様はこの練成陣を一から検証し直しました。そして人体錬成についての代価を、人体の有機物だけでなく高エネルギー物質ならば何でもいいという代価に広げることに成功したと」
「・・・んだって?」
 エドはエステルのその言葉に目を剥いた。人体錬成をする代価の方向性を変えることに成功した、ということならば、何故ホーエンハイムはつい先日自分の命を落としたのか、それが理解できなくなる。
「待て!ホーエンハイムは扉を開けるために、いや、人体錬成の代価になるために自分の命を落としたんだぞ!あいつは、それが無駄だと知った上で命を落としたって言うのか!?」
「そうです」
 即答以外の何物でもない、淡々とした声で女は言った。言われたエドのほうが臆したように一瞬身を引いたくらいだった。
「お父様はいつでもあなたのことを第一に考えておられましたよ。エドワード・エルリック。おそらくあなたにこの事実を告げたところで、あなたが素直にこの話に乗るとは思えなかったのでしょうね。父親を毛嫌いしていたあなたが心から素直に父親の力を借りたいと思う瞬間を、お父様は見破っておられた。それは自分以外の人間が、元の世界に戻る必要に駆られたときです」
「っ・・・・!」
 エドは唇を噛んでうつむいた。アルがおろおろとそんな兄とエステルの様子を交互に見つめている。
「お父様は隣に居る弟のアルフォンスをこちらに呼び寄せる為に命をなげうったのです。そうすればあなたが、自分の研究の成果である練成陣を必要とするだろうと」
「くっ・・・そぉぉおお!!」
 エドはそれ以上聞いていられないかのように声を喚かせた。それは、あまり大きくないその空間の空気がびりびりと震動するほどの悲鳴だった。
「あの野郎――――っ!!!」
 エドはそのままがっくりとしゃがみこむと、渾身の力を込めた拳を地に叩きつけ始めた。何度も何度もエドは打ちつけつづけ、手の皮が破れて血が滲んでも、エドは止めなかった。
「兄さん!」
 ようやくアルが我に返って兄の手を止めた頃には、既にエドの手には血が流れていた。エステルは静かに水瓶で布を浸すと、エドの手についた血や埃を拭き取るようにアルに手渡した。アルが頭を下げて受け取ると、アルがエドの手を取りその手を拭ってやる。その間エドは放心したように目をうつろに彷徨わせていた。
「少し休んでいなさい。話はまたあとで」
 そう言うと、エステルは一度その部屋の奥の小部屋に引っ込んだ。アルは、力のない声ではい、とだけ返事をし、放心状態になったエドを心細そうに見つめる。エドは呆然としたままアルがその手の汚れを拭き取るのを待っているだけだった。
 どんなに自分の身が危険に晒されようと、人の命を奪うことだけは頑なに拒んできたエドである。不可抗力で命を奪ったことがあっても、本当に殺したかったわけではない。そんな精神の持ち主のエドが、結果論として「自分の性格が父親の命を奪っていた」という事実に直面して正常な精神を持ちつづけることなどできるはずがない。
 アルはエドの腕を取って肩を貸すと、エドの体を部屋の隅に移動させた。とにかく、壁に背を持たせかけて少しでも楽な姿勢でしばらく様子を見るしかない、と思ったのだった。
 それにしても、エステルはホーエンハイムを神のように崇めているようだった。「体の有無に関わりは無い」と言っていたが、やはりその死の張本人を目の前にしては黙っておくことなどできなかったのだろう。
 そういえば、エステルの話を黙って聞いていたが、これまでエステル自身の話は一度も出てきていない。しかし、そのことも聞かずとも自然とエステルを信頼してその話に耳を傾けられたのは何故だろう、とアルはふと思った。そういえば、疑ってかかるエドでさえ、素直に聞いて半狂乱になりさえした。
 少し考えてから、アルは一つ、思い当たる節があることに気づいた。
 それは、彼女の声、だ。彼女の声は初めて聞く声ではないのだ。
「は…エステル…エステルねぇ」
 唐突にエドが自嘲的に笑いながら呟いたのが聞こえた。アルが吃驚してエドの様子を見てみると、エドはどうやら自分を取り戻したようだった。
「兄さん?大丈夫??」
「アル…、聖書って読んだことあるか?」
 アルの気遣いを他所に、エドがそんなことを言い出す。アルは驚きながらも、慌てて思い起こして答えた。
「え、うん。この前のラング邸で読んだよ。斜め読みした程度だけど・・・」
「そうか。・・・うん、オレもそもそも宗教も神様もどうだっていい話だったんだけど、一つ気になる資料があったんでな。ある部分だけ読んだんだよ。『エステルの書』っていうんだけど」
 そう言ってエドがアルの方に顔を向ける。にやり、と笑っていて、何かの企みを話すときの幼い頃の表情のままだった。アルはそんなエドを見て少し安心する。
「あの人と同じ名前…」
「そう。ま、名前が同じくらいはな、たいしたことはないんだ。マリアって名前だって腐るほど世の中にはあるだろう。ただ、オレがその一説を読んだのは…クセルクセスという人物が登場したからだ」
 アルは一瞬何を言われたか判らないかのような顔をした。クセルクセス。クセルクセス。遠い記憶を呼び起こす必要があった。エドとアルが育った国アメストリスの東の遺跡、その名がクセルクセスだ。
「クセルク…セス!?どうしてその名前が!」
「ああ、あっちの滅びた国の名前がこちらの世界の文献でも見つかったときにはオレもひやっとしたよ。それでついで調べてみたんだ。どうやらそのクセルクセスっていうのは古代ペルシャの王の名前だったらしい。そして、その后の名前はアメストリス」
「アメストリス!?」
 今度はアルが悲鳴をあげた。向こうの世界の、自分たちが過ごしてきた国の名前だ。
「そんな偶然ってあるの?」
「ほんとにな。国名としては完全にリンクしてはいないとはいえ、一つの国の主と后の名前なんてなぁ…。歴史上のクセルクセス王は、聖書『エステルの書』に出てくる王と同一人物らしい。そしてその王の妻に、エステルはなるんだ。この相関関係からすると、エステルはイクォール…」
「アメストリス…!」
 后の名前アメストリスと国の名前アメストリスでは何の因果関係も無いのだろう。けれど、偶然の一致は奇跡をもたらす事だってあるのだ。アルは興奮した。しかし、エドはそこでふっと息を吐いて、自分を落ち着けるようにこう言った。
「なんてな。さすがのオレも、エステルと言う人物がアメストリスへの門か、その鍵になれば、なんて非科学的なことを考えちまったよ。はっ…全てはこじつけに過ぎない」
「兄さん…」
 アルはエドが諦めたようにそう言うのをやりきれない思いで見つめていた。しかし、完全に諦めたような二人を勇気付ける一言が不意に聞こえてきた。
「あながちこじつけとも言い切れませんよ」
 奥の小部屋との境目に立っていたのは噂の王妃、いや修道女だった。
「エステル…?」
「エステルさん」
 二人は呆然としたように黒の衣装に包まれた彼女を見つめると、エステルは盗み聞きしたことを詫びるように一礼して部屋に入ってきた。
「私の記憶の中には自分の経験以外のものが紛れ込んでいるのです。実は、あなた達のことがわかったのもそのお陰なのです。でも、ずっとそれが何故かわかりませんでした。けれど今あなた方の話を聞いてその答えがなんとなくわかりました。もしかしたら、あちら側にも『私』がいるのかもしれません」
「どうかな。俺たちの情報なんて親父に聞いておけば済む問題だろう?」
 エドはエステルの言う可能性を安易だと思ったのか一蹴に伏してしまった。しかし、エステルは構わず自分の考えを続ける。
「話で聞いたからといってあなた方の顔がすぐわかったのはおかしくないですか?言っておきますがホーエンハイム様は二人の写真をお持ちになりませんでしたから。それに…」
 エステルは一度言葉を切ってから、迷うように視線を彷徨わせた。
「エドワードさんはもうみつ編みをしていないんですね。アルフォンスさんも、もう鎧ではない」
 一瞬、三人の間の空気が強張った。二人の目が見開く。その外見を知る人間はただ一人、ノーアという精神感応能力者だけのはずだった。エドは身構えるように立ち上がる。
「お前…?」
「また、精神感応(テレパス)…?」
 アルがエドを止めるように立ち上がる。相手は女性なのだから、とばかりに兄の手を抑えている。
「いいえ、私にはそんな特技はありません。私だけの記憶で物を言っただけです。ここと、向こうにいる私の記憶…向こうの私は…」
 彼女はそう言って一瞬躊躇ったように体を震わせた。しかし、肩までかかるベールを初めて手をかけると、黒く顔を覆っていたベールを外して見せた。エステルの素顔が外気と彼らの視線に晒される。その顔を見てアルは驚きのあまりよろめき、エドは声を失ったように喘ぐと、自分を落ち着けるようにごくりと生唾を飲み込んだ。
 彼女の顔は、彼らの幼なじみ、ウィンリィ・ロックベルそのものだったのだ。
「おかえり、エド、アル。彼女はいつもそう言っていましたね?」








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