【鋼の錬金術師】

■大空の先へ[13]

掲載日[2007/03/22]








 修道女ゆえの慎ましやかで穏やかな表情。生まれた国籍の違いか浅黒い肌の色。ぱっと見た雰囲気ではウィンリィその人の印象には程遠い。けれど、ひたむきで芯の強い瞳。臆することなく真実だけを告げる形のよい唇。高くはないがすっと通った鼻筋。兄弟に対する優しい声色。それらはウィンリィ・ロックベルと瓜二つだ。
「フリッツ・ラングさんを見たときに他にもいるかも、とは思っていたけど…」
「まさかその顔に会うとはな…」
 へたり込んでしまったアルを立ち上がらせながら、エドは辛そうにエステルから目をそらした。エステルも、エドとアルの様子を見てすぐにベールを被りなおした。視界からウィンリィの顔が消えて、エドは内心ほっとした。あの顔をみていると、自分への誓いが揺らぐような気がした。しかし、もしかすると、と思う。
「ウィンリィにも、あんた自身の記憶が紛れ込んでいるのか?」
 エドは期待を込めた瞳でエステルにそう聞いた。しかし、エステルはわからない、と首を振る。
「私は彼女のことを時系列的に知っているわけではありません。例えば彼女が体験したことが次々に私の中に流れ込んでくるわけではないのです。何かを思い出そうとしたその記憶の断片に、彼女の思い出が紛れ込んでいる、という言い方をしてわかるかしら?」
 アルは不思議そうな顔でエドの顔を見つめたが、エドはなんとなく理解したようだった。考え事をするときの癖で拳を顎に当て、うつむき加減でしばらく考える。それから、頭の中を整理するように思いつくまま言葉を口にし始めた。
「つまり、アルが向こうの世界にいたときみたいに『同じ魂の連結作用で夢に見ながら、向こう側の人間と同じ体験をできる』ってやつじゃないわけだな。いつのまにか思い出すと別の記憶があるんだ。それもまた同じ魂の連結作用だけど…おそらく連結が薄いんだろうな。情報が流れたり、滞ったりするせいで脳内に情報が蓄積する時間がかかっていて、形になっているのを認識するのが遅れてしまうだけだ。その分だとおそらくウィンリィのほうにはエステルの記憶はないだろうが…いや」
 エドは一瞬呼吸をを止めて、真剣な表情で床の一点を凝視した。全神経を思考に集中するためだ。
「あくまで仮説だが」
 そう言うと、エドは顔を上げて二人を交互に見つめた。
 アルが真剣な表情で頷き、エステルは不安そうにぎゅっと自分の服を握り締めた。
「エステルとウィンリィの魂が同じ対象物を認識したことで魂の連結がより深くなるものだとしたら?」
「どういうことですか?」
 エステルはエドの言っている意味がわからず、思わず聞き返す。アルは、ああ、と言い、なんとなくエドの言いたいことが判ったようだった。
「僕は兄さんだけがこちらの世界にいるときに、魂の連結効果でこちらの世界の僕、アルフォンス・ハイデリヒと繋がって兄さんの様子を知ることができたんだ。夢の中で僕はこちらの世界のアルフォンスの意識と繋がっていた。おかげで、兄さんが別の世界で無事だってことを知ることができた。そしてそれはおそらく、僕のお互いの魂が兄さんという一つの対象を認識したことでより強く連結されたんだと、そういう仮説だね?」
 アルの見解にエドは大きく頷いた。エドが嬉しそうに笑う。それは希望を見出した顔だった。
「そうだ。だとすれば、今エステルとウィンリィもまた同じオレとアルという対象を認識した魂だ。お互いの魂の存在を認識したから連結は自然に強くなるはずだ。だとすると、ウィンリィの記憶にエステルの記憶が紛れ込む可能性もあるし、あわよくば…」
「僕のときみたいに、夢の中に逐次こちらの様子が伝えられる可能性もあるんだね!」
 アルが嬉しそうにエドにそう言うと、エドもそういうことだ、と頷く。
「向こうとの伝達手段が思わぬところで出てきたな。それならば俺達の世界でやってもらいたいことをウィンリィ経由で頼むことができる。あちら側の門をあるタイミングで開くことを指示することができる!」
「やったね兄さん!これで望みが繋がった!」
 アルが拳を握り締めてガッツポーズをしながらエドを称える。エドも少し安心したのか、その場に座り込むと壁に寄りかかって息をついた。
「一縷の望み、とはよく言ったものだぜ…。まあこれからのことはエステルたちの連結状態にかかってるから、しばらくはここに滞在しながら高エネルギー成分の生成準備に取り掛かるか…。エステル、そんなわけなんで協力を頼むな?」
 エステルは全部を決めてしまってからそういうエドに少しむっとしたようだったが、諦めたように息をつく。むこうの世界の、もう一人の自分がこの協力を拒めないことを知っている。同じ魂の持つものの心の平安を取り戻すためにも、この二人の話に乗った方がよさそうだ。
「わかりました。神の僕としてできるかぎりのことをしましょう」
「ありがとう、エステルさん。ほら、兄さんも」
 アルは礼儀正しく御礼を言って、エドにもそうするように促したのだが、エドはちらりとエステルを見上げると立ち上がりながら何かを誤魔化すように顔をそむけてこう言った。
「ああ、頼む。オレ、ちょっと疲れたみたいだ。先に休むよ。奥のベッド借りていいか」
 奥の小部屋にベッドが見えていたのを目敏く見つけていたらしい。エドはエステルの返事を待たずに歩き出していた。
「ええ、どうぞ」
「兄さん?」
 アルはエドの唐突な行動に首を傾げながら、部屋に移動する兄の背を見つめる。そんなエドを見てから、エステルはああ、と声を上げると、くすっと密やかに笑いを漏らした。
「なに?エステルさん」
「わかりやすいのね。あなたのお兄さん」
 え?とアルのほうがエステルの訳知ったような物言いに困惑してしまう。
「判り難いと思うけど…」
「いいえ、とても判りやすいわ。これから自分の行動がウィンリィに繋がるとわかったので、ヘタに動けないって顔よ。あれは」
 言われて、アルは納得がいった。なるほど、エドはエステルとは必要以上の接触をしないようにした、というわけだ。ヘタすればウィンリィにその情報が逐一行き渡るし、しかもどこがどう伝わるかは神のみぞ知る、という状況だ。確かにエドにとってはやりにくいに違いない。
「…離れててるんだから、少しくらい素直になればいいのに」
 アルはそう言うが、妙なところで頭が回るのはエドらしいとは思ったのだろう。仕方なさそうに微笑むと、エステルに頭を下げる。
「じゃ、僕も部屋に戻ります。しばらく兄とご厄介になります」
「厄介事は、ほどほどにしておいて頂戴ね」
 エステルは冗談めかしてそういうと、おやすみなさい、と声をかけて階段の方に向かった。反対にアルは、エドを追うように小部屋の奥を抜け出ていく。
 部屋に入ると、ベッドに突っ伏した兄の姿を見つけてアルは兄さん、と声をかけた。ブーツもそのままにベッドの上に突っ伏しているものだから、毛布が汚れてしまう。
「だめだよ、ブーツくらい脱いで寝なよ。毛布が汚れちゃうよ。後でエステルさんが洗濯するんだろうからきれいに扱わなきゃ」
 アルはそう言ってソファに腰掛けると、兄の方を見つめた。
「わかってるよ…」
 いつになく何かを堪えたような返事の兄に、アルは訝しげな表情で首を傾げる。
「どうしたの?具合悪い?」
「いや、その反対」
 ぐいっと腕立てふせをするような勢いでエドが顔を上げる。その表情を見て、アルは笑いたくなった。
 兄があまりにも子供のようににやにや笑っている表情を見つけたのだった。
「嬉しいんだ、兄さん」
「うん、やっぱりオレ、帰りたかったんだな。ずっと」
 はは、と笑いながらエドはベッドに座りなおす。できるだけアルに顔を見せないように顔を伏せているのだが、嬉しさを堪えきれないのか肩が震えている。
「そりゃ、そうだよ。生まれ故郷だったら誰でも帰りたいって思うよ」
「そうだよな。うん」
 嬉しくて緩む顔をなんとか隠そうとエドは手で顔を覆う。想像以上に進展したことが、エドは嬉しかったのだ。まさか、こんなところであちら側の世界との連絡手段が取れるとは思っても見なかった。
「神の思し召し…ってヤツかな」
「珍しい。兄さんがそんなことを言うなんて」
 言われて、エドはアルを見つつ少し笑う。自分でもそのことを自覚しているようだ。
「確かにオレは神なんて信じてない。そんなものがいないこともオレはとっくに判っている。けれど、人の力ではどうにもならないことがあったときに、人知を超えたものを感じると人はやっぱり神にすがり、感謝するんだろうな…」
「そういう心理状態も、弱さではない、んだね。きっと」
「ああ、多分、人は何かを乗り越えるたびにそういう状態になってきたはずだ。だから人は進歩するといってもいい」
 アルが嬉しそうに兄を見つめる。兄はこの境地に立たされて、また成長したようだ。やはり等価交換という法則はどこにでもちゃんとあるのかもしれない。アルはそう思う。
「ま、もしかしたらこれも親父の企みの一部かもしれないけどな」
 エドがそう言ったので、アルは心配そうにエドの表情を探った。しかし、エドは先ほどのような悲痛な顔をするどころか、すがすがしささえ感じる表情だ。エドは素直に父親に感謝し、自分を責めることをやめたようだ。
「兄さん、そういえばさっき言ってた高エネルギー成分の生成ってやっぱり・・・」
「ああ、これを使う。多分この爆弾の素材そのものが高エネルギー物質だからな。真理の奴にはこれを突き出す」
 エドは荷物の中に入れていた爆弾を手にしてそう言った。アルもそれは予想通りだった。しかし、扉を越える手順で判らないことが一つあった。扉を越えるキーワードは『錬成陣』に『代価』、そして『人体錬成』なのだ。一体誰を『人体錬成』するというのか。
「兄さん、じゃあ扉を開けるための『人体錬成』はどうするの?」
「それな、俺で行こうかと思う」
 エドは爆弾をまた荷物にしまいながら事も無げにそう言った。アルは一瞬ふうん、と聞き流しそうになってから、ええっと兄に詰め寄った。
「兄さん!兄さんは生きてるじゃないか!」
「そう、いいところに気づいたな、アル」
 エドは真面目くさって人差し指を見せながらそんなこと言う。アルはエドが落ち着きをはらってそんなことを言うのが信じられなかった。
「全然いいところとかいう問題じゃないんだけど!生きてる人間の人体錬成なんて・・・!」
「落ち着けよ、アル。俺に考えがあるんだ」
 エドはアルを落ち着かせるようにゆっくりとそう言った。アルはエドの話をきちんと聞くべく、エドの真正面にあるベッドに腰を下ろした。
「あの扉に到達するには人体錬成を行わなきゃならない。けれど死から生への人体錬成はおそらくまたホムンクルスを生む原因になりかねない。そもそも、こちらの世界でも同じ道理が通じるかもわからないけど・・・とにかく死から生への錬成はいい影響が無いことがわかってるからな。それなら生から生の人体錬成だ」
「生から生・・・?」
「そうだ。生きてる俺の体を一度分解、再構築する。それなら悪影響は無いはずだ。門もそれで開くだろう。そのときに代価を使えば扉に到達できる」
 エドの話を聞きながら、アルも頷く。生きている人間の分解と再構築とはほとんど無意味だが、扉に到達するにはそれしかない。その代価としてウラニウム爆弾の高エネルギーを利用する、というわけだ。
「兄さん、その理論を僕は信じていいんだよね?」
 アルは念を押すようにエドに確認する。アルが気にしているのは本当に元の世界に戻れるかということではない。エドの体が再構築に失敗しないかどうかということだけを気にしているのだ。もし、その理論が失敗するものであれば、アルはそんな話には乗らないと言い張るだろう。エドの自己犠牲の上に叶うような夢など、アルは願い下げだった。そのことは旅をしていた4年間の間も口を酸っぱくして言い続けてきたことだった。相手を犠牲にすることなく、一緒に体を取り戻すんだ、と。
 エドもアルの言いたいことが分かったのだろう、機械鎧の手を開いたり閉じたりしてから、最終的にぐっと握り締めてアルの視線に答えるように力強く頷いた。
「絶対、成功する。成功させてみせるよ」
「分かった。僕は兄さんの理論を信じるよ」
 二人はそう言うと、お互いに手の甲をこつんと当てて、その信頼を示したのだった。








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