【鋼の錬金術師】

■君の慰め方

作成日[2007/02/16]












(ウィンリィが悪い。オレは、多分、悪くない)






























君の慰め方









 エドは機械鎧の装着手術のあと、1年のリハビリが終わってようやく学校に行ける体になっていた。手術直後は装着用の器具との拒絶反応を起こして、エドは声にならない悲鳴を上げながらその苦痛に耐えた。長い間の発熱は脳に障害を与えるのではないかとピナコ・ロックベルさえも心配した。やはりもう少し大人になるのを待って、体力をつけてからすべきだったかと後悔もしかけたことだろう。しかし、ピナコはエド自身がそれを承諾するはずもないことも分かっていた。

――アルの体を取り戻すために、自由に動かせる体が必要なんだ。

 頑なに込められた意思の瞳は何者の声も受け付けないことを暗示していた。自分の果たすべきことを見据えて、前に進むことを決めた少年の年は、当時まだわずか11歳だった。
 エドは術後の痛みに耐え、発熱の苦しみを堪えて、何とか眠ることが出来るようになったのが1ヵ月後。それから11ヶ月は手と腕を動かすためのリハビリ期間に充てられた。その間、ピナコに頼み込んで時間を惜しむように一日にリハビリの時間を注ぎ込んだ。腕を上げられるようになるのに一週間、足を上げられるようになるのに一週間、指を動かすのに一週間、肘や膝を動かすのに一週間…。エドはリハビリの終了を1年と決めていた。だから、毎日一つずつ部位を動かすことごとにも目標を決めて、そしてその目標を必ず守りぬいた。こつこつと続けていくリハビリのお陰で、エドはやがて右手を動かすことを取り戻す。
 しかし、問題は発生した。どんなに精密な機械鎧といえど限界はあった。摩擦率の低い金属での指はどうしてもうまく物を掴むことが出来ないのだった。エドはもともと右利きである。しかし失ったのも右腕だったのだ。
 エドは素早くその事実に気づくと、その機械鎧に毒づくこともなく左利きになる訓練を始める。もともとリハビリとしては機械鎧の動作のみを考えたもので3年と見積もられたものを、エドが無理やり1年と決めたのだ。この問題がリハビリ期間を圧迫することになるのは目に見えていた。しかし、エドは目標の期日を決して延ばそうとはしなかった。そして、エドは機械鎧と、利き手矯正を含めたリハビリを目標よりも短い11ヶ月で終えたのだった。

 リハビリが終えた翌日、学校に行けばエドはたちまち同級生たちの輪に取り囲まれ、機械鎧に対する偏見もなく、――しかもそれはどちらかといえば尊敬の眼差しで見られることが多かったようだ――1年というブランクにも関わらずエドは仲間達に溶け込んだ。
「すげー。超かっこいいじゃん!エド!」
「これミサイルとか飛ばせるんじゃねぇの?」
 元来男の子は機械仕掛けのものが大好きである。エドの腕はたちまち人気の元になったようだった。

 エドは久しぶりに楽しい学校を味わって上機嫌で家路についていた。その後ろには鎧のアルとウィンリィがついてくる。見た目が変わっても1年前と少しも変わらない、エドはそう信じていた。
 しかし、ウィンリィはずいぶんと口やかましくエドに声を上げるようになっていた。機械鎧の具合はどうか、体調はどうか、おかしなところはないか、とリハビリ期間中もずっと耳に蛸が出来るくらいの有様でウィンリィはエドの具合を見続けていた。それは、おそらく術後1ヶ月間のエドの苦しみを目の当たりにしたウィンリィにとって、エドの機械鎧と体調管理はもはや彼女の最大の関心事のようになっていたのである。そして、その日も例外ではなかった。
「ねー、エド。ちょっと待って。そんなところ歩かないで。まだ慣れてないんだから危ないよ」
「足の付け根とか痛くない?明日、雨みたいだし」
「こらぁ!そんなの掴まないでよ!機械鎧が汚れちゃうじゃないの!」
 そんな調子であんまりしつこいんもんだから、煩わしくなってエドはうるせぇなー、と軽く腕を払ったつもりだった。軽くだったはずなのに、まだ機械鎧の力配分がうまくできなかったのとその手が鋼鉄の塊だということを完全に失念していたエドは、その鉄の塊をウィンリィの頭に当ててしまったのだった。
 がつん、と痛そうな音がした。それは、自分の手の甲が当たった音とは完全に違う音だった。
「たっ!」
 ウィンリィは短い悲鳴をあげた。エドはびっくりして振り返ったが、もう遅い。ウィンリィのこめかみあたりに血が滲んでいるのを見つけてしまった。
「ウィンリィ!大丈夫?」
 アルがウィンリィに駆け寄って声をかける。ウィンリィはなんとか、なんでもない、へいき、とかを繰り返しているが、顔が青白い。咄嗟のことでずいぶん驚いている様子だ。事故とは言え、まさかエドに手を上げられるとは思いもしなかったのだろう。
「兄さん!ほら!ウィンリィに謝って!」
 気まずい雰囲気を執り成すようにアルがそう言うが、エドはエドでそういわれると謝るタイミングを逃してしまったように不貞腐れて、ぷいと他所の方を向いてしまう。
「兄さん!」
「いいの、アル。ごめん、先帰るね。エド、ちゃんと後でばっちゃんに体みてもらうんだからね!」
 ウィンリィはそれだけ言うと、二人から離れて先に歩き出した。少し歩いた後、何かを思い出したかのように急に小走りになってその姿はだんだんと小さく霞んでいってしまった。
 アルがその後ろ姿をじっと見つめていたが、エドは結局目を逸らしたままウィンリィの方には顔を一度も向けなかった。そんな兄を見て、アルがはぁっと息を吐く。
「兄さん、だめじゃないか。今のはちゃんと謝るべきだったよ」
「わかってるよ。けどなーあいつうるせぇんだって」
 ぷい、と今度はアルから目を逸らしてエドが歩き出す。アルはそれ以上何も言わずに兄の後ろを歩いてついていった。

 家にたどり着いてからも、エドはいつも以上に落ち着きがなくそわそわしていた。多分、ウィンリィに嫌な思いをさせたことを後悔してるのだと、アルは気づいていたが何も言わないでおいた。いつもなら「ばっちゃんに手と足、診てもらおうよ」とでも言うアルだったが、今回ばかりは兄の態度にはちょっと呆れてしまって言う気力も無かった。悪いと思っていて、どうして素直に謝れないのか、とそればかりを思い兄の背中に見つめてしまう。
 どうせ、手と足の事が無くてもロックベル家には向かわなくてはならないのだ。二人の小さな少年たちは食事に関してもピナコに世話になっていた。お腹が減って、そうも言ってられなくなったエドがようやくアルに声をかけた。
「アル、飯食いに行こうぜ」
 そんな兄にアルは、うん、と答えた。アルが笑うと、エドも頷いて笑うのだった。その目はようやく、何かを決心したかのような目になっていた。
 ロックベル家の扉を開いたエドは、何事も無かったような顔をしていた。元気に声を張り上げて「ばっちゃん!飯!」といつもの台詞を吐いていたが、アルには兄の声がいつもより声が高かったように感じた。
「なんだい、遅いじゃないか。ちゃんとメンテの時間に来ないから心配したよ」
 火の前に立つピナコがエドとアルを呆れたように見てからそう言った。エドは勝手知ったる調子で椅子を引くと、いつもの席に体を滑り込ませて座った。
「悪い、ちょっと調べもの。なあ、腹減ったから飯先に頼むよ!」
「まったく、しょうがない子だねぇ」
 ピナコはやれやれと肩をそびやかせてから、かき混ぜていたスープを皿に盛った。スープが食卓に湯気を振りまいた。
 アルもエドの隣の椅子に腰掛けながら、あれ、と声を上げる。
「ばっちゃんとウィンリィの分は?」
「あたしは後にするよ。ウィンリィは今部屋にこもりっきりでね。どうせ何か閃いて調べものでもしてるんだろうよ。食べたくなったら降りてくるよ」
 ピナコは気にした風もなく、先にお食べ、と言うと、パンの乗った籠とサラダを持った皿をエドの前に置いた。
「僕、呼んでこようか・・・?」
 アルが心配そうにそう言ったが、ピナコは首を振る。
「夢中になってるのを邪魔してもしょうがないだろ。そっとしておいておやり」
 ピナコは昼間のことを知らないのだ。ウィンリィが一人で調べものに没頭しているわけがないことをアルは知っている。アルはそれが心配でたまらないのだった。
「でも、ウィンリィは・・・!」
「アル、ちょっと静かにしてろ」
 アルの言葉を遮るように、エドがスープを啜りながらそう言った。アルは兄の言葉に口をつぐむ。
 エドは黙ったままスープを啜っていた。さっきと同じくアルと目を合わせてはいないが、それでも表情を読むことはできた。エドもアルと同じように心配しているのがわかる。
 当事者のエドが、何らかの覚悟をしていたことは確かだ。これ以上自分が何かを言っても仕方ないことにアルは気づいた。
「ごめん」
「お前が謝ることなんてないだろ」
 エドはそう言ってにかっと笑った。いつもの自信のある笑いよりも、その表情に翳りが見えたのは電灯の明かりの具合の所為ではないだろう。やっぱり兄も不安なのだと、アルは思った。
「メンテが終わるまでウィンリィが部屋を出なかったら、様子を見に行こう。な、アル」
 まるでそれでいいよな?と同意を求めるような兄の顔を見て、アルもうん、と頷いたのだった。
 食事が済んで、ピナコに今日の具合を報告して全体をチェックしなおす。生活している分に不自由がなかったか、痛みは無かったか、熱を持ったような感覚はなかったか、と質問をしながら体をチェックするピナコに、エドは淡々と答える。それを見ながらアルは、ピナコと同じ事を言っているウィンリィには、何故兄が同じ態度をとれないのか不思議に思いながら眺めていた。
「よし、特に問題はないようだね。明日も元気で学校いってきな」
「サンキュー!ばっちゃん!」
 がしゃ、と右腕でガッツポーズを見せてエドが笑う。アルはそれを見て座っていた椅子から立ち上がった。
「よし、帰るか!アル!」
「兄さん!」
「わかってるって。冗談だろ、冗談。ばっちゃん、ちょっとウィンリィの様子見てくるよ」
 体の調子もよくて機械鎧の異常も認められなかったことで、単純に喜ぶエドがいる。しかし、五体満足の喜びをエドは多分誰よりもかみ締めたいのだ。自分だけでなく、弟の体を取り戻すためにも。
「ああ、じゃあ、区切りがいいところでご飯にしな、って言ってきてくれないかい」
「わかった。行こうぜ、アル!」
 言うが早いか、エドが階段を駆け上がってしまう。アルもその後ろをがしゃがしゃと音を鳴らしながらついていく。ピナコはそんな二人の様子を見てから、腕まくりをした。エドの食器を洗い始めることにしたようだ。
 階段を上がったところのすぐ右側にウィンリィの部屋はある。エドはすうっと息を吸い込むと、おおい、ウィンリィ、と声をかけた。
「俺先に飯食っちゃったぞ」
 がちゃ、とエドがドアを開けて見ると、果たしてそこにウィンリィはいた。いたのだが。
「エド、アル・・・」
 ベッドに腰掛けたウィンリィの顔に、大粒の雫がぽろぽろと落ちていた。二人ともこれにはびっくりしてしまう。
「お、おい?ウィンリィ??」
「大丈夫?そんなに頭痛かったの?」
 兄弟は二人してウィンリィを囲むように両脇にしゃがみこむ。その姿はなんとしても姫を守らねばと傅く騎士のようだ。
「違うの。痛くないよ。だってこれくらいの怪我だったら機械鎧の作業してたら普通にするもん。でもね、涙が止まらないの」
 ウィンリィは二人に心配をかけまいとぐいぐいと腕で涙を拭き取ろうとするが、ぽろぽろと落ちる雫が止みそうにない。エドはそんなウィンリィの様子に完全に混乱してしまう。
「なんでだ?なんで、痛くも無いのになんで涙が止まらないんだ?どっか我慢してないか、お前」
 エドは心底心配したようにウィンリィを見つめてそう言うが、ウィンリィはふるふると首を左右に振る。
「本当に痛くないんだってば。でも涙がね、止まらなくて・・・困ったなぁ・・・」
 泣いてるのに、ウィンリィの表情は泣き顔ではない。本当に自分が泣いていることが不思議だ、とでもいうように目をしばたたかせている。そんな様子のウィンリィを見てアルが何か思いついたようだった。
「兄さん、ちょっと」
 鎧のアルが立ち上がると兄の手を引いて立ち上がらせる。エドはウィンリィの顔を心配そうに見ていたが、やがてその手に引かれて立ち上がった。そのままアルはエドを部屋の隅まで移動させる。
「兄さん、とにかく先に謝ってみて」
「んだよ?藪から棒に。それよりウィンリィの涙止めんのが先だろ」
 アルの唐突の提案が解せずにエドはアルに言い返す。しかし、アルもここでいい子に黙るわけにはいかなかった。ウィンリィはエドにとってもアルにとっても、大切な幼なじみなのだ。
「うん、でも物は試しっていうし。ウィンリィ、やっぱり痛いの我慢してると思うんだ」
「えっ!?でもあいつ、痛くないって言ってるぞ!」
 アルの言葉に驚いてエドはウィンリィの方を見ようとするが、アルがそんなエドをすかさず大きな体を駆使して遮った。そして体の小さなエドがその障害を何とかすることができるはずもなく、エドは大人しく諦める。
「うん、体のどこも痛くないのは本当だと思うよ」
「へ?じゃあなんだよ。どこが痛いんだよ?」
 エドはいぶかしむようにアルを睨みつけるが、アルは気にせず、とにかく、と兄を勇気づける。
「どうせ、謝る為にここに来たんでしょ。先に兄さんの蟠りを解いたらいいよ。そしたらウィンリィの痛みもきっとなくなる」
「なんだ?どういうことだよアル?」
 エドがそう言ってアルに説明を求めようとしたところに、ウィンリィが不機嫌そうな声を上げた。
「もう〜!また二人でこそこそして!何話してるのよ!」
 ウィンリィの声に反射的に振り向いた二人が、へへへ、と誤魔化すように笑う。
「ほら、兄さん」
「ったくわけわかんねーなーぁ!」
 エドはどかどかと足を鳴らしてウィンリィに近づくと、ウィンリィの隣にどかっと腰掛けた。それはウィンリィのこめかみに傷があるほうの隣で、エドがじっと傷に目を凝らしている。引っかいたような傷が2本、掠ったような線が1本見える。3本も傷つけた。よりによって女の子の顔をだ。
「ごめん。痛かったよな。ごめんな」
「エド」
 言われてウィンリィがエドに顔を向けようとしたら、エドはぐいとウィンリィの顔を背けさせる。ほとんどそれは無理やりな動作で、ウィンリィはその強引な仕草にしかめ面をした。
「ちょっと!」
「今、お前の傷に謝ってんだ。邪魔すんな」
 ぷ、とアルは吹き出しそうになった。なんと言う筋金入りの強情さだろう。素直にごめんというのも、面と向かっていえないのだ。強情と言うより、小心と言うべきか。
「謝るならちゃんと目を見て謝りなさいよー!誠意がない!」
「うるせー!ちゃんと謝ってんだから聞いとけバカ!」
「バカってなによ!エドが悪いくせに!ちゃんと謝るなら謝りなさい!」
「すーみーまーせーんーでーしーたーぁぁ!!」
「むっかー!なんなのそれぇ!」
 喧喧囂囂と言い争い始める二人に、アルはあれ、と思う。ウィンリィの止まらなかった雫がいつのまにか止まっているのに気づいたのだ。
「ねえ!ウィンリィ!涙、止まってるよ!」
「なによっ!アルは黙って・・・あ、あれぇ。ほんとだ!涙止まってる!」
 ウィンリィが手の甲で残った涙を拭き取ると、目からこぼれる雫はようやく落ちることがなくなっていたようだった。エドもそれに気づいて、安心したように腕を頭の後ろで組んだ。
「なんだよ、やっぱ痛いの我慢してたわけじゃねぇんじゃん。涙腺壊れてたんじゃねーの?」
「なによっ!」
 ウィンリィはすぐさまエドの口調に反論しようとしたが、アルに止められる。
「あっ!ウィンリィ、まだご飯食べてないんでしょ?ばっちゃんが下で待ってるから、そろそろ行かない?」
「よし、そうしようそうしよう!」
 誘われたウィンリィならともかくエドが意気揚揚と立ち上がるので、ウィンリィが呆れ口調にエドに言う。
「あんた、もう食べたって言ってなかったっけ?」
「お前と喧嘩すると腹減るんだよな。いい迷惑だぜ」
「なによー!あたしのせいだっていうの!?このバカ豆!」
「誰が顕微鏡で見れないほどのちんくしゃ豆チビかー!!」
 またもや二人の口喧嘩の火蓋が切って落とされたのを見て、アルがはぁ、とため息をついた。
「もう、二人ともやめなよぉ・・・」
 せっかく謝りに行ったのに、この日は結局喧嘩したまま帰ることになったエドとアルがいた・・・。

―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―

「ああ、確かにそんなことがあったわね」
 ウィンリィは思い出話をするエドに頷きながら笑ってお茶を啜った。ウィンリィ・エルリック。いまやエドの奥さんになってしまった彼女がそこにいた。
 ロックベル家のダイニングテーブルでお茶を飲んでいたエドがにやりと笑う。
「あんときって何で涙が止まらなかったか、お前わかってるか?」
「何よ。今のアンタなら判るっていうの?」
 エドの言い方が気に食わなかったウィンリィは、睨むまねをしながらエドの目を覗き込む。エドのほうはといえば、へっとウィンリィに笑って見せると、小さい頃とそのままの仕草で頭の後ろに腕を組んだ。
「相変わらず鈍いよなぁ、お前」
「なによー!アンタなら判るって言うの?」
「さーな」
 エドはウィンリィから目をそらすと、楽しげに鼻歌さえ歌い始めている。どうやらよっぽど優越感に浸っているらしいことはよくわかるが、ウィンリィにとってそんなエドが憎らしく思えてくる。
「この豆めぇ・・・」
「もうオレ豆じゃねぇもん。奥さんの身長もばっちし抜いちゃったしな!」
 昔の悪口も通用しなくなって、ウィンリィはちょっと寂しいと思った。得意満面の笑顔のエドを見るのは嫌いじゃない。正直に言えば、ウィンリィはその自信満々のエドの顔はかなり好みだったりもする。ただ、それが自分に向けられるのは腹が立つのだ。どうしようもなく。
 そんなウィンリィを他所にエドはカップのお茶をぐいと飲み干してから、ウィンリィにある話題を振ってみた。
「なぁ、感情の変化に伴って涙が流れるのってなんでだと思う?」
 唐突に言われたその質問に、ウィンリィは一瞬気後れした。質問が少し曖昧だったので気になったのもあった。
「それって、感動したときとか悲しんだときとかのこと?」
 ウィンリィがそう言うと、エドはああ、と言ってテーブルに置いてあった新聞を開く。特に読みたい記事があったわけではないので、手持ち無沙汰なだけだったのだろう。エドは見るともなく眺めるように新聞に目を通し始めた。ウィンリィはといえば、エドの質問に興味があったのか、うーんと人差し指を顎に添えて考えている。
「悲しんだ心を涙で洗うんだとか、そういうの、聞いたことあるけど・・・」
「でもいい意味で感動したときも涙って流れるよな。そういうときって洗っちまうの勿体ねぇ気がしねぇ?」
 すかさず、そう返してくるエドにウィンリィも頷く。やはりエドは新聞など読んでいないに違いない、とウィンリィはひそかにそう思った。
「それもそうね・・・嬉しくても哀しくても涙って流れるよね。どうしてかしら」
「そもそもさ、涙ってなんで出るんだっけ。進化論上、意味のない機能は普通は付加されないよな。意味がなければ淘汰されるのが必至なわけで」
 そう言って、エドは新聞を一枚めくる。紙が擦れる音がしばらく部屋に流れたあと、新聞がきちんと折られてエドは新しい面に目を通し始めている。ウィンリィは引き続き、答えを考えあぐねていた。
「そうね、意味がなければなくなるのが進化だものね。でも、基本的に目のゴミ掃除の役割よね。異物の排除。あと刺激物に対抗するときかな・・・風とか、たまねぎとかさ・・・」
「外的刺激に対抗するための防御機能か。でも感動したときの涙って目に対する直接的な外的要因ってないよな。心にはあるけど」
「それもそうね。どうして涙、なんだろう」
 もともと医療や人間工学を専攻しているウィンリィにとって、それはずいぶん面白く興味のある問題のようだったが、どうにもしっくり来る理由が思い浮かばないようだ。エドはそんなウィンリィを見るともなしに、相変わらず新聞を眺めている。
「だいたい何かを流す、って機能が必要なんだったら涙じゃなくてもいいんだよな。極論、鼻水とかよだれでもいいわけだよな」
「それは微妙だけどね。見た目よろしくなさそうだし」
 ウィンリィの眉間に皺が刻まれる。ちょっと嫌そうな表情だ。そんな表情をエドが一瞥して、頷いている。
「美的景観を損ねてるよな。進化の過程には美意識の要素もあるって訳だ」
「ふふ、そうなのかしら」
 確かにそう考えると面白い、とウィンリィは思ったようだった。
「昔の人間の祖先が感動によだれをたらしてて、誰かに注意されたのかね」
 おどけるようにエドがそう言った話も、なんだか捨てきれなくてウィンリィはまたそこで考えてしまう。
「あ、でも昔の人が感動することってやっぱり獲物を手に入れたときとかだったろうから、ある意味よだれが流れたっていうのはあるのかもよ」
「パブロフの犬かよ」
 呆れた声のエド。あれは感動ではなく条件反射だったはずだ、と言いたいのだろう。ウィンリィもそれを読み取って頭を掻いた。
「じゃ、感情の変化とは関係ないかなぁ」
 しかし、エドも案を捨てるのはもったいないと思ったのか、ウィンリィの意見をきちんと受け入れた。
「いや、でも大いに関係あるんじゃねーの?食欲だって感情の一部だろ」
「まぁそうなんだけど。ねぇ、涙からずれてるわよ。話」
 言われて、エドが笑う。見ていた新聞を読むのを諦めて、エドは新聞をたたみ始めた。
「ほんとだな。一度戻すか。心への外的刺激を受けたことが涙に直結する理由、な」
 頁を最初に戻して四つ折に折りなおすと、エドは新聞をテーブルに置いた。菓子皿からクッキーを手にとって口にくわえながら、ポットに残った紅茶を注ぐ。そんなエドの仕草を見ながら、は、とウィンリィは息を吐いた。
「心っていうのも、難しいよね。器官としてどこにも当たらないものだしさ」
「ああ、それもそうだな。意識としてはあると信じているけど、どこの器官にも属さないんだよな」
 クッキーを手にしてエドがそう言う。ウィンリィも手の甲に頤を乗せた状態で考えながら、クッキーに手を伸ばす。
「強いて言えば、これも夢を壊すようだけど『脳』なんだよね。先入観で胸にありそうなもんなんだけど。心臓は血液の循環を賄ってるだけで意識はまったくないし」
 ウィンリィはクッキーを手にしたまま、自分の心臓部分をとんとん、と示してから、そのクッキーを口に運ぶ。エドは人差し指を脳に示し、それから何か閃いたようにおもむろに口を開いた。
「心の刺激は即ち脳の刺激になってるってことだよな。それが涙腺に直結するのってなんだかわかるような気もするよな。位置的に近いという意味では」
 そこまで聞くと、ウィンリィにもエドの言いたいことが判って、エドが全てを言うよりも早くがっかりした表情をみせた。
「うわー。刺激を受けた脳が位置的に一番近い場所の防御機能に間違って信号が送られているっていうの?」
「いや、それも面白いかなーと」
 対して、クッキーをかじってもぐもぐ言わせるエドは、少しすっきりした顔をしていた。自分の理論に納得がいった、という表情だ。ウィンリィはまだ少し残念そうな顔で不満げにも見える。
「うん、面白いけど。ちょっと夢壊れたかも」
「まあ、そうだな。でも、なんかそんな気がしてきた」
 もぐもぐと口に入れたクッキーを味わいながら、エドは満足げだ。
「うーん、ちょっとロマンがないなぁ」
 未だ残念そうなウィンリィが他の可能性を考えながらお茶を飲む。しかし、しばらく考えても、エドが言った以上の可能性を挙げることができないので、だんだんとウィンリィは歯がゆい顔になっていく。エドがそんなウィンリィを見て、仕方なさそうな笑いをしてみせると、そうだな・・・と一人呟いた。しばらく時間をかけてエドも何か考えたようだった。
「そうなると涙って脳が刺激を受けた証だろ?多分、だから、人が涙を流した分だけ成長するってことになるのかもな」
 そう言ったエドの言葉に、ウィンリィがはしゃぐ。
「うわ!エドにしちゃロマンチスト!」
「オレしちゃ、ってのが余計だぞ、ウィンリィ」

 今日もエルリック夫妻は仲良しです。










■子供時代と夫婦モノが混じりました。私はこれくらいのラブラブ度が大好きですよw


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