絶望の果て・裏
年中温暖な気候のフォルセナは、滅多に雪が降ることはない。冬こそ気温が下がるものの、青々とした草原に丁度良い恵みを与えるほどの雨が降るくらいである。そのため、フォルセナの国民は雪に対する備えが疎かった。
そしてその年、雪が降った。
英雄王がその座を退き、デュランが国王の座に就いたその翌年の冬であった。
「いやですわ、いやに冷えると思ったら雪が」
フォルセナの王妃ローレルの専属の召し使いが窓を見ながらそう言った。椅子に腰をかけて優雅なドレスを身に纏ったローレルは、その言葉に反射的に眉を顰める。
「早くカーテンを。見たくないわ」
もともと気性が荒いところがあるローレルを見慣れたように見ると、召し使いのアーチェは大人しく言われた通りにした。
厚手のカーテンにより冷えた空気は遮られたものの、光までも遮断されたので部屋は暗くなった。
「暗くなってしまいましたね。暖炉を燃やしましょうか。」
「ここはフォルセナよ。寒くなんてないわ。」
吐き捨てるようにローレルはそう言う。
「あ、はい。では。」
アーチェは慌てて燭台の蝋燭に明かりを灯し始めた。炎が灯される毎に、ローレルの表情が次第に明かりの中に晒され始める。そのローレルの顔は脅えた表情をしていた。ひどく脅えた表情で今にも泣き出しそうな顔をしていた。
そんなローレルの顔をアーチェが見つけて、意外そうな顔をした。
「ローレル様・・王妃様?」
ローレルがその声に気づいたかどうかも分からない。まるで虚空を見つめたような目をしたまま、口元に笑みを浮かべるとこう言った。
「あ・・はは、可笑しい?私がこんな顔をするなんて、可笑しいでしょう?笑うといいわ・・いつもあなたを困らせる王妃がこんなに脅えた表情をするなんて愉快でたまらないでしょう??」
いつもとは違う声色。表情。アーチェは慌てた。一体なんだろう?この豹変ぶりは。
「ローレル様・・大丈夫ですか?お寒いのでは?」
アーチェが恐る恐る近づこうとすると、ローレルはその手を撥ね退けて立ち上がった。
「寒いんじゃないわ。寒くなんてあってたまるもんですか!ここはフォルセナよ!アルテナなんかじゃないんだから!!」
ああ、しまった。
アーチェはようやくその豹変の原因が分かって唇をかんだ。
雪はすなわち極寒の地、魔法王国アルテナの象徴。
彼女は雪から連鎖的にある人物を思い出してしまっていた。アルテナ王族唯一の末裔アンジェラ王女を。
アルテナの王女アンジェラは、彼女の夫を挟む恋敵だったのだ。それだけなら、まだここまで彼女は過剰反応をするはずがない。彼女は負い目を感じているのだ。
結果的に、デュランを陥れたという事実に。
フォルセナの国外に知られてはいないが、ローレル一族はデュランとの婚礼の為にかなり手荒い手段をとった。彼の家族を捕らえ、脅迫を強いた。果ては彼らは現国王と親族に当たるため、英雄王からも命令として王となる様仕向けた。全ては、ローレルが王妃とするためにピテア卿・・ローレルの実家に当たる親族たち・・が強硬手段に出たのだ。デュランはそれに大人しく折れた。折れるしかなかった。家族を守るため、英雄王との忠誠を誓うために。彼の本意とはうらはらに。
彼と、彼女・・デュランとアンジェラの引き離したという事実と、ようやく愛する人との結婚という幸せを握ったローレル。しかし、それは次第に彼女にとって負い目となっていき、今や癇癪の原因であった。
負い目が自分を喪失させ、癇癪の頻度は増えていく。愛する夫が傍にいるだけで、それだけで彼女はその夫への罪を認識しなければならない。
しかし、結果的に彼女の夫は優しかった。優しさは彼女の心を少しずつ和ませてくれた。
デュランはローレルを愛そうと努めた。彼女を癒そうと努力した。根気良く、彼なりにできる限りのことをして。目の前のかけがえのない妻を、決して不幸にはさせまいというように。
王様さえいれば。デュラン王さえいれば。
そう思ったアーチェは慌てて部屋を飛び出そうとしたが、脚を突如止める。アーチェは再び唇をかんだ。
「ああ、なんてことだろう・・王様は・・」
今日アルテナに出立されたばかりだ・・。よりによって、その恋敵の呼び出しに応じての。まあ、各国の重要人物を集めての報告だということに表向きはなっているのだが。
「アーチェ、アーチェ。」
不意に落ち着きと威厳を取り戻したローレルの声を聞いて、アーチェはほっと胸をなで下ろした。しかし、振向いたアーチェはローレルを見つけて驚いた。
「私、きっともう生きてはいけないわ・・あんなことをしてデュランが本当に許してくれてるとは思えない・・」
呆然とした様子でローレルはそう言うと、窓に近づいていく。先ほど閉めたばかりのカーテンを引き裂かんばかりの勢いで開けてしまった!雪によってうっすらと白くなった町並みがローレルの瞳に飛び込んで来る。そして、悲鳴。
「いやぁぁ!アルテナになる!ここもアルテナになるんだわ!!あの女は私のデュランを奪いにくるんだわ!!」
「王妃!王妃ローレル様!!」
アーチェはローレルの体を押えた。ローレルの力いっぱいの叫びは止まらない。
「取らないで・・お願いよ・・取らないで・・!私の、私の大切な人を取らないで・・!!」
「お気を確かに!お子様が・・お腹のお子様が・・」
見境なく騒ぎ始めるローレルを、アーチェは必死になって止めた。まだ、2ヶ月半の頼りない命がこの王妃のお腹には宿っている。まだ、赤ん坊の形が定まっていないこの時期に暴れたり、お腹に変に力が入ったりすると、赤ん坊は生れる前に力尽きる。せっかくのフォルセナの世継ぎを失うのは、全国民の信頼すら失う。ローレルはこれ以上の悪評には耐えられまい。
「あか・・ちゃん・・」
アーチェの懸命な努力のおかげか、ようやくローレルの瞳が正気を取り戻した。アーチェはここぞとばかりに口を開いた。
「そうです、他でもない貴方様とデュラン様のお子様ではありませんか!そのお子様を守るのが、今は貴方様とデュラン様にとっての最重要課題です!どうか、お気を鎮めて穏やかにお過ごしくださいませ・・」
アーチェは哀願とも言える口調でローレルをなだめた。ローレルはようやく、体をアーチェに預け、アーチェはほっとしたように手を取ってローレルを椅子に座らせた。
アーチェがローレルの膝にひざ掛けをかけた。そうしてから、窓のカーテンを再び閉め、暖炉に火をつける。アーチェは深々とお辞儀をすると部屋を出ていった。ローレルは椅子に座ったまま、少しも動かなかった。
炎は爆ぜる音を立てながら、冷め切った部屋を暖めていった。
時間を置いて、ローレルの部屋に一人の女性が現れた。礼儀正しいノックがされて、ローレルは静かに返事をした。ノブが回されて、扉が開くとそこには、穏やかな表情をしたステラが立っていた。
「ステラさま・・」
「ちょっといいかしら?」
にっこりと微笑みながら、デュランの叔母であるステラはそう言った。デュランの育ての親であるステラは、ローレルにとっては義母と同然の存在だ。
「ちょっと散らかってて申し訳ないですわ・・」
ローレルはそういって立ち上がろうとしたが、ステラがそれを手で止める仕草をした。すっと体を滑らせるように部屋に入ったステラは、落ち着いた紫色のドレスを羽織っていた。城下町でからからと声を荒げていたころとは考えられないほど、淑やかな雰囲気を醸し出している。もともと、彼女は何にでも飲み込みが早いのだった。
「具合はどう?アーチェから聞いたのだけどね。癇癪起こしたんですって?」
「すみません・・」
体を縮こませるように、ローレルはそう言った。ステラはしょうがないわね、というように笑う。
「不安なのはわかるわ。子供を孕むなんて並大抵のことではないもの。」
「・・・」
ローレルが俯いて黙り込むと、ローレルは同じテーブルの椅子に腰を下ろした。
「なんて、理由がそういうことじゃないってことくらい、わかってるけどね。」
ステラがおどけるようにそういうと、ローレルがはっとしたように顔を上げる。ステラは笑っている。ローレルを責めるような眼差しは、その瞳からは少しも感じられない。
「ねえ、ローレル。済んだことをいつまでも責めてもしょうがないのよ。」
ステラはドレスの裾を少し直しながらそういった。
「あなたがデュランを愛していたのは分かる。アンジェラというアルテナの王女様もそうだったことを私は知ってる。」
ローレルは静かに頷いた。
「でも、時は流れてしまったから。デュランはあなたと過ごすように、時は流れたから。あなたはその幸せを素直に受け止めればいい。」
ステラは手を胸に当てて、首を振った。ローレルの美しい琥珀色の髪がふわりと揺れる。
「でも、そういう風に仕向けたのは私だもの」
「デュランが欲しかったから、でしょう?どうしても、どうしても。」
ステラが優しく尋ねる。ローレルは苦しそうに頷く。
「だったら、尚更今のこの生活を大切に過ごさなくちゃ。やっと勝ち取ったものじゃないの。ローレル。あなたは勝利者よ。恋も、地位もちゃんと手に入れた」
「愛する人を傷つけてまでして、手に入れたんです。手に入れてやっと、私はその罪の重さに気づいたんです・・とんでもないことをしてしまったことに。馬鹿なことをしたんだわ。」
ステラは息をつく。ローレルの肩に手を当てると、ローレルに顔を上げさせた。
「ねえ、ローレル。だから、過ぎたことをいつまでも責めても前には進まないって言ってるのよ。『後悔するくらいならしなければいい』なんて誰も言えないことだもの。人間はそこまで賢く出来てないわ。後悔することを沢山沢山繰り返して、人は学ぶの。」
「ステラさま・・」
「だから、あなたも学ばなくちゃいけない。あなたはここまでして手に入れたデュランに尽くして、幸せに過ごさなくてはいけない。そうでしょう。」
ステラはそういうと、ローレルの肩をぽんと叩いた。
「自信を持ちなさい。アンジェラに負けないほどの意志の強さと、デュランへの愛があることを、証明してみせなさい。それが、あなたに出来る唯一の罪滅ぼしじゃないかしら?」
ステラは立ち上がった。デュランを手に入れるための手段として利用されすらしたのに、ステラの寛大さに、ローレルは涙が零れた。
「ありがとうございます・・ありがとうございます、ステラさま。それから、あの時のこと、どうかお許しください・・」
ステラが笑った。
「ウェンディはまだ分からないと思うから、あなたを好きにならないかもしれないわ。でも、いつか分かるときが来る。あの子も恋を知るようになったら、あなたの気持ち、痛いほどわかるようになると思うわ。」
じゃあ、ゆっくりしてね、と声をかけて、ステラは部屋を出ていった。
ローレルはステラを見送るために頭を下げた。王妃としては異例なほどの深々と頭を下げて・・。
Fin.
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