【封神演義】

■覚醒の主




 きぃぃぃん・・きぃぃぃん・・

 音は近づいたり遠のいたりするように、彼の耳を打ち鳴らしていた。

 きぃぃぃん・・きぃぃぃん・・

 彼はそのときまだ意識が無くて、ただその音を認識することもできずにそこに在った。

 きぃぃぃん・・きぃぃぃぃん・・

 やがて、始めに五感のうちの「聴力」が戻ってきた。どこにいるのか、自分が誰なのか、そういう意識も無い自分を、その音は脳のあらゆる所を走りぬけ、呼び覚ましているようだった。

 きぃぃぃん・・きぃぃぃぃん・・

 音が続いている。それだけは認識できている。
(わしの耳は使えると言うことだな・・)
 彼の思念がぽっかりと、浮かぶ。再生を始めた彼の意識。
(そういえば、わしは一体・・どうなったのだ?)
 彼はそう思って体中に意識を飛ばす。そうすると、体の「感覚」を取り戻し始める。痺れた感覚の手や、規則的に打ち鳴らす鼓動、そして痺れた指からかすかに感じ取れる、太極図の感触・・。
(どうやらわしは・・『在る』ようだのう・・)

 きぃぃぃん・・きぃぃぃぃん・・

 音がずいぶん長い間鳴り響いているようだった。彼は音の正体が気になり始めた。
(なんだ・・この音は?)
 彼はまだ、目を閉じたままだった。自分の中の闇に閉ざされていた彼は、その闇から抜け出そうと試みる。閉じられた瞼をゆるく震わせ、彼の睫が紗のように視界を邪魔していたが、やがてそれもなくなる。彼は瞼を開ききると、彼はその『世界』を見つめた。
 そこは、緑生い茂る空間であった。見渡す限り緑に覆われたその場所に、太公望は沈んでいた。その森と思しきその場所を走り抜ける河の流れの中に。
 そして、よく見ると、自分の体が完全に元通りになっていないことに気づく。
 足先と腕があるのは間違いないが、そこを繋ぐべき腹部が抜け落ちているのだ。

 きぃぃぃん・・きぃぃぃぃん・・

 しかし、不思議なことに、どこからなっているとも知れぬその音が鳴り響くのを聞いていると、次第に体の部位が蘇生されていく。
(そうか・・これは・・)
 彼はようやく太極図に目をやった。
(太極図の力が発する音・・・しかし。)
 彼は自分の再生する体を眺めつつ、奇妙な思いに取りつかれる。
(わしの力は・・潰えたはずだがのう・・)

 きぃぃぃん・・きぃぃぃぃん・・

 鳴り響き続けるのは太極図の力。その力が彼の体を癒し続けるが、しかし。
 彼の体にそんな力が残ってないのも、また事実。
 彼に力を送り続ける者がいる。彼はそれに気付いた。
「誰か・・おるのか?」
 再生しきれない体を他所に、彼はこう言った。ただ川の流れにたゆたいながら。

 きぃぃぃん・・きぃぃぃぃん・・きぃぃ・・ん。

 彼の体が完全に再生した。そして太極図も、その必要がなくなったことを理解したようにその力を放出するのを止めた。
 彼はそれに気付いて、もう一度太極図を握り締めた。痺れた感覚は、既に消えている。
 しかし、河からまだ体を起こす気にはなれない。河が、まだ力を彼に与え続けているのだ。
「のう、おぬしは・・誰なのだ?」
 川の水は、涼しげに彼の体を撫ぜて通り過ぎるだけだ。
 彼はその心地よさに、ゆるりとした笑みを浮かべた。

―・・ゃん・・
 不意に、彼の耳は声とも思念ともつかないものを感じた。
「・・?」
 彼は、一瞬不思議そうに目を見開くと、気配の主を探ろうと目を眇めて周りに意識を集中させる。しかし、周囲にはそんな思念を出しそうなものはない。ただ、緑に彩られた森があり、ただ、勢いよく流れる川が流れている。それだけだ。
「・・誰だ・・?」
―・・太公望、ちゃん・・



「妲己っ!?」
 がばっと、上体を起こして、彼は目を覚ました。
 太公望は目を覚ましたのだった。

 ざざざぁっと風が彼を歓迎するように吹き抜けていく。そこは平坦で広大な草原。向こうに見えるのは羊たちの群れだろう、白い点々としたものを見て太公望はそう思った。
「やれやれ、まだやることがあるのかのう?」
 消滅したわけではないという証拠を得るために、太公望は今一度太極図を握り締める。その感触に、太公望は生きている証を得る。ただそれだけの行為で十分だとでも言うように。
「もはやメンドウは御免だが・・まあよいわ」
 膝に手をついて、立ち上がる。体全体で風の歓迎を受け入れる。
「帰ってきたものはしょうがない、とりあえず見つからぬよう動くとするかのう」
 いつもの悪戯っぽい顔を覘かせると、太公望はゆったりと歩き出す。風たちがその太公望の体を後押しするように、彼の小さな体を吹き抜けて行った。

―甘いわん、太公望ちゃん。
―せっかく教えてあげたのにん・・
―ただの森にも、ただの川にも、その全てにわらわが在ることを・・


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