【封神演義】

■トオクニ咲ク花




 太公望は平坦で広大なその丘を眺めると、一息ついた。
 天空にある輝かんばかりの太陽が、彼の頭といわず体といわずをひどく照りつける。汗ばんだ額に気づいて、太公望は日陰をきょろきょろと探すと、そこから遠くない場所に大きな樹が佇んでいるのを見つけ、太公望はほっと顔を緩ませた。
「あそこでひと休みするかのう」
 太公望は一人呟くと、急ぎ足でその大樹に向かった。
 着いてみると、恐ろしく大きな樹だった。外側に向かって伸びる枝はいくつもの枝分かれを繰り返し、まるで猛禽の羽のように大きく広がっている。そしてその幹は太く力強く、自分を支えつづけるためにどっしりと地に根下ろしている。
「しかし、中は寂しいものだのう」
 既に木陰の領域に踏み込んでいた太公望は、樹の内部である枝ぶりを眺めつつそう呟いた。
 たしかに、表面上の葉や枝に比べ、内部の枝にはほとんど葉は見当たらない。枝こそ縦横無尽に張り巡らされているとは言え、中から見上げてみるとそこは空洞そのものに見えて、太公望はふと奇妙な感じがした。外側の葉に邪魔されて日光が届かないせいだと理解してはいても、ついこんな言葉を吐いてしまうのだった。
「これほどの樹も、間引かねば生きていけぬか・・」
 そう口にしてから、太公望は樹の幹に寄りかかるように座り込んだ。木陰に入ってから何度かひんやりとした風が通り過ぎていき、太公望の汗を鎮めてくれた。しかし、どうにも先ほど口にした言葉に気分が悪くなり、太公望はむくれたような表情で大樹に身を預けていた。
「弱肉強食・・どこにでもある掟とは言え・・むごいものよ」
(そして、このわしも、『それ』をやってきたのだ・・王天君とともに。)
 ぐっと手袋ごと拳を握り太公望は昔の己を、呪う。力の入った拳が震え、太公望の目は一心にその腕に注がれている。
(一度は失いし腕。一度は失いし意識。一度は失いし魂。そして、一度は死んだ体。)
 太公望は自分の握り締めた腕に力を入れたまま、考え続ける。
(それでも今ここに在り続けるわしは一体なんなのだ?)
 震えつづける拳。痛みが増すのは腕が先か?それとも心か?
(妲己よ・・おぬしなぜわしを助けたのだ?わしへの情けか?念願を果たせた礼か?それとも、趣味か?)
(・・・。・・どうやら最後のが一番近そうだのう・・)
 やれやれ、と太公望は考えるのもばかばかしくなって、ゆるゆると腕の力を抜いた。ゆるりと力なく開かれた掌に、ちょうど光の点が浮かぶ。
(ほう?)
 太公望は光の点を見てから、光が射しこむ方向に目をやる。遠く風にゆれる葉の間から抜けるように射す木漏れ陽に、太公望は目を細めた。きらきらと輝く陽の光に、太公望はようやく気づいた。
(地に届く陽の光が皆無というわけではない、か)
 太公望は今一度掌に視線を戻す。掌に浮かぶ光を見て、雫のようだのう、とうっすら微笑を浮かべる。ゆらゆらと心許なげに、光の雫は太公望の掌を彷徨う。
 少し視界を広げてみると、その雫は満天の星のようにそこここに落ちているのを、太公望は見た。
(間引かれたのではない・・ただ道を譲るのもまた使命だった、と?)
『次の歴史をつくる若者たちのために、道を開いておきたいのだ』
 いつかの姫昌の言葉が蘇る。
(それならば。わしは道を作れただろうか?次の時代への道を、礎を築けただろうか?)
 太公望は星屑のように広がる木漏れ陽を眺め、そう思う。
(妲己・・もしやそれをわしに見定めさせるために・・?)
 太公望はもう一度、遠くに輝く木漏れ陽を見つめ、目を細めた。きらきらと輝く光に目を細めた視界の先に、ふと
何かを見つける。
 そこには、木漏れ陽の光を浴びて輝く花が一つ、咲いていた。


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