【封神演義】

■偉大なる母のもとへ






 朝歌で一週間怠けに怠けた太公望は、姫発に置き手紙をして挨拶もそこそこに禁城を去った。四不象と武吉の気配が近づいていることもあったが、それよりもここの所ずっと感じていた気配のようなものがあり、その気配の元へ行ってみようという気になったのだった。
 広大な中国大陸を歩いて渡るには根気が要りすぎるため、今回も最初の人の力を使った。
 大きく開かれた朝歌を抜け、ここに来る前に休んでいた果樹園を抜ける。目覚めたときに広がっていた草原を抜けるとその向こうには、広大な滝が流れる場所があった。滝で周りを囲まれた絶景なその場所までくると、太公望はその中空で体を止めた。
「ここにおるのか?妲己よ」
 太公望の呼びかけに、からかうような声が答えた。
「あはん?太公望ちゃんこそ、どうしてここにぃん?」
 いったいどこから集まってくるのかというほどの水量の滝が突然膨れ上がり、仙女の外形をした水が現れた。あくまで水の塊であるかのようなその外形は不思議なことに形を一定に保たれており、その形は生きていたときの妲己そのままだった。
「おかえりぃん、太公望ちゃん」
「おかえり?」
 太公望は何のことかわかりかねて首をかしげると、妲己はわざとらしいくらい困った顔をして太公望に人差し指を差し向けた。
「だめねぇん?ここは太公望ちゃんが生き返ったところなのよぉん?わらわが大極図に力をほんの少しだけ与えたところなのん。ここよりももうちょっと上流のところだったのだけどん・・」
「そうであったか・・確かに水が流れるところではあったな・・」
 轟音のように鳴り響く水の音がうるさいくらいだったが、不思議と不快にはならなかった。自然とは常にこんなものであろうな、と太公望は思う。体が自然のものを受け入れるようにできているのだ、と。
「それでん?」
 だっきは差し向けていた人差し指を自分の頬に当てながら、あくまでもかわいらしい仕草で太公望に問うた。
「太公望ちゃんは、どうしてここにん?」
「何故かは、おぬしのほうがわかっておるのではないか?」
 滝壷に流れ落ちる轟音が、二人の会話のつなぎの役割を果たしてくれていた。妲己はくすくす、と前にも何度も見た蠱惑こわく的な笑みを浮かべると、瞬時に水の体がただの水になり、滝壺めがけて落ちていった。太公望はそれを見ても全く動じずにその場でじっと待っていると、今度は背後の滝から巨大化した水膜の妲己が現れ、太公望を手のひらに載せるように包み込んだ。
「そうねぇん・・太公望ちゃんを生き返らせた理由はわらわにはないわん・・。わらわは星の意志を継いだまでのことん・・」
 くるりと太公望は妲己のほうに向き直り、妲己を見上げた。巨大化した妲己の顔がすぐそばにあったが、太公望は少しも驚いてはいなかった。
「ほしの・・意志?」
「そうよん・・」
 妲己は手のひらに載せた太公望を見て、何が面白いのかわからないが楽しそうな顔をしていた。今は太公望を覆うはずの大極図膜の中にまで妲己の手が及んでいる・・。妲己の力は宝貝の力ではないため、防ぐことが出来ないのだ。ただ、今更妲己が太公望に危害を与えるとは思えず、太公望はそれに気づきながらも気づかぬ振りをしていた。
「わらわの力は星そのものの力であるのん・・わらわは星の一部であり、星はわらわの一部でもあるのだからん・・」
 太公望は腕を組んで、眉根にしわを寄せた。
「ようわからんのう・・そなた自分がこの星の真の支配者になると言っておったが、他にも支配者がおったということか?」
 妲己の手が大極図の膜を通り越し、既に太公望自身の姿に触れんばかりになっていた。
「理解する必要はないわん・・このことはわらわだけが知っていればいいことん・・」
「そうかもしれぬ」
 ふうっと太公望は息をついた。正直生き返ったことに不満があるわけではない。理由を知りたいとは思ったが、教えてくれることを期待したわけではなかったのだ。ただ、どうしているのかを見たかったのかもしれん、と太公望は思った。姫発や邑姜に会いに行ったように、妲己にもそうしただけだったのかもしれん、と。
「でもん、わらわが思うにん・・そろそろ太公望ちゃんも仙人界に戻ったほうがよくはなくってん・・?」
「それはいやだのう」
 かかか、と太公望は笑いながら即答した。
「また働かされるのはまっぴらだからのーう」
「ご主人ん・・」
 あきれたような声がして、太公望は驚いた。振り返ると、四不象と武吉がふよふよと浮いていたのだった。
「これは・・」
 さすがの太公望も瞬時に事態を理解しかねたが、妲己の言動を考えてようやく思い至った。
「妲己・・そなたわしの大極図を無効化したのか・・・!」
「その通りよん・・じゃぁねん・・太公望ちゃん」
 そういうと巨大化した水の妲己が瞬時にただの水に変わり、再び滝壷に落ちていった。やれやれ、と太公望は息をつくと、後ろを見せていた四不象が勢いよく飛んできた。
「ご主人っ!!」
「おっしょーさま!!」
 加減を知らない二人に双方から突撃されて、太公望は一瞬青くなった。純粋な二人(?)はそんなことにも気づかず、真摯な眼差しで太公望を認めた後、目に涙を溜めながら泣き叫んだ。
「なんですぐ出てこなかったっスかー!!さっきやっと千里眼にひっかかったのを教えてもらって慌てて来たッス!!」
「心配したんですよおっしょーさまぁあぁ!!」
 太公望は二人に突撃された痛みを堪え、二人の頭を撫でてやると、すうっと体を移動させて四不象の背中に乗った。
「それじゃあ、帰るかのう、スープーよ!」
「了解っスご主人!!」
 意気揚揚と返事をした四不象は、嬉しそうに体を反転させ、仙人界へと飛び立ったのだった。



■END


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