小屋から泣きながら家に戻ってきた日から、ヴェルーニャは兎のように目を赤くして毎日を過ごした。昼間、バドとコロナの前では平静を装っていたが、二人ともベルーニャの目を見れば様子がおかしいのはわかってしまっていた。それでも、二人はいつも通り、ご主人が夜のように取り乱さない様に、気づかない振りをしていた。
夜。ヴェルーニャは泣いた。
いつもいつも、そのすすり泣く声はバドとコロナが寝泊まりしている屋根裏部屋まで聞こえていた。何に泣いているのか、二人には見当がついていたが、なんとなく納得も行かない気がしていた。
ヴェルーニャは恐らく恋に破れたのだ。
そう、二人はなんとなく思っていたのだが、いまいち釈然としない。
だいたい、つい最近まで元気だったときから、今のように泣き暮らすようになるまでに、ヴェルーニャはこの家の敷地内から出ていないのだ。どうやって、失恋するというのだろう。
ドミナに買出しに行ったというなら分かる。旅で知り合った友達に会いに行ったというのなら分かる。とにかく、留守を頼まれたのなら理解できる。
しかし、ここ数日、果樹園の実が豊作で買出しに行く必要はないし、また、ヴェルーニャも友達に会いに行くと、言付けたこともない。
一体何があったんだろう。
当然二人は小屋を丹念に調べもした。しかし、何もなかったのだ。ヴェルーニャをあれほど陥れる理由を何一つ掴めなかったのだ。
不安な思いを胸にしつつ、二人はいつものように啜り泣く声を追い出すように毛布を被り、眠りに就く・・。
数日後、珍しくお客が現れた。バドとコロナは家の戸口の掃除をしていたところだった。
「あら?お姉様は?」
「珍しいな、いつも外で何かしら動いてる奴なのに。」
懐かしい声に驚いて、バドとコロナは顔を上げた。
「瑠璃と真珠姫だっ!久しぶりだなぁ、元気にしていた?」
「駄目よバド。あんたどうして年上の人に敬語使えないの?」
コロナが慌てて叱る。しかし、バドは面倒そうにコロナを一瞥するだけだ。
真珠も瑠璃も気にした様子は微塵もなく、ただ、ヴェルーニャがいないのを気にしたように二人顔を合わせている。その様子に気づいて、コロナが
「ああ、ヴェルーニャですね。今呼んできますから。」
と、ヴェルーニャを呼びに踵を返した。
しかし、瑠璃が落ち着いた物腰でコロナの腕を取る。
「待て。」
「? なんですか?」
不思議そうにコロナは瑠璃が握った自分の腕と瑠璃の顔を交互に見つめた。瑠璃はコロナの顔を見て、それからバドの顔を見てから、息をついた。
「一体どうした?二人とも目にクマが出来ているぞ?」
「あら・・本当。」
ワンテンポ遅れて、真珠も手を頬にやってそう言う。目を丸くして二人の顔を見詰めている。
「えっ、本当ですかっ!?はぁ、最近鏡もろくに見てなかったから・・」
「僕も・・」
バドとコロナは疲れたように二人してため息を吐いた。その様子を見て、真珠も瑠璃も不思議そうな顔をする。
「一体何が?」
代表して瑠璃がそういうと、コロナは大人びた仕種で首を振る。
「ヴェルーニャに会えば、少しはご理解いただけると思いますよ。ただ、出来るだけ彼女を刺激しないと、約束してください。約束できないのであれば、帰っていただきます。」
まるで、どこかの皇族の取り次ぎ役のような口調でコロナはそう言った。
ますます不思議そうな顔をする二人だったが、とにかく頷いた。コロナはそれを確認すると、家にヴェルーニャを呼びに行った。
最近ヴェルーニャは、昼間牧場の世話を済ませるとすぐ書斎に閉じこもってしまうのだった。ずっと何かを調べている。それが何かというのも、聞くのがはばかられるようで、コロナもバドも聞いたことはない。
コロナは一瞬ひるんだが、お客が待っているから仕方がないという表情で、書斎をノックした。しかし、今までノックしてヴェルーニャが返事をした試しはない。当然、この時も何も返事がなかった。どうやらヴェルーニャは一心不乱に本を読みふけっているらしい。
「入りますよ。ヴェルーニャ」
きぃと扉が鳴る。コロナが扉を開いたのに、ヴェルーニャの視線はまだ本に這わせている。赤い目が更にその光景を異様なものにする。狂ってしまったんじゃないか、そんな恐怖が今までに何度もコロナの胸を襲った。
しかし、その思いもすぐに打ち消されることになる。ヴェルーニャはコロナに気づくと、いつものように微笑むから。
一つの本に目当ての資料がなかったのか、ヴェルーニャがふう、と本から目を離したとき、コロナに気づく。「あらコロナ。ごめんなさいね。いつからいたの?」
いつもの微笑みがヴェルーニャに戻るのを確認して、またもコロナは心の中で安堵のため息をついたのだった。
「さっきです。大丈夫。ヴェルーニャはすぐ気づいてくれましたから。」
「本当?よかった。何か用かしら?」
「お客様が来てますよ。瑠璃さんと真珠さんです。」
「あら、珍しいのね。外の方にいるの?」
「ええ。」
ヴェルーニャはありがとう、というと、膝に掛けていたストールを肩に掛けて立ち上がった。コロナは部屋から出て行くヴェルーニャを見送って、コロナは扉を閉め、お茶の用意をし始めた。
暖炉はいつも通りに爆ぜる音を立てている・・。
ヴェルーニャが外に出ると、瑠璃と真珠の二人は吃驚したように目を見開いた。
なんてやつれてしまったんだろう!
二人とも、もし声が出てしまっていたら見事にハモったことだろう。しかし、コロナに「刺激するな」というのがこの事だと分かって、二人はなんとか声に出すのをこらえたのだった。
「久しぶり。元気?」
ヴェルーニャの声。しかし、質感が違う。酷く脆そうで弱々しい声だ。
「元気さ。こっちはかわりないが・・あんた・・」
瑠璃が不安げな表情で言葉を紡ぐ。
「あは・・やっぱりおかしい?ちょっと色々あって。・・・家で話さない?どうせそっちもなにかあったんでしょう?そういう顔してる。」
瑠璃は生気を失っていても鋭く指摘するヴェルーニャに舌を巻く。真珠は不安げな表情で頷いた。
「お姉様に助けてもらいたいことがあるんです。」
その言葉に黙って様子を見ていたバドは怪訝な表情をした。
外にいた4人にコロナは熱い紅茶でもてなした。焼き立てのパンケーキも中央に置かれ、個々に取り皿を置く。パンケーキのジャムはどうやら果樹園で取れた果実のジャムらしい。
「さて、お前の事情を先に聞いて置こうか。」
甘いものが苦手なのか、パンケーキには手を出さず瑠璃は紅茶を一口飲んでそう言った。
「何でもないわよ・・」
「何でもないっていう顔をしてないが?お前の顔は。」
コロナに言われたことなど忘れたように瑠璃は問いただす。コロナは少し瑠璃を睨んでいた。
真珠はパンケーキをよそって、ジャムをかけている。当惑した表情で、瑠璃とヴェルーナを見合わせていたが、やがて、あの、と口と出した。
「お姉様、困っているようだし。瑠璃くん、私たちが見たものをお姉様に先にお伝えした方がいいんじゃ。」
それを聞いて、コロナは大きく頷いた。ヴェルーニャを困らせている瑠璃を止めるいい方法だと思っているようだ。ちなみに、バドは面倒なことは関わりたくない、と紅茶だけ飲むとまた外に出ていってしまった。
「まあな。そっちが早いかも知れん。じゃあ、こっちの話を先に聞いてもらうが、いいかヴェルーニャ?」
ヴェルーニャは頷く。
「お姉様。ドミナの街に空き家があるのは知ってますか?」
ヴェルーニャは頷く。と、はっとしたように顔を上げた。空き家とは、別の平行宇宙に繋がっているあの小屋のことだということを思い出したのだ。
「あの小屋が今おかしなことになってる。小屋自体が消えてしまったんだ」
「消えた?って?」
瑠璃は面倒くさそうに手を振る。
「消えたってこと以上に何を言えばいいんだ?小屋がなんの残骸も残さず、消えてる。土地には草生一本生えちゃいないし。」
「それに、モンスター達が。」
真珠がパンケーキをおいしそうに食べながら、口を挟む。
「そうだ、あんた、最近マナの女神とやらかしたんじゃないか?」
ぎくり、と肩を震わせる。ヴェルーニャは苦笑いを浮かべた。これには瑠璃は目を丸くする。半分、冗談のつもりだったのに。
「本当に何かしたのかっ!?」
「怒鳴らないで。」
ヴェルーニャは目をしかめて紅茶を口に含む。コロナが心配そうにヴェルーニャを見つめている。
「ヴェルーニャ・・」
「大丈夫よ、コロナ」
いつもの笑顔を浮かべるヴェルーニャ。コロナはため息を吐く。ヴェルーニャは我慢しすぎる。嫌なら嫌だというべきだ。
「私、別の世界の私に会ったの。マナの女神様に頼まれて。でも、もう会わせてもらえないって言われたの。それで喧嘩したわ。でもそれが原因には思えないけど。女神様は何をするとも言ってないのよ?」
「女神は何をするとも脅してこなかったんだな?」
「してないわ。」
紅茶がなくなったのに気づいて、瑠璃はティーポットから自分のカップの注いだ。
「じゃあ、女神が何かをしたというより・・別の力かもしれない。」
「別の力。」
瑠璃がぬるくなっていることに気づいて、紅茶を一気に飲み干すとこういった。
「なんで、わざわざドミナの惨事に俺達が首を突っ込んでるか分かるか?力が、明らかな力がそこから流れ込んできてるのが分かったからなんだ。」
真珠もそれに頷く。
「私も・・感じています。邪悪なものも聖なるものも・・すべてそこから流れ込んできています。まるで・・これはお姉様がマナを取り戻す前の混沌とした空気です。」
取り戻す前の・・!
ヴェルーニャはがたんっ!と椅子を鳴らして立ち上がった。
「じゃあ、どこかの世界から別の空気が入り込んできてるってことだわ。それは・・リューシスの世界かもしれない!」
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