ヴェルーニャは家の裏の小屋に再び来ていた。瑠璃と真珠は今日は家に泊まって貰うことにした。ドミナに行くのは明日にして欲しかったのだ。
ドミナの小屋を確かめる前に、どうしても、やっておかねばならないことがあった。
ヴェルーニャは裏の小屋のノブに手をかけて、小屋に入った。
そして、意外にもそこはいつの間にか光の回廊だった。思わず、ヴェルーニャから微笑みが洩れる。
「マナの・・女神様?もうおわかりだったのね・・」
”ヴェルーニャ・・・”
女神はうっすらとヴェルーニャの目の前にその姿を現した。力無くヴェルーニャを見つめ返している。まるで、威厳の欠片もなく。
”あなたが考えていることは私の中に流れ込んできます。全てはマナのおかげで”
「ええ。そうね。そうかもしれないと思っていたわ・・」
ヴェルーニャは落ち着いた表情でそう言った。女神から目をそらすように視線を落としたが、それでも口元は微笑んでいる。まるで、これが勝負なら勝利を確信しているかのような、そんな微笑みだ。
「ね、どうなっちゃうかな。でも、私、これ以外に方法がないと思うの。」
”諦めては・・くれないの・・?”
マナの女神はまるで慈悲を乞うかのような情けない声を出した。
「愚問ね。」
ヴェルーニャは突き放すような口調でそういった。同時に瞳は意志を貫くとばかりの色が爛々と輝いている。
女神が息を付く。
”繰り返す・・だけよ。”
「そうかしら・・?」
ヴェルーニャは強気にそう切り返した。女神が首を振る。幾分投げやりな調子に。
”あなたの手にあるもの・・それが解き放たれて、そしてまた戻る。それだけよ。”
「いいえ、あの人に。あの人の手に渡るわ・・そうすれば」
”あなたは・・どうなると思うの?英雄は二人も存在しないのよ。この世界の英雄はあなたよ。”
「私は・・あの人に会いたくて、愛したくて。声が聞きたくて、触れたくて。それだけなの。その後のことは知らない。」
ヴェルーニャの手に、幾分唐突に剣が現れる。高貴な気品のある剣が。
しかし、ヴェルーニャは最初から手にしていたように握りしめている。そして、決意を持って、こういった。
「その後、私がどうなるかなんて、知らない。」
翌日、ヴェルーニャと、瑠璃と真珠。三人はドミナの街へと足を進ませた。隣町なので、時間の方はかからない。ほどなく、賑やかな町の喧騒が耳に届いてきていた。
「消えた小屋のところに誰か足を踏み入れているの?」
ヴェルーニャは二人にそう尋ねた。瑠璃が首を振りながら、いや、と答える。
「町の奴等は気味悪がって近づきもしないさ。俺達もそれほど近づいていない。いや、正しく言えば、近づけない。」
「どうして?」
ヴェルーニャは首をかしげた。真珠がおっとりした口調でこういう。
「昨日、お姉様にいいましたよね。邪悪なものも、聖なるものも、って。そして、その空気は確かに異世界のものなんです。感じるんです。私たちには触れられないものです。私たち、だけではなくこの世界の人ならば。」
「この世界の・・人ならば。」
ヴェルーニャは考える。
自分は異世界に行くことを許された人間。ならば、その空気を触れられる。きっと。
そしてその空気の流れる元に何かに・・もしかしたらリューシスに関わるものに手が届くかもしれない。
「善は急げ、だわ」
そう呟くヴェルーニャを瑠璃も真珠もいぶかしむように見つめた。
ドミナの町に入ると、正面の酒場には人が集っている。どうやら、小屋の噂をして大騒ぎしているようだ。瑠璃と真珠はこっちだ、というようにヴェルーニャをそこから西に歩かせた。その真正面には異質な空気の壁が出来上がっている。小屋はなく、その敷地を囲うように四方には空気の壁が見える。いや、感じる、というべきか。その敷地内を混沌とした空気が渦巻き、それは天まで繋がっている。
「ひどいもんだろう。マナの影響を拒否しているみたいなんだ。」
瑠璃がしかめ面をしてそういった。ヴェルーニャはその言葉を繰り返す。
「拒否。」
「ああ、このマナに満たされた世界を、この敷地だけが拒否している。まだ、必要ないというのか、それとも、必要としたくないのか。」
「したくないのよ。」
ヴェルーニャはそういうと笑った。瑠璃はぎょっとしてヴェルーニャを見つめる。
「お前・・?」
「分かるわ。私はこの敷地がなんなのか。そして、どうしたいのか。」
「お姉様・・?」
真珠は、ヴェルーニャを少し怖がるように後じさりした。
「私は、マナの女神の闇の部分を討って英雄になったわ。でも、もう一人、この世界で英雄になりたい人がいたとしたら・・その人は今の平和なマナの世界を拒否しようと思うでしょう・・?」
「どういう・・意味だ?何を言っている、ヴェルーニャ。」
「もう一度英雄物語をやり直したいっていってるのよ。判る?瑠璃・・」
そういうと、ヴェルーニャはくるりとその敷地に向き直り、その敷地に足を踏み入れた。
「べっ・・ヴェルーニャ!!」
「お姉さまぁっ!!」
瑠璃と真珠が悲鳴を上げるようにそう言った。しかし、ヴェルーニャはその敷地に立ったまま、こちらを向くと、にこりと微笑む。いくつもに分けられて結った髪は、なぶられるように逆立っている。服も風にあおられるように激しくばたついている。それでも、彼女は笑っている。平然と。
「あのっ・・馬鹿!笑ってるほど、余裕ないくせに・・!」
瑠璃が連れ戻そうと敷地に足を入れようとすると、ばちんっ!と大きな音が鳴り響き、瑠璃を跳ね飛ばす。
「うわぁっ!!」
「瑠璃くん!!」
慌てて、真珠が駆け寄る。それを見ていたヴェルーニャは首を振った。
「私でないと、駄目なのよ。」
「お姉さま・・・?一体何を・・?」
ヴェルーニャはそれには答えず、再び足を進ませる。敷地の中央に。
そして、すっと手を頭上に伸ばし、ぐっと力を込めて自分の手を握った。敷地内の風が反応するように激しくなったように見えた。
「全ての英雄のために在る剣、マナの剣よ!!我が手に再び姿を!」
ヴェルーニャが声高らかにそう叫ぶと、燦然と光を放ってヴェルーニャの手にマナの剣が出現した。唐突に現れた高貴な剣は、ヴェルーニャの手に吸い付くようにその存在をヴェルーニャに預けている。
「あれが・・マナの剣・・」
瑠璃は初めて目にするその剣に目を奪われる。真珠もその高貴な気品のある剣に呆然と目を瞬かせた。
しかし、ヴェルーニャの声はそれでは終わらなかった。
「我が手中にあるマナの剣よ。今ある全ての力を再び解き放て!」
呆然と二人がその様子を見守っていると、突如、音もなくマナの剣は天高く上っていき、光を放ってマナの聖域へとその姿を変えた。
「まっ・・マナの聖域っ!?」
「あれは・・!!悪しき女神の・・!!」
瑠璃と真珠がマナの聖域に姿を変えたのをみて、悲鳴を上げる。
しかし、お構いなしにヴェルーニャはまたも声を天に轟かせるのだ。
「聖域の力を封じる英雄を、混沌たる空気を放つ世界より呼び戻し給え!」
瑠璃も真珠もその言葉に驚愕した。
「異世界の英雄?!」
「誰・・・?」
二人がそう呟いていると、異質な空気の放流が始まる。混沌とした空気は壁を破り世界を埋め尽くしていく・・!!
瑠璃がその有様に叫んだ。
「ヴェルーニャぁあ!何考えてるんだよお前はーーーっ!」
瑠璃の声が届いたのか、この混沌たる空気の洪水の中央からヴェルーニャの嬉々とした声が届く。
「瑠璃!すぐに判るわ!!私の王子様よ!」
「おうじさまぁだぁ??」
瑠璃は怒りに震わせた声でそういうと、この混沌の空気の洪水の中央へと突き進む。
「馬鹿か!そんな事のために、この世界をまたマナの力から突き放させたっていうのか!!」
「瑠璃くんっ!危ないーー!!」
真珠の声に顔を見上げてみると、なんと、まるで津波のような空気の潮流がまた押し迫って来ていた。瑠璃は蒼白になって慌てて逃げ出した。
「うわぁっ!」
「きゃあぁぁ!!」
異質の空気は人々を飲み込んでいく。あちこちから阿鼻驚嘆の悲鳴がとどろき、異質の空気に支配され世界中がマナを失っていく・・。
「早く英雄を!リューシスを・・!」
天高くあがってしまったマナの聖域に向かってヴェルーニャは叫んだ。異質な空気の潮流の中心に巨大な竜巻が立ち上っている。おそらく、この異質な空気が流れ込むのはその竜巻の中心だ。
「リューシス!いるんでしょう!でてきてぇっ!」
ヴェルーニャがありったけの声を叫ぶが、異質な空気を送り出すばかりで、竜巻は少しも変化がない。
「どうして・・どうして来てくれないの!あなたが私を呼んでるのは判ってるのよ!!」
ヴェルーニャが怒ったようにそう言う。しかし、瞳は悲しげに潤み始めている。
「あなたが私の世界で一緒に戦いたいと思ったんでしょ!だから・・だから、唯一の接点であるこの小屋が空間の逆流を起こしたんでしょ!向こうの世界の英雄であるあなたがその世界を捨ててでも、『私を必要としている』んでしょう!!それなら出てきてよっ!これ以上焦らすつもりっ?」
怒りに声を震わせて、ヴェルーニャはそういうが。竜巻は無情に異質な空気を送り込むだけの作業しか行わない。ヴェルーニャは竜巻を睨み付けて、馬鹿ぁっ!と叫ぶ。
「リューシスの馬鹿っ!こんこんちき!腑抜け男!根性なし!もぉぉぉ!!あたしの名前を呼びなさいよっ!ヴェルーニャって呼びなさいよぉっ!!」
「べ・・るーにゃ??」
かすかに名前を呼ぶ声。それが聞こえて、ヴェルーニャは目を瞬かせる。
「リューシス・・?」
「ヴェルーニャ、か?」
ぱぁん、と。立ち昇る竜巻の中心。そこが唐突に途切れた。激しく潮流を起こしていた混沌たる空気の根元が、ふっとその激しさの色を失う。そこから現れたのは異世界の、英雄・・リューシスだった。
「あ・・あ・・。りゅ・・リューシス・・リューシス・・!」
ヴェルーニャの目にどんどん涙が溢れてくる。その人を目の前にして名を呼べる。それだけで、涙が、嬉しさが止まらない。
「ヴェルーニャ・・だね。呼んでも会えないから・・君のところにくることにしたよ。」
リューシスは優しく微笑むと、そういった。
ヴェルーニャが堪えきれなくなったように、リューシスに飛びついた。
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