きぃん!
 音ではない何かを、ヴェルーニャは耳に、そして肌に感じ取った。それはまるで衝撃波のようだった。それは自分とリューシスを妨げるものであることをヴェルーニャは瞬時に嗅ぎ取った。
「何・・?」
 ヴェルーニャは足を止めた。後数歩でリューシスに触れられるとわかっていた。しかし、その異様な空気は見て見ぬ振りができるほどのものではなかったのだ。
 そして、リューシスもそのヴェルーニャの様子に驚きもせず、ただ静かに佇んでいる。その様子を見て、ヴェルーニャはまさか、と一言だけリューシスに言った。それだけで、リューシスも全てを理解したように頷く。みるみるヴェルーニャの顔が悲しげに沈んでいく。いくつかの束になった髪の毛を力なく前に垂らし、肩を震わせ、そして、地に滴を滴らせた。
「ヴェルーニャ・・」
 申し訳なさそうな、リューシスの声。しかし、ヴェルーニャは涙を頬に流したまま顔を毅然と上げると、リューシスに恨みがましい声で一言こういった。
「マナの・・女神ね」
「ヴェルーニャ!」
「だって、他に考えられない!どうして私の邪魔ばかり・・どうしてよ!どうしてこんな辛い目ばかりに私が逢わなくちゃいけないのよ!!」
「ヴェルーニャ、女神様は君のことを一番に考えておいでだよ。そんなふうに言っちゃ駄目だよ」
 ヴェルーニャを落ち着かせたい一心で、リューシスは優しい声のままそう言った。しかし、ヴェルーニャにはその声こそ辛さを一層深くする。なぜなら、その声の主に少しでも触れたいという想いは、更に膨れ上がる。しかし・・現実は・・。
「この衝撃波は・・私とリューシスを触れ合えなくする『壁』なんでしょう・・」
 ヴェルーニャは諦めたようにうなだれてそういった。リューシスもそのヴェルーニャの姿をとうとう直視できなくなったのか、目をそらしながらこういった。
「そうだよ、その通りだ。」
「あなたは知っていたのね、マナの女神から・・」
「そうだ。承知の上で、このシールドを張ってもらったんだ・・」
 それを聞いて、ヴェルーニャは後ろから石で殴られたような衝撃を受けた。
『承知の上で』
 一体、何故・・?
「私が・・嫌いなの・・?私と触りたくも無いくらい・・リューシスは私が嫌いなの?」
 こんなこと今聞くつもりはないと頭では分かっていたのに、唇が・・言葉を吐き出してしまっていた。ごく、自然に。まるで、幼い子供が母親にでも聞くような口調で。
「そんなはずないだろう?それなら、どうして君の世界に来るなんて無茶を・・するはずがない・・」
 それに対してリューシスさえ、事も無げにその答えを言葉にした。少し困ったように顔をしかめていたが、本気に怒っている雰囲気は微塵もない。口元は少女の可愛い質問に幾分照れたように笑んでいる。それを見て、ヴェルーニャは、もう一度リューシスの想いを確認したような気がした。
(私が逢いたいと想い続けた人は・・間違いなく同じ想いを抱えてきていた・・)
「それなら、どうして?どうしてそんなシールドが必要だったの?」
 さっきよりも幾分元気を取り戻したヴェルーニャの声がそう言った。
「同じ想いを抱えた同じ魂の持ち主。それがいけないらしい。マナの女神様はある一つの最悪の事態を恐れたんだ。」
「最悪の事態、というと?」
 リューシスは頷くと、一呼吸した。それから、ゆっくりした口調で話を始めた。
「元来一つの世界に同じ魂は存在しない。ただ、僕らはちょっと無理して同じ世界に入り込んでいる。それだけならまだいいらしいんだけどね。僕らはお互いに同じ想いを抱えてしまった。そのことによって、魂の形だけでなく色も同じになってしまう。同じ形で同じ色の魂は世界の法則に従おうとして、一つの存在になろうとするらしい。それはすなわち、触れ合えば同調を起こして、どちらかの存在を呑み込んでしまうか、もしくは消し去ってしまう。」
「つまり」
 ヴェルーニャが頭の中でそのことを整理しながら呆然と言葉をつないだ。
「リューシスか私か、どちらかしかいなくなってしまう・・」
「その通り。そうなってしまえばお互いは逢えなくてまた悲しい想いに打ちひしがれる羽目になる。いや、もっとひどいな。どちらかが相手を呑み込んでしまったという罪悪感を持って、生きていかなきゃならなくなる・・それじゃあ、意味ないだろう?」
「うん・・」
 リューシスはにっこりと微笑むとヴェルーニャを元気付けるようにこういった。
「触れ合えないということ以外は僕らは何も不自由ないよ。お互いに名前も知ることができたし、顔を合わせることも、話をすることもできる。君の過去やこれからの夢を聞くことも、そしてこれから君を励ますことだって、何でもできるよ。」
 ヴェルーニャはそれを聞いて、確かにそうだと思った。今までならば、顔を合わすことも、声を聞くことも、お互いの存在を確かめ合う術がまるでなかったのだ。それを思えば、触れ合えないことなど、なんとでもない。
「そうね・・、そうだね。今までならリューシスと会話すらできなかったんだものね!」
 やっと幸せに笑うヴェルーニャを見て、リューシスは満足そうに頷いた。
「やっと、笑ってくれたね。君が笑ってくれないと、僕は来た意味が無くなってしまうよ。」

 リューシスを連れて、ヴェルーニャは一旦自分の小屋に帰ることにした。リューシスを見つけたら、バドとコロナはなんて言うだろう?という不安を胸にしつつも、できるだけ主人という威厳を見せて帰ろうと決めていた。
「ただいま!バド、コロナ、どこにいるの??お客さんだから、ご挨拶してね!」
 そう言いながらも小屋に入ってから見つけたのは、ものすごい形相で怒っている瑠璃の姿だった。
「お客だ?お前はそんなのもてなしてる場合か??」
 傍にはいつものように脅える視線を投げかけている真珠も座っていた。
「あら、来ていたの?さっき飛ばされていたみたいだけど、大丈夫?」
 まるで、いつもと変わりない挨拶でもするようにそういうヴェルーニャを見て、呆れたように瑠璃は首を振った。瑠璃はヴェルーニャにさっきのことを言及するのも馬鹿馬鹿しくなって、後ろに控えている少々大人しそうな少年に目をむけた。
「そいつがさっきいっていた王子様、か」
「そうよ。」
 事も無げにそういうヴェルーニャの声を聞いて、バドとコロナが部屋に飛び込んできた。
「王子様だって!?」
「王子様ですって!?」
 双子なだけに二人は声をそろえてそういった。語尾に少々ずれがあったものの、タイミングはぴったり声が揃っていた。
「あら、バド、コロナ、何処に行っていたのよ。」
「お夕飯の支度ですよ。もう、遅いから帰ってこないかと心配していたんですよ」
 コロナが窘めるようにヴェルーニャにそういっていると、横からバドが焦った調子で声を上げる。
「それより、ヴェルーニャ!王子様って!?」
「ああ、この人。リューシスよ。仲良くしてね、バド」
 リューシスはにこりと微笑むと、バドによろしくと言った。バドは不機嫌そうにヴェルーニャとリューシスの間に入るとふんぞり返って手を差し延べた。
「よろしく。俺バドっていうんだ」
 その様子にコロナは肩を竦めた。一つため息を吐くと、再び台所に戻っていく。
「立派な騎士だね。よろしく」
 リューシスも手を出して握手すると、バドはヴェルーニャには指一本触れさせないからな!と勢いよくそう言った。
 ヴェルーニャがそれを聞いて、バドをなだめようとしたが、それよりも早くリューシスが強気に微笑むとこういった。
「いい好敵手になりそうだね」
 バドはリューシスの余裕の発言に、ふんっと鼻息を吐き出すとどかどかと部屋を上がっていってしまった。
「ヴェルーニャはもてるんだねぇ」
 リューシスが穏やかに笑いながらそう言った。
 やがて、コロナがテーブルの準備を整え始めた。ヴェルーニャと真珠もテーブルクロスを敷きなおし、ランチョンマットを並べたりして忙しそうに立ち回る。瑠璃とリューシスはその姿を見ながら、軽い無駄話をしていた。
 やがて、皿を揃え、大皿に盛ったサラダが中央に置かれた。オーブンで少し焦がしたパンも中央に盛られた。
 食事の準備が整ったテーブルを見てコロナが満足そうに頷いた。
「バド?食事の準備できたよ!食べよう?」
「いらねぇっ!」
 即座に荒げた声で返答されて、さすがにコロナはむっと顔をしかめた。
「皆さん食べてて結構ですよ。私は呼びに行ってきますから。」
 そう言い残して、コロナは階段を上がっていく。それぞれの席についていたヴェルーニャ達は静かに顔を見合わせた。
 上の方からどたどたと忙しない足音が聞こえてくる。やがてちょっとした口論があって、それもすぐに静かになった。
 落ち着いた足取りで、階段からバドが降りてくるのを見て、一同は一体コロナがどんな説得をしたのかと、不思議がっていた。
「あら、食べててよかったのに・・冷めてしまいますよ!」
 コロナがバドの後ろから歩いてくる。バドを席に座らせて、コロナも席についた。
「だって、作ってくれた人を差し置いて食べるなんて、行儀が悪いですもの」
 にっこりと真珠が笑ってそう言った。コロナがありがとう、と真珠に笑い掛けた。
「さあ、食べてください!今日はシチューなんですから冷めたらおいしくないですよ!」
 コロナの一声がまるで号令のように響くと、みんなは勢いよく食べ始めた。
 コロナは料理が上手だった。サラダのドレッシングから香料の付け合わせ、シチューの煮込み具合、全て三つ星級だった。おいしい料理を口に運びながら、会話は少しずつ弾んでいった。
「このクルミのパンは何処のパンなんですか?」
 真珠がおいしそうにパンを頬張りながら、コロナに尋ねた。瑠璃がすかさず真珠のマグカップにミルクを注いでいる。
「ドミナのマーケットです。ちょっと手に入れるのが大変ですよ。一日限定80個なんです」
 コロナはサラダを取り分けながらそう言った。
「80個?その割に結構盛ってあったような・・」
 リューシスもパンが気に入ったようで、既に3個目のパンを口に入れている。
「クルミパンだけなら4,5個しか買えてないですよ。後はバターロールとかクロワッサンとか色々まぜちゃったんですよ。」
「なるほど。」
「シチューもおいしいわ。うちの野菜がたっぷり入ってるし。」
 ヴェルーニャが満足そうにそう言った。コロナが大変でしたよ、と話す。
「固いものが多いんですよね、うちにできる葉野菜って・・。長く別茹でしないとたべられないみたいですよ。」
「あらら、そうなの。」
「お前の果樹園なのに気づいてないのか・・・?」
 瑠璃が困ったようにそう言った。ヴェルーニャがそうなのよ、と言う。
「ずっと留守にしていたから、コロナに見てもらってたでしょ?コロナは細かく果樹園を見ていてくれたから、今更私が見ても敵わなくて」
「お忙しかったですものね、お姉様」
 真珠が微笑みながらそう言った。ヴェルーニャも真珠のその言葉にそうよねぇ、と応える。
 やがて料理を全て平らげて、食器を下げた後、食後の紅茶をコロナが運んできた。蜂蜜やミルクをたっぷりと入れたその紅茶を飲みながら、静かにそれぞれが食事の後の余韻に浸っていた。
 そんな中で、バドが一人ぼそっとこう言った。
「で、リューシスはここに本来何しに来たんだ?」




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