ディナーテーブルが水を打ったように静かになった。誰もがバドの言葉にはっとしたようにその全ての動きを止め、バドの顔を見詰めた。バドは、ティーカップからゆっくり視線を外すと、いつもとは違う鋭い瞳で顔を上げた。
ヴェルーニャはこれ以上ない悲しい顔をしていたが、バドの目を見ることは出来なかった。
バドが正しい。リューシスは遊びに来たのではない。会いに来ただけではない。それでも、私ともっとゆっくり話をして欲しい。やっと話が出来るようになったのだから、あなたのことをもっともっと教えて欲しい。あなたの好きな事嫌なことつまらない事楽しい事全て全て聞いていたい。私も話すから。全部全部あなたに話したいから。だから。
ずっとずっと傍にいてほしい。
「バド!」
やっとバドを窘めるような声が出たのは、気丈なコロナだけだった。コロナは守る。ヴェルーニャの幸せを奪わせはしない。
まるでそれは母のような熱い思い。年下であるにもかかわらず、それだけはコロナは心に決めていた。ヴェルーニャには幸せになってもらいたい。あれだけ、世界に振り回されたにもかかわらずきちんと運命を果たした人間に、幸せになる権利があってもいいはずだ・・!
真珠も瑠璃もそのコロナの声に我に返ったように辺りを見回した。異様な空気の中、リューシスは黙って目を閉じているのに、瑠璃は気づいた。
「・・話すよ。」
リューシスの言葉が、ヴェルーニャのひやりと背中を冷たくする。力なく、ヴェルーニャはリューシスを見つめた。リューシスは頷く。避けられない運命を、悟ったような瞳を見つけて、ヴェルーニャの胸は締め付けられるような想いにとらわれた。
ああ。この眼。あたし、この眼が好きなんだ・・。
理解とも確認ともつかぬその湧き出る想いを認めながら、ヴェルーニャはリューシスに頷いた。
「僕はね、ヴェルーニャに会いに来たんだ。でも、それはこの世界として受け入れられないことだったんだよ。こっちのマナの女神様は猛反対なされた。ヴェルーニャを、壊しかねない別の英雄を受け入れるわけには行かなかった。でも、ヴェルーニャと僕は同じ存在だから・・。」
「向こうの、英雄なのか。」
バドがぼんやりとしながら聞き返した。リューシスは頷いた。
「世界をマナからつきはなし、この世界にもう一度英雄が必要な状態にした。今のマナの聖域にマナの女神が英雄を待っている。それは前の戦いと同じ。けど」
「もしかして・・お前は闇だけでなく光の女神も相手しなくちゃいけないんじゃないか?」
いつものごとく、ぼそりとした口調だったが、鋭い指摘をする瑠璃の言葉に、リューシスを始め一同は驚きの表情で瑠璃を見つめた。
リューシスが、悲痛な表情で笑いを浮かべた。
「その通りだよ。よくわかったね・・」
「・・。仕方ないだろうな、ここまでヴェルーニャを守ろうとした女神を敵に回したんだ。それを免れられるほど、甘くないだろう。」
「その通りだよ。」
ため息をつきながら、リューシスはそう言った。
「ヴェルーニャと触れられなくするシールドも、最終的な安全弁だった。それをも発動させた女神は・・今いる異世界の英雄を本気に潰しにかかる。闇の部分だけではなく、光のマナの女神の力をも総動員させて・・・」
「そんな・・ひどすぎます・・!」
真珠が嘆くようにそう言った。
「お姉様が、お姉様が可哀相です!!お姉様は、リューシスさんを大事に想っています!それなのに・・それなのに・・」
いつもならその辺のことに疎いはずの真珠なのに、今の真珠は目にいっぱいの涙を浮かべて懸命にそう言った。瑠璃がその様子を見て少し驚いた表情をしていた。
それほどまでに、ヴェルーニャの想いが深いものなのか?真珠の心を震わせてしまうほど?
「でも、行かなくちゃいけない。僕が、ここに来たのは再び聖域に現れたマナの女神を討つこと。マナの呪縛を戦いによって再び解き放つ事・・」
「結局、俺達はお前一人の為にメイワクを被ったわけなんだ」
納得が行ったように、バドが一言そう言った。あまりの剣呑な言葉に、抑えが効かなくなったようにコロナが静かに立ちあがって、バドを椅子から引きずり落とすと、バドの左頬をぱしんっと打った。
「謝りなさい!リューシスにも、ヴェルーニャにも!そしてここにいるみんなにも!みんな、ヴェルーニャが大好きなのよ!あんただって好きなくせに、どうしてそんな事しかいえないのよ!」
ぐっと涙が出そうになるのを、コロナはこらえた。
「一番辛いの、ヴェルーニャなのよ!リューシスさんだって、迷惑がかかる事、考えなかったわけじゃない!だからこうして話してくれてるのに!どうして?ねぇ、バド。よく考えて言葉にしてよ!ヴェルーニャを好きなの、ほんとにあんただけじゃないんだから!」
うああっとコロナが泣き出してしまった。そのコロナを見て、バドもやっと反省したように唇を噛み締めてぽろぽろと涙を落しはじめる。
ヴェルーニャが静かに椅子から立ちあがる。
二人の元へ、急ぐでもなく慌てるでもなく、ゆっくりと近づくと。
「ごめんね。」
一言そう言って、二人の幼い双子を両手に抱きしめた。ちゃんと、二人の背丈に合わせて膝をついて、そしてその双肩に二人の頭を乗せて抱きしめた。
「私が、ずっと沈んでたからだね。ごめんね。もう大丈夫。私、強くなるから。強くなってみせるから・・待ってて。」
「待っててって・・おいまさか・・」
またもや、すばやく瑠璃が言葉の意味を察知し、目を見開いた。その瑠璃に向かってヴェルーニャは頷いてみせた。
「私も・・私も行くわ。聖域に。リューシスと一緒に戦いたいの。リューシスが英雄になるところがみたいから。」
「私を覚えていてくれて嬉しいわ、ヴェルーニャ。」
ほとんど無表情な眼にそれでも口元に笑みを浮かべて、シエラがそう言った。ヴェルーニャはシエラに手紙を出したのだった。ペリカンに余計にお駄賃を与え、速達で届けてくれるよう頼んだので、シエラが家に来たのは日が暮れる前に間に合った。
「元気そうでなによりです、ヴェルーニャ」
ドラゴン族ヴァディスが優しい瞳を湛えてそういった。シエラからヴェルーニャの頼みを聞いて欲しいと頼み込まれ、自分の認めたドラグーンの願いを叶える事にしたのだろう。ヴァディスはシエラと共にヴェルーニャの元に訪れてくれたのだった。
「ごめんなさい・・知恵のドラゴンであるヴァディス様を乗り物扱いにしようなんて・・。でも他に思いつかなかったの・・」
心底詫びるようにヴェルーニャはそういった。
聖域は以前より力があるためか前に行った丘から根を伝っていく事が出来ないほど、高度を上げて浮遊していた。空の移動手段がないリューシスとヴェルーニャは悩んだ挙げ句、ヴァディスの助けを借りたいと手紙を出したのだ。
ヴァディスはゆっくり首を振ると、穏やかな表情のまま優しくヴェルーニャを慰める。
「そんな顔しないで。一度は私の願いを聞いてくれたヴェルーニャです。堂々としていていいのです。それに、今の状況を打開する手助けができる事を、私は光栄に思っています。」
「ありがとうございます。ヴァディス様。」
ほっとしたようにヴェルーニャは微笑んだ。シエラがそれを聞いて、同じようにほっとした表情をしていた。
「さぁ、乗るといいわ。ヴェルーニャと、リューシスだったかしら?」
「ええ、そうよ。」
ヴェルーニャがヴァディスの背中の白い長い毛に掴まり、リューシスも同じように背中に登った。
下では、コロナとバド、そして真珠、瑠璃が心配そうに見上げている。真珠は聖域に行き手伝いたいと言ったが、今まで以上である女神を英雄の力量も無しに戦うのは無理だと判断し、瑠璃がそれを断念させた。
コロナとバドは待ってて、というヴェルーニャの言葉を信じた。
それぞれが複雑な表情をしていたが、一心にヴェルーニャの無事を祈っていた。
リューシスはそれがわかって、少し目を伏せた。
彼は少し後悔していた。こんなにも愛されるヴェルーニャ。それを、自分は苦しませてはいないかと。
「掴まって。行きます。」
リューシスの迷いを断ちきるようにヴァディスが声をかけた。ヴァディスはリューシスの心を見たようだった。静かに首を振る。
迷ってはだめ。後悔をしてはだめ。自分の来た道を疑っては、守りたいものも失います。これから行く先ではあなたがヴェルーニャを守らず、誰が守るのです?
リューシスは心に直に届いたヴァディスの声にびくりと肩を震わせた。
振り返らず前を見なさい。あなたには聖域でやるべきことがあるのでしょう。それを間違えなくこなすこと、それが女神に交わした約束だったはず。ヴェルーニャに会うという引き換えに。
リューシスはどきどきと胸を高鳴らせた。なんと、ヴァディスには全てばれている事がわかり、事の重大さをもう一度胸にたたきこませた。
そうです。あなたが、そうでないと。ヴェルーニャが失われてしまうのですから。
ドラゴンは風を受けると飛んだ。突如、世界が流れ、家がみるみる小さくなっていく。
何も知らないヴェルーニャの額を、突風が吹きぬけ、髪を揺らした・・。
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