【ONE PEACE】夢を叶える船

■夢を叶える船






 そのとき、船の甲板では波の音のみが支配していた。
 波が船底にぶつかる音、そして波が砕けちる音、彼方でよせては返す海の声。
 それは時に激しく、時に優しく、乙女の心を潤していく。時間がないと焦るただの少女に過ぎないその娘の心を、まるでその子の父親の代わりのようにやさしく撫でては消えていく。
 そのとき少女は眠れなくて、部屋を出て月の光を見ようと思った。闇夜に染まるあまりにも真っ暗な世界が、どうにも自分の行く先の未来と通じるような気がして、光を求めていた。
 明るく、輝く未来をつかもうと。
 本能的な、無意識なレベルで、彼女はベッドを這い出ていた。
 光はあった。この日は少女の気持ちを知ってか、一番大きな光を照らすべく真ん丸く光っていた。しかし、月の光というのはなんとも頼りなさを感じた。青白いその光は、弱々しさを感じる。太陽のそれよりもずっと。
 彼女は悲しげにまつげを伏せた。甲板の手すりに頭をもたげた。
 船を伝って、波の音を感じたのはそのときだった。波が、優しく彼女をなだめてくれているのに気づいた。
 優しく心地よい波の音は、決して行き過ぎた慰めも、激励もしなかった。
 ただ、穏やかに大きなものが、ささくれだった心をなだめてくれた。

 どれほど、そうしていたのか。
 手すりにもたれかかるように眠ってしまいそうになって、ずるっと体が下に落ちそうになった。
「あっ!」
 たいしたことはない。ただ尻餅を突くくらいだろう。しかし、一瞬眠ってしまいそうになっていた頭は、そう解釈をしてくれなかった。焦ってどうにか崩れた体勢を立て直そうとするが、体はパニック状態だ。
 と、不意に背中から腕の下に別の腕が滑り込んだ。
 たいしたショックもなく、そして尻餅をつくこともなく、少女はぱちくりと目をあけた。その視線の先には、穏やかに笑う、この船のコックがいた。
「サンジ、さん・・」
「こんなところでうたたねなんて、風邪ひくぜ。王女様?」
「あ、ありがとう・・」
 よろよろと立ち上がりながら、どうにかビビは船に対して垂直な自分を取り戻した。
「あの、どうして・・?」
 不思議そうな顔をして、ビビはサンジがこんな時間にこんなところにいたのかを問うた。サンジは事も無げに調理場に顔を向けると、咥えていたタバコを右手に引き取った。すーっと紫煙が空へと伸びた。
「明日の仕込をな。ルフィのやつが昼間馬鹿でかい鳥を仕留めてただろ?捌(さば)くのに一苦労さ。それを貯蔵用と調理用に分けて下ごしらえをしてな。どうせ船長のことだ、明日になったら昨日の肉はどうしたって喚くだろうし、すぐに出せるようにしておこうと思ってたら、意外に手間取ったな」
 確かに、ルフィは細身の体の割りに肉、肉とあればやたらと食べたがる。そんな船長の姿を思い出して、ビビは少し笑った。
「大変ですね」
「まあ、そのために俺はこの船にいるんだしな」
 ふうっとまたサンジの口から煙が噴き出される。迷いのない一筋の紫煙は、まっすぐに空の彼方へ向かう。それはまるで彼の信念そのものを表しているような気が、ビビはした。
「・・・」
「・・どうした?」
 急に黙り込んで空を見上げているビビを、サンジは不思議そうに見つめる。ビビはゆっくりサンジを見つめなおすと、一言こう言った。
「私、夢を見ているんでしょうか」
「?」
 唐突に言われた台詞に、サンジはわけがわからないながらもくわえた煙草を味わっていた。続けて、といわれた気がして、ビビは言葉を続けた。
「70万もの軍勢を、止めようなんて夢を見ているだけなんでしょうか。ただの理想論に過ぎないことを私は言っているんでしょうか・・」
「途方もない夢を、叶えられないんじゃないかって、そういうことかい?ビビちゃん」
 サンジは含んだ紫煙をようやく吐き出した。こくん、とビビは頷く。
 サンジはカツカツと足音を鳴らして手すりに寄ると、よっと声をあげて手すりに腰掛けた。舳先のメリーを見つめながら、少し笑う。
「途方のない夢を持つことは悪いことじゃねぇと思うけどな。それに何より」
 サンジはビビを見下ろすと、笑いながらこう言った。
「君と同じくらい途方のない夢を持った奴を俺は知ってる」
「え?」
 ビビは驚いて顔を上げる。そんなビビを、サンジは笑う。
「ウチの船長さ。あいつはカナヅチの癖して海に生きる海賊に憧れ、そして今やそれを叶え、果ては海賊王と来てる」
「そ・・そういえば」
 ビビは改めてこの船の船長の特質を思い出した。彼は確かに常人には考えられないことを、いとも簡単に手に入れているように見える。
「途方もない夢だろ?でも、そんな風に見えないのはなぜかねぇ?」
「・・なぜ・・かしら」
 不思議に思いながら、ビビはサンジを見上げると、サンジはまた舳先のメリーを見つめた。いつも、船長が危なげに座り込んでいる、彼の特等席を。
「途方のない夢、なんてあいつが思ってないからさ」
「え・・」
 ビビがまた、サンジの顔を見つめる。サンジはまだ、メリーを見つめている。そこにある、船長の面影を見つめている。楽天家で考えなしで、強くて頼りがいのある仲間思いの船長を。
「あいつは叶えられると信じているからさ。叶わないなんて、これっぽっちも考えてないからさ」
「―――!」
「だから、あいつは常に前に進むんだ。高みを目指して前だけを見て。後ろなんか見ねぇからその方が効率的だ。ハハッ、あいつは本能でやってるだろうが、一番夢に最短な道を知ってるってわけさ」
(最短な・・)
 ―そ〜〜かっ!じゃぁっ!
 不意に、ビビの耳に浮かぶのは、ルフィの言葉。
 ―クロコダイルをよ!ぶっ飛ばしたらいいんだろ!?
(・・道を・・。)
 波のさざめきを聞きながら、ビビとサンジは舳先のメリーを見つめる。波は穏やかで、空も雲ひとつない星空。ここのところ安定した天候が続いているから、航海は順調そのものだ。昼間、航海士であるナミはしばらくは大丈夫のはずよ、と太鼓判を押していた。
「それにな、ビビちゃん。途方のない夢を持ってる奴の話はこれだけじゃないぜ?」
「え?」
 あっけにとられてビビがサンジを見ると、サンジはいつもの満面の笑みを浮かべてビビを見つめていた。手すりからひょいと飛び降りて、ビビの周りを回り始めると、
「他にもいるぜぇ。世界一の剣豪を目指す奴に、1億ベリーを貯めた美人だろ?それと、力はねぇのに海を夢見て村を出て海賊になった奴もいれば、医者のくせに海賊に憧れた奴、いろいろいるだろ?」
 指折り数えて、サンジは最後にその指折り数えた手をビビに突きつけた。すでに四つの指が折られて、残りの小指がひとつだけ立っている。
「そして、俺はオールブルーに憧れてこの船に乗った」
 小指が折られた。サンジの拳が、しっかりと握られている。
 ビビはそれを見ていると、サンジの拳がやわらかく開いた。それから水をすくうように、すいっと手のひらが返される。まるで貴族の貴公子にでもダンスを求められるように。
「そして、今君は途方もない夢を持つ船に乗り込んだ、仲間だ。そうだろ?」
 ビビの顔がほころんだ。ええ、と笑うと、サンジの手をとって、握り締める。
「ありがとう。サンジさん」
「大丈夫。君は夢を叶える船に乗り込んだんだ。何も心配ない」
 空に光る満天の星、そして月の光。それはビビにとってさっきよりも強い光に感じた。
 頼るものは何もないと思っていた心が、希望に満たされたその時から光はビビの胸に生まれ始めた。
 それが、これから目指す未来だとビビは信じてやまない。
「ありがとう、もう眠れそう。部屋に、戻るわね」
「何なら、俺が添い寝してあげるよ?」
 いつものダラケた顔でニョホホホと笑うサンジを見て、ビビはぷぷっと噴き出した。せっかくいい台詞を言ってくれたのに、これでは台無しだ。
「遠慮します。じゃぁ、また明日。料理楽しみにしているわね」
「よい夜を。王女様」
 二人はそういって、闇夜の甲板で夜の挨拶を交わすと、それぞれの部屋に戻っていった。

 波の音は、始めと同じにやわらかく、優しく、今も響いている・・。








■END


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