掲載日:2002/02/03




恋の懐古時計[前編]








「あかねー、行ったわよー!」
「オーケー!」
 風林館高校の体育館では、ひときわ大きな声が響いていた。上履きと床とが擦れる音がそこここに溢れ、大きなバスケットボールが床に地響きを与える。ダンッと今床を蹴り飛び上がった少女が、バスケットボールをしっかりと両手で受け取った。
「ナイス!あかね!任せたわよ!」
「頑張ってぇー!」
 同じチームのゆかとさゆりがはしゃいだ声をあげた。何しろスポーツ万能の天道あかねがボールを握ってくれたのだ。はしゃいだ声をあげずにはいられない。
 まかせて、とばかりに微笑んだあかねは、くるりと体を回すと相手の妨害を上手くかわしながらボールを進ませた。あかねにボールが渡ったことを焦った相手のチーム達は、なんとかあかねからボールを手放させようと躍起になる。しかし、あかねは持ち前の運動神経と鍛えたしなやかな筋肉を駆使して、それを避ける。時々、チームの仲間にボールを渡しながら、あかねはゴール前まで突っ切った。
「よしっ!」
 あかねは狙いを定めると、肩の力を抜いて飛び上がった。ボールはあかねの手を放れ、ゴールの輪に吸い込まれるような軌道を描く。
「やった!」
 ゆかとさゆりが先走って喜びの声を上げた。しかし、ふっと横からそのボールの軌道を邪魔する手が入る。
 ぱしっとボールを弾く音が鳴り響き、ボールはゴールの輪から逸れた。ボールの行く手を遮ったのはバスケット部の若菜だ。
「あかねばっかり、いいところ見せられないわよ!」
 それは嫌味でも何でもなかった。若菜はスポーツマンらしく戯けて、片目をつぶってみせたくらいだ。あかねは、その挑戦を楽しむように笑って答えた。
「それなら、もう一回挑戦するまでよ!」
 弾かれたボールを素早く拾い上げ、あかねは力強く床を蹴り体を浮き上がらせた。若菜も負けじと飛び上がる。まるでバレーのアタッカーとブロッカーのような構図ができあがった。
「あかねー!頑張ってー!」
「若菜ーっ!頼りにしてるからねっ!」
 双方のチームから激励の声援が二人の耳を掠める。
 飛び上がったあかねはなんと、ふっと若菜から体を離すように仰け反った。ボールを奪おうとする若菜からボールの距離が生まれ、あかねはその体勢からゴールに向かってゆっくりボールを手放した。
「あっ、しまった!」
 おかげでボールは、若菜の体の高度が落ち始めた後その頭上をからかうように通り過ぎていく。あかねは汗を光らせながら、あとはボールの行く先を細めた目で見定めていた。
 ボールが弱々しく、ゴールの輪に当たり弾かれる。まるでスローモーションのように浮き上がったボールがもう一度その輪に落ちる。
 そして、ころころと円を描いて回ると、その身を委ねるように網に包まれた。
 そこで、ようやくあかねは着地する。ふわりとあかねの髪が祝福するように揺らめいた。
「やったぁ!」
 ゆかとさゆりがあかねの両側に来て、歓喜の声を上げた。あかねはそれに嬉しそうに笑ってみせる。
「あーあ、全くもぉ」
 若菜がやられた、とばかりに頭を掻いた。ボーイッシュに刈り上げた髪をくしゃ、と握ると、まるでそれを振り切るような勢いであかねに振り返った。
「ちょっとくらい、手加減してくれてもいいのに」
 意地悪そうに笑って、若菜がそう言った。あかねは、あ、と戸惑ったように肩をすくめると、若菜は冗談よ、と笑う。
「次の時間までにまた特訓してくるわ。楽しみにしててね、あかね」
 さばさばした性格の若菜はそれだけ言うと、コートの中央に走り出した。試合はさっきのあかねの得点で終わったのだ。あかねとゆか達も慌てて、中央に走る。
「ありがとうございました!」
 チームごとに整列した生徒達は、頭を下げた。試合は無事に終了した。
 次の2チームが試合する間、あかね、ゆか、さゆりは試合中のコートのはずれで腰を下ろす。
「若菜とあかねの対決なんて初めて見た!興奮したぁ!」
 ゆかが楽しそうにそう言う。あかねは汗を拭きながら、控えめに笑う。あかねは自分の力を自慢げに話したりはしないのだ。あかねに人気が集まるのは、そんな能力とは裏腹なほど清楚な女の子だからだろう。
「若菜も格好よかったわよね。ああいう性格だから、女の子からラブレターもらっちゃうらしいわよ。」
 スポーツドリンクを口にしながら、さゆりがそう言った。それにあかねは目を瞬かせる。
「へぇ」
 あかねはコートの向こう側で楽しそうに笑う若菜を見て、頷いた。
「背も高いし、わからなくはないわね」
「あら、でももう一人の目立つ存在も忘れちゃだめよう」
 さゆりがちちち、と指を左右に揺らす。ゆかが楽しそうに笑いながら指さした先では、ひときわ荒々しくボールをたたき込む音が鳴り響いている。それは同じクラスの男子生徒のバスケ試合。そして、今ボールを操るのはあかねの許婚こと早乙女乱馬、その人だ。
「あのチャイナ服だけでも十分目立つって言うのに、あの運動神経じゃ目立たないはず無いわよね」
 すっと立ち上がったさゆりはあかねの手を引いて立ち上がらせようとする。もっと近くで見ようよ、と言うことらしい。あかねは、慌ててそれに首を振る。
「い、いいわよ。あたしは」
 わざわざ乱馬を見に移動するなんて、あかねの自尊心が許さないのだった。それに、あの自惚れ屋の乱馬のことだ。あとで、きっと有頂天になってあかねをからかいに来るに違いない。そんなこと、あかねには絶対にできない。
「乱馬くん、せっかく頑張ってるの見ないなんて勿体無いよ、あかね」
 ゆかもあかねを覗き込むようにさゆりに加勢するが、あかねはむっとしたようにこう言った。
「なにが勿体無いもんですか。乱馬なんていつも見飽きるほど見てるのよ。今更移動してまで見る必要なんてないんだから」
 そう言うとつん、とあかねは強情に顔をそらした。さゆりとゆかが困ったように顔をあわせていると、危ないっ!という声がどこからかして、あかねははっと目を見開いた。
 真正面を見ると、若菜が逃げてそこっ!と声をあげている。あかねは素早く目を走らせると、さゆりの後方から行き場を失ったボールが飛び掛るようにこちらに向かってくる。
「危ないっ!」
 咄嗟にあかねはさゆりの手をひっぱりさゆりを抱え込むように自分の体で庇う。そしてあかねはボールの軌道を変えようと右手を掲げた。ぱしぃっと音が鳴り響きボールは何とか勢いを失って転がったものの、打ち所が悪かったのかあかねの指に激痛が走った。
「・・っ・・!」
 思わずしかめ面になったあかねを見て、慌ててゆかが傍に座り込んだ。
「あかねっ!大丈夫!?」
「な、なんでもないわよ。大したこと無いわ」
 あかねはすぐにその苦い表情を隠すと、笑ってみせる。そして、それより、と誤魔化すようにさゆりに声をかけ始める。
「さゆり?大丈夫?さゆり」
 あかねが勢いに任せて腕を引っ張り込んだため、さゆりは一瞬気を失ってしまったようだった。あかねがゆっくりとさゆりの肩を揺すると、さゆりは瞼を震わせて目を開いた。
「・・あかね・・」
「痛いところない?大丈夫?」
 心配そうに覗き込むあかねに、さゆりはゆっくりと頷いた。
「うん、平気・・ありがとう、あかね」
 さゆりはゆっくりと身を起こすと、何が起こったのかわからないような様子で目をぱちぱちとしばたたかせた。
 さゆりのそんな様子にほっとして、あかねは立ち上がる。舞台側の時計を見ると、そろそろ体育の時間は終わるようだった。
「そろそろ着替えに行こう?6時間目、日本史でしょ?早く着替えないと間に合わないわよ」
 あかねはそう言うと、二人を誘って更衣室へ歩いていく。
 その様子を一部始終、乱馬は見つめていた。

 着替えが終わって更衣室を出ると、あかね達の目の前に八宝斎がひょいと現れた。
「あっかねちゃん♪」
「てぃっ!」
 あかねの胸に飛び込もうとする八宝斎に、あかねはほとんど反射的に足を振り上げた。丁度八宝斎の顔にあかねの靴がめりこみ、八宝斎はしばしその格好で凝固する。それからぼてっと地面に落ちていく八宝斎を見ながら、あかねが呆れたようにこうこぼす。
「全く、毎度毎度こりないったら」
 あかねはゆかとさゆりを庇うように前に出ると、仁王立ちして腕を組んだ。今しがた地面に落ちた八宝斎が、よろめきながら立ち上がると、しくしくと泣き声を洩らしはじめた。
 あかねはそれを呆れたように見つめている。どうせ嘘泣きだと分かっているからだ。
「ひどいよひどいよ、せっかくあかねちゃんと・・」
 くるりと八宝斎が振り返り、あかねを見上げる。ぼろぼろ涙を落としているが、油断は禁物。飛び掛ってくるタイミングを計りながら、その実しくしくと泣く事でタイミングを撹乱しているのだ。
「楽しく遊ぼうと思っただけなのにぃぃぃ!」
 瞬時に八宝斎の泣き顔はスケベいっぱいに企む顔に変貌した。八宝斎はまたもやあかねに飛び掛かってきたのだ。あかねは眉間に皺を寄せると、今度は拳に力を入れようとした、のだが。
(・・い、痛っ・・!)
 さっきのボールのお陰であかねの指がまたもや激痛に苛まれた。これでは八宝斎の餌食になってしまう。八宝斎は無類のスケベジジイなのだ。
(冗談じゃないわ!)
 あかねの持ち前の根性と強気はこんなことではへこたれない。痛むのを堪えて拳を握りしめ、八宝斎目掛けて振りかざした瞬間。
 ぎゅるっ
「まーたこいつは」
 呆れた目をして八宝斎を踏みつけたのは、乱馬だった。ほとんど同時にあかねが振りかざした拳を軽く受け流し、その手首を掴む。それにあかねは顔をしかめた。
「・・いた・・っ!」
「ったく」
 呆れたままの目で、今度は乱馬はあかねを睨む。ちらりとあかねの指を見て、指が腫れ始めているのを見てとると、乱馬は乱暴にひょいとあかねを腰に抱える。
「こいつは東風先生のところに連れて行くから、あとよろしくな!」
 乱馬はあかねを抱えたまま、ゆかとさゆりにそう言った。
「ちょっと!あと一時間授業はあるのよ!」
 なすがままにされながら、あかねは乱馬を嗜めるようにそう叫んだ。しかし乱馬も負けじと大声を張り上げてこう返す。
「ばぁか!一時間も我慢できるのかよ!?こんなに腫れてんの我慢しやがって!バカかお前は!」
「ばっ・・バカですってぇ!?」
「あーそーだ!大馬鹿だ!お前は!」 
いつも通り、口喧嘩しながら去っていく乱馬とあかねを見ながら、ゆかとさゆりは満足そうににっこりと笑って見送ったのだった。

 結局あかねは乱馬に担がれたまま、大人しくするしか仕方が無かった。本当のところ乱馬の言う通りだんだん指の痛みが酷くなり始め、あかねは口を聞くのも辛いのだった。乱馬はようやく大人しくなったあかねを眺め、やれやれと息をついた。
「ほれ、ついたぞ」
 道路を無視して屋根と屋根を伝いながら小乃整骨院までたどり着くと、乱馬はあかねを下ろした。あかねは乱馬に下ろしてもらった後、ありがと、と素早く小さな声で言うとさっさと整骨院へ入ってしまった。そんなあかねの様子に乱馬は気にした風もなく、あかねの後を歩いていった。
「おや、あかねちゃん」
 東風先生が穏やかな微笑を湛えてあかねを見やった。あかねがにこっと微笑みながら、こんにちは、と挨拶をする。そして、遅れて入ってきた乱馬を見て、東風先生は乱馬のほうにも笑いかけた。
「乱馬くんも。どうしたの。さ、二人とも奥へおいで」
 東風先生に先導されて、二人は奥の診察室へと入っていく。
 整骨院だからとくに消毒液の匂いがしたりするわけではない。しかし当然、清潔感には溢れている。入ってすぐ東風先生のデスクが右側に置いてあり、その傍らに骨と筋肉を模写した人体図のプレートが掲げてある。骨格標本がその逆側にぶら下がっていて、その奥には固い白いベッド。薬剤の戸棚は奥にある。
「おや、あかねちゃん。指、どうしたの」
 さすがは東風先生。あかねが何も言わなくても、すぐさま患部を見つけて東風先生は椅子に腰掛ける。そう、事も無げにいつもの微笑を湛えたまま。
 あかねはそんな東風先生の穏やかな微笑みにつかまりそうになって、慌てて誤魔化すように東風先生の前の椅子に腰掛けた。
(東風先生のこういうところ、あたしったら相変わらず好きなんだなぁ・・)
 昔から喧嘩っ早いあかねを、負けず嫌いで強情なあかねを、東風先生はいつも優しくなだめてくれた。あかねはいつもの強情さを、東風先生の前だけは出さなかった。いや、出せなかった。東風先生の穏やかな物腰の中にある圧倒的な力を、幼くともあかねは見抜いていたのだ。
(この人には、かなわない)
 そう思ったとき、あかねは東風先生の強さに負けてしまった。強がっていた少女がその仮面を脱ぐのは、それは一重にその人を信頼するからだ。そして、信頼はいつしか、幼い少女の胸の中で恋に変わっていった。

「とーふーせんせー!」
 泥んこに汚れた幼いあかねが診察室に飛び込んできたのに気にした風もなく、東風先生はおや、と穏やかな微笑であかねを迎えてくれる。
「あかねちゃん、また勝ったのかい?」
「うんっ!」
 元気よく頷くあかねに、東風先生も満足げに微笑んでみせる。東風先生はしゃがみこんであかねの袖をめくり上げると、
「とりあえず、きれいにしようか」
といい、濡れたタオルであかねの体についた泥を拭いてやる。泥を払って傷を消毒してもらい、あかねは東風先生にそれをやってもらうだけで満面の笑みを浮かべる。
「あかねちゃん、男の子にも勝っちゃうんだって?」
「うんそう。だって男の子って弱いんだもの」
 幼いあかねも、今と変わらず勝気で負けず嫌いだった。
「それじゃあ、あかねちゃんの旦那さんになる人はずいぶん強い人じゃないとだめだねえ」
 東風先生はあかねの膝小僧を消毒してやりながら、そう言って笑う。あかねはそれに心の中でいつも答えていた。
(東風先生がいるから、大丈夫。あたし、知ってるもん。東風先生が強いこと)

 叶わないって知ってたけど、とあかねはそう思って現在(いま)に引き戻される。当時から東風先生が姉のかすみを慕っていたことは周知の事実だったのだ。
「おやおや、ボールでくじいたのかな。ずいぶん腫れてる」
 東風先生が優しくあかねの指に触れながら、症状を診断している。乱馬は傍らに立ち、パンダ姿をした玄馬が入れたお茶を飲んでいた。乱馬の父親である玄馬は、ここにたまにアルバイトに来るのだった。
「ちょっとボールを受け損なっちゃって・・」
 あかねは恥ずかしそうにそう言うと、乱馬がぼーっとしてっからだよ、と悪口を叩く。
「なによっ」
 あかねはむっとして乱馬を上目遣いで睨む。乱馬はそれにからかうようにへっと笑うと、こう言った。
「余裕なんてなかったくせに、人を庇うために無理するからだって言ってんだ」
「なによっ!放っておけばよかったなんて言うんじゃないでしょうね!」
 あかねは指を触れている東風先生そっちのけで立ち上がると、乱馬を怒鳴りつける。乱馬は、そこまで言ってねぇよ!と言い返す。
 そんな二人を交互に東風先生は見上げると、丸い眼鏡をくいと持ち上げて、ははぁと笑う。
「まあ、まあ、二人とも」
 穏やかな声が二人の耳にも届いて、思わず口を閉ざした。
「ご、ごめんなさい。せっかく診てもらってたのに・・」
 あかねは慌てて、椅子に腰掛けた。東風先生は改めてあかねの指を診ながら、こう言った。
「乱馬くんは、あかねちゃんに無理させたことを悔いてるんだねぇ」
 あかねはその言葉を聞いて目を見開く。どきりとさせられて、思わず顔を乱馬に向けると、まっさか、と舌を出して、あかねを馬鹿にした顔をしているだけだ。
(乱馬が?そんなわけ、ないじゃない)
 乱馬にべっと舌を出してやりかえすと、あかねは治療する東風先生の指先に視線を戻した。
「治ります?」
「腫れが引くのに時間がかかるかもしれない。ざっと3時間はじっとしててね。」
 東風先生はそう言うと、手の甲の関節におまじないをするようにとん、とん、とん、とツボを突いた。
「これで、よし、と。いいかい、絶対何も持っちゃ駄目だよ。箸もだめだからね」
 東風先生が念を押すようにそういうと、乱馬が時計を見ながら、ちょうどいいじゃねぇか、と言う。
「3時間後なら丁度夕飯時だぜ」
「ありがとう、東風先生」
 あかねは右手に左手を添えて、微笑んだ。痛みはもうなかった。東風先生は名医なのだ。
「気をつけて帰ってね」
 東風先生はにこやかに笑って、そう言ってくれた。
 乱馬とあかねは整骨院を出ると、夕暮れで赤く染まり始めた景色の中に放り出された。二人は赤い夕日を横目に見ながら、家路につき始めた。乱馬は塀やフェンスの上を器用に歩き、あかねはその下になる道路を歩く。いつも通りの風景。それでもそんな二人の影だけは、恋人のように寄り添い長く伸びていた。

 もう少しで家に到着するという頃だった。後ろからどたどたと騒々しい音が鳴り響くので、二人は何事かと振り返る。すると、天道道場で居候している八宝斎が毎度の事ながら迷惑な下着泥棒を働いて、大勢の女子高生に追われているところだった。
「まてー!痴漢じじい!」
「ブルマー返しなさいよ!変態!」
「やーだよーん」
 完璧にふざけた返事をしながら八宝斎は背中に大きな風呂敷を背負い込んで、軽快に二人の横様を通り過ぎていく。
「ったく・・毎度毎度しょうがねぇじじいだな」
 乱馬はそうぼやくと、すぐさま追いかけていく。あかねは追いかけても今のこの右手の状態では乱馬の邪魔になるに違いない、と思い、一人自宅までの帰途に着くのだった。
 そのとき、さっきの集団から外れて一人の女子高生が駆け足であかねを通り過ぎていく。後ろ姿に見覚えがあるな、と思ってから、あかねはふと思い出してその娘の名を呼んだ。
「・・若菜?」
 あかねがおずおずとそう呼ぶと、呼ばれた娘はくるりと振り返った。さっきバスケの試合での対戦チームの一人、若菜だった。振り返ってると若菜は些か驚いた表情であかねを見つめた。どうやら、通り過ぎただけではあかねと分からなかったようだった。
「あかね・・あ、そうか。あかねはその指の手当てのために早退したんだっけ・・」
「どうかしたの?」
 若菜のただならぬ様子にそう尋ねた。若菜があかねを見ると、それがね、と口を開く。
「見間違いならいいんだけどさ。さっきの下着ドロの風呂敷の中に、うちの売り物の値札が見えたの。だから確かめたくて・・」
「若菜のうちってお店屋さん?」
 あかねは若菜の話を聞きながら、歩き出す。若菜もそれにあわせて足を進ませた。
「うん、アンティークショップ。うちのお爺ちゃんが店主やってて、結構いかがわしいものが多くて・・それで心配になって追ってきたんだけど」
「もしかして、『鳳凰の卵』を売ってた、あのお店?」
 以前、九能先輩がアンティークショップの店主の頬に札束を叩きつけて『鳳凰の卵』を買い上げたことがあった。その卵は持ち主の頭の上で孵ると、始めに目に入った相手を宿敵としてインプットし、鋭いくちばしを武器に昼夜を問わず攻撃してくるという大変厄介な鳥だった。なんとか乱馬がその鳥を巣立たせることに成功し、その鳥のターゲットになっていた乱馬は難を逃れることが出来たが、その鳥が卵を産んでいったためにまたその卵はそのアンティークショップにあるはずだ。性懲りもなく、九能先輩が買い上げていなければ、であるが。
「ああ、そうそう、九能先輩があの卵買ったのは聞いてたけど・・・」
「あれは若菜のうちのお爺さんだったの・・」
 思わずあかねは苦笑いしながら、若菜にそう言った。若菜もため息をつきながら答える。
「うちのお爺ちゃん、本当趣味悪くって・・それで何を取られたのかちゃんと見ておきたくて・・」
 そういうことなら、とあかねはとんと胸に握りこぶしを当ててこう言った。
「あたしがそのこと、うちでお爺ちゃんに聞いてみるわ!」
「えっいいの!?」
 若菜が心底ほっとしてあかねを見つめる。あかねはもちろん、と笑いかける。
「だって、もともとはうちのお爺ちゃんが盗みを働いたせいだし・・それくらいならあたしにできるから」
「ありがとう!あかね!でも、どんな効力が生まれるシロモノか私も分からないんだけど・・大丈夫?」
 若菜は心配げにあかねにそう言う。あかねも心得ていたのか、うんと深く頷いた。
「うん、気をつける。じゃ、明日にはそれ学校に持ってくるからね」
「ごめんね、面倒なことになっちゃって」
 若菜はしょげたようにそう言ったが、あかねもそんな若菜に慌てて手を振ってとんでもない、と笑う。
「八宝斎お爺ちゃんが悪いのよ。気にしないで」
 あかねは若菜に安心させるようにそう言うと、じゃ、また明日ね、と手を振った。若菜もようやく安心して、頷くと、明日ね、と言い学校の方角へ戻っていった。
「さて、どう言いくるめてお爺ちゃんにその品物を返してもらおうかしら・・」
 あかねは夕飯までのトレーニングが出来なくなったので、部屋でその事を考えることにして家に戻っていった。

 意外と簡単に、『それ』はあかねの手に入ることになった。食事を終えた後、盗んだ下着の整理を終えたのか八宝斎が不思議そうな顔をして居間に現れたのだった。
「なんじゃぁ、こりゃ」
 丁寧に袱紗に包まれた箱を持って今に入ってきた八宝斎。卓袱台に箱を載せて、八宝斎は何枚も重ねた座布団の上に座る。座高が足りないため、八宝斎はいつもそうして座るのだった。テレビを見ていた一同は、八宝斎のその言葉に興味を持って集まってくる。
「どうしたんです、お師匠様」
 天道早雲が主らしくみんなを代表したようにそう尋ねた。八宝斎はその箱を指差して、
「こんなもんがわしのコレクションの中に紛れ込んでおったんじゃ」
と言う。コレクションというのは、盗んだ下着のことである。念のため。
 さて、その紫色の袱紗で包まれた箱には、若菜の言っていた値札がついていて、あかねははっとその箱に見入った。
(若菜のお店の品物ってこれだわ・・!)
 あかねは乱馬に目配せした。若菜の話を、乱馬にもしておいたのだ。乱馬もその値札に気付いて頷いてみせる。
「紛れ込んでって・・どういうことなんです?お爺さん」
 あくまでも穏やかに、責める雰囲気など微塵もない声色でかすみがそう言った。八宝斎はキセルを吹かし、煙を吐き出すとこう言う。
「わしの今日の戦利品にな、なんか紛れておったのじゃ。おそらく店先の品物が何かの拍子に入り込んだんじゃろうて」
 事も無げに、八宝斎はそう言う。窃盗罪という言葉など、この人の頭にはおそらく存在しないのだろう。
「中身はなんじゃろうな」
 八宝斎はキセルの灰をポンと灰皿に落とすと、キセルを置いてその箱を手にする。袱紗をはがすと、まるでなにかの貴金属をしまっているような西洋の宝石箱のような箱が出てきた。
「あらー結構なものじゃない?」
 なびきが面白そうにその箱に目をやった。この人は大抵の事には無関心なのだが、金目のものとなると別なのである。
「本当、きれい」
 あかねもその宝石箱に目を奪われた。美しい文様が施され、ところどころに色のついた石もはめ込んでいる。この箱だけでも、値打ちがありそうに見えた。
「中身は何なの?お爺ちゃん」
 わくわくするようになびきがそう言ったので、八宝斎は焦らすようにその箱を開いて見せた。中に入っていたのは、金色に輝く懐中時計だった。
「ほほう!かなりの値打ちもののようですな」
 玄馬が金になりそうだと思ったか、お茶を自分にかけて人間に戻り、しげしげとその時計を見つめる。
「あら、でもこの時計変だわ」と、かすみ。
「本当だ」と乱馬。
 あかねが乱馬を見て、何が?と尋ねる。乱馬が鈍いな、と薄ら笑いを浮かべるので、むっとしたあかねはもう一度その時計を見つめた。よく見ると、その時計の秒針が2本あるのだ。
「秒針が二本あるわ・・しかも、一本は逆に向かって動いてる・・」
 あかねの言ったとおりだった。金色の長針、短針、そして秒針が二本。そして一本の秒針は右回りを、もう片方は左回りをしているのだ。
「やだ、変なの。」
 なびきがすぐに興味を失ったのかその時計から目を離した。彼女は勘も鋭い。この時計には何か曰くがありそうだと思ったのかもしれない。
「じ、実はね、お爺ちゃん」
 あかねは八宝斎に一応素直にお願いしてみることにした。八宝斎はなんじゃ?とあかねを見やる。
「その時計、実は友達のお店の品物らしいの。」
 あかねは八宝斎の機嫌を損ねないように、丁寧に事情を話した。八宝斎の方も、うんうんと頷いて比較的落ち着いてあかねの話を聞いてくれた。
「ほほう。あかねちゃんのお友達の店のもんじゃったか・・そうかそうか。おそらく商店街を突っ切ったときに何かの拍子で入り込んだんじゃろうと思ってはおったがの」
「だからその時計、あたしが預かって返しちゃっても、いいよね。お爺ちゃん」
 あかねはそう言って八宝斎に尋ねると、八宝斎はぽんと膝を叩いて頷いた。
「あいわかった。わしの戦利品に紛れておったこやつの件はあかねちゃんに任せることにしよう。その代わり・・」
 今までずいぶんと偉そうな口調で言っていた八宝斎の声色が急に崩れた。
「あかねちゃんには今夜一緒に添い寝してもらおうかなっ♪」
 そう言ってあかねの胸に飛び込もうと飛び上がった八宝斎に、乱馬がすかさず鉄拳を食らわせた。ぐしゃ、と八宝斎は割れた卓袱台にめり込んでいる。あかねの方は、すでにその懐中時計を手にして、すっくと立ち上がっていた。
「ありがとう!お爺ちゃん。友達も喜ぶわ!」
 あかねは嬉しそうにそう言うと、自分の部屋にその時計を持ち帰った。
 その晩、あかねはその時計を机の上に置いて、傍らのベッドに安心して眠りにつくことができたのだった。

 翌朝、かすみがあかねの部屋をノックした。あかねがいつも起きてくる時間からすでに10分が過ぎていたのだ。返事が無いので、かすみは心配そうにドアを開く。
「あかね?朝よ。気分でも悪いの?」
 ベッドに眠るあかねを覗き込もうと近づくと、あかねを一瞬見つめてからかすみは驚いてあかねの部屋を出て行った。かすみはおろおろとして居間に駆けつけると、そこで朝食をしている早雲にお父さん、と声をかけた。かすみが珍しくうろたえる姿を、なびきも乱馬も不思議そうに見つめている。
「どうしたんだ、かすみ」
 穏やかに早雲が新聞を畳みながら、かすみを見上げた。早雲もただならぬかすみの動揺を読み取っていて、できるだけ落ち着かせるようにゆったりと尋ねた。
「あかねの、あかねの様子が変なの。」
「様子が?」
 早雲はすぐに新聞を置いて立ち上がった。乱馬もなびきも立ち上がり、あかねの部屋へと向かう。
「あかねっ?」
 心配そうな乱馬の声が、あかねの部屋を入ると同時に吐き出された。あかねは寝巻き姿のままベッドに座り込んでいた。ゆっくりと顔をあげて、駆けつけたみんなを見ると驚いたように目を見開く。
「ど、どうしたの?みんなして」
 驚くあかねは普段と同じだった。そう、少なくともその台詞だけは同じだった。
 しかし、あかねの髪の毛はまるで乱馬が初めて会ったあの日のように伸びていたのだ。



つづく


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☆らんま1/2 スタッフ名鑑 <柳川茂さん編>☆

らんまの脚本を書かせたらこの人の右に出るものはいないっ!
と私は思っています。(笑)大ファン。(笑)
映画の第一弾(1991年放映)はこの人の原案だし。お気に入り。
テレビ放映時も、オリジナルの話で気に入ったのはこの方のものばかりでした。
「シャンプーの赤い糸」「マリアンヌになった九能」「かえるのうらみはら します」等・・
原作の微妙な設定を見事に守り、面白い話に仕上げてしまうその器量に当時 の私は憧れと尊敬でいっぱいでした(笑)
いや、今もそうですけどね。
私は今現在も、この方の器量に少しでも追いつきたいという想いを寄せなが ら書いています・・vv
2002/02/03