恋の懐古時計[後編]
「あ・・あかねっ!どうしたんだね?その髪はっ・・」
呆然とした早雲にそう言われて初めて、あかねは自分の頬にかかる髪の毛に気づいた。
異様に長く伸びた髪の毛。いつだったか乱馬と良牙の決闘に巻き込まれ、すっぱりと切り落とされてしまったはずの髪の毛が、今豊かに蘇っている。
驚いたあかねは、何度も何度も頭から毛の先まで手をやって確かめるが、それはかつらでも何でもない本当のあかね自身の髪の毛だった。
「な・・なに?これ・・」
あかねも気が動転して、その髪の毛から力が抜けたように手を離す。乱馬も早雲も、かすみもなびきも言葉もなくあかねを見つめていると、そこへ一足遅れて八宝斎と玄馬がやってきた。
「なんじゃ?まだ飯食べとらんのか?」
「乱馬。学校に遅れるぞ、なにをしとる」
そして二人は何事かとあかねの部屋を覗き込む。ようやく事態を飲み込んだ玄馬があんぐりと口をあけて驚愕した。
「て、て、て、天道君・・これは一体・・っ?!」
「わしにもさっぱりわからんのよ早乙女君・・」
おろおろと慌てふためく仲良しコンビをよそに、八宝斎はしたり顔でにやりと笑う。
「なんと、こりゃいーめっけもんだったようじゃな!」
ぴょーんと小さな体を弾ませて、八宝斎はあかねの机に着地した。そして、そこにあった懐中時計を拾い上げる。ちゃり、と金の鎖が擦れる音に、あかねは自分を取り戻して八宝斎を見つめた。
「おじいちゃん?」
「見よ!玄馬、早雲!あかねちゃんのみどりなす黒髪を!あかねちゃんが一度は失ったあの黒髪が蘇ったということは、この時計は紛れもなく・・」
「まっ・・ままままさかっ!」
「髪の時を戻す・・まさに養毛剤ということですか、お師匠様っ!?」
早雲と玄馬が悲鳴をあげるようにそう言うと、八宝斎はもったいぶって頷いた。
「そのとおり!」
八宝斎はあかねの机からぴょーんと飛び降りると、あかねを見上げてこう言った。
「すまんがあかねちゃん、悪しき魔の手からこの時計を守るため、この時計はわしが預かることにした!さらばっ」
「待てい!」
乱馬がすぐさま八宝斎の服をつかむと、時計をひったくった。
「なんじゃなんじゃ!なーんで乱馬がその時計を欲しがるのじゃ?」
八宝斎が乱馬に服を掴まれた状態で、じたばたと手足をばたつかせながらそう喚いた。乱馬は呆れた目をして八宝斎を怒鳴りつける。
「俺が欲しがるかよ!そうじゃなくて、これはあかねの友達の家のもんだろーが!昨日のあかねの話、聞いてなかったのかよっ!」
「しかし乱馬よ、お前もわしの息子。養毛剤と聞いて気にならぬはずはなかろう。」
玄馬がぽん、と乱馬の肩を叩いてくる。その台詞にかちん、と来た乱馬が振り向き様に玄馬を蹴り倒した。
「俺は親父に似てねーのが自慢なんだ!俺はこんなもん絶対必要ねーからな!」
「乱馬よ、それならば潔く父に渡すがよい!そぉーれ地獄のゆりかごじゃ!」
乱馬を抱きしめようと、玄馬は乱馬にがばっと飛びかかる。
地獄のゆりかごとは、玄馬が考案した技で、ただひたすら玄馬のひげ面で抱きしめ攻撃に会うという言ってみればただのいやがらせだけで何の危害も与えられない技だ。しかしその生理的苦痛は想像を絶するもので、乱馬は以前に嫌というほどこの技を受けた時のひどい嫌悪感を未だに覚えていた。だから、乱馬は慌ててそれを避けると、間髪置かず窓ガラスに向かって玄馬を蹴り飛ばした。
がしゃーんっと窓ガラスが割れる音が周囲に響き渡った。玄馬は窓の外に放り出され、下の池に落ちた音が続けて聞こえてくる。おそらく下ではパンダが池で行水している様が見られるに違いない。
玄馬を蹴った後だったので、乱馬には一瞬の隙が生まれていた。八宝斎はそれを見逃しはしなかった。
「乱馬っ!それを返すのじゃっ!」
八宝斎がすかさず乱馬に襲いかかり、乱馬の手にある時計を奪う。
「わーははは!もーらった!」
「いい加減にしなさいっ!」
あかねはそういうと、八宝斎から時計を取り上げた。八宝斎があーっ!と喚き声を上げた。
「何するんじゃ、返せ返せ!」
「何言ってんのよ!これは若菜に返さなきゃならないんだから!」
今度はあかねと八宝斎の攻防戦になるかと思ったが。
「やだ、もうこんな時間じゃない」
なびきがあかねの部屋の時計を見て、きびすを返した。なびきのその言葉にあかねも我に返った。時計を見つめると、いつもなら家を出る時刻である。
「なにこの時間!完全に遅刻しちゃう!」
あかねはぺいっと部屋にいた全員を外に追い出した。もみくちゃにされた乱馬、早雲、八宝斎が廊下に放り出される。そんな中、かすみはのほほん、と台所に戻っていく。
あかねはそれから慌てて制服に着替え、髪を整えると一階に駆け下りる。途中八宝斎がしつこくも追いかけてこようとしたが、あかねは鞄で殴り飛ばすと、いってきまーす!と声をあげて出て行く。
「あかねっ!ご飯は?」
「いらなーいっ!」
心配そうなかすみの声を他所に、あかねはようやく家を出た。
「ま、間に合ったぁ!」
途中先を行く乱馬と合流し、あかねは何とかHRまでに教室に到着した。教室に入った途端、ざわっとクラスメート達がざわめく。無理も無い。昨日の今日でいきなり伸びたあかねの髪を見れば、驚かない方がおかしい。
「あかねっ・・どうしたの?!その髪」
ゆかとさゆりがあかねに駆け寄ってそう言った。同じクラスメートで乱馬と仲のいいひろしと大介も、話を聞こうと近づいてくる。
「さー。なんか養毛剤効果のあるものを近くに置いちゃったらしくて」
鞄から教科書やノートを机の中に仕舞いながら、あかねは淡々とそう言う。特に不自由が生まれたわけでもないので、あかねはそれでよしとすることにしたらしかった。
「でも、あかね。それって変な副作用とかあったりしないの?」
淡々と言うあかねに心配したゆかが、不安そうな声でそう尋ねる。あかねも言われて初めて気付いたように目を見開いた。
「それもそうね。あとで聞いてみる」
あかねは鞄から懐中時計と、その入れ物の宝石箱、それを包んでいた袱紗を取り出した。家を出るときにきちんと包む暇が無かったのだ。
「なぁに、それ」
さゆりが不思議そうにその品々を見つめていると、あかねは時計を丁寧に宝石箱に仕舞い、袱紗で包もうとしていた。
「たぶん、懐中時計。この髪が伸びたのはこのせいじゃないかって思うの」
「ふうん・・」
ゆかとさゆり、ひろしと大介は不思議そうな顔をして顔を見合わせるのだった。
それから、ひろしと大介は乱馬の席に振り返る。一つ屋根の下に暮らすこの許婚の二人は、学校でもクラスが同じな上、席まで隣という間柄なのだ。
「なぁ、乱馬」とひろし。
「なんだよ?」
乱馬は眠そうな顔を机からあげる。今にも眠りそうな体勢の乱馬は、二人が複雑な表情で乱馬を見ているのに気付いて、訝しげな顔をした。
「どうしたんだよ、変な顔して」
「だってよ。乱馬」
「あかねの髪、心配じゃないのかよ?」
ひろしと大介はちらりとあかねの横顔を盗み見するように見てから、そう言った。乱馬も、あかねの姿をちらりと見る。
陽の光に煌くあかねの長い髪。乱馬は、まるで時が戻ったかのような錯覚にとらわれる。
あの頃は、お互いがまだよそよそしく、出会った場面の悪さが尾を引いて険悪な雰囲気が続いていた。そして、彼女が許婚と知らされたにも関わらず、その娘には実は他に好きな男がいることを知って、奇妙な感覚に襲われたのを思い出す。
乱馬自身、あまり思い出したくない時期の『あかね』の姿。
しかし、乱馬はそんなことを微塵も表には出さず、気にすることねぇよ、と机に伏せった。学校に着いたばかりだというのに、乱馬はもう睡眠モードに入るようだった。
ひろしと大介は呆れたように乱馬を見つめて、自分の席に戻っていった。ちょうど、そのときに担任の二ノ宮ひなこ先生が入ってきた。
朝のHRが始まったのだった。
それから、HRを終えて一時間目の授業までの休み時間、隣のクラスの若菜がやってきた。
「あかね、若菜が来てるわよ」
「あ、ありがとう」
クラスメイトに呼ばれて、あかねは手に懐中時計一式を持って教室のドアを出た。戸口に寄りかかるように待っていた若菜が、あかねを見て仰天する。
「あっ・・あかねっ!?なによ、その髪っ・・!?」
「あー・・なんかね、その時計を近くに置いて寝たらこうなっちゃったのよ」
あかねは気にした風もなくそう言ったが、若菜はおろおろとあかねを心配そうに見つめる。
「やだ、こんな風になるなんて思っても無かったのよ。ごめんね、あかね」
「いいのよ、別に困るわけでもないし。でも一応若菜のお爺さんに聞いてみてくれない?養毛剤くらいならまた切ればいいんだけど、ほかに変な効力がないかどうかって」
あかねがそういうと、若菜はうんうんと慌てて頷いてみせた。
「帰ったらすぐ、お爺ちゃんに聞いてみるっ・・!」
あかねは気楽そうに笑って、気にしないでと言ったが、若菜は不安そうに時計の箱を受け取りこう言った。
「ホント、ごめんね。あかね・・」
「大丈夫よ。若菜。わかったら何か教えて。じゃね」
あかねはそう言うと、すぐに教室に戻っていった。ずっと若菜の傍にいたら、そのままずっと謝られそうで気が重くなったのだった。
(大したこと無いはずよ・・髪なら、またお姉ちゃんに切ってもらえばいいんだもの)
そう思って不安な心を押し込めるように、あかねはぐっと拳を胸の前に当てた。
丁度そのとき、ひろしの声が聞こえてくる。
「どこ行くんだ?乱馬」
「サボリ」
鞄を持って、ひょいと窓から出て行ってしまう乱馬を見つけて、あかねが驚いて捕まえようとする。しかし、すでに乱馬は窓から出て行ってしまい、すとっと4階下の地面に着地していた。
「馬鹿っ!何考えてんのよっ!まだ授業一時間も受けないでっ!」
窓から体を乗り出して、あかねは下に降りてしまった乱馬にそう叫んだ。乱馬はポケットに手をつっこんだままあかねを見上げると、悪意のない顔でこう言った。
「わりーな、あかね。ちょっと用事!」
乱馬はそれだけ言うと、軽快な足取りで校庭を一直線に突っ切っていった。途中校長が邪魔しに入ってきたようだったが、軽く足蹴にしていくとそのまま校門を抜けて消えていってしまった。
「もうっ・・」
あかねは膨れっ面で乱馬の後ろ姿を見つめると、諦めたように自分の席に戻っていった。
一方、乱馬はその足でアンティークショップの店に足を運んだ。一度九能先輩の騒動でその店の位置を知っていた乱馬は、一刻も早く懐中時計の効力を知る必要があると思ったのだった。
「ったく、強がってみせるのだけは一人前なんだからな、あいつ」
ぶちぶちと文句を垂れつつも、乱馬の足は一路アンティークショップを目指していた。
商店街の一角に、そのアンティークショップはあった。商店街には場違いなほど古びたものを広げ、店主の爺さんが埃を払っているところだった。
「・・聞きてーことがあんだけどな」
乱馬は店主に声をかけると、店主はおや、という顔をした。九能の一件で乱馬の顔を覚えていたらしい。
「どうなすった。仕返しに『鳳凰の卵』を買いに来たというならお断りじゃ。たとえこの爺の頬を札束で叩かれようと・・」
「売ったんだろうが。それで」
すかさず呆れたように乱馬が店主に応酬の言葉を投げつけた。が、すぐに頭を掻きつつ、そうじゃなくて、と言葉を繋げる。
「ここの店で一つ無くなった商品(モン)があると思うんだけど。・・金の懐中時計」
「なにっ!?あの時計のありかを知っておるのか!?」
店主は驚いて手にもっていたハタキを落とした。店主の驚き様に、逆に乱馬は驚いてしまう。
一体あの時計にどんな効力があるというのだろう?
「ああ、うちのじーさんが店先からうちまで持ってきちまってたんだ。一応あんたんとこの孫になる若菜に時計だけは返してるんだが・・」
「異変が、起きたんじゃな」
乱馬を見上げて、店主は厳かにそう言った。乱馬はただその言葉に驚いて、頷く。
「あかねの髪が異様に伸びた。それっくらいならかまわねぇが、本当に異変はそれだけで終わるのか?!」
乱馬の勢いに気圧されて、店主はしばらく口も聞けない有様だった。それから瞬きを二回ほどしてから、ふう、と息をつく。
「いや・・実はな、そのお嬢さんの異変は序章にすぎん」
「なんだと・・!?」
「あの時計は『恋の懐古時計』と言ってな。遠い昔、さる令嬢が大切にしていた時計なのじゃ。―――その娘には幼い頃から好きな男がおって・・長いこと恋をしておったんじゃが、身分違いもいいところで、結局その娘は別の許婚と結婚させられたんじゃな。娘はたいそう嘆き哀しみ、死ぬまでその好きな男にもらった懐中時計を胸に泣き暮らしたという。」
店主の話を聞きながら、乱馬はぐさぐさと胸に刺さってくるものをなんとか堪えなければならなかった。
なんという偶然。何という運命のいたずらか。
叶わなかった恋の相手。唐突に現れる許婚の存在。
その令嬢とやらとあかねの境遇は、全く同じではないか。
「それでな、それ以後その時計の逆に進む秒針の音を聞き続けると、昔叶わなかった恋の相手を成就させようとする令嬢の呪いがはじまるんじゃ。おそらくあかねさんという娘さんの髪が伸びたというのは・・」
乱馬は今まで聞いていた話を頭で整理しながら、こう言った。
「あかねの想いが甦った証、ということ・・か」
「そうじゃろう、な」
店主は頷いた。
「だから、あの時計は音の漏れないように作った厳重な宝石箱に入っておらねばならんかったのじゃ。秒針の音じゃから、昼間であればある程度のざわめきで耳に浸透することも無いが、夜の間は音も少ないし耳に残りやすい。」
「なるほど・・で、元に戻す方法はあんのか?」
乱馬は店主に詰め寄り、尋ねた。店主は、おもむろに人差し指を見せて、こう言った。
「お嬢さんがその恋に決着をつければ終わる」
「なにぃ?」
乱馬は簡単そうにそう言う店主を苦虫を潰したような顔で睨みつけた。
あかねの気持ちに微塵も気付いていない東風先生が、あかねに答えることなど万が一にもありえないと乱馬は考える。それに東風先生のかすみさんに対する想いも、十分一途で負けてはいないのだ。
だとしたら。
乱馬は覚えていた。東風先生を決定的に諦めるきっかけとして、あかねは東風先生の前に髪を切った姿で現れた。そして、彼女は東風先生の胸で・・悲鳴を上げるように泣いた。どうにもならない想いを、長い間抱え続けていた想いを吐き出すような、そんな泣き声だった。
(あかねにもう一度あんな思いをさせろっていうのか?!冗談じゃねぇぞ!)
「おい、ほかに方法は?」
乱馬は店主の襟首を掴んで、そう言った。乱馬の目が尋常でなく強い眼差しをしているので、店主は怯えた。
「何じゃと?」
「だから!他に方法はねぇのかって聞いてんだ!」
思わず店主を掴む腕に力が入る。店主は慌てて、待て待て、と声をあげた。乱馬は方法があるのか、と店主から手を離す。
「お嬢さんが別の恋に目覚めれば・・あるいは呪いは解けるかもしれんな」
「なっ・・?」
あまりに安直な展開に驚いて、乱馬は思わず言葉を失った。
が、しかし。すぐ後ろにはいつのまにか、早雲と玄馬が並んで乱馬の肩にぽんと手をやる。
「やりなさい。乱馬くん」
「あかねくんを元に戻せるのは、もはやお前しかおらん」
早雲と玄馬はうんうんと、もっともらしく頷いていた。乱馬は驚いて二人に振り返ると、呆れたように声をあげた。
「俺に・・あかねをナンパしろってことかよ?」
「そうするしかあるまい?」
「あかねを救うのは許婚の乱馬君、君以外に誰がいるというのかね?」
嬉しそうな笑いを噛み殺しながらそう言う両家の親二人を見て、乱馬は付き合ってられるか、と店を飛び出した。
「こりゃ!乱馬!」
「乱馬君!頼りにしてるからねぇっ!」
二人の親父が後ろからそう叫んでいたが、乱馬は無視してひょいひょいと足を走らせ商店街を後にした。
風林館高校のチャイムが鳴り響いている。
その日の授業が全て終り、靴を履き替えたあかねは昇降口を抜けたところだった。教室でゆかとさゆりが買い物に行こうと誘ってきたが、あかねはそれを断った。何故か用も無いのに東風先生のところに寄りたいと思ったのだった。
いつもならば、となりに乱馬がいて一緒に帰っているはずの時間。
その乱馬は結局一日中サボってしまい、とうとう学校に戻っては来なかった。
「乱馬ったら・・帰ったらとっちめてやらなくちゃ」
あかねはそう言ってふぅっと息を吐く。
一人で帰っていると、普段は気にも留めない道端の景色が自然と目に入ってくる。通り際の家に植えられている梅の花がほころび、見上げると空は抜けるような青空が広がっている。ここのところ気温が低い日が続いていてその所為で空気が澄んでいるのだろう、雲ひとつなく青く輝く空の色に、あかねは一瞬眩しい思いに捕らわれて目を細めた。
「あかねちゃん?」
後ろからの優しい呼び声にあかねはふと我に帰って、振り返った。東風先生だった。
「東風先生」
あかねはふっと顔を和らげて、東風先生の許に駆け寄った。
「こんにちは。お買い物ですか?」
東風先生が手に提げているビニール袋を見て、あかねはそう言った。東風先生は頷くとあかねに袋の中を見せる。
「ちょっと買出しにね。あと、お団子も買ってきたんだよ。一緒に食べようか」
「わぁ、嬉しい。いただきます」
あかねは無邪気に微笑んでそう言った。あかねの長い髪がふわりと揺れる。それを見ながら東風先生はそれより、と少し驚いた表情であかねに尋ねた。
「どうしたの?その、髪」
「ああ」
あかねはそういえば、と髪に手をやった。
「なんだか、話がややこしくて・・お団子いただきながらお話します」
あかねにそう言われて、東風先生は頷いた。
「きれいな、空だねえ」
東風先生が空を見上げてそう言った。あかねも空を見上げ、それから何気なく東風先生の横顔を眺める。いつもは丸い眼鏡をかけていてなかなか気づかれないが、東風先生はずいぶん端正な顔立ちをしている。眼鏡の縁が邪魔をしない東風先生の横顔は、ひどく男らしく落ち着いた大人の雰囲気を醸し出しているように見えた。
そんな東風先生の横顔を見て、あかねは新しい宝物を見つけたようなそんな気持ちを胸に膨らませて、一人幸せそうに微笑むのだった。
そんなあかねを、屋根から見下ろす一つの影があった。
「あかねさん・・?」
後ろに大きな荷物を背中に背負い、赤い番傘を荷物に挿している。黄色に黒の模様のついたバンダナを着けて、たびたびこの町に現れる男といえば。
「よっ、良牙!」
ぎゅ、と頭に乗っかり、乱馬がその男を踏みつけた。しかし、良牙、と呼ばれた男は乱馬の踏みつける力をものともせず、直立不動のまま怒りに震えていた。
「おい乱馬!あかねさん、様子が変だぞっ!・・あかねさんにまた何かあったのかっ!?てめぇがついていながらなんて様だ!」
頭に乗っかったままの乱馬を掴みかかろうと、良牙は手を伸ばした。
「んだと?」
乱馬はむっとしながら、良牙のその手から逃れるようにひょいと飛び上がる。そして、くるくるっと体を回転させ音もなく屋根に足をつけると、ポケットに手を突っ込んだまま今はすでに遠くに歩いていくあかねを見やった。
いつもの乱馬とは違う、鋭い眼差し。
長い付き合いの良牙にはわかる。あかねを窮地から救おうとする時にする、乱馬が本気のときにする目だ。
「一体何があったんだ、乱馬」
神妙に良牙がそう尋ねると、乱馬はまるでさっきの鋭い瞳をごまかすようににっと笑い、良牙の荷物から水筒を取り出すとじょぼぼ、と水筒の水を良牙の頭から掛けた。
瞬時に良牙の体が小さくなり黒豚に変化する。
そして乱馬はせーのっと掛け声を掛けて右足を後ろ側に振り切ると、
「いけっお邪魔虫!」
勢いのある蹴りで黒豚を吹っ飛ばした。
黒豚の悲鳴が轟き、その悲鳴に気づいたあかねがふと空を見上げると、ちょうどその手に黒豚がぽてっと落ちてくる。
「Pちゃん!何処行ってたのよ!心配したのよ!」
あかねはPちゃんをぎゅっと抱きしめて喜んだ。黒豚があかねに会えたことを喜んで、ぶきっと鳴いた。
整骨院に辿り着いて、あかねは進んでお茶の用意を始めた。東風先生は皿に団子をとりわける。
「子豚くんも食べれるかな?」
「ええ、Pちゃんは何でも食べるんですよ」
あかねはお茶を汲みながら答える。ふたりはそれぞれお茶と団子の乗った皿を持って、椅子に座った。東風先生は机に二つの皿を、床に座り込んでいる黒豚に一つ皿を置いた。
「おいしいよ。お食べ」
東風先生が優しくそう言うと、子豚はぶきっと鳴いて口にほおばり始めた。
「おや、本当に何でも食べるんだね」
面白そうに東風先生が笑う。
「で、あかねちゃん、その髪の毛の話、聞かせてくれるかい?」
「はい」
あかねはお茶を啜って口を湿らせると、昨日から今日の朝にかけての出来事を話した。東風先生はお茶を飲みながらあかねの話を聞き終えると、団子に手を伸ばしつつこう言った。
「ふうん・・随分珍しい話だね。あかねちゃんの髪が伸びてしまうなんて」
「でも、あたし・・このままでもいいかなって」
あかねは話し終えて手にもったお茶をもう一度啜った。それからふっと微笑を浮かべる。
「だって、あたし・・東風先生に好かれたいから」
「・・え?」
あかねの言葉に、東風先生が一瞬驚いてあかねを見つめた。あかねは、はっと我に返ると、がたっと立ち上がる。
「ご、ごめんなさい!あたしったら変なこと・・帰りますっ!」
あかねは自分で何を言ってしまったかを思い出して顔を火照らせると、整骨院を飛び出した。黒豚がその後を追って出て行くのを、東風先生は不思議そうに見つめていた。
慌ててあかねが出て行った所為で、机で転がった茶碗から残ったお茶が床に向かってぽたり、ぽたりと滴り落ちていた。
(一体・・どうしちゃったの?あたし・・)
あかねは口に手を押さえたまま、猛然と走っていた。恥ずかしさで体中が熱くなる。今言った言葉が頭の中でぐるぐると回る。
(好かれたい・・。だってそれはもう・・諦めたのに・・)
困惑する頭を抱えてあかねが走っていると、唐突に目の前に三人の娘が現れる。
「東風先生と仲良くなったか、あかね」
「乱ちゃんのことは安心してうちに任しとき」
「乱馬さまとの結婚式には、あなたもお呼びいたしますわ」
呆然と、あかねは三人を前に立ち止まった。長くなった髪の毛が前に流れて揺れた。
「シャンプー、右京、小太刀・・」
乱馬を我が物にせんと日々ちょっかいを出してくる3人。あかねはその三人を目の前にしても、さっきのことで不思議と焦ったり、後ろめたい気持ちにはならなかった。
「乱馬なら、ここにはいないわよ。さっさと乱馬のところに行ったら?」
意識もせずこぼれた言葉は、あかねの予想に反して乱馬に対する挑戦をリタイヤするとも取れる台詞だった。
その言葉に驚いたのは目の前の三人というよりも、あかね自身だったに違いない。あかねは言ってしまってから驚いたように口に手をやって目を見開いていたのだから。
言われた3人も、いつも勢いのある口調をしているとはいえ、あかねからそんな言葉が出るとは思いも寄らなかったのかしばし呆然としていた。
やがて、一番初めに声を出したのは、精神的に一番気丈なシャンプーだった。
「確かに、こんなところで油を売る必要はもうないね」
シャンプーの言葉で我に返った右京が続けて口を開いた。
「許婚はウチだけってことやな」
「まあ、あつかましい。乱馬さまは私のものです!」
立て続けに小太刀もいきり立ってそう言った。3人が戦闘態勢に入ろうとするその場から、あかねはくるりときびすを返した。
もう、関係ない、とでも言いたげなあかねの後ろ姿。その姿に、三人は戦意喪失して手にしていた武器を一度下げた。しかし、何を思ったか3人ともあかねに向かって手にしていた武器を投げつけたのだ。
あかねの足元目掛けてコテとリボンの先と、シャンプーの持つ丸い錘が襲い掛かる。あかねは飛び上がって塀に避けると、あかねが先ほどまでいたその場所にコテが刺さり、リボンが跳ね、丸い錘が沈んでいた。あかねはそれを訝しげに見つめてから、三人に目を向ける。
三人はあかねを睨みつけていた。
あかねは三人から目をそらすと、また再び3人から離れる方向に歩き出した。
「もうあかね構う理由はないね」
シャンプーの声があかねに届く。あかねはその言葉に言いようのない不安を抱えたが、振り返りはしなかった。
いろいろ道草を食ったおかげでそろそろ夕飯の時刻だった。あかねは疲れ果て、早くお風呂に入って眠ろうと考えながら帰途に着いていると、フェンスの上で乱馬が立っているのを見つけた。
乱馬はフェンスから飛び降りて、あかねが近くに来るのを待っていた。あかねが乱馬の隣まで歩いていって乱馬を見上げると、ところどころ怪我をしている。どうやら3人娘に追いかけられた後らしい。
「性懲りもなく・・やられたってわけ?」
あかねは乱馬を見上げてそう言った。乱馬はあかねの方を見もせずに黙って隣を歩いている。乱馬の表情を窺うと、どうやらむっつりとふてくされているように見える。
あかねは不思議に思って首をかしげる。なぜそんなに不機嫌な顔をされなければならないのだろう?
「どうかしたの?」
思い切ってあかねは尋ねてみる。乱馬はようやくあかねの方に顔を向けた。複雑そうな、寂しそうな瞳。こんな乱馬の目をあかねは未だかつて見たことがない。いや、一度だけ、そんな瞳を見たことがある気がする。
(確か・・。)
あかねは記憶に残る限りの乱馬の表情を思い出す。しかし、あまりに膨大に存在する乱馬の表情に、あかね自身が圧倒される。
いつのまにあたしは、心の中に乱馬を刻み込んでしまっていたんだろう。
困惑するあかねを他所に、乱馬も乱馬で混乱していた。
東風先生の前で幸せそうに微笑むあかね。先生のためだけに長い間長く伸ばしてきた髪。たとえ、先生に他に好きな人がいようと、自分に正直に恋をするあかね。
そんなあかねの恋する表情に、乱馬は負けてしまっていた。
「あかね・・俺は、傍にいない方がいいのか?」
(たしかに時計の所為かもしれない。でも、それはただのきっかけにすぎなかったのかもしれないんだ。あかねは、本当は先生と恋をしていたかったのかもしれない・・)
乱馬は情けないくらい弱気な考えになってしまっていた。いつも強気で楽観主義の乱馬が落ち込むのは、他でもないあかねのことだから、だ。
一方、あかねはようやく、今ある乱馬の表情と過去の乱馬の表情の接点を思い出していた。
(あたしが・・乱馬を忘れた頃の・・あのときの瞳と同じだ・・)
シャンプーの技であかねは乱馬の記憶だけを忘れさせられたことがある。そのとき乱馬は必死になってあかねを治そうと、一時は中国まで行くことを決心したくらい必死になってくれた。
(あのときの、目と同じ・・)
そう思ってから、あかねは乱馬をもう一度見上げた。この上ない真剣な眼差しが、切ない瞳があかねを射抜く。
(傍にいない方がいいか・・なんてそんなこと言わないで・・!)
あかねはゆっくり首を横に振った。
ふわり、ふわり、と長い髪が揺れる。あかねが三度目に横に振ったときに、まるで今まで長くなった髪の毛などまるでなかったように消えてしまっていた。
もう一度、あかねが乱馬を見あげたときには、元のショートカットに戻っていた。
「あ・・かね?」
乱馬が驚いてあかねの髪に触れようと手を伸ばした。あかねは思わず、乱馬が髪に手を伸ばしてきたことに驚いて退さった。が、乱馬はあかねの背中に手を回し、よく見せるようにほれ、と髪の毛に手をやる。
「あ・・!」
あかねは乱馬の指から見える自分の髪の毛の長さにようやく気づいたのだった。
「なんだ、結構簡単に戻っちまうのな」
乱馬はほっと安堵してそう言った。あかね自身も、ようやく時計の呪縛から解き放たれたことに安堵して、肩をなでおろした。
「帰るか」
乱馬は心底ほっとしたようにそう言った。あかねもそれに頷いた。
あかねは昼間そうしたように、ふと空を見上げる。ふわりと舞うものを見つけ、あかねは指を指した。
「ねえ、乱馬。雪!」
言われて、乱馬も見上げる。ポケットに突っ込んだまま空を見上げた瞬間、額に一粒の雪がふわりと舞い降りた。
「寒いと思ったら・・やっぱり降りやがったか」
ゆっくりと降る雪が街頭の光に照らされて、それはまるで光が舞い降りてくるような景色だった。そんなの中を、二人は子供のようにはしゃぐいで家路に着いたのだった。
おわり
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☆らんま1/2 スタッフ名鑑 <川井憲次さん編>☆
らんまの音楽を作らせたらこの人の右に出るものはいないっ!
ってわかったわかった(笑)
景気も良くて物が何でも売れたころなので、このころアニメらんまのCDは死ぬほど出てました。
1月から12月にあわせた12枚のシングル。それのCD版。ほかにも色々。
どれも素晴らしい音楽ばかりです。川井さんの音楽は飽きないですね。
学生の頃は歌謡曲をほとんど聞いてないので、BGMを低く流して勉強してました。
中国っぽく編曲するのが本当に上手なので、安心して聞けます。
MIDIを作るときのヒントにならないかなぁと思いながら聴いてるんですが・・無謀みたいです(汗)
やっぱり川井さんだからできるのよねv
2002/02/14