I have losed..
「敗者、なんていやよね、乱馬」
3月の気温はまだ寒暖が激しい。今日は窓ガラスの向こうでは、庭に植えてある木々の葉が寒々と揺れている。風が強いらしく、がたがた、と時折ガラス窓が音を立てた。
天道家居間では、しまい忘れたコタツがありがたく活用されていた。
コタツの上に置いてあるみかんをむきながら、あかねは乱馬に先ほどの台詞を吐いたのだった。そのとき、乱馬はコタツの気持ちよさにうつらうつらと舟を扱ぎ始めていた。
「んあ?」
「もー。乱馬、よだれ」
「あ、すまね」
あかねはティッシュの箱をとん、と乱馬の目の前に置いてやる。乱馬はティッシュで口元を拭くと、屑箱にくしゃくしゃにしたティッシュを投げた。
―見事命中。
「なんか言ったか?あかね」
乱馬はあかねの手にある皮をむいたみかんを横取りすると、ぽいっと口に入れた。あかねがそれを不満そうに見ていたが、あきらめて次のみかんの皮をむき始める。
「敗者なんて、いやよね、って」
「なんだ?藪から棒に。」
さも、当たり前じゃねぇかというのも馬鹿馬鹿しいとも言いたげな顔をした乱馬が、あかねにそう尋ねた。
この二人は将来、無差別格闘流の武道家となるべく日々鍛錬を行っている。武道家にとって敗者という言葉、負けと言う言葉を背負うことは、その先の武道家としての生命と絶たれる事を意味する。
だからこそ乱馬は、さも当然という顔をして、そして何故唐突にあかねがそんなことを言うのか、怪訝そうな顔をしたのだ。
「いまね、ゆかから借りた音楽聞いててね。それにそういう歌詞があったの」
あかねは下に置いていたMDウォークマンをコタツの上に載せた。よく見ると、あかねの耳にはイヤホンが着けられている。あかねは右側のイヤホンを外すと、乱馬に手渡す。
聞いてみて、ということらしい。
乱馬はあかねからイヤホンを受け取ると右の耳に着けた。
イヤホンの長さがあまりないため、二人は自然顔を寄せ合ってウォークマンの本体を見つめた。ふわりと、あかねの髪のいい匂いがして、乱馬は少し緊張する。あかね自身はウォークマンの操作に忙しくて、そんなことに少しも気付いていないようだ。
(こいつって・・こういうところ本当に鈍いよな・・)
「これ、この曲」
あかねがウォークマン本体を操作しながら、乱馬にそう言った。
幻想的な前奏が始まる。次にバイオリンの哀しげなメロディ。芯のあるしっかりとした女声が紡ぐ言葉は、まるで哲学的な詩。そして。
―もしもこの世界が勝者と敗者との ふたつきりに分かれるなら
―ああ僕は
―敗者でいい いつだって敗者でいたいんだ
「けっ、虫唾が走る」
乱馬はそう言うと、イヤホンを外してコタツの上に置いた。
「負けちゃ意味ねぇだろ。何だって」
「うん、そうだよね・・」
あかねは言いながらも、乱馬の外したイヤホンを手にすると自分の右耳に着けた。
「でもね、何かある気がして・・その歌詞の裏に何かが・・」
あかねはそう言うともう一度その曲に耳を傾けていた。
乱馬はそんなあかねを見てから、何も言わずに立ち上がった。あかねがそれを見て、声をかける。
「どこ行くのよ?」
「道場。汗流してくる」
乱馬は言い捨てるようにそう言うと、道場に向かった。
残されたあかねは、みかんを剥く手を止めて一心にまた曲に身を任せ始めた。
「はっ!」
道場で乱馬は一人、体を動かす。繰り出す足、素早く力強い手刀、跳躍、全身反転。裸足と床が擦れるたび鳴るきゅきゅっという音が、乱馬の緊張感を増長させる。
―敗者なんて、いやだよね、乱馬。
(当たりめーだ。敗者って負けることだろ。負けるって事は弱いって事だろ)
乱馬はしゅっと拳を前に突き出す。
(・・俺に強さを取ったら・・何も残らねえ・・)
苦虫を潰したような顔で、乱馬は前進しつつ拳を突き出し続ける。嫌な汗が、背中を伝うのを感じた。
(それに。)
足に力を貯め、高く跳躍する。最高地点で、乱馬は双方の足での蹴りを入れて着地する。くるっと体をひねり、道場の中央を見据え、また拳を繰り出す。
(あいつを守れなくなる。)
「やぁっ!」
再び高い跳躍。さっきよりも高く飛んだため、滞空時間が長くなる。その間、乱馬は体をひねりながら、蹴りを入れる動作を先ほどの倍入れた。着地の体勢が悪くなりかけて、乱馬は慌てて手をついた。腕の力で体を宙に浮かせると、体勢を整えて着地する。
「はぁっはぁっはぁっ・・」
自棄になりすぎた、と乱馬は思う。無我の境地での鍛錬でなければ、武道の意味はない。悔しそうに顔を歪ませて、乱馬はその場に座り込んだ。
「乱馬」
そっと道場の引き戸を開けて、あかねが入ってくる。手にはスポーツタオルがあるのを見つけて、乱馬はすまねぇ、と声を上げた。
あかねは乱馬にタオルを渡すと、乱馬の隣に腰を降ろした。
乱馬はタオルで吹き出た汗を拭う。それが済んで、タオルを肩にかけると道場の壁に体を預けた。あかねもそれに倣うように、背を壁に預ける。
二人の間を、しばらく静かな空気が流れていった。
「ごめんね」
最初に静かな空気を震わせたのは、あかねの言葉だった。乱馬はあかねを見やる。
「何が」
「なんか、心乱させちゃったみたいだから」
ふうっと乱馬は息を吐いた。
「ばれたか」
修行が足らねぇな、と珍しく乱馬はそんなことを言った。
「でも、お前が謝ることじゃねぇだろ」
「うん・・」
(そうは言っても、あたしが原因作っちゃったみたいだったし・・)
がたがた、と天窓が音を立てた。風がずいぶんあるらしい。道場の床はひんやりと冷たく、体を動かしていないあかねはぶるっと体を震わせた。
「先、戻るね。乱馬」
「ああ」
すくっと立ち上がると、あかねはぱたぱたと足を鳴らして道場を出て行った。乱馬はそのあかねの後ろ姿が見えなくなるまで見つめていた。
引き戸が閉まって、あかねが見えなくなると、乱馬はタオルを横に置いた。
「よっ」
逆立ちする格好をしてから、腕でバランスを整え足を組む。胡座をかいている状態での逆立ち、といえば分かってもらえるだろうか。
乱馬がいつも考え事するときにやる体勢だった。
(敗者でいたい、ってどういうことだろう)
全てが逆転した世界が目に飛び込んでくる。いつもならば視界から離れている床が自分の一番近いところから広がっている。そして、視線を落とすと道場の奥行き、それから天井という具合。
(逆転の発想ってことか・・?敗者でいたい・・って)
乱馬は目を閉じる。人間は目である程度の平衡感覚を取っているため、逆立ちをして目を閉じるというのは高度な感覚を保持していなければ難しいことなのだ。
案の定、体が揺らぎ始める。しかし、それを堪えつつ、乱馬は考え続けていた。
(敗者でいたい・・負けていたい・・か)
あの歌手は当然のことながら武道家でもなんでもない。しかし歌詞を聞いていて、哲学的なものを感じたと言うことは、あの歌詞には何か意味があるように思えてきて、乱馬はそのまま考え続けた。
(例えば、誰かに、何かに、負けていたいと思うこと、負けてしまっていると感じること・・あ!)
ごちん、と音を立てて乱馬は体勢を崩した。強か頭を打って痛みで疼いたが、乱馬はそんなことはどうでもいいとでもように、胡座を組むと腕を組んだ。
(そういうことか・・俺にとってそれは『あいつ』だ・・)
しみじみと思ってしまってから、乱馬は顔を赤らめた。
「乱馬!」
唐突に視界にあかねが飛び込んできて、乱馬は焦る。あかねが乱馬を覗き込んでいる。
「なっななななんだよっあかね!びっくりするじゃねぇかっ!」
焦って乱馬はばたばたと手足を振り回してあかねから顔を遠ざけた。あかねはそんな乱馬を不思議そうに見る。
「なに焦ってんの?ご飯だって、早く!」
「お?おお・・」
乱馬は膝に手をやって立ち上がる。あかねの後ろをついていきながら、何気なくさっきの歌詞の話を持ちかけた。
「なぁあかね、さっきの歌詞の真相は解けたか?」
「・・それがまだなんだかわかんないの」
「鈍いな。相変わらず」
乱馬はくくっと笑うと、あかねが振り返ってむっとしたように乱馬を見上げた。
「何よっ!あんたには分かるって言うの?」
乱馬は言われて曖昧に笑うと、あかねを追い越すように走り出した。
「さぁて、夕飯はなっにかなーと」
「乱馬!」
あかねは慌てて乱馬を追いかけた。
ぱたぱたと二人で足を鳴らして走りすぎていく廊下の窓は、もう鳴らなくなっていた。
風が止んだようだった。
―敗者でいたいんだ
―君の敗者でいたいんだ
―君の魅力に負けていたいんだ
―君に恋していたいんだ
おわり
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Copyright(c)高橋留美子/小学館
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☆浜崎あゆみ[no more words]より一部歌詞を引用させていただきました。☆
「敗者でいたいんだ・・」という歌詞を聞きながら、
乱馬とあかねならどう思うかな、と思ったのが事の起こり。
この話の元ネタは結構早くから上がっていました。
視点をあかねにするか、乱馬にするかをしばらく迷っていたんですが。
結果的に乱馬に持っていくことにしたのは、やっぱり乱馬が書きたいからかしら?(笑)
次のLittle Love Sectionはあかね視点にしないといけないですね。
バランスよく更新したいと思ってますんで。
ああ、10話分はやく作りたい・・そして「らんま系小説一覧」したいよう。(笑)
また少ないからできないけどね。あと3話かぁ・・。
頑張ります。
では。
2002/03/17