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【らんま1/2】 |
| ■君が僕を必要とするときに僕はいない |
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作成日[2002/9/22]*祖母命日* 雨がしとしとと降り続いている。かれこれもうこれで3日目だ。連休だってこれでは台無しだ。 縁側から眺める景色も、暗くよどんでいて気分まで億劫になってくる。池に波紋が幾度ともなく重なり、広がっていく。広がる途中でまた、新たな波紋にぶつかり、かき消されていく。 テレビで天気予報士と偉そうに掲げた男が、自分で調べたんでもないだろうに天気図を説明していたのを思い出す。 (秋雨前線が停滞しているとかなんとか・・言ってたな) 縁側でつまらなそうに足を投げ出して、乱馬はそう思った。 雨の日は嫌いだった。外で稽古も出来ないのもその理由の一つだったが、最大の理由は自分の意思とは関係なく、この雨の雫達は自分を女に変えてしまうからだ。 (面白くねぇな・・) 柱に預けていた体をずらし、ごろんと横になってしまう。畳にひじを突き、その腕の上に頭を乗っける。い草の匂いが少し鼻を突いたが、すぐにわからなくなってしまった。 「なぁに?だらしないわね」 たしなめるようなその声に、乱馬はちらりとその声の主を見ただけだった。 「なんだよ。いいだろ、別にすることもないんだからごろごろしててもよ」 「隙だらけだって言ってるの。武道家だと名乗るくらいなら、しゃんとしてなさい、しゃんと」 言いながら、その声の主であるあかねは乱馬の隣にさりげなく腰を降ろす。あかねのふんわりとしたスカートが畳の上に優しく落ち着いた。 乱馬はやれやれ、と思いつつも、許婚の言葉に従った。しかし、おとなしく従うわけではない。 「ったく、かわいくねぇ許婚を持つとうるさくってたまらねぇな」 「何よ。私だってもっと優しくて思いやりのある許婚だったらどんなによかったかしれないわよ」 むっとしながらあかねは乱馬を睨みつける。 「そんな鼻息荒いおめーみたいなのは、『優しくて思いやりのある』やつを尻に敷いちまうんだろうな」 意地悪そうに笑って乱馬はそう言うと、あかねはますます顔を怒らせて憤慨する。 「あんたってどうしてそう口が悪いの!?」 「おめぇほどじゃねぇよ!」 「なんですってぇ!?」 「やるかっ!?」 いつも通りの展開になったところで、かすみがお茶を持ってくる。 「あかね、喧嘩はいいけど、乱馬君を女の子にしないでね。今日は風呂釜の調子が悪いの」 おっとりとした雰囲気のまま、かすみは卓袱台の下座に腰を降ろした。 「え、じゃあ今日は銭湯に行かなきゃならないの?」 あかねは雨を見つめながらそう言った。 「ええ、ごめんなさいね」 「ううん、お姉ちゃんが悪いんじゃないもの」 あかねはそう言ったが、雨の中を銭湯とは、と少しげんなりした顔をした。 「それはそれとして、お茶にしましょう。新しいお団子やさんを見つけたのよ。おいしいかしらね」 「じゃあ、私みんなを呼んでくるわ。乱馬はおじ様をお願いね」 あかねはすばやく立ち上がりながらそう言った。乱馬もあかねにそういわれて立ち上がると返事した。 「ああ、分かった」 二人は揃って居間を出て行くと、他の家族を呼びに行った。 そんな二人の様子を見て、かすみはくすくすと微笑んだ。 「仲良しさんね」 早雲、玄馬、なびきが階下に下りてきた。八宝斎はどういうわけか家にはいなかった。 「おじいちゃん、どこに行ったのかしら?」 八宝斎の部屋の前で、不思議そうにあかねは首を傾げている。それに気付いた乱馬は、さもありなんという表情であかねに言う。 「たまにいなくなるからな。下着泥棒じゃないのか」 「でも、この雨よ。洗濯物干す人なんていないと思わない?」 「そうだな・・」 乱馬もあかねも不思議に思ったが、まあ八宝斎が唐突にいなくなることなどよくあることなのだ。 ろくでもない事件をもちこまなければいいが、と二人はそれだけを思って居間に戻った。 乱馬は既に先に食べている玄馬を見つけて文句を言った。 「あ、もう食べてやがる!ちったぁ待てねぇのかよ、くそ親父!」 「何を言う。せめて可愛いせがれの分にとっておいただけでもありがたく思え!」 乱馬の皿の上には1本のみたらし団子があった。しかし、玄馬の皿の上には3本の団子の串が乗っかっている。 そして、あかねの皿には2本の団子があり、その他食べ終えた皿は2本の串が置いてある。どう見ても不公平である。 「てめぇは・・どうしてこういつもいつもいつもいつも食い意地が悪いんだよ!!」 乱馬は玄馬に飛びかかり、天道家一家は被害を被らないよう卓袱台を少しずらした。 「食い物の恨み思い知れ!」 「やかましいわ、馬鹿息子め!」 あかねはそんな二人を見ながら息をつく。どうせいつものことだ。「やめなさい」と制したところで止めるわけが無い。馬鹿馬鹿しいので、あかねは自分の団子を頂くことに専念した。 拳がぶつかり合い、素早い足蹴りが何度も繰り出される。いちいち食事のたびに乱馬はこうやって父親と小競り合いをし続けてきたのだ。それなりに強くなるはずだと、あかねは常々そう思った。 「とりゃっ!」 茶目っ気たっぷりの気合で玄馬が乱馬を外に投げ出してしまう。雨が降る中、乱馬は池に突っ込んだ。 天道家一家が頭を抱える。風呂釜も故障しているというのに。 ざばぁっと先ほどとは一回り体の小さな娘が池から這い出てくる。女の姿にかわったらんま、だった。 「こんの・・くそ親父ぃ・・!」 体が小さくなって緩んだ腰周りを帯で締め直す。怒りに狂って、らんまがゆっくり居間に上がろうとしているとそこへ、第二のらんまの団子を狙う輩が現れる。 「おおー!みたらし団子じゃ!いただきまーす!」 丁度帰ってきたばかりらしいずぶぬれの八宝斎が、卓袱台に残っていたらんまの最後の一本を食べてしまったのだった。らんまが悲鳴を上げた。 「こ、このやろー!!」 「うぬっ!?血迷ったからんまちゃん」 完全に血が上ったらんまが八宝斎に飛び掛るが、所詮は怒りに狂った隙だらけの攻撃。八宝斎は素早く翻り、らんまの懐に飛び込む。 「らんまちゃぁぁん!」 「やめんかーー!!」 らんまが拳を振り下ろそうとしたと同時に、くるりとキセルを回しらんまの拳をつついた。少なくともそう見えたのだが。 「わぁぁっ!!」 らんまは八宝斎に吹っ飛ばされた。そうして、団子争奪戦はようやく終了した。 「いつもながら、ご近所迷惑よねぇ・・」 呆れたようになびきがそう言ったのに、天道家一家何度も頷いた。 「結局団子食いっぱぐれちまった・・」 ぶちぶち文句をいいつつ、らんまは雨に当たるまま歩いていた。 かすみがご飯ができるまでに、先に銭湯に行ってくるといいと提案したので、かすみを除く一家総出で銭湯へ出かけたところだった。 「乱馬、傘はいいの?」 「どうせ濡れる」 あかねが心配そうに言うのも、一言で片付けてしまう。 「おじいちゃん、ちゃんと見張っててよ」 「わぁってるよ。」 らんまはめんどくさそうにそう言う。あかねは不機嫌そうならんまを見て、肩を竦めた。 (そんなに食べたかったんなら、せめて一本平らげてから喧嘩すればよかったのよ) しかし、そんなことをらんまに言ったところで無駄なのはよく分かっている。言ったところで素直に聞くわけもない。 「また、おやつはお団子にしてって、おねえちゃんに頼んだら?」 あかねがそう言うと、らんまはようやくあかねを見てにやっと笑った。 「そうだな。そうしてもらおう」 らんまの単純さに、あかねは笑う。そういうからっとしたところは、らんまを好ましいと思う。 それから、銭湯への道すがら、団子の未練をらんまは言わなかった。 銭湯の中で一悶着あったことはいうまでもないが、とりあえず体を温めたあかねと乱馬は帰り道に声を掛けられた。 「あのう、あかね先輩、ですよね?」 あかねは振り返り、小さめの体の少年を見てきょとんとした。乱馬が、誰だ?と言うようにあかねを見つめる。 「・・秋生くん?」 言われて、少年はぱっと顔を明るくした。 「やっぱり!あかね先輩だったんですね。よかったぁ、間違えてなくて」 ほっとした少年がふと乱馬を見て首を傾げる。 「あれ、彼氏さんですか?」 言われて、二人がまさか!と声を合わせて否定する。 「うちの居候をしてるのよ。」 とあかね。乱馬は自分から名乗った。 「早乙女乱馬だ」 「僕は竹垣秋生です。」 にこり、と笑う見た感じ親しみやすい少年のようだった。しかし、乱馬はその少年に何か足りないと思い、心の中で訝しんだ。 (おかしいな・・面識もないのにどうして何かが足りないなんて思うんだ・・?) 「秋生くんはね、私の中学の後輩なのよ。」 「もしかして、おめぇの親衛隊とかそんなんだったとか言うじゃないだろうな?」 乱馬が笑ってそう言うと、秋生は肩を竦め、あかねは難しい顔をした。少し照れているようにも見える。 「・・まじかよ?今時?」 「私に言わないでよ。」 あかねはむっとして言い返すが、いつものような力のこもった言い方ではない。秋生を気遣ってのことだろうが。 秋生はそんなあかねの様子を見て、慌てて言い訳をした。 「でも、昔のことですから!あかね先輩がそういうのは困るって言ってくれて、それでもう止めたんです。今もあかね先輩って素敵だと思ってますけど」 「素敵だぁ?こんなにがさつで色気ねぇのに?!」 すかさず乱馬はそう言った。あかねを素直に誉められる少年を妬ましく思ったのかもしれない、と心でちらっと思いながら。 しかし、あかねもそんな言われ方をするのに抵抗があるらしい。いつもならば乱馬を睨み付けるだろうに、そんな余裕もなく秋生をなだめるようにこう言った。 「あ、秋生くん・・そうだ!うちに寄っていかない?久しぶりだし。おうちの人には連絡しててあげるわよ?」 「わぁ、いいんですか?」 嬉しそうに秋生は頷いた。 「お邪魔します!」 長らく雨の中立ち話をしていた3人は、ようやく天道家への帰途についたのだった。 天道家の門をくぐり、玄関の戸を開く。日本家屋らしい引き戸の音ががらがらと家中に響いた。 「ただいま」 すでに帰っていたなびきがちょうど二階から降りてくるところと三人が、ちょうど鉢合わせする格好になった。 「あら、秋生じゃない?珍しい。どうしたのよ」 「なびき先輩!お久しぶりです。ちょうど僕が銭湯の前であかね先輩を見つけたんで、それであかね先輩に家に誘っていただいたんです!」 気後れもなくはきはきと答える秋生に、なびきはへぇ、と頷いた。 「懐かしいじゃない、あがんなさいよ」 「はい、お邪魔します!」 秋生は靴を脱ぐと、丁寧に靴をそろえて隅に置いた。 「かすみお姉ちゃんに秋生君の分のご飯お願いするから、秋生くん、先に居間で待ってて。乱馬、秋生くんを居間に案内してあげてね」 あかねはそれだけ言うと、台所の方に行ってしまう。 乱馬は気まずそうに秋生を見てから、行こうぜ、と居間へ促した。秋生は分け隔ての無い笑顔を浮かべて、はい!と返事した。 居間の縁側では、早雲と玄馬が将棋を興じている。乱馬の隣に見慣れない子供を見つけて、早雲は不思議そうな顔をしたが、秋生はお辞儀をして挨拶を始めた。 「お久しぶりです!早雲おじさん!」 その声と態度で思い出したかのように、早雲は膝を打った。 「おお、秋生君か!いらっしゃい、よく来たね!」 「誰だい?天道君」 玄馬が不思議そうに秋生と早雲を見比べてそう言うと、早雲が意味ありげに笑う。 「どう説明したらいいかね、秋生君」 秋生は何かを恥ずかしがるように肩を竦めていた。しかし、次の瞬間背筋を伸ばして、こう言う。 「あったこと、そのままで結構です!僕は恥ずかしいことをしたとは思いませんから!」 秋生がそう言うと、早雲は優しげに微笑んだ。まるで、大丈夫だよ、とでも言うように頷くと、玄馬に向き直ってこう言った。 「あかねの中学時代の後輩くんだよ。以前はよく遊びにきてたんだ」 「そうなのかい。」 玄馬は体の小さな少年を見つめてそう言った。早雲が秋生に玄馬のことを簡単に紹介する。 「秋生くん、こちらはそこにいる乱馬くんの父親の早乙女玄馬くんだ。私の修行時代からの友達でね。」 「そうなんですか。はじめまして、竹垣秋生です。よろしくお願いします!」 礼儀正しい秋生の様子に、玄馬は驚いて目をぱちくりさせた。 「天道君、ずいぶん礼儀のある子みたいだねえ」 「そうなんだよ。今時珍しいよねぇ」 早雲と玄馬は互いに頷きあいながら、再び将棋を始めている。 乱馬は既にどっかりと腰を降ろし、なびきもテレビをつけてリモコンを操作している。 秋生は所在無さげにきょろきょろと佇んでいると、あかねが料理を持って入ってきた。もしやあかねの手料理かと一同ぎょっとしたが、お風呂から帰ってきたばかりで幸いそんな時間も無く、お盆の上の料理はかすみのお手製のものばかりだった。 安堵する乱馬を目ざとく見つけたあかねが、睨みつける。 「何ほっとしてんのよ?」 「その理由はおめぇが一番よくわかってるはずだぜ?」 乱馬の憎まれ口にあかねはつんと顔をそらす。 そして、あかねはまだ佇んでいた秋生を見つけ、座ったら?とにこやかに促す。 秋生は照れたようにすとんと腰を降ろした。いつもはあかねが座っているその場所を、あかねは譲ったのだった。自然、秋生は乱馬の隣に座ったことになる。 そこへ、かすみが料理を持ってきて、お客さんを含めた晩餐が始まった。 夕食も終わり、かすみが片付けに立ち上がる。自然にそのままテレビを見る流れになった中で、なびきがそっと乱馬の肩を叩いた。 「ちょっと来て」 すっと通り過ぎるようになびきは部屋を出てしまったので、誰も乱馬を呼びつけたことに気付かなかった。乱馬も、それに倣うように静かに部屋を出る。 なびきは玄関の階段口の壁に体を預け腕を組んで待っていた。 「なんだよ?」 「あの子、うちにあかねを貰いに来たのよね」 なびきにしては珍しく、前金もなしに情報提供をした。乱馬はそれにも驚いたが、その情報の内容にも驚いた。 「はぁ?いつの話だそりゃ」 「あんたが来る前。あかねが東風先生に一生懸命だった頃」 端的になびきは言う。 乱馬はさも興味なさそうに、こちらも腕を組んで見せた。 「それで?俺がヤキモチでも見せると思ったのか?」 「それも面白いけど。ま、でもその時はうちも早乙女家との許婚の件があって、断ってるし。あかねの相手と決まっていないにしてもね・・やっぱりけじめつけるまではあかねの相手としては認められなかったみたいね」 ふうん、と言いつつ、乱馬は頭を掻いた。 「それで、なびきは何がいいたい?」 「はっきりは言えない。私も何か、この話をあんたに伝えておいた方がいい、って気がしただけ」 乱馬は黙っていた。 なびきも何かを感じているようだ、というのが頭の中で引っかかっている。 そういう乱馬も、あの少年に引っかかるものを感じている。未だに、何かが足りないと感じている。 何が足りないのか、思い当たらないのだ。まだ今は。 「まあいいや。とりあえずその話知っていたところでどうなるのか俺にもさっぱりだけど」 「それでいいと思うのよ、今はね」 「今は?」 乱馬は怪訝な顔をしてなびきの顔を覗き込んだ。 「何か知ってるのか?だったら教えてもらおうか?」 幾分凄みを利かせて乱馬は言ったつもりだが、なびきにそんな脅しが効くはずもない。 なびきは面倒そうに目を細めた。 「今は私もわからない、と言ってるのよ。あんたもそうなんでしょ」 「・・確かに」 乱馬も観念したようにそう言った。 「話はそれだけよ。じゃね」 なびきはそのまま階段を上がっていく。居間に戻るつもりはないようだ。 乱馬は別段部屋ですることも無いのでひとまず居間に戻ることにした。 居間に戻ると、さっき部屋を抜けたままの状態でみんなテレビに見入っているようだった。乱馬はテレビを見るともなしに、部屋の一角に腰を下ろした。 外では雨が、昼間と変わりなく降り注いでいるのを見て、乱馬はなんとなくため息をついた。 翌日、秋生は家に帰っていった。 雨はようやく止んでいて、天道家は総出で秋生を見送り、秋生は丁寧にお辞儀をして帰っていったのだ。 丁寧な、優しい子なのだと乱馬は思った。何事もなく過ごせたことに安堵しながら、そして少しでも訝しんだ自分を後悔しながら。 そういえば、家に連絡していなかったのではないかとあかねが電話の受話器を取った時に、乱馬はやはり自分の直感が間違っていないことを改めて知ることになった。 あかねは電話を置いてすぐさま家を飛び出した。乱馬も、それを追った。 同じ学区内だから距離は知れている。あかねと乱馬の足では十分もかからないところに竹垣家はあった。普通の庶民的な家だった。今風の瓦のない屋根で二階建ての、どこにでもあるようなつくりの家だ。 あかねはその家の前で乱馬が追ってきていたことにようやく気付いた。 相変わらず鈍い女だと思ったが、乱馬は何も言わなかった。 あかねは、意を決して呼び鈴を押した。カンコーン、と屋内で軽いベルが鳴り響いたのがかすかに漏れて来た。今から知る事実とは裏腹な、軽い音だった。 「とても急だったから・・」 あかねと乱馬を家に入れ、リビングルームに通して柔らかいソファを勧めてくれたのは竹垣秋生の母、真由子だった。廊下に面したリビングルームとは逆側の部屋に、仏壇が見えた。あかねはそれを見つけて、すぐに立ち上がった。 「お線香、上げてもいいでしょうか」 「どうぞ」 淑やかな夫人だった。何もかも受け止めた、そんな強さも持っているようだと、乱馬は思った。 お線香を上げて、もう一度あかねと乱馬はリビングルームに戻った。 ガラステーブルにはレース編みの敷物が上品に掛けてあり、そこに温かい紅茶が淹れてあった。夫人はどうぞ、と勧めてくれた。 「いただきます」 あかねはそう言って、紅茶を一口含んだ。そうしてやっと、現実味を帯びてきたように目を開いた。今までうつろだった目にようやく光が戻ったようだった。 乱馬のほうも、紅茶のお陰でか落ち着きを取り戻した。 そんな二人を見てようやく夫人は話を始めた。 「今年の夏の、暑い日でした。プールから帰ってくる途中です。交通事故でした」 淡々と、夫人は話す。事実をそのまま話すしか術はない。そんな雰囲気だった。 「あかねさんのことは、それは秋生もうちでも話していました。本当に素敵な方だと伺っておりました。是非私も見てみたいわ、と話していました。」 あかねは肩を竦め、とんでもないです、と小さな声で言った。 「本当にね。不思議な話です。あの子、意識を失う前に一言こう言ったんですよ。『ありがとう、お母さん。僕は秋にもう一度だけ生き返ります。だからまた会いに来ます。そのときはあかね先輩も一緒に』」 乱馬ははっとした。それで合点が行く。そう、あれは魂だとか幽霊だとか、そう言う漠然としたものではなかったのだ。 『生きて』いたのだ。体も、心も。 でも何かが足りないと思ったそれは、おそらく『生気』だ。 それだけが乱馬の感覚に響いたのだ。何かが足りないと。 「そして、本当に会いに来てくれました。あかねさん、あなたがチャイムを押す寸前に」 夫人はどれほど驚いたろう。あかねはその驚きと悲しみを思って、唇を噛んだ。 「私は嬉しかった。もう一度秋生の姿が見られただけで、幸せだった。あかねさん、ありがとう。」 あかねは何も言えず、ただ嗚咽を堪えて頭を下げた。 そんなあかねを、乱馬はただ黙って見つめていた。 竹垣家を去って、あかねと乱馬はそのまま墓地へ足を運んだ。夫人に墓の場所も尋ねたのだった。天道家の墓のある霊園と同じだったので、あかねはすぐさま行くことにしたのだった。 あかねは乱馬に来て欲しいとも、来ないでとも言わなかった。ただ、一緒に行くことが当然のように二人は霊園に足を運んだ。 霊園への道すがら、あかねは花を買った。秋の花といえば秋桜(コスモス)だ。鮮やかな桃色のものと白色に桃色の柄が入ったものを選んだ。 天道家の墓よりも奥のほうに、竹垣家の墓はあった。 墓石に刻印されている文字を見て、あかねはやはり夢でないことを受け止めた。 『竹垣 秋生 享年十五歳』 「乱馬、水、お願い」 「ああ、分かった」 乱馬はすぐにそこから水場のところへ駆けていった。前に天道家の墓参りをしているので勝手は分かっている。 その間、あかねは墓の周りの雑草を抜き、花を取り替える。頻繁に夫人がきているのか雑草もそれほどなく、花もまだしおれてはいなかったが、一応取り替えた。 丁度一通り終えたところで、乱馬がバケツ一杯の水を持ってきた。 「水、かけてあげて?」 「ああ」 言われるまま、乱馬は墓に水をかけた。上からそろそろと流し、墓前にある水受けの水も取り替えるように何度も水を溢れさせた。同じ要領で、花をいけた筒にも水を溢れさせる。 その間にあかねは線香の束に火をつけた。手早く振って火を消すと、ぽわっと煙が一筋空へ流れていく。 いつもは不器用なあかねにしては、恐ろしく手際がよかった。 あかねは線香を立てると、ようやく落ち着いて腰を降ろした。すぐ後ろでも、乱馬が静かに佇む。 あかねは静かに手を合わせた。乱馬もそれに倣った。 そうしてるうちに、霊園での鐘が打ち鳴らされた。十八時の鐘だった。 「秋生君、ひどいなぁ」 帰り際、あかねがため息をつくようにそう言った。 乱馬はあかねになにがだ?と訊いてみる。乱馬はいつも通りフェンスの上を歩いている。 「昨日の夕飯の後、告白してきたのよ。あの子」 「なに?」 乱馬は驚いてあかねを見つめるが、あかねは何事でもないような顔をしている。 「それで?」 気になって、乱馬から先を促すような台詞を吐いたことに、内心舌打ちをしたがもう遅い。あかねが面白そうに乱馬の顔を窺っている。 「気になる?」 「ならねぇよ!」 いきり立って乱馬がそう言うと、あかねはそう言うと思った、とでも言いたげに苦笑いを浮かべた。 「ハイハイ。そうでしょうよ。じゃ、この話はオシマイ」 おどけるようにあかねがそう言うと、なんだよ、と乱馬が憤慨する。 「何よ、気にならないんでしょ?」 「ならないけど、知りてぇ」 あかねはぷっと吹き出した。その仕草に、乱馬は安堵する。秋生の事実のショックが和らいでいることを知る。 あかねは優しく微笑みながら言う。 「単なる好奇心で、と言いたいわけね?」 「あ、当たり前だろ!」 良心の呵責だか、なんだかでどもりが生じる。乱馬は自分で情けなくなる。こんな女一人に嘘をつくこともできないのか。否。 この女だから、嘘つくことはできない。万が一でも嘘一つでどんなに泣かせるか知れないっていうのに、そんなことができるはずもない。 「ま、いいや。話してあげる」 乱馬の葛藤を知ってか知らずか、あかねは話を続けた。 「告白しておきながら、返事はいらないっていうのよ。どうして?って聞いても、秋生君、あのスマイルだけで答えてくれないし」 乱馬は秋生のあの優しそうな笑顔を思い出す。 「でも、これだけ言うの。『先輩が僕を必要とすることが万が一にも無いのは寂しいから、せめてその返事だけは覚えてて』って。」 乱馬は目を見開く。 そうやって秋生はあかねの心の中に滑り込むように入っていったのだ。見事だとしか言いようが無かった。 同時に悔しいとも思う。そこまで素直でありながらも狡猾にあかねの心を掴んだことに、妬ましささえ生まれそうになる。 しかし、乱馬は何も言わなかった。 言ったところで何もならないのが分かっていた。 「どう思う?乱馬」 「俺にはわからねぇよ」 乱馬はあっさりとそう言った。 あかねもそうよね、と言って、それ以上は乱馬に訊ねたりはしなかった。 後日、竹垣家から一枚の走り書きが見つかった。 筆跡は秋生本人のものらしく、そこにはこう記してあった。 『君が僕を必要とするときに僕はいない』 ■END |