【らんま1/2】

■呪泉の水[前編]





 
 三寒四温を繰り返しつつ、最近では随分と日差しは暖か味を帯びてきていた。吹く風も花の匂いを含んでいて、まさしく春の訪れを告げている。
 天道家の庭に植え込んである桜は八分咲きにほころんで、その枝は塀から飛び出している。桜はこぼれるような美しさを庭いっぱいに匂わせて、見る者を楽しませてくれていた。今度の土日には花見ができそうな桜の按配(あんばい)に、将棋を指していた早雲は思わず目を細めた。
「いい按配だねぇ、早乙女君」
「何がだい、天道君」
 どちらかと言えば痩せ型の早雲とは対照に、逞しい体を丸めてうんうん唸っていた玄馬はふと早雲の方に顔を上げた。年頃の子供を持つ父親同士は目を合わせる。早雲は長年の付き合いになる相手を見て、庭の桜の樹に目を促す。
「桜だよ、桜。清々しい気持ちにならんかい?」
 ちょうどそのとき、ふわりと風が舞う。柔らかい音を立てて、桜の枝がやさしく揺れた。早雲は美しい桜の姿にうんうん、と首を頷かせた。玄馬もその桜の美しさに気づいて、旧知の友に相槌を打った。
「本当だねぇ、天道君。」
 しばし二人は桜の美しさに酔いしれた。
 しかし、玄馬は思い出したように将棋板に向かうと、今の自分の状況を思い出して再びうんうんと唸り始めた。どうやら今日の玄馬は旗色が悪いらしい。
 早雲は勝負が見えているのか落ち着いた物腰で傍らに置かれた湯飲みを取ると、ゆっくり茶をすすった。桜の花を見ながら勝利と茶の旨味を味わうのは格別だったのか、ふう、と満足げなため息が漏れた。
「・・ほら、天道君の番だよ」
 ようやく玄馬がそう言った。さっきまで唸っていた顔をようやく晴れ晴れとさせている。ずいぶんと満足そうだ。
「そうかい。」
 早雲は将棋板を見て、将棋駒を進めた。玄馬が、あっ!と騒ぎ立てる。
「どうしたの、早乙女君」
 そ知らぬふりで相手の駒を得て、早雲はそう言った。
「・・はい、王手」
「そりゃないよ天道君。ねぇ、この手ちょっと待って」
 玄馬は拝むようにそう言うが、早雲はつれなく駄目駄目、と笑う。
「早乙女君、もう待った3回使ったじゃないの。いいかげん諦めたら?」
「いいじゃないの、これ一回まけてくれたらこっちのよーかんあげるからさ」
「早乙女君。それは私のよーかんだよ。早乙女君先に食べたじゃないの」
「ええっ、そーだったかなぁ」
「もーこの客寄せパンダ」
「相変わらず仲良しさんね」
 ほほえましい父と友人の姿に、天道家長女かすみが傍に腰を下ろした。持ってきたお盆の上には急須が載っている。
「お茶のお代わりはいかが?」
「おお、頼みますかすみさん」
 羊羹のみならずお茶もすでに空にしていた玄馬はうれしそうにかすみに湯飲みを渡した。早雲も残った茶を飲んでしまうと、かすみの持ってきた盆の上に置く。
「すまんな、かすみ」
 かすみは父ににこりと微笑んでから、父と友人の湯飲みにお茶を注いだ。
「そういえば、今日は随分と静かだね。なびきやあかねは?」
 かすみが早雲と玄馬の傍らに湯飲みを置く。
「なびきは部屋にいるんじゃないかしら。最近休みは通販の内職ばかりやっているの」
 かすみはなびきの部屋の方に目を向けながら、そう言った。早雲はそんな娘の話に複雑な顔をすると、淹れたばかりのお茶をすする。
「あかねは?」
「あかねくんは乱馬と出かけたんじゃなかったかね、天道君」
 玄馬が楽しそうに笑いながらそう言ったので、早雲はそうかと思い出す。
「二人で出かけるなんて珍しいね、早乙女君」
「いいことあるといいね、天道君」
 二人はにま〜っと顔を合わせると、わーっはっはっは!と大笑いし始めた。
 かすみがそんな二人をみてにっこりと微笑んだ。
「本当に仲良しさんね」

「買い物付き合ったら本当にパフェおごってくれるんだろうなぁ」
「なによ。いちいちうるさいわね。ちゃんとおごってあげるからしっかり荷物もちになってよね」
 半ば喧嘩ごしになって話しているのは、言わずと知れた乱馬とあかねである。
 商店街の一角にある女の子に人気の店が、新装開店するので店じまいセールをしていると友達に聞いたあかねは、乱馬に行ってみようと持ちかけた。案の定面倒くさそうにしていた乱馬だったが、パフェをおごってくれるなら、とあかねについて来たのだった。
 家から程近い商店街に近づくと、どうやら噂の店が近いらしく結構な人が賑わっている。
「人、多そうね」
 あかねは意外そうにそう言う。乱馬もちょっと驚いている。
「ああ。ところで・・何買いに来たんだ?」
「かすみお姉ちゃんにヘアアクセサリー買ってあげようかと思って。あとは自分の服とかね」
「ふうん」
 乱馬は気のなさそうな返事をするともう一度その人ごみに溢れた店を見て、やれやれと思う。
「そんじゃま、いくかな」
「うん!」

 小一時間で買い物を終えたあかねは、子供のように急っつく乱馬を連れていつもとは違うパーラーに入った。乱馬はなぜか入る直前に水をかぶり、女の子になってしまっていた。
「あんたってどうしてパーラーに入るとき女の子になるわけ?」
「男がこんなところ出入りしちゃ格好悪いだろうが」
「普段からしてたいして格好よくないくせに・・」
 あかねはこっそりそう言ったが、らんまの方は今からパフェを食べれるのでご機嫌でよく聞こえなかったようだ。
「何か言ったか?」
「ううん。さ、入ろう。ここのパフェおいしいのよ」
 あかねはそう言いながら、うれしそうに入っていった。乱馬もあかねについて店に入った。
 ドアベルがカランコロン、と二人の来店を告げた。
 ウェトレスに席を案内されるや否や、あかねは注文をした。
「杏仁パフェを2つ」
「かしこまりました」
 ウェトレスが下がってから、らんまは不思議そうな顔であかねに訊ねる。
「杏仁パフェ?俺フルーツパフェがいいんだけどな」
「いいのいいの。ちゃんと果物ものってるし、杏仁豆腐が下のほうに重なってるんだけど、それがすごくおいしいのよ」
「へぇ。楽しみだな」
 パフェが来るまで手持ち無沙汰になったので、あかねはさっき買い物した中身を開け始めた。
「これはなびきおねーちゃんに、あとこれもあげよーっと」
 買い物が終わったあかねが上機嫌で買い物したものをテーブルに広げている。
「それにしても、あかね珍しく金持ちじゃねぇか?なびきからモデル代とか徴収したのか?あっ、じゃあ俺ももらえっかなぁ」
 らんまはあかねが広げるいろんなものを見つめながらそう言う。あかねはまっさか!と首を振った。
「あのおねえちゃんが私に分けてくれるわけないじゃないの。ほら、私ちょっと前までご近所の犬のお世話してたじゃない?」
「ああ、足を怪我して散歩が出来なくなった山田さんとこの犬・・ペスだっけ」
「そうそう」
 あかねは袋から出しては入れ、出しては入れを繰り返しながら話を続ける。
「山田さんがね、助かったからどうぞってお礼をくれたのよ。いいって言ったんだけど、どうしても貰ってくれなきゃこっちも困るわ、とか言われちゃってね・・」
「へ〜いいバイトになっちまったんだ」
 らんまはあかねの優しさのおかげだな、と口には出さずそう思う。
「そんなつもりじゃなかったんだけどね。せっかく頂いたものなら家族で使ったほうが小気味いいかなって思って」
 つくづくあかねらしいや、らんまは呆れたようにそう思った。
(こいつってほんとに欲がねぇっていうか・・やっぱ育った環境の所為だろうなぁ。おじさんもかすみさんもなびきもあかねには結局のところ甘いしな)
「そっか。じゃあ俺はあかねの儲けた金でパフェ奢ってもらえるわけだ。へへっラッキー」
「もう、儲けるつもりはなかったんだってば」
 あかねは単純に喜んでみせるらんまを不服そうに見つめていたが、ウェトレスがようやく注文した杏仁パフェを運んできたので、あかねは慌てて買い込んだものを仕舞うのに一生懸命になった。らんまの方はというと、杏仁パフェと呼ばれたものを見つめて、うひょーと悦びの悲鳴を上げている。
「すっげぇな!このボリューム!このフルーツの量!たまんねぇ、いっただっきまーす!」
「あんまりはしゃがないでよ。子供じゃないんだから・・」
 ようやく物を仕舞い終えたあかねが、らんまの声を聞いて恥ずかしそうにそう言った。らんまの方はそんなことに頓着もなくパフェをすくい頬張る。
「〜〜ん〜〜め〜〜っ!!」
「でしょ!ここのパフェがいいってゆかが教えてくれたのよ」
「ああ、アイツ甘党だからな」
「あんたも負けず劣らずそうでしょうが」
 パフェをぱくつきながら、まるで女友達のように話す二人。本当に不思議な奴だとあかねは思う。普段は憎たらしい居候。たまに仲のいい女友達。稀に頼もしい許婚。
「・・変なの」
 思わず自分の思いにくすっと笑うと、らんまがパフェのラストスパートをかけていた手を止めて、あかねを見つめる。
「あんだよ?」
「ううん、なんでも」
 らんまは訝しげな顔をしていたが、すぐにパフェをかっこむことを思い出し、グラスを持ち上げて残りを口に流し込んだ。
「ぷはーうまかった!」
「もー女の子が来る所だって思ってるんならもっとましな食べ方してよ」
「そんなんじゃ食った気しねぇもん。よっし、これでお前の荷物持ちをすりゃチャラなんだよな。軽い軽いっ」
 らんまはご機嫌にそう言っていると、ふと窓を見つめてからやばっ!と声を上げる。
「しゃ、シャンプーだ!」
「え?」
 らんまの声にあかねもつい窓の外を見つめると、本当だ。シャンプーが出前用の自転車でこっちに向かってくる。真正面に。
「ちょ・・ちょっと!」
 あかねは思わず席を立って窓ガラスから離れると、あかねの真正面にらんまがすっと立った。小さい体を厭いもせず、許婚の体に傷一つつけまいとするように。
 らんまがあかねの目の前に立ちはだかった直後。
がっしゃーん!
 大窓のガラスを割って自転車ごとシャンプーは乗り込んできた。
「乱馬ー!!こんなところで会えるなんて大歓喜!」
「無関係な店に突っ込んできて言うなっ!そんな台詞っ!!」
 シャンプーは自転車を乗り捨ててらんまに抱きつくと、すりすりと頬擦りしている。
「私に会えて嬉しいのだな乱馬」
「嬉しくねぇぇぇ!」
 あかねはいつもながらの光景に呆れた目をしていたが、それでもこの光景を止めさせる方法は心得ていた。破壊されていないテーブルにあるお冷やを失礼して、それをばっしゃとシャンプーにかけてやった。
 シャンプーは瞬時に猫に変身してしまう。今度はらんまが大騒ぎだ。
「ねっねっ猫だぁぁぁぁ!!」
 らんまは猫恐怖症なのである。情けなくも半べそをかきながらシャンプーから逃げるべく、お店を脱走していった。そしてまた、いつものごとく、あかねはそこに一人取り残される羽目になるのだ。
「はぁ・・いつものこととはいえ・・」
 あかねはがっくりと肩を落として息をつくと、椅子に置いてあった荷物を破片に気をつけながら拾い上げた。
「大丈夫?」
 親切なウェトレスに声をかけられ、あかねは、思わずすみません、と言いそうになって目を丸くした。
「さゆり!」
「へへ。あかね、びっくりした?」
 なんとウェトレス姿をしたクラスメートのさゆりだったのだ。
「なんでこんなところにいるのよ!」
「バイト〜。ここの店長優しいんだよ。うちの学校もユルイからバイト平気だしね」
 短いスカートに可愛いエプロン姿のさゆりはとても可愛かった。あかねはへえ、とさゆりの姿を見て微笑んだ。
「可愛い。よく似合うね。さゆり」
「ありがと。ねぇ。さっきの乱馬くんとシャンプーでしょ?放っておいていいの?」
 あかねはさすがにクラスメート、事情もよく把握してるだけにイタいな、などと思いつつ気丈に返事をした。
「いいのよ、どーせいつものことだもん」
 あかねは荷物を抱えなおすとそう言った。さゆりが気の毒そうにその荷物を見つめる。
「だって、その荷物乱馬君に持たせるつもりだったんでしょ?重そうだよ・・」
「平気平気。こんなのダンベルで鍛えるつもりで帰ればね。それよりお店大変にしちゃって・・」
「シャンプーの仕業だし、あかねが気にすること無いわよ。この商店街ではシャンプーの器物破損には手馴れたもんよ。ほら、みんな何も言わず片付けてるでしょ」
 言われてみると、ウェイター達が進んで片付けをしている。早く片付けて営業を再開することの方が重要なのだろう。
「へえ・・」
 なんだか褒めていいのか呆れていいのか複雑な状況である。
「邪魔になるといけないから、私は帰るわ。お会計は?」
「ああ、やるやる。ついてきて」
 さゆりにつれられてレジに向かう途中、店にはアンバランスな瓶がオブジェとして並んでいるのを見て、あかねは思わず足を止める。まるで酒瓶のようなものや、西洋の美しいガラスの瓶などなんだかめちゃくちゃに陳列されているのだ。
「ね、あれって店長さんの趣味なの?変なの」
「あ、そうなの。ここの店長随分世界巡りした人らしくて。記念にいろんなところの瓶をもちかえってるらしいのね。」
「へぇ・・と、あれ?その瓶・・『呪泉の水』って書かれてない??」
 あかねは驚いてその瓶を手に取ると、その瓶にはなんと中身がある。ずしりとあかねの腕に重みがかかってくる。
「呪泉の水・・もしかして中国の呪泉郷の水・・・?」








←←TOPへ←目次へ→NEXT
Copyright 2003 BY SAE