【らんま1/2】台詞お題30より

■10「無理 無理 無理 無理!」









 梅雨明け間近の空模様はいつもどんよりとしていて、空気までもが重く湿っているようだ。雨が降っていなくても風は妙に生ぬるくて気持ちが悪い。乱馬は道場で一通り稽古を済ませると、タオルを濡らそうと一旦裏手の勝手口側に回り外壁に取り付けてある蛇口でタオルを湿らした。縁側に回ると、なびきがちゃぶ台から縁側に向かって寝っ転がっていた。乱馬はまずい、と思ったが遅かった。なびきの先制攻撃は早かった。
「さっきのこと、考えてくれた?」
 乱馬は答えず、しかし逃げることも叶わないことを瞬時に悟り、仕方なく縁側に座った。
「べっつにさー」
 スナック菓子をぽりぽりと咀嚼しながら、なびきは雑誌をめくっていた。何の雑誌かと乱馬が覗き込んでみたが、どうやら通販のカタログのようだった。
「無理難題押し付けようとしてるんじゃないのよ。ちょっと付き合ってくれればいーの」
「そのちょっとで5千円かよ。やけに割がよすぎるじゃねーか。なにか裏があるんじゃねぇのか?」
 乱馬はいぶかしげな表情でタオルを絞りながら汗を拭いていた。湿度が高い日の稽古は、気温が高くなくてもひどく汗を掻く。しかし、今吹き出ている汗は稽古の所為ではないような気が乱馬はしていた。
「何言ってんのよ、疑いすぎよあんた。ちょっと遠出の買い物付き合ってくれるだけで5千円なんて、こんなご時勢にこんなに割りのいいバイト今時ないんだから感謝くらいしなさいよ」
 威張りくさった物言いは天道家の家系なのか?などと、乱馬はぼんやりと思いながら、尚も抵抗した。
「だいたいっ、俺じゃなくてもいいんだろ!?」
「だから最近変な視線を感じるからボディガードがてら付き合って、っていってるでしょ。乱馬くんが怪我するとは思わないけど保険代わりに割高なの。ただし、それ以上の損害賠償は請け負わないけどね」
「俺が怪我するほどのやつがいるなら、逆にお目にかかりてぇもんだ」
 自信満々にそう言い返してから、しまった、と思った。
(これじゃあ、断っているどころか・・。ちくしょう・・はめられた!!)
 乱馬が思考しているその間に、なびきはさっさと雑誌とお菓子を片付け、立ち上がるとにっこり微笑んだ。
「でしょ?そーよね、乱馬くん強いもの。ってなわけでお願いね?」
 ぽんっと肩に手を当てて、すたすたと歩いていってしまうなびきを見やってから、乱馬ははぁ、とため息をついた。

 その日の午後、乱馬となびきという珍しい組み合わせで出かけることになって、乱馬が変な気分だった。本当にほとんどの時間をあかねと過ごしているんだな、ということを自覚してしまって乱馬はなんだか急に恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「なに赤くなってんの?」
 なびきはあかねには似ずそういうところをすかさず見つけてしまう。
「な、なんでもねぇっ」
 乱馬はあわててフェンスの上に飛び乗ったが、なびきの方は乱馬の考えなどすっかりお見通しのようににんまりと笑って見せた。
「誰かさんじゃなくて、ごめんねぇ?乱馬くん」
「な、なに言ってんだよっ!俺は何にも言ってねーぞっ!!」
「私も何にも言ってないわよー」
 あかねとは違って、なびきへの口八丁手八丁はいつもあっさりとかわされる。暖簾のれんに腕押し状態だ。手ごたえもないし、効き目もない。なびきは本当にやりにくい相手なのだ。
「ったく、買い物くらい一人で行けっつーんだよ」
「ぶつぶつうるさいわね。あんた、あかねが買い物に誘うときもそんな風なの?しまいに愛想つかされても知らないわよ」
「うるせーっ!!」
 言っても言ってもやぶへびにしかならないので、余計なことを言わないほうがいいな、と乱馬はようやくそう思い至った。
 一応ボディーガードという名目ではあったので、乱馬はあたりの気配も気にしながら歩いていた。だが、なびきへ向けられる悪質な視線は感じられなかった。黙々と歩きながら、なびきに恨みを持つような奴なんてどんな奴だ?などと乱馬は思案してみたが、一番恨みを持つ可能性が高いのはいつもしてやられている自分じゃないのか?などと間抜けなことを考えていた。
 商店街にたどり着いたころにはボディガードのことも忘れて、とりあえず早く解放してくれ、と辟易した思考を頭いっぱいに蔓延はびこらせて、乱馬はなびきの後ろをついていった。なびきが目指したのは最近女子の間で噂になっているアクセサリー用品の店だった。乱馬は一度あかねが見たいと言ったので一緒に以前入ったことがあった。確か、そのときはあかねに、そんなもんいつつけるんだ、なんて事を言ったものだから一発ぶたれたのを思い出した。
「あ、これよこれ」
 ガラスケースに入っている指輪を見ながら、なびきがそういった。きれいなガラス細工の花が咲いた繊細なデザインの指輪だった。乱馬はぼんやりとあかねに似合いそうだな、と思った。
「これください」
 なびきは店員を呼んでさっさと会計を済ましていた。乱馬はこんな店に長居するのが落ち着かなくて、外で待っていようと店を出た。
「ありがと、乱馬くん。とりあえず任務達成ね。はい、お金」
 店から出しなになびきがそういって、ぴらりと5千円札を差し出した。さすがに現金を目の前にチラつかされると、乱馬も機嫌がよくなって喜んで受け取った。
「サンキュー!なびき」
 なびきは渡してしまうと、さ、帰るわよ、と淡白に歩き始めた。
 商店街から抜けたころになびきが家に着くのに待ちきれなかったのか、買ってきた指輪の包装を解いて開き始めた。乱馬はあかねだったら「そんなもの家についてから開けろよ」だとか「落とすぞ」とかいってやるのだが、自分は今のところただの用心棒に過ぎないので黙っていた。
 過剰包装の権化のような包装紙をようやくどけてから、なびきはやっと手にすることができた指輪をはめてみた。と、なびきはぴたり、と足を止める。
「・・・?どうした?」
「うかつだったわ」
 くるり、と踵を返してすたすたと歩き出すなびきに驚いて、乱馬はあわてて追いかけた。
「どうしたんだよ?」
 なびきがすたすたと歩きながら、淡々とこう答えた。
「サイズ、合わないのよ。これじゃ大きいの。これくらいならあかねに合うんだろうけど・・」
「じゃあ俺が買う!」
 ぴたり。
 二人の足が同時に止まった。
 二人の周りだけが一瞬だけ時が止まったかのように。
「・・乱馬くん?」
 驚愕しきって呆然としたなびきが、乱馬を振り返った。
「え?あれ?」
 乱馬はだらだらと冷汗を流しながらなびきの視線を受け止めていると、なびきが何を勘違いしたのかああっとよろめいた。
「乱馬くん、それ以上女装の技を磨いてどうするのよ!」
「ちっ、ちがーう!!それはあ・・」
(やばいってやばいってやばいって!!)
 はしっと自分の口を自分の手で覆いながら、乱馬は冷汗をだらだらと流した。
 しかし、なびきにはもちろん乱馬の意図が分かったようで、ま、いいわ、とにんまり笑っていた。
「でも、これ安くないのよ、いっとくけど」
「いくらだ・・?」
 おそるおそる、乱馬が聞いてみると、なびきはびっと人差し指を立てて微笑んだ。
「一万円」
「・・5千円にまけてくれ」
 仏頂面でそういうと、なびきはあきれたように手を腰にやってふんぞり返った。
「何言ってんの。いきなり半額じゃないの」
「俺だっていっぱいいっぱいだ」
「それは知ってるけど」
 乱馬が貯金などしているわけがないことは百も承知ななびきであるから、さっき渡した5千円以上は出せないことは分かりきっている。かといって5千円で手放すのも惜しいし、あかねが喜ぶ機会を失うのも惜しい。なびきは腕を組んでしばらくうまい取引がないか考えていると、不意に面白いことを思いついてこう言った。
「わかったわ乱馬くん。かわいい未来の弟のために私は断腸の思いで5千円で指輪をゆずることにするわ。でもね、条件があるの」
 いきなり聞き分けがよくなったなびきに後じさりしながらも、乱馬は背に腹は変えられないとばかりに答えた。
「な、なんだよ・・」
「ずる賢いあんたのことだから、誰かさんに渡すのを自分からと分からないようにそれとなく渡して逃げる戦法をとると思うけど・・それ、だめだからね」
「・・・げっ!」
「ちゃんと手渡して」
 無情にも手渡す、という限定した条件をなびきは出した。
「・・そっ・・それはっ・・」
 乱馬は乱馬の方で、渡す方法まで考えてなかったのか、完全に意表をつかれて顔面を蒼白にさせた。
(そーか。あれを買うって事は渡すって事で渡すって事で渡すって事で・・うわ、無理無理無理)
「なに?それくらいもできないんだったら、私は譲れないわよ。返品してこーようっと」
 軽やかにスキップを踏むような調子でなびきが再び踵を返すと、乱馬はあわてて手をばたつかせた。
「わわわ、待て待て。飲む!その条件飲むから!」
「商談成立〜まいどありっ」
 なびきがうれしそうに笑い、乱馬に指輪を手渡し、なびきは5千円札を受け取った。

 その、後日。
 なびきはあかねの指にいつあの指輪がはめられるかじっと見守ってが、いつまでたっても指輪がはめてこないので、とうとうあかねに聞いてみることにした。
「あかね、乱馬くんからなにか貰わなかった?」
 唐突に言われた内容に、あかねは一瞬きょとんとしたがすぐに笑い飛ばした。
「なーに?乱馬が私に何かくれるなんてあるわけないじゃない。どっちかっていうと乱馬はかっぱらう方よ」
「ま・・まー、そうだけど」
 あかねは不思議そうな顔をして、変なお姉ちゃん、と一言言うと自分の部屋へとさっさと戻ってしまった。玄関で残されたなびきはその足ですぐに道場に向かった。
「乱馬くん!」
 なびきが道場の引き戸を開いて稽古している乱馬を呼ぶと、乱馬はぎくりとしたようになびきを見た。
「よ・・よー、なびき」
「あんたまだ渡してないの?約束が違うじゃないの」
 なびきは憤然として腕を組むと、引き戸に寄りかかった。高圧的な態度を見せるのも家系なのかもしれねぇ、と乱馬が思ったくらいなびきの形相は険しかった。さすがに早雲の娘だけのことはある。しかし、なびきのこの攻撃は乱馬には予想しえたものだったので、乱馬は心の中でほくそ笑んでいた。言い訳ならちゃんと考えてあったのだ。
「渡すときには手渡しって条件は飲んだが、すぐに渡すとは言ってねぇからな」
「ははぁん、そういうこと?じゃ、わかった。あんたの決心がつくまでは5千円はトイチよ」
 すんなりと、なびきはその応酬をかけてきた。そこまでは浅はかな乱馬には考えも及ばず、今までの余裕な態度は一気に取り払われた。
「な、なんでだよっ!」
「そりゃーそうよ。条件が満たされるまで、貸した5千円は浮いたままなんだから。それとも今すぐ払う?それなら、条件は無しよ?」
「・・・」
 乱馬は愕然として手を床についた。この応酬には返す言葉もない。5千円なんていう大金を乱馬が持ちえるはずがないのだ。
「じゃ、頑張ってね〜」
 なびきの方はすっかり機嫌が治ってしまい道場を後にしたが、後に残った乱馬は獅子咆哮弾を打ち出せそうなほど落ち込んでいた。
「無理無理無理無理・・!」

―――乱馬があかねに指輪をどう渡したかは、また別の話。(多分)








■END


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