音鳴る氷



 波に乗って流れ着くのは、氷の塊ばかり。
 冬に近づくに連れ、ここエルランドの港は寂しさを増していく。
 商人や観光客がひしめき合うのは短く涼しい夏の間だけで、今この時期に町に明りを灯すのは住人たちの暮らしの灯火のみだ。
 もの寂しげな町の明りを帯びた海は、氷がぶつかる音を時折ごつ、ごつと空に響かせていて、殊のほか不機嫌そうに見えた。
 ただ明日を不安に思って、アンジェラは眠れずにこの海岸に来ていた。
 明日、アンジェラがアルテナ城を飛び出してから、以来、初めて登城する日だった。母は魔導師の思うが侭となり、捕らえられた。聖域で奪われたフェアリーと母を取り戻すための大事な日。しかし。
 アンジェラの中の不安は今までにないほど膨れ上がっていた。魔導師は約束通り母とフェアリーをすぐに返してくれるだろうか。二人とも無事でいるだろうか。一番アンジェラの心を潰すのは、母が久しぶりに会う娘にどういう反応をするのか、ということだった。
 そうこう考える間にも氷は何度もぶつかる音を鳴らし、その、波の音とともに鳴り響くくぐもった重い音に、アンジェラはしばし耳を澄ませていた。
 ふと、誰かが砂を踏んで近づいてくるのに、アンジェラは気づいた。
「何をしてるんだい?」
砂の蹴立て方が違う、と分かっていたにも関わらず、アンジェラは安堵とも落胆ともつかないため息を吐かずにいられなかった。でも、それを気づかれたくないあまり、アンジェラはすばやく笑顔を声のする方に向けた。
「ホークアイこそ」
 にこり、と明るく笑うのはいつものアンジェラの表情。その表情に少し気圧されたようにホークアイは立ち止まった。アンジェラはそれでも笑顔を崩さずに首をかしげた。
「どうしたの?立ち止まったりして」
「いや、なんか急にアンジェラの雰囲気が変わった気がしたから・・」
「雰囲気が?」
 アンジェラはふとまた海を見詰めてみる。
「私がこんな風に静かに海を眺めてるのが珍しいってこと?」
「いや、そういう直接的なことじゃなくて・・なんとなく、なんだけど」
 ホークアイが言いたいのは、おそらくアンジェラの心の中の心情なのだ。分かっている。でも、ホークアイのいっていることをアンジェラは認めたくはなかった。認めるということは、すなわち自分の弱みを吐露することに等しい。アンジェラにはまだそれほどの勇気はない。
 だから、誤魔化すように笑う。その類希な美しい顔を笑顔に満たして。
「変なの。ホークアイ。あなたはいつもそんな歯に布を着せたような話し方しないのに」
 アンジェラは海を見詰めたまま、ホークアイをからかうようにそういった。ホークアイは黙ってアンジェラの方を見つめていたが、やがてつられたように海を眺め始めた。
「すごいな・・流氷か・・」
「ええ。観光にはうってつけかもしれないわね。でも、この流氷はここエルランドへの人の波を途絶えさせる・・船がここまで来ることはできないから。」
 アンジェラは王女らしくその問題を指摘して、息をつく。その合間にも、氷のぶつかる音が何度か耳に響いてきた。
 二人はしばらくただ海を眺めていた。すでに来たころあった街の灯火は消え、夜の海は闇に染まってしまったかのように全てが黒く塗りたくられていた。
「寝ないのかい?明日はアルテナ城に潜入するっていうのに・・」
 少し心配したようにホークアイがアンジェラに声をかけた。しかし、アンジェラは首を振る。
「もう少しここにいたいの・・。ホークアイ、先に戻っていて。大丈夫、体が冷える前にはきっと戻るわ」
 ホークアイは少しアンジェラの方をみてから、わかった、と呟くと踵を返した。と、思ったら、突然荒々しくアンジェラの方に砂を蹴立てて近づいてくる。アンジェラははっとホークアイに振り返ろうとしたが、すでに後ろからさらう様に体を捉えられ、抱きしめられていた。
「あっ・・!?」
 一瞬何が起きたのか分からず、アンジェラは悲鳴を上げるのも忘れて、気づいたらホークアイに後ろから抱きしめられている自分を自覚した。明らかに驚嘆の表情だったが、アンジェラにとってホークアイは仲間であり、弟的な存在で、すぐにその戯れにアンジェラは微笑んだ。
「吃驚したわ。どうしたの?一体」
「その割には悲鳴も上げないだね・・、アンジェラ。俺は男で、君は女。それなのにどうしてこの状況を微笑むことができるんだい?」
 アンジェラは静かに、たしなめるようにホークアイの頬に手をやる。
「あなたを信じてるからよ、ホークアイ。あなたは私を傷つける存在じゃないからよ。」
「傷つける存在ではない、ね・・。正しくは「傷つけるほどもない存在」だからだね。俺と君にはそもそもそんな関係は成り立たないってことか。でも。」
 アンジェラはホークアイが何をいわんとしているのかをすばやく察知して、嫌がるようにホークアイから逃れようとした。
 しかし、ホークアイはより力を込めてアンジェラを束縛する。
「ねえ、アンジェラ。もし、俺でなくて、デュランだったら?」
「同じよ。信じてるなら、ホークアイと同じ。ねえ、どうしてそんなつまらないことで私を束縛するの?」
 アンジェラは少し困惑するようにホークアイを見た。ホークアイはそんなアンジェラをもう一度緩く抱きしめる。
「心配だよ、アンジェラ。君は一人でなんでも背負ってしまう。自分がどんなにか細い腕をしているか気づきもせずにね。」
「どうして?どうしてそんなことを思うの?」
 アンジェラは胸の中の不安を仲間に吐き出したことは未だ1度もなかった。女としての悩みとも、王女としての悩みとも考えていたので、二人の仲間にはいったところで理解してもらえないだろうと思っていた。更に、アンジェラ自身、自分の弱さを吐露することによって自分を弱く陥れたくはなかった。
 なのに。気づかれていたのだろうか?
「デュランが言っていた。あいつは自分の中に全てを仕舞い込んで苦しんで、それを涙にすることも、口で吐き出すこともできないんだ、ってね。でも、俺には何もできない・・それが分かってても、何も力にはなれないって、デュラン、そう言ってたよ。」
「・・うそ・・!なんで・・どうして??」
 アンジェラは一気に混乱状態になった。今まで自分の中に押し込められてきたものが、一気に緩んで溢れそうだった。
「言ってないのに・・私、一度も言ってないのに・・!」
「アンジェラ・・俺達もうどれくらい同じ時間を過ごしてると思ってるの?出会ってからずっとほとんど同じ時間を共にしてきたし、お互いの事情も旅を進めながら徐々に理解してきてる。アンジェラが口にしなくても、見えるものは沢山あるんだよ。」
 アンジェラは呆然とホークアイを見上げていた。ホークアイも優しい瞳でアンジェラをみていたが、ふと浜辺の大きな岩の陰を見つけて不敵に微笑んだ。
「ほら、そろそろ出てこいよ。デュラン。気になってしょうがないんだろ?」
「えっ!?」
 アンジェラは慌てて、ホークアイが呼んだその方向に目を走らせた。岩陰から、デュランが二人に向かって歩いてくる。いつからいたのだろうか、彼は今のこの海のごとく不機嫌そうだった。
「いいかげん離してやれよ、ホークアイ。アンジェラはもう逃げないだろ?」
「あ・・はいはい・・承知しましたよ、マスター」
 ホークアイはおどけながらアンジェラを解放した。アンジェラがほっと息をついて深呼吸すると、デュランは大丈夫か?と声をかける。
「え、うん、平気平気。吃驚しただけ」
 胸をなで下ろしながらアンジェラがデュランにそういうと、デュランはいつもとは違う優しい瞳で安心したように頷いた。が、すぐにホークアイを見つめて、睨む。
「お前は・・もうちょっと考えてやれよ。今アンジェラを動揺させてどうするんだ。」
「それはそうだけどさ。ほっとけないんだよ、誰かさんと違って」
「なんだとぉ?」
 思わず剣も携えてないことにも気づかずに、デュランは身構えてしまう。ホークアイも冗談めかして身構えるのをみて、アンジェラははいはい、やめやめ、と手を叩いた。
「二人とも見た目よりずっと優しいってことは十分分かったわ。それでいいでしょ?」
 アンジェラは年下の二人をまとめるようにそういった。
「見た目よりって・・」
「どういう意味だ?」
 一瞬不満気な表情で二人は顔を見合わせる。その様子を見てアンジェラはあははっと笑う。
「さ、冷えてきたし、そろそろ戻ろうよ。明日はまた大変なんだしね!」
 アンジェラはにっこりと曇りない笑顔を二人に向けると、さっさと宿屋の方に向かった。彼女の足取りはいつも通りの軽やかさだった。
「・・いつも通りに戻ったみたいだな。」
 やれやれ、と胸をなでおろしてホークアイが息をついた。デュランもその言葉を聞いて、頷く。
「あいつは勝手に落ち込んで勝手に独りになろうとする癖があるからな・・。夜出歩くのが危ないことが分かりそうなもんだが・・」
「独りになりたいときもあるさ。」
 同情するようにホークアイがそういった。
 もともとは一国の王女。運命に惑わされさえしなければ、城から出ずとも何不自由なく一生を送ることができたはずの血筋。それでも、運命にめげず、彼女は強い願いを抱えて自らの道を進んできた。
「独りになって考えたくなることもある、泣きたくなることもある。口で大きな事ばかりいってても、ただの女の子だからな。」
「そんなもんか・・?」
「って・・分かってやれっていったのはお前の方だろ・・」
「そうだけどさ。難しいな・・王女って」
 デュランが眉をひそめて頭の後ろに手を組む。その姿を眺めながら、ホークアイはちょっと苦笑いしたが、あ、と何かを思い出したように口を開いた。
「デュラン、お前ちょっと前に”アイツは何でも自分で仕舞い込みすぎる”ってぼやいたことあったよな?」
 デュランはそれを聞いて、ん?とホークアイに顔を向けた。
「・・ああ。前に今日みたいにアンジェラが一人で夜歩きしたときだろ?たしか・・マイアの街で。アンジェラが昼間、大地の裂け目でアルテナの魔導師達に抹殺指令を知らされたときだ・・」
「尾行してるだけにしたけどな・・あの時は」
 大地の裂け目の橋の上で、アルテナの魔導師達が待ち伏せをしていた。アンジェラが母親である女王から抹殺指令が下されている、と。アンジェラはあまりのショックにその場で泣き崩れてしまった。そのあとのマシンゴーレムとの戦いは筆舌に尽くし難い。まだ魔法もそれほど覚えていないというのに、威力はいつもの数倍で、完全に暴走してしまっていた。
 しかし、それから宿に戻るまでアンジェラは一言も話すことなく、宿に戻るや否や部屋に閉じこもり、やっと物音を立てたのは真夜中であった。ふらりと力なく部屋を出るのを、デュランもホークアイも予感していたように彼女を追ったのだった。結局今日と同じく港の方に出て、呆然と海をみつめていただけだった。
「それで?その俺の言ったことがなんかあんのか?」
 デュランが不思議そうにホークアイに問い掛ける。すると、ホークアイはにんまりと人のよさそうな笑みを浮かべた。あまりにそれが極端で、デュランは悪寒を感じてしまう。
「なんだよ。早く言えよ」
「いや。たいしたことないけど、その言葉に尾鰭をつけてアンジェラに言ったことを一応いっておこうと思ってな」
「お・・オヒレって何だよ?」
 思わずデュランは声が裏返りそうになるのをこらえてそう口走った。
「さてねー・・とりあえずアンジェラが少しでも元気になるような尾鰭さ。さて、もう寝ようぜ?」
 ホークアイはいつもの俊足ですばやくデュランの攻撃をかわすように宿へ向かってしまった。
 デュランは何かちょっと落ちつかなげに腕を組んで歩いてみたが、さっぱり予想がつかず、とりあえず寝た方がいいということだけ考えて、力強い足並みで宿に向かう。
 小波は変わらずその音を轟かせていた。ごつ、ごつという氷のぶつかる音も、初めと全く変わらぬままに。



FIN.


Copyright 1999 BY SAE