運命の人
1.リウラの魔法
魔法王国アルテナは今日も雪がしんしんと降り続いていた。まるで音のない世界のような静けさに包まれたこの平原では、時折ポトが足跡を残して横切るときくらいにしか、動くものはなかった。
大きな牡丹雪。すでに視界は一面の銀世界が広がっているというのに、雪は止む気配もない。
「大変なところだな。五年前と少しも変わらない」
一度息をつくと一人の男が平原の真ん中で立ち止まった。歩くたびに積もった雪に足が埋まる。それをまた引き上げて前に進ませても、足はまた雪に沈む。そのせいで、この雪では歩くだけでも大変な労力を使う。
「自然の猛威とは恐ろしいものだな」
男はまた一人ごちた。台詞と声色にはまだ余裕が感じられるところを見ると、随分な体力の持ち主らしい。見た目は細身で今にも倒れそうな体格をしているのだが。
「さぁ、早くお城に向かわなくては」
自分を奮い立たせるように男はそういうと、再び足を進ませた。男のブーツが残した足跡がそこからまた点々と続いていった。
「ホセ爺?今日は魔法の時間じゃなかったかしら?」
アンジェラがひょいとホセのいる図書館に顔を出す。
ここはアルテナ王立図書館。アルテナ城内に設備されていて、アルテナ国民ならば誰でもこの図書館を利用することが出来るようになっている。国外の者も申請が通れば利用は可能だという。実際には、ここの図書館は多くが魔法の文献ばかりなので国外のものには理解し難いのが現状だが。
「おお、そうですが・・お時間はまだ早いようですぞ、姫様」
「あらそう?だって今日から新しい章に入るんでしょ?なんだか楽しみになっちゃって」
新しいもの好きのアンジェラが気持ちの高揚を抑えきれず、わくわくといった様子でホセにそう言うと、ホセは笑った。
「向学心旺盛なのはよろしいですが姫様。準備がまだ整っておりませんのじゃ。」
「準備?だっていつもの魔法陣の魔法ならある程度の場所があれば練習できるじゃない」
アンジェラは不思議そうにそうホセに言うが、ホセは読んでいた本をぱたりと閉じるといいえ、と答える。
「今度の魔法は魔法陣ではありませぬ。」
「あら、違うの?」
ちゃんと本の予習してくるんだったわ、とアンジェラは肩をすくめた。ホセはそんなアンジェラを叱るでもなく見つめると、こう言った。
「魔法陣の能力を引き出すための魔法です。」
「そんなものが?」
アンジェラは嬉々としてホセに顔を寄せた。
魔法陣は現在アルテナ城への冷気と雪を遮断するための魔法として実利用されている。しかし、そのマナへの間接魔法である魔法陣ですら、最近威力が低減しはじめていることにアルテナの女王ヴァルダは気づいていた。魔法陣の威力がこのまま低下していけば、アルテナ城はこの豪雪にさらされ、国内では次々に凍死者が続出し始めるだろう。
魔法によって築いてきたアルテナ国家の存続が、今、事実上危機に瀕していた。
しかし、魔法陣の能力を今以上に引き出すことの出来る力があるとすれば、まだ望みはあるということだ。アンジェラはそのことに喜んだのだった。
「魔法陣の利用を提言したのはホセだったものね。次はどんな裏技を思いついたの?」
嬉しそうにアンジェラはそう言うと、ホセはアンジェラの言葉に含み笑いをしつつも、こう答えた。
「姫様、私が調べたところによりますと、昔、この地はおろか、世界全体が冷気で閉ざされたことがあったそうです。人々は寒さで凍え、老人や子供の命が次々と消えていく・・そんな時代があったそうです。」
アンジェラはぎくりと体を震わせた。いつかアルテナがそうなるのではないかと今までに何度も見た恐怖の夢を思い出して。
「そのときにリウラの魔法というものが使われたようです」
「リウラ?」
アンジェラはおうむ返しにそう訊いた。
「リウラというのが個人を指すのか種族を指すのかは、文献には載っておりませんでした。しかし、そのリウラの魔法を習得しさえすれば、アルテナ国民はこの冷気と戦っていけるはずです。昔、私達のご先祖がそうしたように」
ホセはまるで最後の頼みの綱だと言わんばかりに、握った拳を震わせていた。
アンジェラはそんなホセに気づいて、息をつく。ホセは人一倍アルテナのことを大事に思っている。おそらく自分自身よりも。だから、老体に鞭打ってでも文献を読み漁り、アンジェラに魔法を教え、国家の対冷気用魔法陣の製作にも陣頭指揮を執っている。(ちなみに、製作された魔法陣に魔力を貯めるのが女王ヴァルダの役割になっている)
アルテナという国が実際問題この老人の腕一本にかかっている。しかし、そのプレッシャーよりも、ホセは真実アルテナを守りたいと思っているだけだ。
だが、彼をそこまで駆り立てるのは一体何故だろう?
アンジェラはそんなことを考えながらも、ホセの震える拳に手をやった。
「昔の人が実際それで乗り越えてきたって実証されている方法だものね。それにホセがそれを使えるって思ったんだもの。きっとうまくいくわ。」
アンジェラはにこりと微笑んだ。ホセも、嬉しそうにアンジェラに微笑み返した。
「おおっ、それなら姫様、一日も早くそのリウラの魔法を修得してきてくだされよ!」
ホセの言葉に、アンジェラはえ?と訊き直した。
「くだされよって・・ホセはそのリウラの魔法、知らないの?」
「ええ、リウラの魔法についての文献はなく、私ではすでに理解しきれぬ領域の魔法ですので。」
アンジェラは驚愕のあまり口が利けなくなった。文献も残っていないようなリウラの魔法をどうやって会得したらいいのか、アンジェラは混乱した。
しかし、ホセが助け舟を出すようにアンジェラにこう言った。
「しかし、ご安心召され姫様。そのリウラの魔法を使えるものを探し出しておきましたのじゃ。その者の到着が遅れておりますので・・それで準備はまだだと申し上げたのでございます」
それを聞いてアンジェラはほっと胸を撫で下ろした。
「その者の到着は予定では昨日だったのですが、この雪の悪路で往生してるのかもしれませんな」
ふとホセが窓に目をやったので、アンジェラもつられたように窓に目を向けた。
窓の先、そして魔法陣の結界の先には、果てしない雪達が次々と天から降ってきているのだった。
小一時間が経った。
アルテナ城内がにわかにあわただしくなったのに気づいて、自室でベッドに転がっていたアンジェラは体を起こした。
「・・何か騒々しいわね」
アンジェラはベッドから降りると、鏡を見て髪が乱れてないか確認した。軽くブラシで髪を梳いて、それから部屋を出る。
ざわざわとした人の声を辿って歩いていくと、一階から吹き抜けになっている廊下にぶつかった。そこから手すりの向こうを見ると、一階の出入り口の扉に人だかりが出来ているのを見つけた。それと、その中に宮廷使用人のヴィクターがいるのも。
「ヴィクター?何事なの?」
二階にいるアンジェラの声はほどなくヴィクターの耳に届いた。他の集まっていた城内の魔導師たちもアンジェラの声に気づいて一礼する。
「アルテナ城門の前で倒れていた男を介抱する部屋に運ぶ途中に・・人に囲まれてしまって・・」
「何してるのよ・・」
呆れたようにアンジェラはそう言うと、近くの階段から一階に駆け下りた。
「さあ、何をそんなに囲んでいるの!その人を介抱するのが先よ!みんな、散って!」
「ああ、助かります。姫様」
情けなくもヴィクターが礼を言いながら、担架に乗せた人物を客室へ運んでいった。アンジェラは運ぶ途中に、ちらりとその行き倒れの人物を見たが、それでようやくこの人だかりに合点がいった。
「なるほどね・・」
城内の魔導師たちは九割が女性である。
先ほど見た行き倒れの人物は端整な顔立ちをした相当な美男子であった。魔導師たちはそんな美男子目当てに色めきたったのだろう。
「きれいな顔をした人ねぇ」
アンジェラはそう言うと、案の定、魔導師たちがそうでしょそうでしょと騒ぎ立てた。
「あの端正なお顔だったら吟遊詩人ってところかしら」
「でもこの時期エルランド・アルテナ城間のあの悪路を超えてくるなんて」
「どこかの国の使者の方かもしれないわ」
「そうね、服装がとても整っていらして」
アンジェラは魔導師たちがいまだ沸き立って話しているのを、しょうがないなぁ、と言う調子で打ち止めさせた。
「はいはい、その辺は後で私が確認して後で教えてあげるから。さっさと持ち場に戻りなさい」
「あっ、はい。かしこまりました、姫様」
「承知しました、姫様」
魔導師たちがわらわらと持ち場に戻ると、ようやくお城の出入り口の扉が開けた。
アンジェラはきびすを返して、先ほどの行き倒れの人物の様子を見ようと客室に向かった。
客間には、ヴィクターともう一人の使用人があわただしくもその人物を介抱していた。暖炉は赤々と燃やされ、この部屋の温度を上げている。
アンジェラが入ってきたのに気づくと、ヴィクターは慌てて頭を下げた。
「先ほどはありがとうございました、姫様」
「いいのよ。その人は?」
「ホセ様がお呼びした姫様の講師のようですよ。身分証も持っておりました。アベル=ディリンガと申されるようです。生まれはウェンデルとか。」
ヴィクターはいつもはぼーっとしているようで、こういうチェックは事欠かない。アンジェラはその身分証をヴィクターに見せてもらった。
「名前、アベル=ディリンガ。祖国、聖都市ウェンデル。年齢、28・・え?この人28なんだ・・」
アンジェラは意外そうに今も眠っているアベルと言う人物を見た。見た目幼くも見える端正な顔のせいでアンジェラと2,3くらいしか離れていないような気がしていたのだった。
「ほんとですね。とてもお若く見えるのに・・」
ヴィクターも温めたタオルでアベルの顔や手を温めながら、そんなことを言った。と、アベルの手がぴくりと反応する。
「あ、体が温まったようです。目を覚ましますよ。」
ヴィクター言った通り、アベルという男がまぶたをゆっくり開いていった。
ヴィクターが傍に座って、具合はどうですか、と訊ねる。
「あ・・平気です。少し寒いけれど、すぐよくなると思います」
柔らかな声色をしていた。先ほど魔導師たちの中に「吟遊詩人ではないか」と話が出たことをアンジェラは思い出す。
「よかった。あ、念のためお聞きしますが。あなたのお名前は?何故このアルテナへ?」
ヴィクターはこういうときに宮廷使用人としての職務を発揮する。部外者が城内に簡単に入れる体制にはしておくことはできないという彼なりの信条の現れだ。
「名前はアベル=ディリンガ。アンジェラ王女の講師としてホセ殿より依頼があり、こちらへ・・」
「ありがとう、アベル。」
そこでようやくヴィクターはにっこりと微笑んで、手を差し延べた。「ようこそ、アルテナへ」
アベルはほっとして手を差し出した。ヴィクターは挨拶をすませると、後ろに控えていたアンジェラに目をやった。
「姫様もお話されますか」
「うん。させて頂戴。」
「どうぞ、こちらへ」
ヴィクターが退き、アンジェラがベッドの端に近づいた。
「あなたが、アンジェラ王女」
アンジェラが名乗るよりも先に、アベルは呆けたようにそう言った。アンジェラはくすりと微笑む。
「ええ、そう。今日あなたの魔法を教わるの、楽しみにしていたのにね」
「ああ、すみません。遅れた上にこんな無様な状態で・・」
「いいのよ。アルテナの冷気はこの土地の人ですら慣れることは出来ないわ。今日一日ゆっくりして明日調子がよければ講義をお願いするわ」
「かしこまりました、アンジェラ王女」
アベルは礼儀正しくベッドの上で一礼した。
アンジェラは微笑むと、ヴィクターに後の事お願いね、と言付けて部屋を出た。アンジェラは自室に戻る道すがら、あんなんで大丈夫かしら?と首をかしげたものだった。
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