3.アベル
フォルセナでデュランが王と謁見したその日から2日後、アルテナは久しぶりの快晴となった。気温はそれほど上がらなくとも、その明るい日差しが射しこむだけで人々の心は湧き立っていた。洗濯物を洗いながら文字通り井戸端会議にいそしむ主婦達の笑い声や、その傍を元気いっぱいに駆けずり回る子供達の掛け声も聞こえてくる。そんな楽しげな城下の様子を、アンジェラは悲しいかな、自分の部屋から見る羽目になっていた。
「ほらほら、よそ見してちゃだめですよ。」
アベルが嗜めるようにそういうと、アンジェラの肩に手を置いた。アンジェラは、ため息をつくと嘆くようにこう言った。
「だってぇアベル。こんなにいい天気なのにお部屋に閉じこもっているなんて、本当につまらないと思わない?」
アベルはアンジェラのそんな不平のこもった言葉に、困ったように笑って見せた。
「そうはいっても、今日は講義の時間ですからね。リウラの魔法の定義と原理を覚えて頂かないことには次の実技には入れないでしょう?」
「そうだけどぉ・・」
アンジェラはげんなりとした顔でもう一度ため息をついた。
ふと、アベルの艶やかな銀の髪がアンジェラの肩にふわりと触れた。不意にアンジェラの顔に近づいたアベルが、アンジェラを元気付けるように耳元で囁く。
「頑張りましょう、お姫様」
限りなく優しい声がアンジェラの耳に直接響く。アンジェラは知らず、頬を染めて、続けて、とアベルに頼んだ。
「はい、アンジェラ王女。」
まるで何事もなかったかのようにすっと姿勢を正し、アベルが説明を始める。
アンジェラはどきどきと胸を打つ鼓動に困惑しながら、懸命に講義に専念しようと努めた。
まるで大人なアベルは、容姿端麗な姿に流れるような仕草を身に付けている。さっきのような気障ともとれる行動も自然と似合ってしまうし、そして、その行動を深追いさせない爽やかさも持っている。
(私はまだ子供だもの・・こんな大人な人の行動にどきどきしちゃうのはしかたないことだわ)
まるで言い訳のようにアンジェラはそう思う。
誰に言い訳するでもなく・・いや、多分、自分に言い訳しているのだ。自分には心に決めた人が、心にずっと住みついて離れない人がいるのに、と。
「・・このとき、リウラはマナの力のベクトルの方向を変化させます。アンジェラ王女、どこかわかりにくいですか?」
アベルは心配そうにアンジェラの様子を見て、問いただす。我に返ったアンジェラはいえ、と言うと、今度こそ講義に集中しようと思った。
そこに、ぱたぱたと部屋に近づいてくる足音を聞いて、アンジェラは扉に目を向けた。
コンコンっ
あわただしい足音が止まったかと思えば、続けざまに早い間隔のノック。落ち着きのないノックの仕方にちょっとうんざりしながら、アンジェラは声をあげた。
「なぁに?ヴィクター?」
「あっ、良く僕ってわかりましたね、姫様。入りますよ」
ヴィクターはかちゃりとノブを回すと、アンジェラの部屋に入る。と、アベルの姿を見つけて、しまった、という顔をした。
「す、すみません。お勉強の時間だったんですね。」
「やあ、かまいませんよ。ヴィクター殿。王女様に火急の用件ですね?」
優雅に笑うアベルに気後れしながらヴィクターはアンジェラに、また出直します、と言ったが、アンジェラは目ざとくヴィクターの手にあるものに目を留めて、待ってヴィクター、と呼び止めた。
「はい??」
「その手に持ってるものを持ってきてくれたのね?ヴィクター?」
ヴィクターはぱっと顔を明るくさせてアンジェラに何度も頷いて見せた。アンジェラはにこりと微笑む。
「ごめんなさい、先生。私どうしても抜けられない急用が出来きてしまったの。一時間後に講義延ばしてもらえます?」
怖いくらい礼儀正しいアンジェラが、天使のような微笑を浮かべてそう言った。虚を突かれて唖然とするアベルは、一体何が?と問いかけようとしたが、アンジェラはにこりと微笑むばかり。
「じゃ、一時間後お願いしますね」
アンジェラはヴィクターの手にあるものをすれ違いざまに受け取ると、ありがと、とヴィクターに言付けて部屋を出た。ヴィクターはアンジェラの微笑みに満足したように会釈した。
部屋に残されたヴィクターも、アベルに頭を下げて退出しようとした。アベルは慌てて、ヴィクターに訊ねる。
「アンジェラ王女は一体?」
ヴィクターは微笑んだが、何も言わずに出て行った。
(こればっかりは国家機密なんでね)
ヴィクターはそう思うとくすりと微笑んだ。
アンジェラは息を切らしながら廊下をひた走った。自分の足元はまるで雲の上にいるようで、ふわふわと浮いているような気さえしてくる。何かが入った包みを握り締め、アンジェラは胸がいっぱいになった。
ヴィクターがそれと言ったわけではない。でも、アンジェラの心が、好きな人を想う心が、それが何かを見極めていた。
それが、デュランからのものであることに。
アンジェラは扉を開けて庭園に出た。明るい日差しを避けるように手を庇代わりにしながら、庭園の隅の方へ歩いていった。丁度良い高さの花壇を見つけ、その縁にアンジェラは腰掛ける。そこならば、そばに大きな針葉樹を植えているおかげで直接の日差しを避けることが出来るし、優しい木漏れ日が包みの中身を良く見えるように照らしてくれる。
「一体何を送ってくれたのかしら?」
アンジェラはまるで夏の海の色のようなコバルトブルーの包みを開いた。包みの布の隅には、アルテナ王家の紋章が刺繍してある。これは王家の者に宛てられた品物などを包む王家専用の包み布なのだった。
アンジェラは包みから取り出した二通の封筒を目の前に持ってきた。ひとつはフォルセナ王国の印のついた封筒。もう一つは見覚えのある字が丁寧にアンジェラの名前を書き記してある封筒。送り手の名を読まずとも判る、デュランの封筒だ。
アンジェラはにこりと顔を微笑ませると、まずフォルセナ王からの手紙を開いた。王家の者として、まず身分の高いものの要件を聞くというのがこの世界の礼儀であるからだ。
フォルセナ王からの手紙は、まず先の冒険で大役を果たしたアンジェラへの労いとお礼で始まり、その後本題が記されていた。今日から五日後にデュランの昇格授与式典を行うので、ぜひお越しいただきたい、と綴ってあった。
細かいことは書かれてはいなかったが、アンジェラはデュランが黄金の騎士として正式にその称号が与えられるのだろうと見当がついていた。
アンジェラは青い布をもう一度手に取った。多分、ヴィクターが入れてくれているのではないかと思い、布の中身を探ると、羽ペンと小さなインク壷、そして返信用の便箋が入っていることに気づく。アンジェラはやるじゃないの、と笑いながら、そのインク壷を花壇の縁に置いた。
アンジェラは羽ペンにインクをつけると、たおやかな手つきで返事を書いた。
「”・・謹んで参加させていただきます。お久しぶりにお顔を拝見できることを楽しみにしておりますわ、英雄王様”、と」
アンジェラはふう、と吐息でインクを乾かしてから、丁寧にその手紙を折りたたむと青い包みに入れた。英雄王からの手紙も畳んで同じ青い包みに仕舞う。そして、ようやく、とでもいいたげな瞳で、アンジェラはデュランからの封筒に手をやった。
少しかしこまってアンジェラは座りなおすと、静かに、そして丁寧に封筒を開いた。
便箋は、草色の紙に白い小さな花の柄がついていた。上品な便箋を選んでいる。ステラかウェンディが選んだに違いない。
その便箋に、見慣れた字が少し緊張したように綴られている。
親愛なるアルテナ王女、アンジェラへ
突然の便りになってすまない。
実は次のマナの休日に、フォルセナ王より称号授与の式典が行われることになったんだ。一緒にあの冒険を超えてきたお前にも、是非来て欲しい。
既に我が王からの招待状が届いていると思うが、俺からも重ねてお願いする。
最後に、マナの女神の祝福がありますように、と書かれ、その手紙は終わっていた。
簡潔ではあるが、とてもデュランらしい手紙だと、アンジェラは何度も文面を読み直した。筆不精の割に、文章は落ち着いている。称号をいただく事で、デュランも少し大人になったのかな?とアンジェラは知らず顔を緩ませた。
「行くわ。必ず行くわ。デュラン。安心してね」
アンジェラはそう言って、手紙の端に口付けた。
アンジェラは照れたように微笑むと、再び羽ペンを持って、デュランへの返事を書き始めた。
草原の王国フォルセナ騎士 デュランへ
素敵な知らせをありがとう。
式典には必ず出席します。
最高の称号を頂くデュランの姿、とても楽しみにしているわ。
話したいことがたくさんあるけれど、手紙は苦手なの。
会ったときに話すわね。
デュランと同様、マナの女神の祝福がありますように、と書き綴り、アンジェラはもう一度手紙を読み直した。
「こんなものかしらね?」
「ずいぶんと、楽しそうだね」
アンジェラは思わず悲鳴を上げそうなくらいびっくりして、顔を上げた。あまりに熱心に手紙に集中していたのか、目の前にはアベルがいたのに気付きもしなかったのだった。
「あ・・やだ。もう1時間経ってます?」
「いや、大丈夫。時間つぶしに散歩をしていたんです。アルテナ城もひさしぶりなので」
隣はいいですか、とアベルが言うので、アンジェラは手紙を片付けて、どうぞ、と言った。
ゆったりとした仕草で、アベルが隣に腰掛ける。アベルが腰掛けた瞬間よぎった風に、いい香りがふわりと舞った。
(なにかしら・・?この辺の花の香りとも違うし・・)
アンジェラは一瞬不思議に思ったが、すぐに別のことをアベルに話し掛けてみる。
「久しぶりって・・前にアベルはアルテナに来たことが?」
アベルは穏やかに微笑むと、空を見上げてええ、と答える。
「五年前に。あなたも拝見しておりますよ、王女」
「そうなの?何をしに?」
アンジェラは何気なくそう聞いたのだが、アベルは困ったようにこう言った。
「おやおや、王女も尋問なさるので?」
「ああ、別に無理に聞こうとは思わないわ。・・無理しなくても」
アンジェラがそういうと、アベルは安心したように息をついた。
「違うのであればいいですよ。人を探していたのです。世界中を旅して・・」
「誰かと生き別れになってしまったの?」
アンジェラは心痛な面持ちになって、アベルに尋ねた。アベルはそんな顔をしないで、と笑う。
「でも。表向きは修行の旅に。いろんな国を旅して、いろんな技量を身につけるのです。楽しいですよ。」
アンジェラはあんぐりと口をあけて驚いた。
「楽しい?すごいわ。勤勉なのねぇ、アベル」
「そうでもないです。」
そういうと、アベルは胸ポケットを探った。先ほど、いい香りのした理由を、アンジェラはそれをみて理解する。小さなポプリの瓶だ。
「こういう香りはお好きですか?王女?」
アンジェラはぱっと顔を輝かせた。
「ええ、優しい香り。大好きよ」
「それなら差し上げます。どうぞ」
アンジェラはありがとう、と言うと、瓶の中のポプリを見ては香りを楽しんだ。いい香りにアンジェラの顔が、花のように優しく微笑む。
アベルはそんなアンジェラを満足そうに見つめながらこう言った。
「僕は行く先々でそういう人の喜ぶ顔が見たいだけなんですよ」
←←TOPへ
/←目次へ
/NEXT→
Copyright 2001 BY SAE