4.迷い


 一時間遅らせた講義の翌日、アンジェラは実践の授業を受けることになっていた。
 魔法の実践授業は魔法陣のときと同様、部外者の立ち入りを禁止し、一定の広さの場所を確保する。もし魔法が失敗したときに第三者が怪我でもすると、大変なことになる。魔法は常に人命を危険に晒す確率の方が高いのだ。
「ホセ先生に許可を頂いて、場所は借りることが出来ています。アンジェラ王女、場所はお分かりですね」
 アベルが復習のために使っていた本をパタンと閉じると、アンジェラにそう言った。アンジェラは頷いた。
「いつもの場所でしょう。それなら、問題ないわ」
 アンジェラも本とノートを閉じると、立ち上がった。
「行きましょう。昨日私が手紙を読んでいたあの場所に近いのよ。」
 アベルとアンジェラは昨日の庭園の場所へ足を運んだ。昨日はあんなに天気がよかったのに、今日はもう雪が降りそうな程暗い雲が空を覆っていた。
「雪が降りそうですね。気温も低い」とアベル。
「そうね。でも、リウラの実践には丁度いいはずだわ」とアンジェラ。
「どんな環境でも実践は可能ですがね。わかりやすいという意味では良い環境かもしれません」
 にっとアンジェラとアベルは微笑んだ。
「リウラの原理は昨日教えた通りです。とりあえず、アンジェラ王女、思う通りにやってみなさい」
「えええっ!?お手本、先生みせてくれないのぉ!?」
 アンジェラは不服そうにアベルを見やったが、アベルは穏やかに笑いつつもこう言った。
「いいえ、昨日の原理がどこまで理解出来ているか、これは復習テストだとお思いなさい」
 アベルに冷たく言われて、アンジェラはしぶしぶすでに書き込まれている魔法陣の中央に立った。
(ええと、すべてのマナの力から成るものよ・・・)
『・・リウラの魔法は既定の呪文があるわけではありません。まあ、全ての魔法は呪文よりもそれに込めた思いの強さですが・・』
 アンジェラは昨日のアベルの講義する声を思い出しながら、心に呪文を当てはめていった。
『リウラはマナの力が宿ったものを、もとのマナエネルギーに還元する方法です。すでに固定されているマナのベクトルを変化させます。』
(全て、なんていきなりなのに欲張りすぎかしら?冷気、に的を絞った方がいいのかしら)
 アンジェラは考え続けている。アベルはそんなアンジェラを期待に満ちた眼差しで見つめていた。
(我が体温を奪う冷気よ・・)
『しかし、あくまで力を借りるのだと言うことを念頭に置いてくださいね。王女。マナを宿したもの全ては生きています。生きているものは機嫌を損ねると力を消して貸してはくれませんから』
(ん・・っと・・じゃあ、この地を長き時間に渡って守る冷気たちよ・・かな?)
「長き時間に渡り、このアルテナを守る冷気たちよ・・我に力を与えよ。我に純粋なるマナを与えよ・・!」
 アンジェラがそういって天に声を響かせると、アンジェラの身体に冷気が集結し始めた。酷く寒い。冷気が身体の中まで沁みて、凍えるようだ。
「王女!続けて魔法陣の呪文を唱えるのです!」
「うっ・・さ、寒いぃ・・」
 身体が瞬間的に冷えてしまい、歯が合わなくなった。がたがたと体中が震えて、頭の中の意識が今にも飛んで消えてしまいそうになる。
「凍死してしまいますよ!まだ使ってもいないのに!」
 アベルの叱責がアンジェラの頭の中に響いた。アンジェラは凍える身体に力を振り絞って、声を張り上げた。
「冷気緩和魔法陣よ、今このマナエネルギーを以って発動せよ!」
 キィン!
 一瞬だけ魔法陣が光ると、アンジェラの周りの冷気エネルギーを魔法陣が吸い取ってあたりを暖かい空気に変えていった。冷気がアンジェラの身体から根こそぎ吸い取られたので、アンジェラは凍死を免れた。
「ああ・・寒かった・・」
 よろけながらアンジェラは魔法陣から出てくると、アベルがさっと腕を差し出しアンジェラを支えた。
「上出来です。王女。初めてであれだけ発動できるなんて。ちょっとだけ危険を回避させる技を忘れておられたようですが。」
 アンジェラは恨めしそうにアベルを睨む。
「だったら先に教えてくれればいいじゃないの!」
「いいえ、この魔法は先入観を持つと使えなくなるのですよ。見よう見真似では発動しない魔法なのです。だから原理と定理を先にお教えしたのですよ。」
 アンジェラはその理由を聞いて、しぶしぶ刺を引っ込めたが。
「危うく死ぬところだったわ・・」
「それもありませんよ。」
 にこりと、アベルは微笑んでみせる。アンジェラが唖然としてその答えを待っていると、アベルはこう答えた。
「リウラの魔法は実は誰にでも使える魔法ではありません。選ばれた魔女と魔法使いにしか使えないのです。よって、リウラは特定の魔法さえ使わなければ、発動主を殺すことは無いのですよ。」
 アンジェラが何も答えられない顔をしている。アベルはにこりと微笑んだ。
「おめでとう、王女。あなたはリウラの魔法に選ばれし運命の人だったようですよ。」
 それを聞いて、アンジェラは思わず涙を零した。アルテナの王家直系であるにもかかわらず、魔法が使えなかった遠い日の肩身の狭さ。あの日々が再び訪れることはもう無いだろう。そのことにアンジェラはようやく安堵した。安堵したら、涙が溢れて、止まらなくなった。
 アベルはそんなアンジェラを見て、ふっと微笑んだ。
「あなたは、いつでも選ばれることを望んでいたんですね。拒まれるのが怖くてしょうがない。魔法にも、人にも・・」
 アンジェラはびくりと肩を揺らした。アベルの底の知れないほど深い優しさが怖くなってきた。一体この人はどこまで何を知っているのだろう?と。
「怖がることはありませんよ。王女。それはとても簡単なことです。」
 アンジェラの手を優しく包み込むと、アベルはアンジェラの手の甲にキスをした。
「お慕いしております。アンジェラ王女。どうかお傍にお仕えすることをお許しください」
 アンジェラはショックに声も出なくなった。
 まさか、こんな年上の人に告白を受けるとは思ってもみなかったのだ。
 アベルは容姿端麗だし、性格も申し分ない。家柄の問題はあるが、決定的な切り札がある。彼は魔力がある。いや、世界中を旅して技量を高めたと聞いた。実は魔力以外の能力もあるのかもしれない。
 でも・・でも。
 私には。
「ごめんなさい。アベル。私は・・」
 重苦しい空気の中、アンジェラはやっとのように声をあげた。声が掠れる。怖いのか?彼のような人物を捨て置くのが勿体無いと、考えているのか?否。
 国のために、彼を選ぶのが本当ではないかという自分が、どこかにいるのだ。
 国を守るためには、魔力がいる。魔力のある子孫を残すためには、魔力のある男性を相手に持つ義務が、王女である私にはあるのではないか、と。
「アンジェラ王女・・」
 アベルが困ったようにアンジェラの肩に手を置いた。
「あなたは思ったより責任感の強い女性のようだ。色々お考えで頭を悩ませていらっしゃるが、私は何もあなたのお心までは掴むことは出来ません。昨日のあなたのように、あんなに楽しそうに微笑ませることなど、今の私にはできないでしょうから」
 アンジェラははっと顔を上げた。そうだ。アベルは手紙を読んでいたときのアンジェラを見つけていたのだった。
 アンジェラは顔を赤くした。
「恋人、ですか」
 アベルの問いに、アンジェラは悲しそうに首を振った。
「違います。私が、ただ一方的に」
 切ない恋に、報われない恋に、叶うか知れない恋に、アンジェラは今初めて疑問をもち始めた。こんなに思っていて、何になるのだろう?
 デュランが気付いてくれるのがいつになるか、判らない。
 デュランが自分をその対象としてくれるか、判らない。
 そんな恋よりも、目の前の人に支えられる方が、楽ではないのか?
 ああ、頭が混乱している。
 デュランがせっかく昨日式典の招待状をくれたばかりだと言うのに。
「アベル、ごめんなさい。どうか。どうかこのこと・・」
 アベルはアンジェラを支えるように手を貸すと、部屋に戻りましょう、と声をかけた。
「返事を急ぐつもりはありません。まだ私にはあなたの教師としての役目がある限りはね。どうかそんなに混乱なさらないで。ただ私が、私と言う一人の人間が、あなたを大切にしたいと、お伝えしたかっただけですから」

 草原の王国フォルセナ城内は、あわただしく式典の最終点検が行われていた。英雄王から式典の日時の公表が行われてから一週間、城内の人々は式典の準備に追われていた。しかしそれも今順調に終わりつつある。なにせ、後一時間程度で式典が始まるのだから。
 式典に列席する人々の椅子の並びや数を調整し、中央に敷かれた赤いじゅうたんの清掃が何度も行われていた。楽団のチューニングもそろそろ終わりを迎え、人々が徐々に会場に集まりつつあった。
 ブルーザーを始めとする兵士達がこの会場の外郭を囲み、英雄王を騎士団長とする白銀の騎士団が赤いじゅうたんの縁に並んでいる。その両側に観客席が設けられ、アンジェラやホークアイを始めとする仲間達は、一番正面に近い椅子に座っていた。ここならば、デュランが中央を歩いてくる様子も、称号を戴くところもしっかり見えるはずだ。ちなみに、デュランの家族であるウェンディやステラはアンジェラ達の逆側に着席している。
「デュラン、緊張してんだろうな」
 遥々ナバールからやってきたホークアイが心配げにそう言った。アンジェラも内心心配でいっぱいであったが、口に出したくなくてわざと明るくこう言った。
「大丈夫よ。だってあんなに大変な冒険してきたんだもの。こんなの何ともないわよ」
「そうですよ。」
 天使のような微笑を浮かべ、ローラント国王女リースが相槌を打った。
「きっと、デュランならこなしてみせる人だわ。それに、ここに一番見せたい人が座ってるんですもの」
 リースが意味ありげにアンジェラに微笑む。思わず赤くなりそうになる顔を逸らして、アンジェラは何言ってんのよっ、と肩を縮めた。
「あーれー?アンジェラしゃん、お顔が赤いでちよ?お熱でも出たでちか?」
 意地悪な台詞がウェンデル司祭の孫娘シャルロットから洩れる。後ろの席に座るシャルロットを振り返るが、何も反論できないアンジェラはシャルロットを悔しそうに睨んだ。そんなアンジェラに、シャルロットが舌をべぇっと出してから、きゃははと笑い喜ぶ。
「アンジェラ、熱あるのか?だいじょうぶか?」
 シャルロットの隣で、この上なく真剣な眼差しで心配してくれるケヴィンがそう言った。アンジェラは情けないような笑みを浮かべて大丈夫よ、と言った。
 隣でホークアイがそんなアンジェラを見ながら、デュランが幸せにしてやれるといいんだがな、と人知れず希望じみた願いを考えていた。
「いいなぁ、ウェンディもあっちの席に座りたかったなぁ」
 和気あいあいと話している兄の仲間達を見つめ、ウェンディがつまんなそうに呟いた。ステラがウェンディをなだめるように頭を撫でてやる。
「しょうがないだろ。お席が決まってるんだ。英雄王様はお前がちゃんとデュランを見やすいようにこの席にしてくださったんだから、文句を言っちゃいけないよ」
「わかってる。でもね、本当に楽しそうなんだもの」

 式典の開始時刻になった。ファンファーレが鳴り響き、観覧席の人々のざわめきがさざなみのように引いていく。しいんと静まり返った会場の中、出入り口が閉ざされていく。観覧者用の扉は前後に二つ。その扉が今静かに閉められた。
 白い服で身を包んだ聖堂女たちが正面の祭壇に供えられたろうそくに灯りを灯す。それから、部屋全体に備えた燭台の蝋燭にも女達が火を灯す。ぐるっと一回りして、聖女は頭を下げると退場した。
 かしゃん!
 白銀の騎士たちがかかとを合わせ、大きな槍を身に引き寄せた。整然と整列した騎士たちの頭上で、装飾用の宝石で反射した刃先がきらりと光った。
 そしてようやく、そのときが来た。
 祭壇から真正面に在る扉が、ぎぎいと重たげな音を鳴らしながら開いたのだった。
 観客席の人々は静かに立ち上がった。
 始めを歩くのは、フォルセナの英雄王リチャード。いつもの人懐こい面影よりも、今彼は王としての威厳に満ちていた。大きな冠を頭上に光らせ、肩から広がるのは真っ赤なマント。厚手な生地に白い羽で縁取っている。そして、腰から下げるのは装飾品としても価値の高そうな剣。まさに聖剣の勇者の役目を終えたものにふさわしい、というそんな身なりでの登場と言えた。
 アンジェラは、英雄王の姿に内心これではデュランが陰ってしまうのではと、ひやひやした。しかし、それはすぐにアンジェラの見事な杞憂に終わる。デュランが登場したところを距離の関係で見えなかったのだが、観客がおお、とざわめいたことでアンジェラはデュランが来たのだと思った。
 アンジェラの視界にデュランが入ってきたときに、観客がざわめくのも無理はないと思った。
 デュランは凛々しい姿で目の前に登場した。白い制服はおそらく白銀の騎士のものだろうが、それとは別に刺繍が腕や袖、そして裾に縫い付けられている。真っ白な制服に光る金糸が、彼の実直さと誠実さを表しているようだった。そして、肩からまっすぐに垂れた外套は、目のさめるような青。いつもは放ったままの髪の毛も、しっかり結われている。腰から下げられている剣は、鞘は装飾してあるものを使ってあるが、冒険中に使っていた本物の剣だった。
 衣装もすばらしいものだったが、それ以上の凛々しさはデュラン自身にあった。緊張のためか引き締まった顔、前を見据えるように見つめる瞳、そして、堂々と歩く落ち着いた足取り。仲間達は誰もがいつものデュランとは別人だ、と思わざるを得なかった。
 そうして、デュランは祭壇の前に立ち止まった。そこは丁度、観覧席の最前列の間の位置にあたる。つまり、アンジェラとウェンディの間に、デュランが立っている形になる。
 まず、デュランは目の前の英雄王に頭を下げた。英雄王が満足そうに微笑む。
 それから、・・どうやらこれは手順にはなかったということを後でアンジェラは知ることになるのだが・・、デュランはステラとウェンディ側に向くと一礼し、それから、くるりと体を半回転させて、アンジェラ達の方に向かって一礼した。
 アンジェラはそのデュランのしなやかな動きに見とれた。それほど、洗練された動きだったのだ。
「我が国最高の財産とも言うべき人材、すなわち『黄金の騎士』という存在は今だ建国されてより十人にも至ってはおらぬ。それほど、稀な存在、稀有な存在にしか与えられぬこと、しかと心得よ」
 英雄王が低いいい声色で、デュランに言い聞かせるようにそう言った。デュランは跪いた状態のまま、はい、と声をあげた。
「これからも、黄金の騎士の名に恥じぬ道徳心と正義の心を身につけるよう精進せよ。」
 デュランが再びはい、と答える。
「そして、我が国への忠誠を誓うが良い」
 英雄王に促されて、デュランは立ち上がった。そして、剣をすらりと抜くと、剣を縦に構え、剣の刃に左手をあてがった。
「我が王のために、また我が祖国のため、そして家族のために、騎士としての働きを全身全霊をかけて全(まっと)うすることを、我が主フォルセナ国英雄王様に誓います。」
 そういうと、デュランは静かに剣を鞘に収めた。
 英雄王はデュランにゆっくりと近づくと、デュランの胸に勲章を与えた。
「これからのデュランの活躍、楽しみにしておる。皆の者!これにてデュランは黄金の騎士としての称号を得た!どうか、デュランに賛美の声と拍手を送られよ!」
 デュランはすっと観客席に向かうと、一礼した。
 それを合図に、拍手が会場に鳴り響き、それと同時に歓声が上がった。
 おめでとう!デュラン!
 新たな黄金の騎士の誕生、万歳!!
 デュランが歓声に照れくさそうな顔で答えているのを、アンジェラは複雑な表情で拍手しながら見つめていた。
 そんなアンジェラに気付いてホークアイが、どうした?と声をかけたが、アンジェラは何も言えずに、ただ、笑っただけだった。










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