8.回顧


 マイアにたどり着き、アルテナ行きの定期船に乗り込んだアンジェラとアベルは、個別の部屋でくつろいでいた。時刻は深夜で、寝るには丁度いいソファベッドが用意されている。アベルはソファベッドで一度枕に頭をつけたものの、寝付けずすぐにベッドから起き上がった。
 部屋を出て、風に当たろうと思い、アベルは着替えて甲板に向かって歩いていった。
 真夜中の海は真っ黒いインクで塗りたくられたように気味が悪い。アベルはそう思いながら甲板の手すりに手をかけた。
 遠い水平線がかろうじて見えるのは、空に浮かぶ月が海面を照らすからで、それ以外の光源は今は何も見当たらない。時間的には無理もないことであるが。
 アベルはそんな景色にふと、目を細めてみせた。自分の過去を、頭に描き始めていた。

・・いくらなんでも無茶です!リウラ様!!
 遠い日のアベルの声がそう言った。アベルの声は今と変わらず若々しい。その台詞を吐いた頃をアベルは忘れもしない。
 しかし、それは遠い昔のことだった。それなのに、まるでついさっき発したばかりの台詞のように、その声はアベルの頭の中で鮮明に響いている。
・・でも、そうじゃなきゃ、世界は、人は死んでしまうわ!
 抱きしめてしまうだけで手折ることも出来そうなほどか細い体の娘。その娘が、威厳を持ってそう言った。頭には燦然と輝く宝石が埋まった王冠を掲げている。その王冠をかぶるものにふさわしく、その娘は気品に満ち溢れている。
 手にもった金色に光る錫丈を持ちなおすと、王冠を被った娘・・小さな女王は台座から身をするりと立ち上がらせた。そして、くるりと身を翻し、後ろの部屋に入る。慌ててアベルも女王に着いていった。
・・アベル、あなたは私が王女の頃から本当によくしてくれたわ。感謝しています。
 背中を見せたまま、女王はそう言った。あまりにもか弱く小さな背中を見て、アベルは彼女を抱きしめたくなる衝動に駆られた。しかし、それはあまりにも恐れ多い、叶わぬ願いだった。女王は、アベルのような民から触れることも出来ぬ存在だった。たとえ、アベルが女王専属の『宮廷使用人だとしても』。

「何を、物思いに耽ってるのかしら?」
 アベルははっと我に返った。
 夜の闇に包まれた船の甲板に、ヒールの音がこつこつと存在を誇張するように鳴り響くのに気づいて、アベルはその人が目の前に来るのを待った。
 定期船未だ静かな海の上を快調に進んでいた。もう三時間もすれば、アルテナ国の港町エルランドに到着するはずだ。
 やがて、その人はアベルの隣に立ち止まった。表情は読めないが、相変わらず機嫌はあまりよくなさそうだった。
「王女。危ないですよ。夜の甲板にヒールで歩くなど」
「平気よ。いつもこんなことしてたもの」
 アンジェラは手すりに手を掛けて、黒光りする海を見つめた。今空には大きな満月がぽっかりと浮かび、その満月の光が海を照らし輝かせている。
「・・夜の海って不気味で素敵よねぇ」
 アンジェラはそう言った。海の水面で輝く光の乱射が、アベルとアンジェラの顔を照らした。幻想的な光に照らされて、ふとアベルは前に仕えていた頃の女王の面影をアンジェラに見出す。
(・・似てる?)
 アンジェラの横顔をじっと見つめながらアベルは首をかしげた。
(まさか。あのお方の血族は潰えたのだ。面影が似ているなど・・ありえない)
「王女、眠らなくてよろしいのですか?」
 アンジェラはアベルの心配げな言葉を聞いて、眠れるわけないわ、と悪態をついた。
「好きな人にさよならしてきたばかりなのよ。眠れるわけないじゃない。枯れるほど泣いたら眠れるかもしれないけれど・・」
 そうしたら、好きだったことも全部洗い流されそうな気がして、という言葉を、アンジェラは心の中で呟いた。
「そうですか・・」
 アベルはなんと答えたらよいか考えてみたが、ありきたりの台詞を吐くことしか出来なかった。
「アベル。真面目な話があるんだけど」
 アンジェラは海の水面をじっと見つめたまま、そう言った。アベルは、なんでしょうか?と優しく答える。
「アベルは、私と共にアルテナ国を守るために命を賭ける覚悟はありますか」
 アベルは意外そうに目を丸くした。アンジェラは手を手すりにかけたまま、昂然と顔を掲げてアベルを見つめている。アンジェラのその瞳にはいつもの、おどけるような子供の色は欠片もない。そこにあるのはアルテナ国の行く末を見つめる、女王そのものの威厳の光。
(似てるのは・・顔ではない。その瞳だ。・・あの方の心が王女の瞳宿っているのだ・・)
 ようやく出会えた、という言葉をアベルはこぼしてから、アンジェラに恭しく頭を垂れてこう答えた。
「あなたにお仕えすることこそ、喜びです。あなたのお力になりましょう、王女」
 それならば、とアンジェラは無表情のまま、こう言った。
「アベル、あなたは私の夫となり、私と共にこれからのアルテナを守っていくことを、この私に誓いなさい」
「・・・王女!?」
 がばっとアベルが顔を上げると、自分の責務だけを全うしようと心に決めたアンジェラが悠然と佇んでいる。アベルは喘ぐようにこう言った。
「王女、あなたは・・そこまでお考えだったのですか!?国を守るために、好きでもない男を選び、愛する相手を遠ざけてまでっ・・!」
 アンジェラは何も答えない。アンジェラはアベルが自分への宣誓をすることだけを待っている。アベルは恐れながら、と言葉を続けた。
「王女、ご心配預からずとも、そこまで考えずとも、このアベルは王女が望まれる限りお傍でお仕えすることを誓いましょう。しかし、あなたが私を選ぶというのは本心にはそぐわぬのがあなたの本意。そんなお心あらずの婚儀などあなたは望まれてはいないはず!」
「いいえ」
 アンジェラは威厳ある声を響かせながら答えた。
「アベル、私も随分これでも考えたつもりよ。でも、それでは一時的な回避策にしかならない。私は王家のものとして魔力のある子孫を残さなくてはならないの。」
 アンジェラはそう言って一息ついた。海の彼方を見つめながら言葉を探すように続けた。
「私は王家に生まれながら魔法を使えない子供だった。王家として血族のものは私以外にはいないというのに。・・王家が魔法が使えなければ、無防備なアルテナは極寒の地に曝され、簡単に崩壊してしまう。それだけは、王家として避けなければいけない・・私はそんな事態を二度と繰り返すことは出来ないわ!」
「でも、あなたは使えるようになった!立派に魔法を使えるようになったのに!」
 アンジェラはきっと顔を上げてアベルを睨みつけた。
「それは!私が聖剣の勇者なんてものに偶然なれたから!フェアリーが私を選んだから!だから魔法が使えるようになった!それだけなのよ!!・・そんな都合のいい偶然を待っていたらいつか、いつかアルテナは・・!」
 口にするのも空恐ろしくなって、アンジェラは唐突に口を閉ざした。そうして、アンジェラは肩を震わせて、視線を下に落とす。どうしようもなくなってアンジェラは喘ぐようにお願いよ、アベル・・と洩らしていた。
 困惑顔ながら、アベルはしぶしぶ頭を垂れた。ひざを甲板につけ、手を胸に当てる。
「アルテナ王女アンジェラ王女に誓います。私、アベル=ディリンガはあなたと夫婦となり、魔法王国アルテナを共に命を賭して守りつづけることを誓います」
「・・ありがとう、アベル。」
 それだけ言うと、アンジェラはふらりとよろけた。慌ててアベルがアンジェラの体を支えるように抱きしめると、アンジェラは気を失っていた。閉じた目から溢れるように流れる涙を、月光が優しく照らしていた。
「本当に、それでよろしいのですか・・?」
 アベルは心配げにアンジェラを見下ろすばかりだった。

 アベルはアンジェラの体を寝室に運ぶと、毛布を掛けて灯りを落とした。窓から入り込んでくる月の光だけでも、部屋は随分と明るくなっていた。
「おやすみなさい、王女」
 アベルはそう言うと、部屋を出て行った。
(国を、人を、思いやる心、か・・)
 ふっとまた、頭の中に昔仕えた女王の面影がよみがえる。アンジェラよりも小さく、それでも同じくらい威厳を持った小さな女王だった。
・・人がもし駄目になっても、あなただけでも生きられるはずでは!
 昔のアベルがそう叫んで、部屋の中央に佇む女王をなんとか止めようとする。女王は今これから強大な力の魔法を呼び出そうとしているのだ。
 王女はアベルの方に向こうとはせず、笑いを含んだ声でこう返した。
・・馬鹿ねぇ、アベル。人がいなくて何故私だけで生きられます。誰もいなくなったこの世に私一人が残されて何になります・・如何に不死の一族とはいえ私一人では何も繁栄は起こせません。不死の一族・・光の種族はもう私しかいないのですから。
 しゃん、と錫丈を鳴らし、女王は床に書き込まれた魔法陣にとん、と錫丈を立てる。すると錫丈は、刺さりもしていないのにそこに垂直に立ったまま静止した。
・・ですが、王女。私も、私もあなたがいない世など考えられない!どうか別の方法を! 行き詰まって、どうにもならなくなって、アベルは白状した。女王が薄く笑いながら振り返った。幼き日の王女のときと変わらぬ微笑を湛えて。
・・嬉しいわ、アベル。でも、あなたは生きるの。・・さようなら。
・・っ!いやです、リウラ女王!!
 魔法が発動して、一気に魔法陣から光が放出されたにもかかわらず、アベルは魔法陣の中に足を踏み入れていた。いままで触れたこともない女王に、最後の一度きりでも触れようとして。
・・駄目よ!アベル!!そんなことをしたら・・あなたの体になんの障害をもたらすか判らないわ!!
・・かまわない!どうか、どうか女王。汚れた私の行為をお許しくださいっ・・・!
 魔法陣から発する光の中、懸命に足を走らせ手を伸ばし、女王の体に触れると、アベルは女王を、さらうように抱きしめた。触れることすら禁じられている彼女を、ようやくアベルは抱きしめたのだった。
 リウラは困惑しながらも、アベルを見上げると、笑みを浮かべた。
・・馬鹿な人。私なんかを想ったりして。でも、嬉しいわ。アベル。
 リウラは微笑みながらアベルの頬に手をやった。涙を浮かべて、上ずった声をあげるその姿は、もう女王というよりもただの乙女だった。
・・リウラという娘はもうこの世にはいなくなるけど。私はまたこの世に帰る。ねえ、アベル。この次も私を見つけてね。見つけて、私と一緒になってね・・
・・ええ。お約束します。リウラ様。必ず、必ずあなたを見つけてみせますっ・・!
 リウラが発動させた魔法は、魔法陣から発動して光を放ち続けていたが、リウラがこときれたように意識を失うと、魔法陣の光もおとなしく消えた。アベルは・・リウラの体を抱きしめつづけていたが、不意に光がリウラに舞うとリウラは光に溶けて消えた。光の種族は遺体を現世に残さないのだった。

 アベルはそこで思い出から自分を引き離した。今までに何度も思い起こしたあまりに辛い、過去の出来事だった。しかし、辛くもあり、同時に一番幸せでもあったのだ・・彼女に触れられたと言う事が出来たので。
「アンジェラ王女が・・あなたならば、それならばこれ以上嬉しいことはないのですが・・」
 アベルはそういいつつも、お世辞にも嬉しそうな顔とはいえない表情をしていた。アンジェラの部屋の戸を見つめ、ふうっと息をつくと首を振る。
「・・でも、あなたがまた同じように無理をなさる姿を、私は見たくない・・」
 アベルはアンジェラの部屋の戸に手を当てながら、沈痛な表情を浮かべた。王女と言う立場の娘は、どうしていつも辛い目に会うのだろう、という憐れみを言葉にしながら。










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