未だ見えぬ恋の約束
「なによッ!デュランの馬鹿ぁっ!!」
炎天下の空の下。聞き覚えのある、というかいつもの聞きなれた甲高い女の声が聞こえたかと思うと、続けざまにぱぁんっと景気のいい音が鳴り響いた。
そのとき俺は、夜部屋で飲むワインでも買っておこうかと店を物色している最中だった。
「派手にやってるねぇ・・」
酒屋のオバチャンが苦笑いしつつも、好奇の目でその音の鳴り響かせた女の姿を探している。しかし、聞こえてきた音の大きさから考えて、そこは少し離れすぎているようだった。多分、ここからではその女の影すら見つけだすことはできないだろうと、俺は思っていた。
そんなことを考えながらも、俺はようやく飲みたかった銘柄のワインを見つけて、一つの瓶を指差した。
「これちょーだい、オバチャン」
「あいよ。」
オバチャンがふと商売を思い出したように俺を見て、嬉しそうに笑った。
「プレゼントならキレイなリボンでも飾ってあげようかい?色男のお兄ちゃん」
にこにこと朗らかな笑顔を浮かべながらも、商売人の笑いだなぁと思う。リボン代をぼったくられてはたまらない。俺は、一人で飲むヤツだからいい、と断って金を出した。
「ありがとう。また来ておくれよ!」
代金を受け取って、オバチャンが人懐こそうな顔で微笑んだ。俺は片手を軽く上げて、素早くその店を離れた。早々にさっきの二人を見つけて仲直りしてもらわなければ、せっかく買った夜のワインがまずくなる。
そう。先ほどの派手な喧嘩の張本人は、俺の連れの―――アンジェラとデュランなのだ。
二人は暇さえあれば喧嘩する。喧嘩が会話のようなものなのかもしれないと思うことすらある。それくらい喧嘩を数え上げたらきりが無い。しかし、ウマが合わないとか性格の不一致だとか、そういう類の喧嘩ではないのがまた厄介だ。そういう類ならばパーティなんか組まずに別れてしまえば済む問題なんだから。
町の広場の噴水を見て、俺はこの町の中央にたどり着いたことに気付いた。額に吹き出た汗を手の甲で拭いながらあたりを見回すが、連れらしき顔が見当たらない。俺は一度ワインを置きに宿に戻ろう、と来た道を引き返すことにした。
町の家並みのお陰でできた日陰に入ると、汗はすんなり止まる。気温は高いが、湿度が高いわけではないので日陰にくればずいぶんと楽になった。
宿への道を歩きながら、二人の姿を思い浮かべ、ただのコミュニケーションなんだよな、とぼやきに近い声を俺は出していた。
俺も俺で放っておけばいいのかもしれないが、さっきのような派手な喧嘩をしたあとは宿屋の居心地が悪くなるだけだ。痴話喧嘩のとばっちりを喰らうなんて冗談じゃない。
「早く見つけないとな。」
俺は少し早足になって宿屋を目指した。
ワインだけはちゃぽちゃぽと涼しげな音を鳴らしていたが、その音では紛らわせそうにないほど、その日は暑かった。
ワインを宿屋の厨房で冷やしておくように頼んで、俺はその足でまた暑い炎天下に出てきた。
真正面が南に位置するのか、太陽が待ち構えたように俺を照らし焦がす。露骨に嫌な顔をしながら、俺は宿屋に帰ろうかと一瞬考えた。しかし、買い物を頼んだ二人が喧嘩したとなると、買い物の内容が別のものになってないか心配になってくる。つまり、ヤケになった衝動買いとか、ヤケ食いとかに変わっていないか、ということだ。まあ、デュランに限ってはそういうことは無いと思うが、アンジェラが心配だ。
結局俺は宿でくつろぐのを諦めた。じりじり焦がす地面に一歩踏み出して、勢いをつけて走り出した。日陰の場所を探しながら。
そこから十軒分くらい走ったところの武器屋で、デュランを見つけて俺は心底ほっとした。この暑いさなかあてもなく走りこむなんて、考えるだけでもぞっとしない。
「よぉ、色男。その林檎のほっぺはどうしたのかなぁ?」
意地悪にもからかいを込めて、俺はそう言った。すると、デュランの周りにいた客達が、ずっと気になっていたのか、ようやく笑うきっかけになったのか、声を顰めて笑い始めた。当の本人は、睨むように俺を振り返る。
「ホークアイ・・お前な」
デュランが不機嫌なのか、情けないのかどっちつかずの表情をしているのを見て、俺は思わずくっと含み笑いをした。
「お前に非があるみたいだな。その顔は」
「わからん。俺にもさっぱりだ」
デュランは参ったように俺から目をそらした。それがなんだか子供っぽくて、また笑いを誘う。
「痛そうだな。その顔。」
「いや、別に。見た目ほどじゃないと思うぜ。」
デュランは店頭にある大剣を鏡代わりにするように、自分を映して見てみる。うわっ、結構赤いなぁ、とか今更間抜けた声を上げているのを聞いて、また俺は笑いたくなった。
「アンジェラは?」
「しらねー。俺に手形つけてどっかいった」
「ホントに手形だなぁ。」
そんなことを言っていると、客の一人がよかったらどうぞ、と小さな容器を差し出してくる。
「え?」
デュランが不思議そうにその容器と、差し出した貴婦人のような女性を見比べていると、貴婦人がころころと笑って、
「お薬です。良かったらお使いください」
といい、デュランの手に握らせた。そして、その女性は何も言わずに高貴な香りを残しつつ、店を出て行った。
「うわー。いい人がいるもんだなぁ。でもあんなひとが武器屋に?」
上品そうな女性がどうしてこんなところにいるのかを訝ったデュランが不思議そうにそう言っていると、武器屋の主人が笑いながらこう言った。
「あの奥さん、ここのオーナーなんだよ。他にも武器屋を何店舗か持ってるって噂だよ。武器商人、ってやつさ。」
「女なのに?!」
それには俺も吃驚して口をはさんだ。主人はにっと笑うと、頷く。
「ただの女じゃない、あの奥さんは頭が切れるんだ。もともとは物静かでつつましいタイプだったんだが、旦那が先に逝っちまってからは人が変わったように働き始めて、いつのまにか経営者になっちまった。」
ひゅう、と思わず俺は口笛を鳴らす。
その傍でデュランが、あの人だ・・とふと思い出したように呟く。
「何が」
「いや、広場であの人見たとき、俺吃驚して呆然としてたんだ。」
「と、いうと?」
ああ、手形付けられた辺りかな、と俺はそう思いながらデュランを促す。
「俺の・・母さんに似てた。若い頃の肖像画にそっくりなんだ」
「・・ははぁん」
ようやくその後のことが容易に想像できて、俺は腕を組んだ。
「で、アンジェラに”何ボーっと見とれてんの?”とか”デュランってばああいう年増が好みなの?”とか”むっつりスケベ”とか言われたんだな?」
デュランが俺の台詞を聞いて目を見開いている。一呼吸置いてから、なんでわかったんだ?と不思議そうに目を瞬いた。
・・お前が鈍すぎるんだよ。
という言葉を飲み込んで、俺はまぁまぁ、とデュランの肩に手を置く。
「そう言うことなら、話は早い。とっとと『母さんに似てて見とれてたんだ』ってアンジェラに行って来い。そしたら、アイツのツノも引く」
「そんなことでか?」
デュランは不思議そうに唸る。
「お前にとってそんなことでも、アンジェラにとっては重要なことかもしれんぜ」
俺は説明するのも億劫になってきて、肩をすくめた。
デュランの鈍さにかかっちゃ、俺でも辟易することがある。こいつがアンジェラの気持ちに少しでも気付いたところで、パーティがやりやすくなるかというとそうでもないだろうから、このままのほうがいいのかもしれない。今まで何度かそう考えたことはあっても、今度ばかりはアンジェラが可哀想になった。
いつもは女に少しの興味もない、という性格のデュランが、一人の女性に目を止めていた、という事実に直面するだけでもアンジェラの胸は押しつぶされそうなくらいの不安にざわめいただろう。デュランに対するヤキモチとその女性に対する羨望で、アンジェラはデュランについ悪態をつく。喧嘩になる。
そのアンジェラは今どこにいるのやら。
「宿に戻ったらそう言っておく」
デュランはようやく決心がついたのか、そう言った。俺はふと安堵に顔をほころばせて、デュランに頼むよ、と言った。
結局、俺はアンジェラにコンタクトを取らなかった。アンジェラが衝動買いに走ろうが、ヤケ食いに走ろうが、今回は見逃すことにした。アンジェラの哀れさが、今回に限っては俺の胸に残っていた。
夕食をその辺で適当に済ませて、宿屋の部屋に戻った。昼間買っておいたワインとグラスを手にして。
ワインの封を解いて、グラスに注ぐ。赤い液体がとくとくと心地よい音を立てながら、グラスに満たされていく。
その音を聞きながら、宿屋が静かな空気に包まれていることに気付く。俺はそこでようやくほっとした。あの二人はまたちゃんと仲直りしたらしい。喧嘩が長引いているときは、宿屋にいても口喧嘩を繰り返し始めるので、一度宿屋の主人からこっぴどく叱られたこともある。笑えない話だ。
「とりあえず、今日の二人の仲直りに、と」
俺はそう呟いてからグラスに口をつけた。酸味がはじめ口の中に広がっていくが、それもやがて心地よい味わいに変わる。アルコールの放つふわっとした熱が口いっぱいに広がると、俺は気分よくなって目を閉じた。
二杯目をグラスに注ごうとしたときだった。窓枠に座って外の景色を眺めては、これからの冒険のことや、あの、ローラントで出遭ったお姫様のことを考えていると不意に、ドアがノックされる。控えめな、小さな音で、こんこん、と。
ノックの仕方でたいていは誰が来たのかよくわかる。しかも、その感情すら、推し量ることが出来る。女性の小さな手から弾かれる音、そしてすまなそうな遠慮がちな叩き方。アンジェラが、俺に何か詫びに来たようだった。
「どうぞ。開いてるよ」
微笑みすら浮かべながら、俺はそう言った。俺はアンジェラを今回のことで責める事などできやしなかった。
アンジェラがそうっと、ドアを開けて俺の顔を窺う。俺の表情を読んで、アンジェラはほっとしたように部屋に入ってきた。
何も言えず、アンジェラがドアの前で黙っている。俺は、今丁度空いたグラスをアンジェラに差し出した。
「飲まない?」
アンジェラが一瞬気後れしたように目を瞬いたが、アンジェラはやがて頷いた。
「うん、飲む。」
アンジェラは窓枠に座る俺に近づいてグラスを受け取ると、グラスに注がれる液体をまぶしそうに見ていた。
「どうぞ」
「いただきます・・」
まだ、どうしても沈んだ気持ちに踏ん切りがつかないのか、アンジェラは力なくそういいながらグラスに口をつけた。でも、ワインを口に含ませて、ぱっと顔が明るくなった。
「あ、おいしい!」
「だろ。でも高くないんだぜ、このワイン。気に入ってるんだ」
俺は瓶を振りながら、得意げにそう言って見せた。アンジェラの表情が和らいで、へぇ、と言いながらワインを飲む。
アンジェラが飲み終わるまで、俺は再び窓の外の景色に目を走らせていた。宿が町の外れにあるので、景色は街中のものではなくただ森が広がっていた。そのまま遠くに目を走らせると、山の陰が連なっている。森と山を照らすのは黄色く輝く月の光。静かで穏やかな風景だった。
「あー。おいしかった」
満足そうに、アンジェラがそう言ったとき、俺はようやくアンジェラに目を向けた。
「で。アンジェラ、どうしたの。」
「んー。ホークアイに、お前も一応謝っておけって。デュランが」
酔いが回り始めているのか、アンジェラは幾分ろれつが回らなくなっている。顔はまだ平気そうに見えるところを見ると、酔いが顔に出ないタイプらしい。
「デュランが?なんだそりゃ。うちの主人がご迷惑おかけしましてってやつか?」
俺は思わず吹き出した。アンジェラが俺の台詞を聞いてからしばらく経って、ぼっと顔を赤らめた。(やはり酔っていて頭の回転が鈍くなっているらしい)
「ちちち違うわよッ!なんでなんであんなのと・・あんなヤツと・・っ」
「あんなヤツにヤキモチ全開に手形つけたのは、どこのどちら様でしたっけ?」
うっと詰まって、アンジェラはうつむいた。俺はけらけらと笑った。その笑い方で、俺も珍しく酔ってるな、と思う。静かな夜にひときわ声が響いた。
やがて笑うのをやめて、俺はアンジェラにアンジェラに同情するようにこう言った。
「びっくりしたんだよなあ、アンジェラ。あの、女に興味がなさそうなデュランが女に見とれるなんて。傍にこんなに想ってる可愛くて健気な女そっちのけでさ」
「・・そぉよぅ。ちっとも見てくれちゃいないわ。あの馬鹿は」
すっかりしょげ返ったアンジェラが、哀しそうにそう言った。
「私は・・あんな風に品のよさそうな女の人じゃないもの。私はあんな風にはなれないもの・・」
デュランが母と似ていると言っていたあの女性のことを言ってるんだな、と俺はそう思った。アンジェラは悔しそうにグラスを両手で握り締めて震え始めた。
「馬鹿だなー」
元気付けるように、俺はアンジェラを引き寄せた。いつのまにか零れてしまった涙をそのままに、アンジェラは俺に掴まった。
「アンジェラがデュランの母親に似ちまってたら困るだろ。デュランはアンジェラを母親に似てる女としてしか見なくなっちまう。それでいいのか?」
アンジェラは首を横に振った。
「でも。・・もしそれでデュランが私を見てくれるなら、それでもいい」
「健気だな。でもそりゃ馬鹿な女の台詞だ」
すっぱりと、俺はそう言った。アンジェラは膨れたように俺を睨むが、俺はそ知らぬ振りで続けた。
「一人の男が母親から抜け出せなくてどうする。アンジェラはデュランを、そんなみっともない男にしたいのか?」
アンジェラはふるふる、と頭を振った。
「だからアンジェラはアンジェラのままでいいのさ」
ほっとして、アンジェラはうっすら微笑んだ。流れた涙の軌跡は、ようやく乾き始めている。
その可愛らしさに、デュランのヤツには勿体ねぇなぁという気持ちが膨らまないでもなかった。でも、この状態をデュランに見られるのもまずいなぁ、などと考えていると。
「なぁーホークアイ。お前ワイン買ったって言ってたよなー。俺にも少し分けてくれねぇ?」
がちゃっ。
悪夢かと思った。寝ぼけ眼のデュランが部屋に入ってきたのだ。あまりの驚きに、アンジェラに回した手もそのままに、硬直した。アンジェラも同じようで、俺の服を掴んでいた手を引っ込めるのも忘れて、デュランに目を見開いている。
一瞬デュランも呆然としていた。まるで三すくみにでもあったかのように、俺たち三人は暫く身動きが取れなかった。
「ホークアイ・・お前ぇ・・」
アンジェラの涙の跡が、デュランの頭の中で最優先に処理されたらしい、ということをこの台詞で俺は悟った。
「あッ!!ちょっとデュラン、誤解!!誤解だってば!」
アンジェラも慌てふためいて、ごしごしと涙を拭いた。しかし、デュランのヤツは話を聞きもせずに、俺の胸倉を掴もうと手を伸ばした。
ひょいっ
音もなく、俺は窓枠に足の力を込めて宙返りした。窓の外側に向かって。
見てるヤツには猫のような仕草に見えるかな、などとどうでもいいことを考えながら、俺はそのまま二階下の地面で足をつけた。デュランが悔しそうに声を荒げてこう言う。
「こらぁぁ!上がって来い!お前の手の早さ、教育し直してやるっ!!」
「ばぁか!こっちはお前の鈍さを直してやりたいくらいだよっ!」
にっと笑いながら、俺はアンジェラに見やった。
「よかったな。アンジェラ!」
「え?」
目を瞬かせたアンジェラが俺を見る。
「手形つけるまではないけど、同じキモチ、デュランにもあったみたいだぜ?」
アンジェラはそれを聞いて、嬉しそうに微笑んだ。ああ、本当にデュランには勿体ねぇ。
「ワインなら二人にやるよ。ちょうどいいから」
「何が丁度いいだ?!ワインなんかこの際どうでもいいから、おいっ!戻って来いこの野郎ッ!」
どうでもいいってそりゃないでしょ。
俺はそう思いながら、ワインの銘柄を口で転がした。
「『未だ見えぬ恋の約束』、だもんな」
ワインのリボン、頼めばよかったかなぁなどと考えながら、俺は酒場で一夜を明かそうと足を向けた。デュランの怒鳴り声を背中で聞き流しながら。
Fin.
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