砂漠のホームシック
灼けるような暑さ、と言葉にしてみると他愛ないが、この一帯は灼熱の砂漠と呼ばれるだけあって、俺達はひどい暑さに見舞われた。出生をこの地方だとするホークアイでさえ、息を荒くしている。彼はここから程なく歩いたところにある砂の要塞ナバールの出身なのだが。
そんな奴でもあんな状態だ。一度もこの地に訪れたことのない俺達には、筆舌に尽くしがたい暑さだ。
「で、これからどうします?」
それでもリースは落ち着いた声でそう言った。
彼女は風の王国ローラントの王女様だ。サルタンという町から灼熱の砂漠を越え、オアシスの町ディーンにたどり着いた俺達を見回しながら、この暑さと一旦決別させるように、幾分厳しい声でそう言った。
俺は頷いてみせると、いつものように仲間を眺めながら新しい土地に入った時にやることを口にした。暑さに乾いた唇を湿して。
「とりあえず、食料と水の調達。それと情報収集だな。精霊の情報がないかを町の人に聞いてみるんだ。いつも通りこれは二手に分かれて同時にやろう。調達係りは俺とケヴィンとリース。情報収集はホークアイ、アンジェラ、シャルロット。いいな」
「宿はこっちがとっておくわ」
アンジェラが暑さを堪えきれない、とでも言いたげな表情でそう言う。俺は一言付け加えた。
「安いところな」
アンジェラはすぐに食って掛かるように反論した。
「ひっどぉ!こんなところ安いところじゃ蒸し風呂よ!冗談じゃないわ!!」
アンジェラがいつものごとく、贅沢を言う。アンジェラも、実は王女様なのだ。アルテナ王国女王の一人娘。一人娘故か、王女様という身分故か、どちらにしてもその背景に頷けるほど、性格は我が儘で奔放だった。
俺は息をつくとホークアイに目配せした。ホークアイは肩をすくめて弱ったように承諾した目を返してきた。アンジェラをうまく丸め込むのは、実は俺よりホークアイの方がうまい。それが分かってきて、最近俺はアンジェラにあまり口出さずに済んでいた。
アンジェラもそれが分かってきたのか、ホークアイと俺を見比べて暗に瞳のやりとりがあったことを知ると、ぷいっと顔を逸らしてむくれた。
「頼むな。ホークアイ。俺達に見合った宿屋ってことで」
「オーケー。お姫様のお世話代はあとでもらうからな」
「ちっ。あとでワイン一杯でも奢ってやるよ」
俺はやれやれ、と息をつきながら、じゃ、行こうかとリースとケヴィンを促した。そのとき後頭部にこつん、と何かが飛んできた。振り向いてみると、今し方俺の頭に当たったらしいまんまるドロップが、砂地の地面にぽつんとあった。
正面を見やると、アンジェラが膨れた表情でそのドロップを投げた格好のまま、俺を睨んでいる。アンジェラはゆっくり体勢を戻すと、悪態をついた。
「ふんっ!デュランのばかっ!・・行くわよ!ホークアイ、シャルロット!」
そう言って、くるりとアンジェラは踵を返すと、苛立たしげに足を踏み鳴らす仕草をしながら―――とはいっても砂地なので音が鳴るわけではないが―――その場を去っていった。シャルロットとホークアイが慌ててアンジェラを追う。
俺はアンジェラの後ろ姿を見ながら頭を掻いた。どうにもアンジェラの行動は理解ができなくて困る。
ケヴィンがまんまるドロップを拾い上げ、もらっていい?と尋ねる。俺は眉を上げて肯定の眼差しをしてみせると、ケヴィンは嬉しそうにドロップをポケットに仕舞った。無邪気な彼の表情に、俺の気分もようやく和らいだ。
隣のリースが、くすくすと何かを笑っていたが。
食料と水の調達が済んだ俺達の迎えにきたのは、シャルロットだった。彼女は聖都ウェンデルの司祭の孫娘。人間と妖精の両親を持つという所以か、彼女は15歳という年齢にかかわらずその外見はそれとは程遠い。5,6歳の小さな子供のようで、言ってみれば、俺の妹のウェンディくらいに見える。
「お買い物は済んだでちか?」
「ああ、宿はとれたか?」
俺はリースの持っていた荷物に手を差し出しながらそういった。リースが大丈夫です、と微笑む。リースが持っているのは、女性代表としての買い物だからそれほど重いわけではないらしい。俺はそれを見て、持っていた一つの荷物を両手で抱えることにした。
シャルロットがそれを見て、はぁと息をつく。
「とれたでちよ。アンジェラしゃんが納得できて、お財布に見合うだけのやつが」
「そうか、それならよかった」
俺はそれならアンジェラの機嫌も直っていることだろう、と安心した。それを見通されたか、シャルロットは俺に向かってこう言った。
「でも、アンジェラしゃんはご機嫌ななめでちよ」
「なんで」
俺は当然のごとく、聞き返した。シャルロットが面倒そうな顔をして、手を腰にやる。眉を顰めて、上目使いで俺を睨みつける。
「いいでちか。これ以上アンジェラしゃんを不機嫌にしたくなかったら、リースしゃんと余計な話をしないようにしてくださいでち!あと、アンジェラしゃんを避けるような話し方もしないで下さいでち!!」
「そうですわね。その方がいいかもしれませんわ」
驚いたことにリースは納得したように頷いている。ケヴィンと俺だけが、首を傾げ、シャルロットとリースの顔を何度も往復させる。
「なんで?アンジェラはリース嫌いなのか?」
ケヴィンが俺に代わって、俺がしたかった質問をしてくれた。ケヴィンはビーストキングダムの獣人王の一人息子。言ってみれば彼も王子という位置の人間なのだが、彼は少しもそんな一面を垣間見せない。俺からすると、ただの純朴な少年だった。獣人の血を半分引いているため、凶暴そうな牙が笑うと覗くこともあるが、それ以外はいたって人間と変わらない。ただし夜は別だが。
「そういう問題じゃないでちよ」
シャルロットは何故だか説明する気にもなれない様子だった。怪訝な表情の俺とケヴィンに、リースはとりあえず、と口を開いた。
「シャルロットの言う通りにしてみてください。そう長いこと気にする必要はありません。アンジェラがそれで元通りになってくれれば、デュランも文句はないでしょう?」
俺は、訳がわからず、その場を頷くしかなかった。
ケヴィンが、どうしたんだろうな、アンジェラ、と呟いた。
宿屋はずいぶん居心地が良かった。天井に回る空気循環器があるせいだと、ゆっくりとした羽の動きを見ながら俺は思った。
「心配してんだろ?宿代のこと」
天井の空気循環器を見つめているところに、ホークアイが笑いながらやってきた。俺は思わず素直に頷く。
「大丈夫か?結構いい施設みたいだ。ソファなんかある」
ラウンジというには小さすぎるが、それなりのソファが2,3置かれている。俺はその一つに腰掛けた。ホークアイも、俺に倣うように隣に座った。
「俺の顔が効いた。ちょっとした知り合いなんだ。ここの主人と。前に仕事で助けたことがある」
「なるほど。地元の奴がいて助かった」
俺は思わずほっと胸を撫で下ろした。所持金を管理するのも、冒険者にとっては欠かすことが出来ない。身寄りも知り合いもいない土地を旅するのに、資金は切っても切れない重要なものだ。
「それにしても、アンジェラには参ったな」
ホークアイはそれこそようやくお前に話せる、という表情で口にした。
「なんだ、ワインのネタか」
俺は息をついた。ホークアイがにっと笑ってみせる。
「そうさ。あのお姫様はずいぶんご立腹だったぜ?全く。今は拗ねて部屋に閉じこもりっぱなしだがな」
「出てこないのか?」
「夕食には出てくるだろ?さすがに」
ホークアイはそう言ったが、アンジェラは夕食の時間になっても部屋から出てくる気配はなかった。同じ部屋のリースとシャルロットが遠慮して入るのを止めていたが、夕食の時間だと言うことを知らせに二人は部屋に迎えに行った。
しかし、けたたましい足音がして、二人はすぐに戻ってきた。
「は、早くお医者様を!アンジェラの様子が・・!」
いつも冷静沈着なリースがずいぶんな取り乱しようだった。ホークアイが頷き、すぐさま宿屋を出て行く。俺とケヴィンはリースに連れ立って部屋に向かった。
アンジェラは部屋のベッドに横になっている。見ると、顔は異様なほど赤らんでいる。苦しそうに息を吐き、頭痛でもするのかしかめ面で目を閉じていた。
「・・どうしたんだ?一体・・」
傍にいたシャルロットが振り返って首を振った。
「わかんないでち。アンジェラしゃんはずっと部屋にいたでちから・・。でも、熱がものすごく高いでちよ。」
「・・ここの熱気にやられたのかもしれませんわね」
リースが悔しそうにそう言った。何故悔しそうな顔をするのか、俺にはわからなかった。そんな俺の気持ちが顔に出ていたのか、リースは俺を見ると情けなそうに笑った。
「アンジェラの故郷を思い出して下さい。極寒の地よ。こことは全く逆の」
「そうか・・そうだったな」
気付かなかった。そういえば、この熱気に当てられる可能性が高かったのは、アンジェラだったのだ。まさかそんなことになるとは夢にも思わない。
「うかつだったな・・」
「私も・・気付くべきでしたわ」
「アンジェラ、治らないのか?」
不安そうな俺達の会話に、ケヴィンが堪えきれなくなったようにそう言った。俺は大丈夫だ、とケヴィンの肩に手をやった。
「医者に見てもらって、養生させれば治るさ。」
ケヴィンは頷いた。でも、と俺に顔を上げる。
「早く治って欲しいよ。あんなに苦しそうなアンジェラ、オイラは見たことないよ・・」
俺はケヴィンの言葉に頷いた。もう一度、アンジェラに顔に目をやろうとしたが、できなかった。
「医者呼んだぜ!」
部屋のドアが開き、ホークアイが顔を出した。待ちわびたように仲間たちの緊張が緩むのを感じた。
現れたのは、老齢の男だった。無精髭を生やし、ほっそりとしていて色黒の、そこら辺を歩くただの爺さんのようだった。
「おやおや、辛そうだな。そこの娘さん、早く桶とそれに水を入れて、手ぬぐいを持ってきてくだされ。嬢ちゃんは飲み水を。よいな」
リースとシャルロットにそう言うと、アンジェラの傍らに腰をおろした。リースとシャルロットが慌てて部屋を出る。
俺達三人は目で外に出るように合図された。俺たちは廊下で待つことにした。
しばらくして、二人がそれぞれ頼まれたものをもって部屋に入った。
ケヴィンが不安そうにドアを何度も見ながら、何度もため息をついた。ホークアイがいつもの癖で腕を組み、足を落ち着かなさげに鳴らしていた。俺は、壁に体を預けて腕をホークアイと同じように組み、目を閉じていた。
医者が扉を開けると、俺たちははっとして医者の顔を見つめた。
「外傷がないか確かめたがないようだ。毒蛇かと思ったんだがな。おそらく熱中症だろう。解熱剤を飲ませておいた。一日安静にさせて、容態が変わらぬようならまた呼ぶがよい」
部屋を覗いてみると、アンジェラは依然として息を荒くしていたが、少し表情が和らいでいるように見えた。
「ありがとうございます。」
リースが深々と頭を下げた。
「いや」
ホークアイが感謝の意を示すように、爺さんの肩をぽんぽんと叩いてから、爺さんの手にいくらか握らせた。爺さんは確認して満足そうに頷いた。
アンジェラの部屋に仲間たちが集まった。
「・・足止め、でちね・・」
シャルロットが覚悟してそう言った。仲間たちは無言で頷く。
「ここの敵はやたらと防御力のある奴が多いからなぁ・・アンジェラの魔法抜きじゃつらいんだよな」
ホークアイは短剣を取り出し、その切っ先を見つめてそう言った。ここに来る途中に敵に投げつけたのだが、先が少し折れたのだった。それはホークアイに限ったことではなく、リースの槍、ケヴィンの爪、俺の剣にも何かしら傷がついていた。
「仕方ないですわ。事前に熱中症の対策を練っておかなければならなかったのに、それに気が回らなかったのは全員の責任ですもの。そのせいでアンジェラがこんな目にあってしまったんだから・・」
「アンジェラ・・」
不安そうに、ケヴィンがアンジェラの名を呼んだ。しかし、アンジェラは薬に睡眠作用もあったのか、昏々と眠っていた。
ことん、と音がしたのはそれからどれくらい経ってからだろう。俺はベッドで眠る気にもならず、部屋の椅子に腰掛けたままいつのまにか眠っていた。窓の外の月の位置を確かめて、今が真夜中だと言うことに気付く。
「・・?」
こんな時間に何の音だろう。
俺は不思議に思った。真夜中だと言うのに、同じ部屋にいるはずのホークアイとケヴィンがいないことも気になった。
俺は無意識ながら剣を掴み、ドアをあけて廊下の様子を調べた。土くれで塗りたくられた壁を煌々と照らすのは、みすぼらしい燭台に灯された火からだった。その明かりを頼りに一直線に続く廊下の左右に目を走らせる。特に変わった様子はない。
気のせいかと思いかけた時に、ごとっ!と嫌に大きなものが地面に叩きつけられたような音がした。俺は一瞬躊躇したが、すぐに女用にとった部屋の前に行き、扉をノックした。
「おい!どうかしたのか・・うわっ!?」
不意に扉が開くと、アンジェラがよろめくように俺に覆い被さってきた。力が入らないのか体ごと使って扉を開いたようで、その勢いで俺とアンジェラは廊下に叩きつけられた。
「いてッ!」
「・・ったぁ・・」
アンジェラは髪も整わない状態だった。いつものこいつの言う『美貌』とやらは台無しだな、と俺は思った。さすがに言うのは止めたが。
「あ・・?デュラン?そこにいるの。」
「そうだよッ!早くそこどけっ!重い!」
「しつれいしちゃうわねぇ・・」
アンジェラはいつもより口調が遅くなっている。薬が強すぎるせいかもしれない。実際、俺が今アンジェラの肌に当たっても、彼女の熱はそれほど高くはないようだった。
「お前大人しくしてないとダメだろっ?」
アンジェラの熱が下がったことで安心したが、医者は安静に、と言ったはずだ。ゆっくり休んでおかないと、別の病気も併発しかねない。
アンジェラの体を支えながら俺は立ち上がった。アンジェラを部屋に連れて行こうとすると、アンジェラは酷く抵抗した。
「い・・嫌!離して!ねえデュラン!ケヴィンとシャルロットを見なかった?」
「いや?シャルロットは部屋にいないのか?」
そう言ってみて、部屋の様子を窺うと、人のいる様子はない。よく考えてみれば、人がいればアンジェラはこんなに必死にドアをあける必要もない。
「リースとシャルロットも・・いない?」
俺は訝んで眉を顰めた。
「部屋には私だけよ。ホークアイとリースは居場所知ってるからいいんだけど・・シャルロットたちが・・」
不安そうにしながらアンジェラは杖を握り締めた。俺は思わず杖を持っているアンジェラに目を見開く。
「なんでだ?なんでホークアイたちの場所を知ってる?なんでシャルロットたちを心配がる?お前はずっと眠っていたはずだろう?」
アンジェラは、ああ、と口を開くと、その訳を話した。
「ホークアイとリースなら窓から逢引するのが見えたから。こそこそしちゃって馬鹿みたい。ばればれなのにさ・・お陰で目が覚めちゃったじゃない」
くすくすとそれはもう可笑しいのを堪えきれないようにアンジェラは笑っていた。俺はなんだ、と安心しながら、それでケヴィンたちは?と聞き返すと、アンジェラは突然笑うのを止めた。
「・・」
アンジェラの沈黙は、どことなく正直だと思う。自分に非があるのか、それとも触れられたくない事なのか、どっちかだ。それを素直に認めたようなものなのだ。俺は少し笑う。
「答えたくない、か」
「・・砂漠を、越えようと戻っているかもしれないの」
アンジェラはようやく口を開くと、壁に手を当てて歩き出した。宿の玄関に向かう。
「なに?」
アンジェラはよろめくような足取りなので、俺は慌てることなくアンジェラの後についていった。
「なんで、そんなことする必要があるんだ?」
「私のせいよ。私のうわごとを・・シャルロットは聞いたの」
・・うわごと?
俺は首を傾げる。アンジェラのうわごとでどうして二人がこの砂漠を出なければならないのだろう?
「お前、何て言ったんだ?」
俺は聞いてみる。しかし、アンジェラの答えは沈黙だった。
俺は息をつく。
「で、そんな体で二人を追うのか」
「私の、せいだもの」
アンジェラは額に汗を滲ませながら、懸命に足を進ませる。俺は一瞬関心した。結構いじらしいところもあるじゃないか。
「お前そんな歩くのもやっとの状態で敵にあってみろ。怪我するだけじゃすまないぞ」
「ほっといて!」
「ったく。放っとけねぇなぁ!」
俺はアンジェラの腕をつかみ、背中から引っ張った。少々乱暴に背中にアンジェラを背負わせる。
「・・っ、デュラン?」
背中でアンジェラが驚いた声を上げた。俺は前を見据えて立ち上がる。
「魔法の力は最後にとっとけ。俺がシャルロットたちのところまで、連れてってやるから。二人をお前が守ってやらないで、誰が守れるんだ?」
「・・っ・・ごめん」
「馬鹿、謝るな。お前らしくないから」
ぽこっと頭を殴られた。俺は笑う。
まるで妹のウェンディをあやすように、言葉が零れた。
「しっかりつかまってろ。振り落とされないようにな」
アンジェラが俺の肩を掴んだ。細い指の感触がくっきりと肩に伝わってきた。俺は騎士として、守ってやる、と思った。
灼熱の砂漠の夜は、名前に反してと言おうか、名前通りと言おうか、寒さで凍えるほどだった。こんな状態のアンジェラを背負ったままその砂漠を越えるのは、アンジェラの容態を悪くしかねないと思ったが、アンジェラは引き返すことを許さなかった。
「今も二人がどこかで敵に囲まれてるかもしれないのよ!戻る暇なんてないわ!」
アンジェラの強情ぶりは鋼鉄のごとく硬く揺るぎがない。俺は仕方なく外套を外してアンジェラに被らせた。
砂漠の敵たちの攻撃をかわしながら、時に剣を振り払いながら、俺はサルタンの町を目指した。後ろのアンジェラが邪魔になるようなときは、一度降ろして敵を一掃する手間も必要だった。
剣が何度も翻り、硬い殻に覆われたバレッテという獰猛な生き物や、ダックソルジャーというアヒルの兵士もどきを倒した。忍者マスターは一人では無理なのが経験上わかっているので、何とか逃げ切った。相手は闇を味方につけているのだ。夜こそ奴の独断場だ。挑発に乗ったりすれば命がいくつあっても足りない。
「ちょっとたんま。休ませてくれ・・」
俺は運悪く三度も出くわした忍者マスターから逃げ切った後、アンジェラを降ろした。アンジェラは素直に降りて、まんまるドロップを俺に差し出した。
「大丈夫?すごい汗でてる・・」
アンジェラが指で俺の額の汗を拭う。アンジェラの手は冷たくて気持ちが良かった。熱が本当に引いたのだ。俺は安心した。
「あの医者、普通の爺さんみたいだったけど名医なんだな。あんなに苦しそうだったのに、こんなに早く治るとは思わなかった」
「うん、ほんと助かったわ。」
アンジェラはそう言って、肩をすくめながら微笑んだ。と、アンジェラがふと何かに反応して背後を見つめた。
「・・アンジェラ?」
「・・」
アンジェラが静かに、と人差し指を自分の唇に当てて見せた。
俺も聞き耳を立てる。風の音が耳をかすめる。その後。
・・もうだめでちい・・サルタンがどっちだかもうわからなくなったでちよ・・
小さな小さな声。でもすぐにそれが誰だかわかる。シャルロットだ。
「・・・いたわ!よかった!」
アンジェラがふっと顔をほころばせた。俺はすぐさまアンジェラを背中に担ぐと、声のする方に走り出した。
「シャルロット、そこにいると危ない!岩陰に隠れて!」
ケヴィンの声だ。何かの衝撃から走るばしっばしっという連続音が聞こえる。ケヴィンは敵に囲まれているようだ。
「天の頂きに走る天罰の光よ・・」
アンジェラは俺の背中で呪文を唱え始めていた。俺は懸命に二人の声を頼りに走った。走る途中、敵にあわなかったのが奇妙だと思っていたら、突然その理由が目の前に広がった。十頭を越えるバレッテの群れがそこには集結しているのだ。
「なっなんだこれはっ!?」
俺が驚きの声を上げた途端、アンジェラは呪文の続きを一気に滑らせた。
「光り輝くその力、正義と幼き命のために今ここに轟け!サンダーストーム!」
瞬間、空模様が一転し、雨雲が呼び集められたように頭上で集結する。真っ黒いその雲から稲光が前置きのように光ると、大きな雷鳴と共に太い光が地上に突き刺さった。
地面から走る衝撃に、俺はよろめいた。アンジェラごと、地面に倒れこむ。光はバレッテの群れに直撃し、過半数がその光りに痙攣を起こし、辛うじて直撃を免れた何頭かは逃げるように立ち去った。そうしてバレッテの群れが横たわって初めて、その向こうにいるケヴィンを見つけた。ケヴィンは呆然と群れを見回していたが、アンジェラを見つけて喜びに顔をくしゃくしゃにして笑った。
「シャルロット!よかった!アンジェラ、元気になった!」
「・・え・・?」
岩陰に隠れていたシャルロットが、ようやく姿を現す。一瞬バレッテの群れの残骸に驚いたが、こちらを見て安堵に顔を緩ませた。
「うわぁぁん!アンジェラしゃん!恐かったでちようぅぅ!!」
シャルロットが転げるように走ってきて、座り込んでいたアンジェラに抱きついた。アンジェラが安心して、肩の力を抜くのが見ていてわかるほどだった。アンジェラはゆっくり手をシャルロットの頭にやると、こつんと小突いた。それから、ゆっくりシャルロットの頭を撫で始めた。
「心配したわ・・シャルロット。無事で、よかった」
アンジェラはそういうと、シャルロットの頭にキスをした。
ケヴィンもアンジェラの傍に寄ると、アンジェラはそれに気付いて手を差し延べた。ケヴィンがアンジェラの手を両手で包み込んで、座り込んだ。アンジェラの元気そうな姿に安心して、ケヴィンはぽろぽろと涙を零した。
二人がアンジェラに泣きついている間、俺はバレッテの残骸の方に歩いていった。どうしてこんなにバレッテが集まってきたのか不思議に思ったからだ。
バレッテたちの辺りまで行かずともその理由がわかった。ぱっくんチョコの銀紙、まんまるドロップの包み紙などが落ちている。おそらくシャルロットが食べていたお菓子のゴミを追い、バレッテたちが集まってきたようだった。
俺は一つの謎を解明した清々しい気分でアンジェラたちの許に戻った。
シャルロットはようやく気分が落ち着いてきて、カタコトとアンジェラに話していた。
「・・ごめんなさいでち・・アンジェラしゃんの欲しいものを取りに行けなかった・・雪・・」
「シャルロット!」
アンジェラは俺が傍にいるのに気付いて、慌ててシャルロットの口を抑えたが、俺には聞こえた。
「雪?」
シャルロットはアンジェラの手を外させると、弁解するように一気にこう言った。
「アンジェラしゃん、本当に苦しそうだったんでち。あたちは何かしたくて・・アンジェラしゃんに聞いたんでち。何か欲しいものがあったらって」
「そしたら、アンジェラ、アルテナの雪が欲しいって言った」
ケヴィンがもうすっかり調子を取り戻したように微笑んでそう言った。
「シャルロットにオイラそれを聞いた。だからオイラも手伝うって言ったんだ」
「ああ・・」
アンジェラは両手で顔を覆った。まるで俺から顔をそらすように、身を捩じらせもした。
「でも、アンジェラよくなった。またそのうち、アルテナに行けばいい。雪をとりに。元気ならいつだっていける」
ケヴィンがこれ以上はないという笑みを浮かべてそう言った。俺は、そうだな、と相槌を打つと、帰ろう、と三人を促した。
「・・どうしてそんなことを隠す?」
「え?」
「雪のことだ」
アンジェラははっとしたように俺を見た。
アンジェラはもう歩けるから、と自分で歩くと言ってきかなかった。隣を歩くアンジェラは、どうしても遅くなりシャルロットとケヴィンとの距離が開いてしまっていた。
アンジェラは、ゆっくり顔をまた正面に向けた。情けない顔で笑ってみせる。
「だって・・子供みたいじゃない。みんな前を見て一生懸命戦ってるのに、私だけ、いつもずっと子供みたいにアルテナに戻りたいって考えてるのよ」
アンジェラが首を振ってさっきのように顔を覆う。
「強くなりたいって思ってるのに、心がついてこないの・・恐くて、前に進むのも本当は恐くて・・」
「お前だけじゃないさ」
俺は前を歩く二人の様子を見つめてそう言った。アンジェラは手を顔から離して、俺を見つめている。
「本当はあいつら二人だって恐いさ。リースやホークアイも。・・俺もな」
俺はアンジェラにおどけるように笑って見せた。でも、本当にそう言う風に見えたかどうか自信がない。アンジェラから見た俺は、今情けない顔で笑ってるのかもしれない。
「前に進むのはたとえ一人でもやらなきゃならないことだろう?でも、幸運なことに俺たちは出会ってる。一緒に歩こうとしてる。一人じゃなくみんなでな」
アンジェラはようやく素直な顔で笑った。さっきのような自分を卑下するような笑い方でなく、心から幸せな笑顔だ。
「だから、歩けるんだ。俺。きっと」
アンジェラが、優しく微笑んだ。
私も一緒に歩かせて、ね。
アンジェラが小さな声でそう言った。俺はアンジェラを見て、何も言わずに笑って見せた。
Fin.
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