夜風の中で


「どうしたの?眠れない?」
 確かにその日は蒸し暑かった。ベッドの中だったら、ひどく汗をかいたほど に。し かし、デュランが眠れなかったのはそれだけの理由ではなかった。後ろ からアンジェ ラが近づいてくるのを、デュランは川の縁に足を投げ出して座っ たまま、待ってい た。
「あ、ここ涼しいね。隣、いい?」
 デュランが頷くと、アンジェラが隣に座り込んだ。いつも履いているブーツ を脱ぐ と、川の流れに足を浸けた。
「気持ちいい・・。」
 ため息混じりにアンジェラがそう言った。風上側にアンジェラが座ったので 、アン ジェラが好んでつけている香水の香りを風が運んでくる。
「アンジェラも眠れなかったのか?」
 静かにデュランはそう聞いた。アンジェラは少し間をおいてから、そうよ、 と言っ たが、続けて、やっぱり嘘はだめね、と思い直したように呟いた。
「嘘?」
「そう、嘘。眠れなかったんじゃないの。デュランがあの宿から出るのを見て いた の。気になって、来ちゃった。」
 アンジェラはそう言うと、照れたように肩をすくめて笑った。デュランもつ られた ように笑う。
「デュランは?いつも夜こんな風に起きてるの?」
「いいや。今日はちょっとな。」
「ふうん。」
 アンジェラは深く聞くこともなく、後ろに手をついて空を見上げた。綺麗ね ・・と 呟くようにそう言うと、デュランの方に顔を向ける。
「不思議そうな顔をしてるのね。私なら、どーして?って聞いてくると思った ?」
「そんな顔してるか?俺・・?」
 慌てて、デュランは表情を取り戻した。アンジェラが少し頷きながら、肩を すくめてみせる。デュランが一つため息をついて、思っていたことを口にする。
「でも、そうかもな。聞いてくれるかと、思っていたのかもな。」
「珍しく素直ね・・」
「ああ、今日はな。・・おふくろの命日だから。」
 アンジェラは体を起こすと、そう、と言った。一陣の風が二人の間を通りす ぎていった。 「どんな、お母様だった・・?」  
 デュランは少し感慨深く思い出している様子だった。しかし、おもむろに首 を振ると諦めたようにこう言った。
「・・よくは覚えてないな。親父をたてていたことだけは確かなんだけど。俺 達を一 人同然で育ててくれて。」
 デュランが再びため息をついた。すると、アンジェラが慰めるようにデュラ ンの腕に 手を絡ませてきた。少し吃驚したデュランがアンジェラの顔を見よう としたが、すぐに 思い直して川の方に目を戻した。
「黄金の騎士だった親父は、その頃世界を滅ぼさんとしていた竜帝を倒すこと で頭が いっぱいだった。家族を顧みることも忘れて・・」
「・・」  
 アンジェラは相づちをうつでもなく、黙ってデュランの言葉を耳にしていた 。
「俺はそんな親父を尊敬していたが、同時に恨んでもいた。何で母さんを、母 さんを 気遣ってやらなかったんだって・・」
 悔しそうに歯ぎしりしてデュランはそう話した。アンジェラは静かにそれを 聞い て、でも、と言った。
「デュランのお母様はそれでも、そんなお父様を、最高の騎士であるお父様を きっと 愛していらしたわ・・。」
「そう、確かにそうだった。」
 デュランはそう言いながら頷いた。
「おふくろは病気のことを最後まで親父には告げなかった。話せば親父は心配 で竜帝 の退治どころではなくなる。騎士としての名誉に関わる。・・いまわの 際に、おふ くろはこう言ったんだ。私はあの人の足手まといにはなりたくなか った・・って!」 
 デュランより先にアンジェラの肩が震えた。痛いほどわかる女の気持ち。妻 とし て、女として、デュランの母はその仕事をやり遂げたのだ。
「お母様はきっとお幸せだったわ。」
 アンジェラがそう言うと、デュランは怒りを含んだ声でどうして、と訊いた 。
「親父はおふくろの側にずっといなかったし、いてもおふくろを思いやること もな かったのに・・」
「デュラン、そんなんじゃないの。女ってね、そんなんじゃないのよ。」
 アンジェラが優しく秘密を打ち明ける子供のように、デュランの耳元で囁い た。
「女ってね、自分の好きになった人が何不自由なくその人のやりたいことをや っている 姿を見られれば、それで幸せなの。もちろん、側にいて欲しいって思 いはあるけど、 でも、それでその人から足手まといに思われるくらいなら、そ してもしその人が自由 に空を飛べるのなら、つらくても喜んでその人を見守る わ。」
 デュランはそれを聞いて、今までずっと母親を不憫に思っていた感情と、父 を恨ん でいた感情が消えていくのを感じた。
「それにね、男の人の名誉は女の誇りなの。その人の名誉をつぶすような女な ん て、女じゃないわ。」
 アンジェラはそう言って川から足をあげると、ブーツを拾い立ち上がる。デ ュラン の腕に絡んでいた腕はいつの間にかなくなっていた。デュランはアンジ ェラを見上げ て、アンジェラ、と呼んだ。
「なに?」
「ありがと、な。聞いてくれて。」
 アンジェラは薄く笑った。デュランがいつもとは違う素直さなのに、それに は少し も驚いていないようだった。まるで、昔からデュランにはそんな一面も あることを 知っていたかのように。
「こちらこそ、話してくれてありがとう。願わくば、一つお願いを聞いて欲し い な。」
「なんだよ?お願い?」
 デュランはしかめ面で聞き返す。アンジェラは笑って、そうよ、と言う。
「でも、きっと難しい事じゃないと思うの。」
「・・ま、いいや。いってみな。」
「あのね、もしデュランに好きな人が出来て、その人を奥さんに貰ったらね。 」
「はあ?」
 デュランが間の抜けた声でそう言った。が、アンジェラはひるまず続けた。
「デュランはその恨んだお父様の様にはならないでね。そしてその人を、デュ ランが 可哀想に思ったお母様の様にはしないでね。それだけよ。」
 アンジェラはそう言うと、宿に向かって歩き出した。デュランは首を傾げな がら、 アンジェラを見送っていたが、やがて少し笑ってそうするよ、と呟いた 。


FIN.


Copyright 1997 BY SAE