打ち寄せては返す波。
優しい波の音と水面に映る月の光が彼女の心を静かに和ませていく。
海水の中に身を浸らせながら、彼女はただそこに漂っていた。
「海に入るなんて・・アルテナでは考えられないことなのよ。」
少し笑いながら、彼女は・・アンジェラはそういった。アルテナは年中が極寒の地に位置する、魔法王国。したがって、その国のものには海水浴などの習慣が生まれるはずもなく。
「でも、ふつうは昼間に入るものだぜ?こんな夜に海に入りたいなんて・・」
文句を言いながら、顔を曇らせるのはそばを泳ぐデュラン。彼は草原の王国フォルセナの騎士。彼はアンジェラに夜の海水浴を誘われたのだった。自分が行かなくても、アンジェラは行くに違いない。半ばアンジェラの護衛のような気持ちになるのに少々のわだかまりもあったが、結局同行することにしたのだった。
「ま、俺も暑くて眠れなかったクチだから、別にいいけどよ。」
海水の温度はそれほど冷たくはなかった。気持ちいいくらいの水温で、水の中に漂っていると、先ほどまで眠れず参っていた二人もだんだんと眠気を催し始めていた。
「なんだか、だるくなってきたな・・。そろそろ帰らないと、戻る体力なくなっちまうぞ・・」
デュランがそういってアンジェラに帰りを促す。それでも、アンジェラは大丈夫よ、と笑うと体を海に浮かべたまま、月を指さす。
「ねえ、満月ってこんなにきれいだったかしら・・」
デュランもできるだけ体力を温存させるために、海に身を浮かべると、アンジェラの指さす月に目をやる。デュランの目に、空で青白い光を放ち続ける月が眩しく映る。
「本当だ・・月って夜の海から見ると、全然違うんだな・・」
感嘆するようにデュランがそういうのを聞いて、アンジェラがデュランの方を見て笑う。それに気づいたデュランが、憤慨したように睨むが、やはりそれでもアンジェラは笑う。
いつもの元気で活発な笑い声とは違う。水に浸っていることのだるさで少し疲れが含まれている。それがどうにもデュランには、アンジェラの声が妖艶がかったように聞こえる。
「ふふ・・、デュラン。あなた気づいてないんでしょうけど、そう言ってるあなたも今すごくきれいなのよ・・・?」
デュランは思わずそれを聞いて赤くなった。
「ば、ばかなこと・・」
そういって、デュランはあわててアンジェラから目をそらす。
残念そうに、名残惜しそうに、アンジェラが囁く。ねえ、こっちむいててよ、と魅惑的な声がデュランの耳をくすぐる。
デュランはそれでもアンジェラとは別の方角を見たまま、海に漂いながらそのまま、自分が赤くなった理由に思いを巡らせる。
俺は、俺がきれいだとかいわれて赤くなったりはしない。そう、俺が綺麗になれないのはわかっている・・・。騎士は結局生き方が綺麗ではないから・・。
でも、綺麗なのは。本当に綺麗なのは。
俺の横で海に身を任せているこの女だ・・!
その確実な確信がデュランを照れさせたのだった。
「ねぇってばー。デュラン?」
水の中で、アンジェラの手がデュランの手をつかんだ。デュランがびくっとして手を震わせたが、抵抗するもなくそのままにしている。それに気づいてアンジェラの細い指が、デュランの指に絡む。信じられないくらいアンジェラの指はしなやかで、細い。王女ということもあり、そして魔法を使うこともあり、アンジェラの指は負担がほとんどかからないのだろう。
「ふふ、いつもだったらきっと振り払ってるよね。見えなかったらいいの?」
「・・・。」
デュランはアンジェラの戯れの言葉には応えてはくれない。それでも、二人の手は確かに繋がれている。
「それとも、振り払うのが、怖いの?」
「そうかもしれない・・」
デュランがやっと答える。やっと、アンジェラの方に顔を向ける。それを見て、アンジェラは微笑んだ。
「おまえの指、振り払ったら折れそうだからな」
アンジェラは穏やかに笑いながら、デュランの答えを聞く。
「嬉しい。私の事ちゃんと思ってくれてるんだね・・」
アンジェラのもう片方の手がデュランの腕に絡んで、体ごとデュランに寄り添う。デュランとアンジェラの顔は、お互いがその気になれば触れあえるほどに距離を縮めていた。
「・・イヤじゃない・・よね?私がここにいても、デュランはイヤじゃないよ、ね?」
少し大胆すぎたことを気後れしたように、アンジェラはデュランにそう言った。デュランは必死に照れる自分を隠しながら、アンジェラを不安がらせないことだけを考えていた。なによりも彼女が恐れているのは、人から拒絶されることなのだ。アンジェラが実の母にされたその事だけは、デュランはしてはいけないことだと覚えていた。
「大丈夫。怖がるな。俺はお前を嫌がったりしないから・・」
ほっとしたアンジェラの顔を見て、デュラン自身も一緒に安堵した。何とかアンジェラが不安な顔をするのを止めただけで、どうしてこんなにもほっとする自分がいるのだろう・・?
「なんか、安心するの。側にいるだけで。嫌がられてないっていうだけで、すごくすごく・・・。」
アンジェラはデュランの腕に自分の腕を絡ませながら、うっとりとデュランの肩に頬を寄せた。
「デュランはいやな人とだったら絶対一緒にいなさそうでしょ。それでも、私と一緒に旅してくれるから、私、嫌がられてないんだよね?」
「まあな、イヤだったら旅してないな。たまにイライラするときはあるけど。」
「イライラ?」
不思議そうに顔を見上げるアンジェラに、デュランは苦笑する。
「まあ、仕方ないことなんだけどな。体力の差とか、身につける好みの差とか、そういうつまらないことなんだけど」
「そっかあ、デュランそう言うこと何もいわないから、わかんなかった。歩調とか合わせさせたんだぁ・・。」
ふふ、とアンジェラがそれでも満足そうに笑う。嬉しそうに幸せそうに頬を紅潮させているのが、月の光のおかげで何とか判る。
「でも、好みの差って?」
アンジェラはまたデュランを見上げてそう尋ねる。デュランはん?とアンジェラの顔を見て、また苦笑した。
「だから、つまらないことなんだって。お前の服装が派手すぎるんじゃないかとかな。関係ないよな、本当に」
「ああ、そういうことかぁ・・。でもこれはしょうがないかな。私自分を見てもらいたい方だしね。視線を浴びるのってすごく気持ちいいの!」
デュランはなんとなくため息をつきたくなるのをこらえる。確かに人に眼中にないという目をされるよりは、注目を浴びる方がいくらか気分はいいはずだ。しかし、アンジェラの場合は、こと男どもの目にはそれ以外の好奇の目が向けられていることにちゃんとこいつは気づいているんだか・・・。
「でもね、服装はきっといつかふつうのを着れるようになると思うよ。いつか私だけを見てくれる王子様でも見つかれば、すぐに止めるわ。だって、そうしたらもう注目を浴びる必要、ないものね」
「王子様、ねえ・・・」
ぼんやりと聞き流しながら、デュランはアンジェラが催促するように腕を引っ張るのに気づいてアンジェラの方を見ると、アンジェラが目を閉じてじっとしているのを見て、ぎょっとする。
「お、おい・・」
「・・誰も、見てないわ・・・」
そう言う問題か?!
デュランは口に出せないつっこみを発しながら、月に映えるアンジェラの顔を見つめた。見つめながらデュランは、やはりアンジェラのその綺麗な顔に感嘆する。
こいつ・・・やっぱり綺麗だ・・・。
見えない引力に引き寄せられるように、デュランは顔を近づけていく。アンジェラの肩を抱きしめ、お互いの体がびったりと寄り添う。
「アンジェラ・・・」
名前を呼んだだけで、ひどく心が苛まれる。アンジェラの今までに見たいろんな顔が頭の中で走り巡り、いつでも幸せに笑っているアンジェラでいてほしいと願わずにいられない。それは、今までにはまるでなかった感情。それでも判る。今あるこの思いが、大切だって事だけは、確実に。
大海原の中でたゆたう二人は、その時からただの仲間であることを捨てた。それを見届けたのは、大空に瞬く数多の星と、彼らを光り輝かせた月のみ・・・。
FIN.
Copyright 1998 BY SAE