フォルセナの姫君
ファ・ザード大陸西方、北ミスト山脈と南の大地の裂け目に守られた場所に
草原の王国フォルセナはある。ファ・ザードの大陸中最も温暖な気候に恵まれた
その南方の高原には、凶暴なモールベアが生息し、一般市民にはなかなかピクニ
ックを楽しむことはできない。しかし、だからこそ雄大な自然が残るその高原を
、人々はモールベアの高原と呼んでいた。
高く堅固な塀に囲まれた城下町と英雄王と呼ばれるその人の住むフォルセナ
城の入り口には優れた門番兵が佇み、来る者を怯えさせるが、フォルセナに害無
き者と判断すると素早く敬礼をし、歓迎の意を述べる。
城下町に入ると、赤煉瓦の家が建ち並び、通りには多くの露店が所狭しと続
いている。そのメインストリートから右に外れると、黄金の騎士デュランの生家
がすぐに見える。が、ここには今デュランはいない。あの可愛らしくって兄思い
のウェンディなら、デュランの部屋にまた入って窓からフォルセナ城を眺めてい
るかもしれないが。
フォルセナ城。英雄王・リチャードの住まう城。そこにデュランはいた。
「早いな、黄金の騎士デュランよ。」
英雄王は満足そうに頭を垂れるデュランを見つめた。デュランははっと身体
全体で返事をすると、ひざを突いたままの姿勢で声を上げた。
「我が王の呼ぶところ、俺は何処にでも行くと誓っているので。」
「大げさな。戦いは終わった。デュラン、そろそろお前も平和に目を向けてみ
る気は無いのか。」
王は困ったように眉をひそめると、苦笑混じりにそう言った。デュランは首
を横に振ると、真の平和など何処にもありません、と言う。
「まあな。」
王は別段気分を害した風でもなく、何の感情も含まずに返した。ところで、
と王が言葉を出した所を見ると、呼び出した真の目的はここからと言うことにデ
ュランは気付く。
「デュラン、お前も立派に騎士の称号も受けた。しかしお前は他の騎士と足ら
ぬものがあるのを、知っていたか?」
デュランの王のこの言葉に、心底心外だという顔をしそうになって慌てて顔
を伏せる。そして、おもむろにこう言った。
「経験、でしょうか?」
「無理に言わずともよい。お前は去年の旅で人の何十倍の経験と苦労を積んで
きたことはわしも知っておる。」
王の顔に不敵な笑みが広がるのを見て、デュランは怯えた。何を言いたいの
だ?王は。
「何が、足らないのでしょう?」
「妻だ。妻がおらん。デュランの正妻が。」
つっ!
「妻っ!?」
あまりの驚きで、デュランは調子っぱずれな声を玉座の間に響かせた。王の
そばに仕える二人の護兵が、無礼者!とデュランを咎めようとしたが、王が寸で
で楽しそうに二人を止めた。
「デュラン、そなたのそんな顔をわしは始めてみたぞ。」
なるほど。デュランの顔は耳まで赤らみ、目は大きく見開かれて、口がぽか
んと開いたままになっていた。
「しっ失礼しましたっ。」
慌ててデュランは体勢をなおして、再び頭を垂れた。
「しかし王、冗談も程々にして下さい。」
「だれが、冗談と言うたのだ?」
「は?」
間の抜けた声でデュランが顔を上げると、王は意気揚々とこう言った。
「騎士たるもの、妻がいてこそ剣技も光るというもの!」
その王の言葉にデュランは一瞬呆けたように口をだらしなく開いたままにし
ていたが、すぐに王に言葉を返した。
「しっ、しかしっ、俺はまだ18です!修行もやりたいこともまだまだたくさ
んあるんです!それに俺はまだ妻を持つ権利のない男ですから」
不意に。デュランの耳にアンジェラの泣き声が聞こえた気がした。デュラン
は思わず拳を作って目を閉じた。まるで必死に忘れようとするように。
しかし、王はそんなデュランの言葉を違うように取っていた。
「婚期年齢のことか。気にするな、わしが例外として認める。デュラン、お前
はもうただの兵士ではなくなった。世界を救った黄金の騎士なのだ。これがどう
いうことか、分かるか?」
デュランはいえ、と短く否定すると王は二人の護兵に目で合図して部屋から
出させた。
「うまく行けばお前はわしを継げるということなのだ。」
王は声をひそめてそう言ったが、デュランはさらりと流した。
「まさか。俺には王族の血も、貴族の血ですら流れてないことぐらい、王もご
存じのはずですよ。」
「このわしも、わし自身も流れてはおらん。」
その言葉にデュランは目を見張った。その目を見て王はふっと投げやりに息
を吐いた。
「初耳か?そうではないだろう。わしの父はあの肖像画の通りエディオンだが
、母はあの気品ある王妃レリーナではない。レリーナが由緒ある王族の娘であっ
たのに、な。父はレリーナでない女を孕ませ、わしは生まれた。何故このわしが
フォルセナ王になんぞなれたか分かるか?わしがフェアリーの宿主、聖剣の勇者
だったからだ。」
「初耳です。俺は王は血を継いでいるお方だと。」
「なに、世代も違うし忙しいご時世だったからな。知らぬといっても不思議で
はない。しかしこれで分かっただろう。この椅子に座れる者はもはや血なんぞで
はない。すばらしき技能を持つ者だ。デュラン、お前はそれに当てはまる。」
特に大げさな謙遜などせず、デュランはありがとうございます、と頭を垂れ
た。自分の力を信じる者だけができる大それた返事だった。しかし、王もそんな
デュランの行動を忌み嫌う程野暮ではない。
「わしは正直それに異存はない。が、問題は別の外部の人間だ。デュランの妻
の座を射止めようとする貴族の娘やその父親がこの城に跡を絶たん。デュランよ
、これは忠告なのだ。早めにお前の妻として正式に言い渡せるようにわしはして
おきたい。そうでなければ、お前の命すら危ういのだ!」
フォルセナ城の門を抜け、暗くなったメインストリートを歩きながらデュラン
はため息をついた。
「知らなかった」
王が王家の血を引く者でなかったことが?
自分が本当に黄金の騎士だったことが? 自分があの玉座に座ることの出来
る人間だったとは!?
「俺はまだ18だぞっ!結婚なんて、早すぎる。」
「結婚?」
その声に驚いてデュランが顔を上げると、暗がりの真正面に女が立っていた
。この辺はメインストリートにも関わらず、夜になると容赦なくランプが消され
てしまうので真っ暗だ。だから、女の顔をデュランは見ることは出来なかった。
だが。
「あ!」
(まずい!)
「ンジェラか?」声が似ていた。背丈も同じくらい。
「結婚するの?誰と?」
「待て、アンジェラ。おちつけ」
「いやっ!」
デュランが腕をつかもうとしたが、女は素早く翻すと走り去ってしまう。
「待て!待てよアンジェラ!」
慌ててデュランは追いかける。メインストリートから外れ、窓の光のあると
ころに出たとき、女が笑って振り向いた。
「お久しぶりです、デュラン!」
「リースっ!」
デュランはへなへなとその場に崩れ落ちた。リースはそのデュランに手を貸す
と、大丈夫?と言って笑う。
「お前っ俺をだましたなっ!アンジェラに似た声まで出して!」
「あら、そんなに似てましたか?私は普通に声出しただけでしたのに。デュラ
ンが本当はアンジェラに会いたいんじゃないですか?」
「なっ、何で俺があいつに会いたがんなきゃなんねえんだ?」
粋がるデュランをリースは横目で見ると、くすっと笑う。
「何ででしょうね。それより私おなか減ってるの。どっか食べ行くののつきあ
ってくれませんか。さっきの話も気になるし。」
デュランは、はああーっとため息をつくと、いいけど、と承知した。
「でも、さっきの話聞きたいんなら、食堂じゃダメだ。ウチ来な。ご馳走して
やるよ。」
それを聞いて、リースは嬉しそうに微笑むと不意におとなしくなる。
「どうした?」
「ごめんなさい。もう一人お客が増えてもいい?アンジェラじゃなくて悪いけ
ど。」
「。何でそこでアンジェラ出すんだよ?」
「何となく。いいかしら?」
「いいよ。そいつ連れて来な。俺先行って用意してっから」
「ええ」
リースは元気良く返事すると、町外れの酒場に向かって走り出した。どうや
らそこにもう一人の客を待たせてあるらしい。
「やれやれ、懐かしいのが来たのはいいけど、やな話まで聞かれちまったなー
。」
デュランはため息混じりにそう言うと、我が家に向かって歩き出した。人影
もなく暗い裏道にデュランの家のドアが見えてきた。と同時にばたんと大きな音
を立ててそのドアが開いた。
「おにーちゃんっ!お帰りなさいっ!!」
「ウェンディ?まだ寝てなかったのか?」
まだ小さい女の子がデュランの胸に飛び込んでくる。デュランが優しく抱き
上げると、ウェンディは嬉しそうに頬ずりしてきた。
「だって心配だったのよ!おにーちゃんなかなか帰ってこないから!」
「ごめんよ。さ、俺はもう大丈夫だから、ウェンディ寝な。」
「うん。そうする。」
デュランが家に戻ると、ステラ叔母さんがお帰り、と微笑んだ。
「すみません。遅くなって。こっちはもう俺がやりますから、叔母さんは帰っ
て休んで下さい。」
「いいんだよ。帰ったってウチのうるさい旦那が待ってるだけなんだから。ご
飯まだなんだろ?いまやるから。」
「あ、いいんですよ。ほんとに。これから客が来るんでその分の方もするつも
りですから。」
今にもエプロンを付けて支度しようとするステラを、デュランは慌てて止め
る。
「そうかい?じゃあ、火の元には気を付けるんだよ?」
「はい、わかりました。ありがとうございました。」
ステラを見送り、ウェンディを2階のベッドに寝かせるとデュランはやっと
一人になった。
桶に水を汲んで一気に身体に浴びせると、汗ばんだ身体が一気に冷めて爽や
かになった。タオルを肩に掛けたまま、食事の用意を始める。青菜と鹿の肉を炒
めて、軽く調味料で味を付ける。塩のスープに根菜を入れ中火の炎を鍋に当てた
。小皿に果物を乗せて、後は二人が来るまで塩スープを煮立たせておけばいい。
「ふあああ」
何度も城に行っているのに、今日に限ってひどくデュランは疲れていた。多
分予想外のことを言われて、心理的に疲れたのだろう。
テーブルの椅子に腰掛け、デュランがうつらうつらと船を漕ぎだした頃、お
邪魔しますと言う声と共にリースが入ってきた。
「あ、ああ。やっと来たか。ったく、いつになったら来るのかとおもってた所
だ。」
「寝てらしたじゃないですか。」
「そんなことより、もう一人の客はどうした?」
「あ、ええ。ホークアイ、来て。」
リースが外に呼び声を出すと、一人の痩せた男が入ってきた。
「やあ、今晩は。きみがデュランだね。お噂はかねがねリースから聞いてるよ
。」
「噂?」
デュランはちらっとリースに目を向けたが、リースはにこっと笑ってひらひ
らと手を振っている。
(あの顔でだいたいその噂って奴の予想ができた。リースの奴、また訳の分か
んないことをこんな奴にまで言ったのか。)
「ホークアイだっけ?俺はデュランだ。よろしく。まあ、立ったまんまじゃ行
儀が悪い。そこに座れよ。俺は皿を運ぶから。」
デュランは隅のテーブルを指すと、素早く料理を皿に盛る。たちまちテーブ
ルの上はおいしそうな臭いで立ちこめた。
「いただきます。」 二人はそう言って、フォークで料理をつついた。
「あ!美味しい、デュラン、料理上手。」
「ほんとだ。羊の肉だろ?これ。うまいなー。」
「ここら辺はすぐそばにでっかい牧場があるから、良い肉が安い値で手に入る
んだ。羊の肉ったって、良い肉は硬くないしな。ここフォルセナはグルメにはも
ってこいの土地柄なんだ。」
はふはふと熱い料理を口にほおばりながら国を褒め称えるデュランは本当に
嬉しそうだった。
「で?結婚ってなんですか?」
リースが急にその話を切り出すと、デュランは露骨に嫌な顔をした。それは
もう、気分が壊れた!とでも言いたげに。
「へ?デュラン、その若さで結婚するのか?」
ホークアイの不思議そうな顔を見て、デュランはふてくされたように首を横
に振る。
「違う。俺の意志じゃない。でも、近いうちに婚約者を決めなきゃいけないこ
とは事実だ。」
デュランは深々とため息をつくと続けた。
「王の命令だ。」
「英雄王様の?どうして急に?」
リースが納得がいかない様子でデュランを問いただす。
「騎士であるためには妻がいなけりゃならんそうだ。」
「変ですわね。急におかしいですわ。デュランは黄金の騎士として王様自らあ
なたを任命したというのに。」
リースはやっぱり納得がいかないように、椅子に身体を預けた。ホークアイ
が料理をもぐつかせながら、
「何かあるんじゃないのか?デュラン」
と訊く。しかしデュランは王座の件は口にせず、やはり騎士として守る女がい
なければ一人前ではないと言うことなのだろう、と曖昧なことを言った。
「デュランは誰か選んであるですか?」
にっこり微笑みながらリースが尋ねる。リースはこういう話になると決まっ
てデュランに振るのだ。からかっているに違いない。
「別に、今から決める。」
素っ気なくデュランが言うと、リースがつまんなそうな顔をしたが、すぐに
また目を輝かせるとまっすぐにデュランの目をのぞき込み、こう言った。
「・・・・アンジェラに、言ってしまおうかしら?」
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