声は。変わりなかった。いつもの透き通った軽やかな声だった。不安に陰っていたが、声は間違いなかった。
「誰だって?」
 驚愕する仲間達の中で、一番最初に声を上げたのはホークアイだった。
「アンジェラ、悪戯がすぎるぜ?ほらほら、そんなわざとらしい声出したりしないで、とっとと立ってごらんよ。」
 しかし、そういったホークアイの声も幾分震えていた。頭の中ではまだ混乱が渦巻いてはいたが、なんとかこの場を取り繕うとしていたのかもしれない。そして、今吐いた言葉は誰もが切にそうであって欲しいという願望を寄せた言葉に違いなかった。しかし、その願望は次の瞬間に儚くも崩れ去ってしまう。
「立てるから立つけど。何故あなたは私の名前を知っているの?」
 よいしょ、とアンジェラは草の地面に手をついて立ちあがった。隣でアンジェラを覗き込むように座っていたデュランが、のっそりと立ち上がった。
「それに他の人たちは?あなたがリーダーなら教えてくれない?私がなぜここにいるのかってことと、他のメンバーの人のこと。見た目誘拐する人たちではなさそうなんだけど。」
 ふん、と威張り腐ったようにアンジェラは腰に手を当ててそういった。仲間達は唖然とアンジェラを見つめるだけだ。
「アンジェラ、ちょっと変なこと聞いてもいいかい?」
 なんとか自分を落ち着かせるようにホークアイがそういった。アンジェラはだから、とうっとうしそうに髪の毛を払うとこう言った。
「あなたが私の名前を知ってるんだったら、あなたも私に名前を教えて欲しいんだけど。」
「そうだ、ね。うん、俺はホークアイっていうんだけど。」
 ホークアイは幾分吃ったようにそういった。彼らしくない態度だったが、今の状況では仕方がない。周りの仲間達などは状況を見守ることしか出来ないようだ。いや、デュランはじっとアンジェラに探るような視線を送っていたが。
「そう、ホークアイね。どうぞ。」
「あのさ、アンジェラ。君はここを俺達と登ってきたことを覚えてないの?」
 アンジェラはそのホークアイの言葉にぱちくりと目を瞬いた。
「え?やだ、そうなの?私夢遊病だったのかしら??全然覚えてないんだけど。」
 アンジェラはまいったなぁとぼやくと、頭に手をやる。その様子を見て、シャルロットがやりきれないように背を向けた。リースが気づいて、シャルロットの肩に手を置く。
「じゃあ、さっき花を見て喜んだことも覚えてない?」
 ケヴィンが驚いたようにそういうが、アンジェラは首を振る。それだけで、ケヴィンはショックを受けたように言葉を失った。
「それで、この5人は誰も見覚えはないのか?」
 アンジェラのすぐ横に立っていたデュランは腕を組むとそういった。アンジェラはゆっくりと5人を見回して、あ、と声を上げたのはリースの顔を見たときだった。
「ローラントのリース王女!前に肖像画で見たことがあるわ!何故、あなたがここに??」
 その言葉にリースが泣き笑いのような表情を浮かべた。何も言えなかった。ただ、リースは首を振ってすすり泣き始めた。
「ごめんなさい。何か・・悪いこと言った?私・・」
「ごめんなさい、違うんです。大丈夫です・・」
 リースは泣いてしまった自分に腹を立てた。覚えていないのはきっと何か起こった所為だと分かりきっているのに、アンジェラが悪いはずはないのに、泣いてしまった。これでは何もわからないアンジェラには不安を抱えさせてしまうことになる。それでも、どうしても堪えきれなかった。
・・何も覚えてないのか?本当に??
「俺達と一緒に登ってきて、それで休憩しているときにアンジェラはこのケヴィンってのと、ちびのシャルロットとこの辺まで花を見に来てたんだよ。」
 ホークアイは成り行きを説明しながら、ケヴィンとシャルロットの肩に手を置いた。アンジェラはケヴィンとシャルロットを一瞥する。
「ふうん」
 アンジェラはそういうと、腕を組んで半信半疑な目をホークアイに向けた。そんな目で見られると、ホークアイは自分が嘘を教えているような錯覚に襲われそうになった。
「それでさ、二人は俺達を呼びにいって。君は一人残ったみたいなんだ。ここでなにがあったのかも・・」
「分からないわね。」
 すっぱりとアンジェラはそう返事した。ホークアイは肩を落す。これでは、アンジェラを元に戻す方法の手がかりすら何もないことになる。
「じゃあ、逆にお前は何を覚えてるんだ?」
 デュランが横から口を挟んだ。アンジェラはムッとした表情でデュランを睨む。
「何よ。なれなれしくお前なんて呼ばないでよ。だいたい、あんたの名前まだ聞いてないわよ、私」
「俺はデュラン。フォルセナの剣士だ。」
 デュランは無表情でそういった。アンジェラはそれを聞いて、なぁんだ、そうだと思った、とせせら笑う。
「なんだと?」
「だって、見るからに野蛮そうなんだもん。アンタ。そっか、フォルセナの剣士って噂に違わずムサイわねーっ。」
 アンジェラのその言葉にデュランはカチンと来たらしく、目を怒らせると応戦に出た。
「お前こそ、その馬鹿に派手な服装しやがって、羞恥心のカケラもねぇじゃねーか!」
「なんですってっ!?あんた、私のことなんだと思ってるわけっ?私はアルテナの王女よ!!」
「王家がそれじゃあ、民衆はたかが知れてるな。国が潰れるぜ?」
「人の国心配してる場合?男がそんなにムサくちゃ、フォルセナの女性が可哀想ぉっ!いずれ少子化に悩まされても知らないからねーっ!」
「口悪い女だなっ!」
「そっちこそ!!」
 他の仲間達は更に燃え上がる二人の悪口合戦に呆気に取られた。くす、と笑い出したのはリースだった。それから、シャルロットが、ホークアイが、ケヴィンが誘導されたかのようにどっと笑い始めた。
「すげぇや!お前らー!!」
「いつもと全然変わらないでちー!」
「オイラ、安心した!アンジェラ、何も変わってない!」
「アンジェラったら本当に変わらないわ!」
 その4人を見て、デュランがアンジェラは逆にきょとんとした表情をした。それから、顔を見合わせるとくす、と笑い出す。お互いの悪口合戦に終止符を打つように、デュランとアンジェラも一緒に笑い出した。
「さて、話を元に戻そう。」
 ひとしきり笑った後、そう仕切りなおしたのはホークアイだった。
「さっきの、デュランの質問は重要な気がするんだ。」
「何を覚えているかっていうこと?」
 アンジェラはそれを聞きなおす。ホークアイはゆっくり頷いた。アンジェラはそういわれてもねー・・と手を頬にやると考え込んだ。
「何を話したらいいの?」
「そうだな、さっきアンジェラはアルテナの王女だって言ったから、そこから君は出身がアルテナで王家であることを知ってるってことだ。他には?他国もフォルセナとか覚えてるみたいだね。ローラントとか」
「うん、基本的なことは覚えているわよ。残りはウェンデルとビーストキングダムとナバールね。あら、もしかしてケヴィンはビーストキングダムの獣人じゃない?」
「うん、そう。」
 ケヴィンは自分のことを思い出してくれるんではないかとにこにこしながらそう答えた。
「獣人ってもっと怖いのかと思ったわ。お母様がそういってらしたもの。ホセも。」
「教育係の爺やさんですわね。」
 リースがすかさず口を挟んだ。アンジェラがにっこりと笑うと頷いた。この5人が自分を知る仲間達だということを、アンジェラはゆっくり理解し始めていた。
「あとはー・・。そうだ。君は今何歳?」
 ホークアイが思いついたようにそういった。アンジェラの今の本当の年齢は19歳。出会ったときは18だったが、それから既に1年もの月日が経っていた。
 しかし、アンジェラはこう言った。
「18よ。」
「なるほど・・どうりで俺達を知らないはずだよ。」
「どういうことでち?」
 シャルロットが心配そうに声を上げた。ホークアイはぽんと元気付けるようにシャルロットの肩に手を置くとこう言った。
「アンジェラは俺達に出会った頃から今までの記憶やらを盗まれたか封印されたかってことさ。」
 残りの4人は、ホークアイのその言葉に納得したように頷いた。
「デュラン、それでどうする?その目的の洞窟までこのままいくか?」
 ホークアイは腕を組んでデュランに目をやった。デュランは無理だろ、と言った。
「このままじゃあ、多分苦しいだろう。アンジェラは18に戻ってるんなら、魔法は使えないんじゃないか?それだと、いざというときに戦力不足が表に出るはずだよ」
「ま、そうだろうなあ。一旦ここは引き返すしかないな。」
「あ、そういえば」
 ケヴィンが唐突に声を上げたので、みんなでケヴィンの方を見る。
「あ、ごめん。」
「いや、いいけど。何か思い出したのか?」
 デュランが優しくそう尋ねると、ケヴィンは一つ頷いた。
「その丘から見える洞窟があったんだよ。それがそうじゃないかと思ってデュラン達を呼びに言ったんだけど・・」
「え、どこだよ?」
 デュランは勢いづくようにそう言った。ホークアイが呆れ顔でなだめる。
「おいおい、帰るんじゃなかったのか?」
「いや、場所だけでも確認しておけばあとで来るのが楽だからな。」
「ま、そりゃそうか。見えるんならな・・」
 ホークアイももっともだという納得の表情が出る。デュランはケヴィンにどこにあったんだ?と尋ねる。
「ここから先の山の中腹なんだ・・ほら、あそこ」
 そこはギリアの山とは別の山にある洞窟だった。デュランが残念そうに目を細めた。
「ケヴィン。ギリアの洞窟だから違うみたいだ。あの山は別の山になっちまうから。」
「あ、そうなんだ。ごめん。」
「いや、いいよ。一応マッピングしておくか・・」
 デュランは地図を広げるとその洞窟のある位置に印をつけて、また地図を閉じた。それから、デュランは仲間達に声をかけた。
「それじゃ。フォルセナに一度戻るか!」
 フォルセナへの道は下りばかりで、行く途中までの半分くらいの時間でギリア山のふもとに辿り着いた。アンジェラはその道を下りながら、仲間達と他愛ない話をしていた。リースやシャルロットに声をかけて、出会った頃の話を聞いては首をかしげながら頷いていた。
 フォルセナの城下町に辿り着いた頃には、夜が更けていた。とりあえず酒場に立ち寄って、皆で軽い食事とアルコールを含む。
「さてと、一日で見つかる代物じゃないとは聞いてたけど、厄介なことになったなぁ」
 とりあえず腹を満たしたデュランがビールを一杯あおったところで、その一言が出てきた。アンジェラは果汁入りのアルコールを飲みながら、なんで?と尋ねる。
「なんでって・・」
「そりゃ、デュランは寂しいよなぁーっ!なぁっ、デュラン!」
 幾分酔っ払ったホークアイがぐいっとデュランの首に腕を回す。
「それこそなんでだよ。」
 あからさまにいやな顔をしながらホークアイの腕を外そうとするデュランだったが、ホークアイは更に腕を締めながら、なーにいってんだよぉ!と笑う。
「ぐえっ」
「ホークアイっ!首締めてますわ!!」
 リースが慌てて駆け寄って、羽交い締めにしながらホークアイを引き離す。
「リースちゃぁあん」
 今度は身のこなしがいいのが災いして、ホークアイはリースにくるりと向きを変えるとぎゅうっとばかりに抱きしめる。リースが顔を真っ赤にさせて、引き離そうとするが酔っ払いの絡みは力の加減がないのが恐ろしいところだ。リースが召喚呪文を口ずさみかけたところで、ホークアイは慌てて腕を放した。リースが真っ赤になった顔を誤魔化すようにすとんと席につくと、比較的軽い果汁のアルコールを口に含んだ。
 そんなリースを隣に見やりながら、アンジェラがへぇ、と面白そうな顔をした。
「あんたたち、お似合いねえ。付き合ってるの?」
「いやー、リースちゃんおっけぇくれなくてさー」
 ホークアイはろれつの回らない口調でそんなことをいうと、リースが真っ赤になる。
「あら、でもリースは嫌いじゃないよねぇ?」
 アンジェラがにっこりと笑いながら、リースに問い掛ける。リースは慌てふためく。
「な、何を言ってるんですかっ・・」
「嫌いじゃないよ、ね?」
アンジェラが腕をついて顔を寄せながら、もう一度リースにそういう。リースは顔を赤くして、情けなくも泣きそうな顔をして口をへの字に曲げている。
 あーあ、余計厄介かもしれん。
そんなアンジェラを見ながら、デュランは心の中でそう思った。彼女にとっては、今のこのメンバーは今日であったばかりの友達という認識しかない。長い冒険の旅をしていた経験があれば、この微妙なお互いのバランスがあったから、分かっていても誰も口を出さなかったことなのだ。
 アンジェラは強情なリースを諦めて、残った残飯をつつき始めた。チーズを絡めたポテトの欠片を口に放りながら、いいわねえ、と笑う。
「でも、アンジェラしゃんもそこのデュランしゃんを好いてたんでちよ。」
 事も無げにそういったのは、状況を描写するまでもなく口調で判別のつく見事なそのお子様だった。デュランはぎくっとした身を引き、ホークアイは面白そうに顔を緩ませ、リースは目をぱちくりと仰天させてシャルロットを見詰めた。ケヴィンに関しては、その3人を不思議そうに眺めていた。
「うん、知ってる。そうだと思う。」
 意外にも大人しく、アンジェラはそう言った。デュランの目を見詰めながら、その目ね、と指をさす。
「まっすぐで何事にもくじけない強い強い意志を持つ瞳。私が一番欲しいものをこの人は持ってる。それがすぐに分かった。多分、私はこの人が好きだったんだって。」
「憶えて・・いるんですか?」
 リースが嬉しそうに手を組むとそういった。本当に嬉しそうだった。でも、アンジェラは寂しそうに首を振る。
「ううん、違う。憶えてはいないわ。ただ、その瞳だけに好意を今も覚える。長い旅をしたと教えてくれたでしょう。それなら、私はこの人を好きだったんじゃないかって、そういう推測。」
「推測・・」
 デュラン以外がなんだか残念そうな表情で一緒に呟いた。デュランは残りのビールを飲み干した。
「ごめん、なんか私の記憶がそんなに・・みんなにとって大事だったなんて思わなかったの。無くなった本人はなくなったことすら、分かってないから平気なんだけど・・」
「本当に平気なの?」
 ホークアイが尋ねる。アンジェラは頷く。安心させるようにというよりも、自分自身が心からそう思ってるようだった。
「あなたたち5人と旅した期間の記憶が消えてるとしたら、私はもう一度あなたたちを理解すればいいと思うし。それは無理ではない気がするの。だって、私を長い旅の間受け入れてくれた人たちなんだもの。信じられるわ。」
 アンジェラはそういうとにっこりと笑った。
 それから、酒場を後にして、デュランは自分の実家に戻った。他のメンバーは宿屋に戻り、明日の支度をしてそれぞれが床に就いた。
 デュランは家に戻ってシャワーを浴びると、疲れ果てた体をベッドにすぐさま埋めた。
『知ってる。そうだと思う。』
『多分、私はこの人が好きだったんだって。』
『好きだったんじゃないかって、そういう推測。』
 アンジェラの声が、話ながらする身振りや手振りが、ベッドに入ってから蘇ってきた。本当に何も憶えてない。あれほど長い時間を共有した相手が何も憶えてないというのは、こんなにも辛く寂しいものになるとは思わなかった。
 もし、記憶を失って気が動転するほど辛いのは、失った本人だと思っていた。ただ呆然とそう思っていた。被害者当人が一番苦しいだろうと。
 しかし、本当は違うのかもしれない。傍にいたのに、あんなに話して理解していたはずなのに、「知らない」と言われてしまうのは当人ではなく、その相手なのだ。
 虚無感だな。俺が今感じているのは虚無感だ。
 確かに存在していたものが無くなってしまって初めて気づく寂しさ。そんな事に気づいて、デュランは一人情けない笑いを浮かべた。
 まるで子供みたいだな。おもちゃを捨てられた、ただの子供みたいだ・・。
 しかし、デュランはやはり分かっていなかった。恋心というものも、そんな無邪気な心と大して変わらないということに。




続きを読む。


←←TOPへ←目次へ
Copyright 2000 BY SAE