夢と現実が交錯し続けた長い夜が、ようやく終わりを告げた。微睡みの眠りに果たして昨日の疲れを癒す効果があったかどうか、そんな心配を余所に、東側の窓からは朝の光が柔かく射し込み始めている。
 デュランはうんざりすると、頭に毛布を被った。なんだかろくに眠ってないまま、朝が来たのを認めるのが、歯痒かった。夜眠れないことなど、剣術大会の前日さえありえない。体力勝負のこの世界だからこそ、どんな精神状態でも眠れるときに眠るように訓練しているはずだった。それなのに、眠れなかった。
「ちっ」
 がばっとデュランは毛布を自分から引き剥がすと、ベッドから降りた。窓に近づいてカーテンを開く。まだ昇りきっていない太陽が柔らかな光を放っているのを見つけた。
「東側・・大地の裂け目の方か。」
 思い出すのは、大地の裂け目にかかった橋での戦い。あの時アルテナの魔術部隊に挟み撃ちにされ、王女であるアンジェラに対して抹殺命令が出ていると、部隊の一人が言った。アンジェラはその台詞に号泣した。抹殺指令を出したのはアルテナの女王。彼女の母親だった。その、母のあまりの仕打ちに、彼女は泣き崩れた。
 アンジェラのその姿が、今のデュランの目に焼き付いている。あまりにもか弱くて、脆くて、それこそ守りたいと思わなかったと言ったら嘘になる。何故、そんなことを今思い出すのか。
「お母様、か。」
 泣きながら、アンジェラはそれでも母を呼び続けた。どうして、どうしてと繰り返しながら。
 デュランはふと、その回想シーンから自分を立ち戻らせた。デュランの顔からは既に昔の思い出に浸っていた表情は消え、彼の目には一つの迷いが生じていた。やがて、それが決意の色に変えていくまでに、そう時間がかからなかった。
 デュランは乱れた寝具を整えると、着替え始めた。

 ギリアの山には、今日も挑まなくてはならなかった。フォルセナの城下町を出る城門の前に、ホークアイたちがいるのを見つけて、デュランは走った。
「おはようございます。」
 爽やかにリースが朝の挨拶をする。デュランは頷くとそれに答えた。
「おはよう。俺が一番遅かったのか?すまん。」
「いいえ、アンジェラがきますから。」
 リースがいつもの優雅な口調でそう言った。デュランがその言葉に驚きもせず返事をする。
「そうか。来るのか。」
「あら、驚かないんですか?私てっきり反対されると思って、ちょっとどきどきしてたんですよ。アンジェラにもそのときは助けてって言われてたんですもの。」
 リースがにっこりと微笑む。デュランはそれを聞いて、そうだな、というと。
「確かに、戦力をひっぱるんじゃやりづらい面があるかぁ・・」
「でも、最初に反対なさらなかった、ってことは、デュランは予想してたんですよね?」
 リースがデュランを覗き込むようにそういう。デュランは、ま、そうかな、と軽く受け流す。そこに丁度、アンジェラが息を切らして現れる。
「ご、ごめん。遅れちゃって・・一応荷物の確認とかしてたら、時間がかかっちゃって・・」
「じゃ、行くか。」
 デュランがアンジェラの言葉も言い終わらないうちに、そう言った。いつもパーティのリーダーのように面倒見のいいデュランにしては珍しい仕草だった。
 ケヴィンやシャルロットもそのデュランの様子には驚いて、お互いに顔を見合わせたほどだった。しかし、それを気にした様子もなく、デュランは先頭を歩き始めたのだった。
 そして、アンジェラといえば、彼女は彼女で特に気にした様子はなかった。その二人を見比べて、ホークアイもリースもいぶかしげに首をかしげた。
 山はそこまで激しい傾斜ではなかった。昨日も歩いたが、どちらかといえばハイキング気分で登ることが出来る山なのだった。実際、休みの日には家族連れでハイキングすることもあるようだった。この山には人を襲うモンスターはそれほど生息していないので。
「いい天気でちねぇ」
「あったかいな。お昼寝したら気持ち良さそう!」
 シャルロットはおふざけでケヴィンに肩車をしてもらっていた。その前でリースとアンジェラが女の子らしく草木を見つけては、声を掛け合っていた。香水に使う草木を見つけては、帰りに摘んで帰ろうなどと話しながら・・。
 一人で先頭を黙々と登って行くデュランの隣に、ホークアイは足を急がせた。並んで、デュランに声をかける。
「あのよ、デュラン」
「なんだ?」
 汗を拭きながら、デュランはホークアイを眺めつつ、後ろを確認した。背後には危険なモンスターなどもいないし、仲間達もとりあえず今のところ異常なくついて来られていることを確認する。
「何かあったのか?」デュランは不思議そうにそう言った。
「いや、そうじゃないんだ。朝のお前の態度な・・」
「俺の態度?」
 デュランは再び前を向いて歩き出す。ホークアイもそれに合わせて歩き出した。
「アンジェラへの態度だよ。お前、いくら自分のこと忘れられたからって・・」
「ホークアイ。」
 デュランがホークアイの言葉を遮るように口を挟んだ。ホークアイはまた眉根にしわを寄せて、どうしたんだよ、と言う。
「あの丘のところで、休憩にするからさ。」
「・・・はぁ?そんな話してないだろっ?」
「しっ、騒ぐんじゃない。」
 デュランは登りながら慎重に口を開く。頼みがあるんだ、と。
「なんだよ・・」
「休憩のときにアンジェラ以外を別のところに連れ出してくれ。ごく自然に。」
「二人っきりになって、今までのことを問い質す気か?無駄だよ。昨日俺達も何度か話したけど・・」
 ホークアイは残念そうな顔をしてそう言った。デュランはそんなんじゃない、というと。
「聞きたいことは一つだけだ。ただ、その質問を出来るだけ俺だけの問いってことにして欲しいんだ。」
「責めるんじゃないよな?」
「当たり前だ」
 デュランはホークアイの方をみて、そう言った。ホークアイはわかった、というとデュランの肩に手を置いた。それから、ホークアイが情けなそうに笑う。
「昨日は眠れなかったみたいだなぁ、お前・・。」
「いろいろ、考えたさ。仲間の危機はパーティの危機にもつながるだろ?」
「あ、そりゃ俺も困る。」
 ホークアイがちらりとリースを見ながら笑った。デュランも、ホークアイのその素直さに笑った。
 比較的傾斜のなだらかな所に辿り着いた。昨日休憩した所をさほど変わらないところだった。それぞれが疲れを癒すために腰を下ろし、荷物から食べ物を出してはくつろいだ。
 いくらか落ち着いた頃に、デュランはごろんと横になると眠り始めた。それは、ホークアイとの合図だった。ホークアイはデュランの様子を見て、デュランの荷物から地図を取り出しておもむろに広げる。
「お、この辺にいい泉が湧いてるみたいだな。ちょっと水を汲んでくるか。」
「あら、いいですね。補給できるときに補給しておかなければ。」
 リースがすんなりと相づちを打ってくれる。ホークアイはケヴィンに大目の水を持ってこれるように頼むと、もちろん彼もおとなしく頷いて承知してくれた。さて、シャルロットはどうするかな。
「シャルロット、手は汚れてないか?」
「汚れてまちーっ、いろいろお花とか草とか触っちゃうでちから・・」
「泉で手を洗ってこないか。きっと冷たくて気持ちいいと思うよ。」
 ホークアイが優しくそういうと、シャルロットは嬉しそうに顔をほころばせた。
「行くでち!」
 よし、これでオッケー。あとはアンジェラが来るといわなければいいのだが。
「私も泉の水飲みたいから行こうかな。」
 こういう時に限ってうまく事は進まない様に世の中は出来ているらしい。アンジェラは立ち上がりながらそう言った。しかし、この場合の誤魔化す方法も作戦済みである。
「あ、アンジェラはデュランを見ててやってくれよ。水なら大目に汲んでくるからさ。」
 ホークアイはすかさずタヌキ寝入りしたデュランを親指でくいっと指してそう言った。アンジェラはデュランを見てから、納得したように頷いた。
「わかったわ。気をつけてね」
「ああ。デュラン、頼んだよ。」
 ホークアイはくるりと踵を返すと、3人を従えてその場を離れていった。残されたアンジェラはもう一度その場に腰を下ろすとふぅ、と息をつく。
 アンジェラも疲れたのか、自分の折り曲げた膝に顔を埋めるように眠ろうとしていた。しかし、デュランは4人が離れたことで、ようやく話をしようと起き上がった所だった。アンジェラがそれに気づいて、デュランに微笑みかける。
「起きたのね。みんな、水を汲みに泉に行ったわ」
「・・うん、そうか」
 自分が計画したことであることがばれない様に、デュランは極端に短い返事をした。そして、ここからは自分の役割があることをもう一度心の中で確認する。
「アンジェラ。」
「何?」
 呼びかけられて、アンジェラはデュランを見つめ返した。デュランの顔はまるで無表情だった。そんな表情で口にした一つの質問とは・・。
「『アンジェラ』を返してくれないか?」
 なんだって?
 岩陰から様子をうかがっていたホークアイを始めとする四人は、驚愕に目を見開かせていた。デュランの様子が気になっていたホークアイは、泉まで行かずに、三人には事情を説明して何が起こるのかを見届けるつもりで岩陰に潜んでいたのだった。残りの三人ももちろん一緒に潜んでいた。遠いので、獣人として驚異的な聴力を持つケヴィンからその状況を把握していたのだった。
「デュランは何を言ってるんだ??」
 一方、問われたアンジェラはしばらく身動きが取れない様だった。しばらくしてから、ようやくその口を開いた。
「私がアンジェラではないと?」
「そうだ。」
 デュランが厳しい瞳でアンジェラを見つめている。
「何故そう思ったの。」
 アンジェラがふいと顔を背けてそう言った。
「始めの疑念を抱かせたのは、その瞳の色だ。アンジェラとは違う、瞳の色。記憶が消えた関係で瞳の色が変わったのかとも思ったけどな。」
「二つ目は?」
 間を置かず、アンジェラ・・いや、彼女はもうすでにアンジェラの姿ではなくなり始めていた。彼女が風を纏い始め、アンジェラの服は次第に色を失っていった。
「アンジェラはアルテナが、そしてアルテナの女王が好きだったんだ。でも、お前の話からは何もなかった。アルテナの話を何もしなかった。帰りたいとさえ、言わなかった。記憶を失っているのなら、旅した記憶がないのなら、どうしてこの異国の地で見知らぬ者といることがどうして平気な顔をしていられるのか。」
「それは、策を労した者であれば、それはつじつまが合う、か。」
「そうだ。」
 デュランはしっかりとアンジェラだった彼女の姿を見詰めながらそう言った。彼女は既に髪の色すらアンジェラのものではなくなってしまっていた。もはや、アンジェラとは全く違う女性が、そこにはいた。
「他には?」
「あとは俺の中の勘だな。」
 デュランは厳しい表情でその言葉を言うと、ゆっくり身構えた。彼女は風を振り払うと、緑柱石の瞳の少女はアンジェラではなく、別の人物が立っていた。髪の毛は同じ緑柱石の色をして、肌は雪のように白い。勝ち気な目をしていたが、表情は暗いものだった。
「ああ、残念だわ。ママを生き返らせることが出来ると思ったのに。」
「ママ?」
「どういう事なんだ?」
 ようやくホークアイたちが岩陰からその姿を現し、こちらに近づいてきた。デュランはホークアイたちを見て、呆れたような顔をした。
「パパ・・パパ・・アンジェラを返してって頼まれちゃったわ」
 彼女は胸の前で手を組むと祈るような仕草をしてそう言った。
「よくわかったな・・」
 注意深く不審なその少女を警戒しつつ、ホークアイがデュランの肩に手を置くとそう言った。デュランはホークアイを見ずに呟く。
「勘といったが・・願望だな、多分」
「なるほど」
 ホークアイがくっと笑いを堪えた。デュランは限りなく照れるのを誤魔化すように、ホークアイの手を払った。
「それより、あなたは誰なんです」
 リースが毅然とした声でそう言った。槍を構え、少しでも変な動きでもしようものならその槍を以って動きを封ぜんという勢いだ。リースもデュラン同様無表情ではあったが、渾身からの怒りのオーラが全身から立ち昇っていた。
 リースのその勢いに負けじと、残りの四人もざっと身構えた。一人の少女を各国の猛者が五人で取り囲んでいる。傍目で見れば、少女には酷な情景だ。しかし、その少女は得体が知れない。これくらいの警戒は当然とも言うべきか。
「パパ・・どうする・・?」
 しかし、そういう状況にもかかわらず少女は祈る仕草で『パパ』を呼び続けている。『パパ』は誰なのか。生き返らせたかった『ママ』は誰なのか?
「・・わかった」
 少女はその言葉を最後に祈りの仕草を解いた。すっと細く絡んだ指を解くと、伏せていた瞼を開く。緑柱石の瞳が爛々と輝いている。
「あなた方をアンジェラの元へ連れて行きます。フラミーを呼んでください」
「フラミーにあんたしゃんは乗れないでちよ!!」
 シャルロットが噛み付くようにそう言った。
「あんたしゃんは嫌な感じがするでち!フラミーはそういうのに敏感でちからね!!」
 ふっと少女がシャルロットを見つめた。その少女は、シャルロットとほとんど背丈が変わらなかったが、妙な威圧感だけはあった。ほっそりとした体から迸るような気合のようなものが、シャルロットの体を震わせた。
「・・そうかしらね?」
 何も言えなくなったシャルロットをかばうように、ケヴィンが前に出てこう言った。
「とにかく呼んでみた方がよくないか?アンジェラきっと待ってる!」
「そうだな・・」
 デュランが荷物から風の太鼓を取り出して、空に掲げる。でんでん太鼓が空に鳴り響き、きぃぃんという耳鳴りがした後、白い聖獣が姿を現した。
 フラミーは丘に足をつけて、キューイ!と鳴き声を上げた。ふと、少女を見つけると、なんと甘えるように顔をすり寄せるいくではないか!
「なんでっ・・!?」
 シャルロットが心底落胆したようにそう言った。他の四人も例外なくこれには驚いた。
 優しくフラミーを撫でつけながら、少女はフラミーに笑いかけていた。
「当然よ。もともとフラミーはママの乗り物なんだもの・・娘の私をこの子が嫌う訳ないでしょう?」
「お前の母親は一体・・」
 デュランが驚愕した表情のままそう言ったが、少女はふいと顔を背けると乗りなさい、と命令した。
「私は乗る必要はないから。」
 そういうと、少女はふわん、と体を浮かせる。呆然自失の体で五人が彼女を見つめていると、少女はいらついたようにもう一度言った。
「乗りなさい。行くからね。」




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