「そうよ。私がアンジェラの記憶喪失を演じたのはそのためなんだから」
空中に浮いていた少女は、すいっとデュランたちの立っているその崖に足を下ろした。大した衝撃もなく足を地につけると、少女は腕を組んでにこ、と笑う。自分の企みが順調である事を喜んでいるようだった。
その時、風が鳴った。どこからともなく風が少女を取り巻くと、深く重々しい声が洞窟に響いていた。
「エフィル・・・お前は余計な事をしたようだね・・」
デュランたちがその声がどこから来たものかわからず、あちこちを見回していた。しかし、先ほどまで宙を自在に行き来した少女は、挑戦的な瞳を光らせながら、声を上げた。
「ええ、パパ」
・・パパ?
ホークアイとリースが不思議そうに顔を見合わせる。
「エフィル・・って・・」
ケヴィンは得体のしれない目に見えないものよりも、知らない名前に興味を持ってそう言った。少女がくるりとケヴィンの方に方向転換すると、尊大な調子でこう言った。
「私の名前よ。私は人間になったマナの女神、オフィールと、洞窟になった人間、ジークの娘、エフィル。それが、私。」
「人間と、女神の混血種だったんでち・・!」
シャルロットは唖然としながらそういうと、それじゃあさっきの声は・・と洞窟を見回した。
「私はジーク。エフィルの父です。」
穏やかな声がシャルロットの疑問に答えてくれた。シャルロットはびっくりして、ケヴィンの足にしがみつく。
「邪魔が入ったわね、パパ。・・そう、私は余計な事をした。私の願望はパパの願いとは違うの。ママに生きてもらいたいから。」
エフィルは悪びれず、しかも穏やかな口調だった。ジークはしかし、と声を上げる。
「アンジェラとはそんな約束をしていない。アンジェラには精神を返すと約束してるんだ」
「知らないわ。私は聞いてないもの」
あくまで強気にエフィルがそういうと、デュランが速い足取りでエフィルに近寄った。エフィルは気にも留めない様に、近づいてきたデュランを見つめる。
デュランは静かな怒りを湛えた瞳で、エフィルを見つめ返した。
「一体、何故そこまでやるんだ?一度死を受け入れた人間を蘇らせることは、いずれ破滅を招く。分かるだろう?そんなことくらい」
「理屈じゃないわ。私は母が優しくしてくれた記憶はないし、母の遺体だけしかしらない。不幸になってもいいの、ママが傍にいて欲しいだけなの。」
そっけなくそういうと、エフィルは再びすいっと足を空中に浮き上がらせた。それから、力を抜いたように目を閉じると、一気に崖の下まで下降した。下には魔法陣に横たわるアンジェラがいるのだ。
「いけない!皆さん、申し訳ないがあの子を止めてください。今、下へ送ってあげます。」
ジークが洞窟の中に声を響かせると、デュランたちが立っていた地面が音を立てて揺れだした。そうしてから、すぐにふっと体が軽くなる。浮遊した5人の体は、エフィルのように体が崖の下に下降していった。
しかし、エフィルは魔法陣の前で呪文を唱え始めていた。足が地についてから、すぐにデュランが飛び出してエフィルの体をさらう。エフィルが地に投げ出されて、うぅっと声を上げた。当然、唱え始めていた呪文が途中で中断される。よくよく見れば、魔法陣のあちこちからは光が漏れている。発動はもうすぐだったのかもしれない。
地面に投げ出されたエフィルはデュランから身を離そうと、デュランの頬を打った。しかし、デュランはエフィルの体を押え込むように腕を回して離さなかった。
「頼む。止めてくれ!奪わないでくれ!」
「冗談じゃないわ!私だって、ママが必要なの!離してっ!!」
エフィルの得体の知れない波動が、デュランの体をふっ飛ばした。デュランはぐぁっと声を上げると、体を投げ出される。ちょうどよく控えていたホークアイがデュランを受け止めた。苦しそうなデュランの顔を見て、ホークアイは目を怒らせる。
よろよろと魔法陣に近づいていくエフィルを妨げようとケヴィンが近寄ったが、恐ろしいほどの怒りの一瞥にケヴィンはびくりと肩を震わせると足を止めてしまった。
「シャルロット。」
静かな声でホークアイがシャルロットに声をかけた。シャルロットは不安そうにホークアイの方を見上げる。
「魔法陣、書き換えられないのか?『精神の転移』を無効にする方法」
「無効に・・わかんないでち・・でもやってみるでち・・!」
シャルロットが幾分意欲を燃え上がらせてそう言うので、ホークアイは満足げに頷いた。シャルロットは小さな足で魔法陣へ駆けていった。
「リース」
「はい。」
リースは勇ましい瞳をホークアイに向けて返事をした。
「君はデュランの介護を・・と言った所で聞いちゃくれないよね?」
「よくわかりましたね」
リースが槍を腕に持ちなおしながらそう言った。ホークアイがナイフを数本用意しながら、つきあい長いからねえ、と笑う。
「そんじゃ、ま、エフィルさんとやらを邪魔しにいきますか!」
「はいっ!」
ホークアイとリースがエフィルに向かって突撃する。駆けていきながら、ホークアイはケヴィンにも声をかける。
「ケヴィン、お前も来い!」
「あ、うん!!」
かくして、シャルロットが魔法陣の効力を無効にするための時間稼ぎがはじまった。魔法はこと精神を集中しなければ発動しないものである。外部からの邪魔をかわしながらでは、呪文を唱えるスピードが落ちると見たホークアイの読みはあながち間違いではなかった。
しかし、現実は時間稼ぎという言葉通り、その発動を完全に妨げる事は出来なかった。全身全霊を賭けて、エフィルの邪魔をし続けたが、最終的には呪文は最後の言葉を唱えられてしまうのだった。
「元来祖となる魂よ。あるべき姿を取り戻し、その御霊のあるべきその場所へと回帰せよ―――女神と人間の新しき種エフィルの名に於いて!」
魔法陣の文字が光を放つと、強烈な風がアンジェラのまわりに発生した。その風の勢いが当然のごとく周りにも巻き起こり、デュランが目を醒ます。
デュランの目に見えたのはドーム状に光を放つ魔法陣で竜巻が巻き起こり、その中央でゆっくりと体が浮上するアンジェラの姿だった。これだけで、あの悪魔の魔法陣が発動したと理解するには十分だった。
「アンジェラっ!!」
「だめでちっ!!」
魔法陣の方に入ろうとしたデュランをシャルロットが、厳しく叱りつけた。
「なんでだよっ!」
こちらも負けてはおらず、デュランも烈火のごとく荒声を張り上げる。しかし、シャルロットがなだめるようにこう言う。
「一旦発動した魔法陣はいかなる介入も許さないんでち。下手に介入すると、その相互作用で何が起こるかわからないんでち。しかも今は媒体のアンジェラしゃんがいるでちから・・」
「アンジェラの身の安全に関わると。」
シャルロットはこくんと頷いた。そこに、ホークアイたちがどーしたんだよっと近づいてくる。
「シャルロット!魔法陣の書き換えはうまくいかなかったのか!」
「書き換え?」
デュランが不思議そうにホークアイを見ると、そうそう、とホークアイは頷く。
「転移させるのをな、無効にさせるように頼んでおいたんだよ。でも発動してるみたいだしさ・・」
「あたちもやるだけはやったでち・・ただ無効にするのは問題がありそうでちたから、別の呪文をこっそり付け足したでち。」
「一体何の?」
リースが優しく訊ねると、シャルロットが幾分ほっとしたように顔を上げた。
「逆転移でち。」
「逆・・転移?」
デュランとホークアイがそのまま台詞を繰り返したが、意味がよくわからなかった。
「今発動して転移される精神を時間差で逆方向に発動させるようにしたんでち。でもあたちもこんなことするのは初めてでちから・・うまくいってるかわかんないんでちぃ・・」
責任の重さに耐え兼ねて、シャルロットは泣きじゃくり始めた。リースが慌ててシャルロットの背中を抱きしめてあげると、ご苦労様、と囁いた。
「そっか・・じゃあ望みはあるかな・・」
「あっ!見て!アンジェラの体から何か・・・!」
アンジェラの方をずっと気にしていたケヴィンが、アンジェラを指差した。周りの4人も上昇したアンジェラを見上げると、青く輝きを放っていたアンジェラの体の胸の辺りから、淡い月長石のような淡く青いくすんだ光を放つ丸い石が、何の抵抗もなくふわりと浮かんだ。
「なっ・・なんだありゃぁ・・」
ホークアイが思わず言葉を洩らしたが、誰も応えられるものはいない。と、エフィルが掠れる声で一言、時の宝珠・・と呟いた。エフィルは続きの呪文を唱えた。
「時の宝珠よ。人の精神を封ずる卵よ。我、今一度命ずる。あるべき姿を取り戻し、その御霊のあるべきその場所へと回帰せよ・・」
時の宝珠、と呼ばれたその石は光りを放ち始めた。まばゆいばかりの光は初めは青くそれから次第に緑を帯びて、それとともに光は収束していき・・そこにあるのは時の宝珠と思いきや、そうではなかった。美しい気品を備えながら素晴らしい切れ味を誇る名剣、数多くの英雄の手に幾度と手にされたというその剣、マナの剣に変化していた。
「あれはっ・・マナの剣じゃないか!」
「そう、アンジェラの中に宿るのは『手にするものを聖剣に変える心』。その中枢には聖剣が形として存在するの。勇者は心に聖剣を持っているのよ。」
そういうと、エフィルはタンっと地を蹴って、聖剣へ手を伸ばし剣を握り締めた。剣はまばゆい光を一瞬発すると、おとなしくなった。マナの女神の血をひく者だと判別したからだろうか。
「よしっ!じゃあ力、貸してもらうわよっ!」
エフィナはその剣を構えながら、聖石の方へ飛んでいく。何の前置きもなく、エフィルは巨大な聖石にそのマナの剣を叩き付けた!
「うわっ!なんてことをっ!」
刃こぼれするじゃないか!と思わずデュランは間の抜けた事をいいそうになって、その言葉が出る前に、聖石はびしびしと音を立ててその衝撃によってできたひびを全体に走らせていた。全体にようやく行き渡ったひびは、間髪置かず大きな音を立てながら崩れだした。大きな聖石の破片が大きいだけに視覚的にゆっくりと落ち始めてくる。しかし、実際にはある程度の速度を持って落ちてくるに違いない。
「こりゃあぶねーぞっ!!」
「魔法陣の中に入って下さいでちっ!まだ発動直後で魔力が充満してるでちから、多分凌げるはずでちっ!!」
シャルロットが声を張上げてそういうので、デュランたちは慌てて今はもう光が出ていない魔法陣に踏み込んだ。アンジェラはすでに初めと同じ位置に体を横たえていた。
がらがらと落ち行く聖石の破片は、シャルロットの目論見通り魔法陣の外側に落ちていった。破片が落ちてしまった後、上に残ったのはオフィールの体だけだった。その体に、エフィルが剣を握らせた。オフィールが握った聖剣が激しく輝くと、聖剣からマナのエネルギーがオフィールに移っていくようだった。
「・・・あ・・ああ。なにかしら・・・」
オフィールは瞳を開けた。エフィルと全く同じ瞳・・緑柱石のような瞳だった。
「ま・・ママっ!!」
エフィルが嬉しそうにオフィールに飛びついた。まだ何か理解できないような表情で、オフィールはエフィルを見つめていたが、ようやく目を見開いて頷いた。
「あなた・・まさかエフィル?・・どうして?」
「パパが私の封印を解いてくれたから。私も3日前に目を醒ましたばかりなの!」
オフィールはその言葉に驚いた。
「まさか!あなたはまた赤ん坊だったはずよ!」
「ええ、でも本当なの。たった三日で私こうなっちゃったのよ。多分ママの体から漏れているマナの波動が私に影響したんだと思うわ。」
オフィールはそれに頷くと、あなた、と声を上げた。
「久しぶりだね。オフィール。相変わらず美しいね。」
「よしてくださいな。あなたの声が聞けるなんて・・夢の様。どうして私の封印を?」
エフィルが何かを言おうとしたが、オフィールはすぐに黙らせた。オフィールにとって大切なのがジークなのだと言う事がありありと分かってしまって、エフィルはがっかりした。
「君を封印していた聖石が壊れかけていた。このままではマナの流出によって、この場所が誰かにばれると思ってね・・聖剣の勇者の協力を得て、一時的に君の封印を解いた。お名残惜しいのはやまやまだが、私は精神を勇者に返そうと思っているよ。」
オフィールはそれを聞いて、にっこりと頷いて承知した。
「じゃあ、私は封印を完了したら、私の精神をエフィルがその勇者さんに返してくれるのね?」
「返さなくていいのよ!」
エフィルはオフィールに抱きつきながらそう言った。エフィルは必死にしがみついて説得しようと思った。
「いいの!もうその勇者は務めを果たしているから、精神は必要ないから!」
その時、しゅっと長剣がオフィールとエフィルを目掛けて飛んできた。
二人が慌ててそれをかわし、その剣は乾いた音を立てて地に落ちた。二人が驚いた表情でその剣が飛んできた方向を見ると、鬼のような形相で仁王立ちしているデュランがいた。
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