「何をっ・・!」
 半ば呆然としたようにオフィールがそう言った。オフィールと共に空中で浮かぶエフィルは、憎々しげな表情でデュランを睨む。しかしデュランは眉一つ動かさず睨み返した。
「デュラン!」
 ようやく、声を上げたのはホークアイだった。 デュランは鋭い眼差しを女神に向けながら体勢を整えると、ようやく振り返った。
「女神だぞ・・マナの女神様なんだぞ!」
「そうだ!」
 怒鳴るようにそう言うと、デュランは悔しそうに唇をかんだ。
「女神だ!判ってる!女神なんだ!アンジェラじゃない!」
 はっとしたように、四人それぞれが顔を見合わせた。
「アンジェラを失う必要が、どこにあるんだ!何故、あいつがこんな目に会わなきゃならないんだ!聖剣の勇者のときもそうだ!あいつばかり、何故・・何故こんな運命を背負わなきゃならないんだ!!」
 魔法陣の中央に寝かされていたアンジェラの指が、意識を取り戻す前兆のようにわずかに動いた。しかし、誰もその動きに気づく者はいなかった。
「今、失われつつあるマナを、ママならなんとかできるかもしれないわ!アンジェラの役目は終ったの!命がなくなる訳じゃあるまいし、そんなに怒らなくてもいいじゃないの!」
 エフィルはオフィールの腕にしがみつきながら、乱暴にそう言い放った。デュランの目が思わず怒りのあまりに更に吊りあがった。
「命がなくならないなら、本当に何でもしていいと思ってるのか?!大体お前こそ、そのママからお前の記憶がなくなればそうは言ってはいられないだろっ!?」
 デュランの怒りは既に頂点に達していた。むき出しの怒りは、叫びとなり鋭い眼力となり全身から迸る気合となってしまい、それはまるで悪魔にとり憑かれた人間のようだ。
「俺はアンジェラを取り戻す。仲間を犠牲にしてまで復活した女神を賛美するほど、俺はおめでたくできてないんだ!!」
「馬鹿なこと!そんなの正義に反するわ!!」
 エフィルが吃驚したようにそう言ったが、デュランは今度は蔑んだ瞳でエフィルを見上げた。
「正義?正義の味方なんて俺はやったつもりもないし、やるつもりもない。俺の敵があの時たまたま、世界を崩壊させるもの側だっただけだ。」
 世界を崩壊させるもの側・・すなわち、竜帝の仲間だった紅蓮の魔導師を指しているのだろう。
「今仲間を奪うものが世界にとってかけがえのないものだろうと、俺は絶対に屈服しない!・・絶対に・・取り戻す!!」
 血を吐くような叫び。そしてそれは、同時にデュランの宣誓だった。
 と、デュランは不意にアンジェラの方を振り返った。デュランは風が蠢くのを感じた。
 ひゅ・・うん!
 唐突に、魔法陣の周辺で風が発生した。それと同時に、女神オフィールは突然ああっと悲鳴を上げると、苦しそうに体を折り曲げた。
「お母様っ!?」
女神がくず折れるのと同時に、洞窟全体が揺れ始める。地鳴りが洞窟内を反響し、恐ろしい程の揺れが全員を襲った。
「今度は何だっ!?」
ホークアイはリースを庇うように引き寄せながら叫んだ。ケヴィンもシャルロットを守ろうと、シャルロットを呼んだ。が、シャルロットはアンジェラの周りに敷き詰められた魔法陣をじっと見つめていて気づかない。ケヴィンが慌てて傍に駆け寄った。
「どうした?シャルロット!」
「魔法陣が変わっていくんでち。勝手に・・なんで・・」
敷き詰められた魔法陣に刻まれた呪文が、小さな光を発しながら書き換えられていく。呪文によって描かれたラインも、ゆっくりとした動きではあるが確かに形が変わっている。
「ほんとだ・・一体何が?」
「わからないでち・・」
しばらく様子を見ていたシャルロットが、変形する魔法陣を見つめながらあっと声を上げた。
「時間差の逆転移の呪文に何かが書き加えられていくみたいでち・・」
 ケヴィンの服を掴みながら、シャルロットは恐ろしそうにそう言った。
「何かって・・何?」
「わかんないでちよ!この手の古代魔法陣は、あたちだってまだ全部覚えた訳じゃないんでち!」
 シャルロットがいきり立ったようにケヴィンにそう言う。ケヴィンは気圧されたように目をぱちくりとしていたが、やがて、でも、と口を開く。
「何か・・わかるかもしれない。もう少し様子を見たら・・何か」
「う・・うん」
 シャルロットはおとなしく頷くと、風を巻き起こしながら変わりゆく魔法陣の姿をじっと見つめていた。刻一刻と姿を変える魔法陣に畏怖さえ覚えながら。
 そして、その傍らには、いつの間にかデュランも立っていた。
「何が・・起こってるんだ・・」
 アンジェラに一体何が起ころうとしているのか。
 そのことが全く判らない。古代魔法陣の恐ろしさは発動直前まで何が起こるか判らないところだった。よしんば、魔法陣に書かれた呪文の内容が分かったとしても、発動してしまえばその後の介入は一切許されない。
 その恐ろしさを敏感に察知できたのは、この場ではシャルロットしかいなかった。シャルロットは恐怖のあまり、泣きじゃくり始める。
「わかんないでち・・わかんないから恐いんでちよぉ・・」
シャルロットがケヴィンにしがみついて震えた。涙をぽろぽろ止め処もなく流しながら。ケヴィンはそんなシャルロットを落ち着かせるように、しゃがみこみ、目線を合わせる。
「何とかならないの?」
「さっきもデュランしゃんに言ったでちけど、魔法陣の発動中に手を加えると、媒体にも自分にもどんな影響があるか判らないでち。だから、下手に触れないんでち・・」
「つまり、見ているしかないって事、か」
デュランは歯痒いと言わんばかりの表情でそう言った。
鳴り響く地鳴りを余所に、三人は魔法陣が変形しつづけるのを見つめていた。やがて、その魔法陣が変形を終え、突如すべての呪文が光を放った。そして、この洞窟全体に響き渡ったのは、王家の血を思わせる、芯の強い澄んだ声だった。
「マナの女神の恵みたる本来の御霊を、我の身体に『逆転移』させよ――――魔法王国アルテナ王女アンジェラの名に於いて!」
「何だって!?」
「アンジェラしゃん・・・!?」
地鳴りが止んだ。ふと、リースを庇うように隅に身を潜めていたホークアイが顔を上げ、驚愕に目を見開いた。リースは、ホークアイが今の様子を何も言わないことに不安になり、ホークアイの腕の中から顔を上げ、ホークアイと同じく魔法陣の中央に目をやった。驚いたリースはうわ言のようにアンジェラ・・?と呟いた。
アンジェラは魔法陣の中央に立っていた。いや、どちらかといえば、立たされているようだった。魔法陣の力がアンジェラの身体を浮遊させ、立ち上がらせた。アンジェラは光と風を受けながらうっすらと笑うと、両手の平をオフィールに向けた。
「『逆転移』――――始動っ!!」
 アンジェラが一声そう叫ぶと、オフィールの手元にあった聖剣が、アンジェラに引き寄せられるようにアンジェラの手に戻った。アンジェラはそれを両手で持ちなおすと、それだけでその剣は先ほど見た宝珠に姿を変えた。
 オフィールがかっくりと首を折って意識を失った。エフィルがママぁっ!と泣き叫ぶ。
 そして。アンジェラの手には光り輝く宝珠が一つあった。
「時の宝珠よ。天の命(めい)を繋ぎ行くべき魂よ。目覚めよ。目覚め汝の姿を『分離』させよ・・」
 優しいアンジェラの声が、その「時の宝珠」をあやすようにそう言った。そのアンジェラの言った呪法の言葉に、シャルロットがはっとした。
 ・・魔法陣に書き加えられていた呪文は『分離』だったんでち・・。
 そうして、アンジェラの手にある宝珠は一度淡く輝くと、二度目には閃光を迸らせた。溢れんばかりの光が洞窟を真っ白な空間に変えた。一人一人の目から視力を一時的に奪う。
「な・・なんだっ!?」
 一瞬混乱しそうになったデュランに、アンジェラの声が届いた。
「大丈夫。すぐに治るから」
「ほんとに・・本当にアンジェラだな?」
 疑り深いデュランの声に、ふふ、とアンジェラは笑う。アンジェラのその声がかすかにデュランの耳に届いた。デュランは安心した。そうだ、こいつの笑い声だけは誰にも真似できない。
 悦びとからかいがこもった、涼しげで柔らかい笑い声。
 アンジェラだ。デュランは確信を持った。
 それからすぐに、光は止んだ。そして、アンジェラの手には「時の宝珠」と「マナの剣」があった。
「エフィルと言ったわね・・さぁ、これをあげるわ」
 魔法陣の中の風も止んで、アンジェラは光の止んだ魔法陣の中央で声を上げた。
 浮遊していたエフィルはオフィールを抱えたまま、アンジェラの目の前に降りてくる。エフィルはアンジェラの手から、マナの剣を受け取った。そして、オフィールの手に先ほどと同じようにマナの剣をつかませる。すると、オフィールはゆっくりと目を覚ました。
 それを見て、アンジェラは頷くと、アンジェラは「時の宝珠」を両手に包みこんだ。
「こっちは私がもらうわね」
 アンジェラの声がそう言うと、「時の宝珠」は光を放ちながらアンジェラの胸の中に滑り込んでいった。アンジェラは、その光る宝珠を自分の中に沈み込ませながら、目を閉じた。
 失った「聖剣の勇者」としての記憶、それは・・今いる5人の仲間達との楽しくて泣きたくなるほど大切な思い出だった。その大切な記憶のひとつひとつが、アンジェラの心の中で鮮やかに甦っていった。
 アンジェラの瞳がようやく開いたときには、全てを取り戻した元のアンジェラが、涙をこぼしながら微笑んだ。
「こんなに・・こんなに大切な思い出だったなんて・・私も知らなかった・・。こんなに手放すと辛いものが、こんな近くにあったなんて・・」
 アンジェラは自分で自分を抱きしめた。もう、絶対に失わない・・失わせないから。そう呟いて。
「元に・・戻ったんですね!」
 リースも一緒になってはらはらと涙をこぼしながら、アンジェラの手を取った。アンジェラは嬉しそうに頷くと、ごめんね、とそう言った。
「謝るなら、私じゃありませんわ」
 にっこり微笑んでから指先で涙を拭くと、リースはふっと後ろを振り返った。他の、ホークアイやシャルロット、ケヴィンでさえ、その人を見る。
 安堵してくつろいだ顔になっていたデュランに、仲間達全員の視線が集まった。
「・・あ、いや」
 唐突に視線が自分に集中して、デュランはうろたえたように二、三歩後ずさった。
「俺は何もしてないさ」
 ふいっと、仲間達から顔を逸らすデュランに、アンジェラが泣き笑いのように微笑んだ。
 アンジェラのヒールの音が洞窟の中に鳴り響いた。仲間達の間を通り過ぎながらその人のところへひたすら走り寄った。そして、手を伸ばす。大切な大切なそのひとに、アンジェラは抱きついた。
「デュランっ・・!」
 しがみつくアンジェラに仰天してはいたが、デュランは何も言わなかった。一瞬緊張したように強ばらせた肩を、デュランはゆっくり下ろした。そして、デュランはしがみつくアンジェラを見つめた。その瞳には、先ほどの鬼のような表情とは考えられないほどの優しい光があった。
「よかったな、アンジェラ」
「うん・・ごめん。ごめんなさい・・っ!」
「お前が謝ることは何もないさ。」
 デュランはふうっと息をつくと、アンジェラの肩にぽんと手を置いた。
 仲間達はその二人の姿を見てほっと安堵した。全て元どおり、もう何も問題はない。あとはこの洞窟を出れば、全ては終る。いや、ギリアの洞窟を見つけなければならないか。誰もが、そんな安心感に身を任せ始めていたのだが。
「やめてっ・・やめてママ・・っ!!」
 悲鳴が洞窟に轟き、エフィルがその6人の傍で地面に叩き付けられたのだった。その衝撃のあまり、エフィルは咳き込んだ。
 デュランとアンジェラが我に返り、慌ててお互いの身を離した。仲間達は理解しきれないような眼差しで、エフィルを見つめていた。エフィルに何が起こったのか、誰も何も想像がつかなかった。
「な・・なに?」
 リースが混乱状態でやっとそう言った。そして、洞窟内を見回していると、ここから真上の空中で、マナの剣を構えたオフィールを見つけて目を見開かせた。
「あ・・オフィール・・?!」
 他の仲間達もすぐさまオフィールを見上げた。
 オフィールは剣を構え直すと、一気に急降下する。そして狙いはエフィルだということが誰の目にも明らかだった。
「なにをっ・・してんだよっ!」
 慌ててホークアイはエフィルを担ぐと、素早く移動する。オフィールはそれに気づいて、空中で停止し、ゆっくりと地に足を下ろした。
「情けがあるなら邪魔しないで・・こんな風になるなんて許されないのよ・・」
 オフィールはぎゅっとマナの剣を握り締めた。今にもエフィルを殺さん勢いの母親に、エフィルは確かに傷ついていた。
「いや・・どうしてこんなこと・・。ママ・・」
 よろけながら、エフィルは自分の力で立つというように、ホークアイの体を撥ね退けた。ホークアイはそんな態度をとったエフィルを理解すると言うように、ゆっくりエフィルから離れた。
 オフィールは剣を振るうと、冷たくこういった。
「私も、そしてあなたももう一度眠りにつかなければならないわ。」
 アンジェラもデュランも、そして他の仲間達も、あまりに冷たいオフィールの声に驚いた。エフィルは驚きというよりも、落胆の方が大きかったようだ。せっかく取り戻した生きる力。せっかく取り戻した母の姿。それなのに、母はそれを奪うのか。
「どうして!やっと・・やっと声が聞けたのに・・やっと傍にいてくれると思ったのに・・」
「エフィル・・私は傍にいるわ」
 冷たい声のまま、オフィールはそういった。エフィルは悲鳴を上げる。
「気休めなんて言わないで!理屈で分かってもどうしようもないことってあるのよ!!」 そう言って、エフィルは膝を地につけた。もはや立っている気力すら、冷たい母の声に奪われたようだった。ぽろぽろと涙をこぼしながら、エフィルは泣いた。
「どうしてよ!どうして・・生きていてはいけないの!?」




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