【聖剣伝説3】

■氷解せし心に宿るもの

作成日[2006/02/05]










―――哀しくて寂しくて、こころが凍えそうだった。
―――私は、あのとき死んでもいいって、確かにそう思った。


 暖かな空気がアンジェラの頬を撫でていた。アンジェラはゆっくりと目を開くと、長く伸びた睫毛の間から簡素なロッジ風の屋根が見えた。どうやら先ほど倒れた雪の上、寒空の下、というわけではなさそうだと、アンジェラはほっと息をついた。しかし、ここがどこなのか、という疑問が頭に湧き始めると、アンジェラはじっとしていられなくなった。女王から抹殺命令を下された人間が、そうそう野放しを許されるはずが無いのだ。
 すぐに体を起こすと、ベッドから足を横に下ろす。素足の足の先は少し霜焼けになりかけていた。助けられるまで、足先から冷えていったのだろう。霜焼け程度で済んだことが幸運といえば幸運すぎるくらいだ。そのままあの雪原で放置されていようものなら、霜焼けが凍傷になり、それから血液の循環が止まってしまうと壊死が始まる。霜焼け程度ならば、きちんと手当てすれば治るのだ。
「生きてるんだ・・私。それでも生きてるんだ・・」
 逃げなければならない。早くここがどこなのかを把握し、とにかく女王の、母の手から手の届かぬ場所まで逃げねばならない。頭がそう急いているのに、何故か涙が溢れた。視界がぼやけて、頬に伝う雫をそのままにしていると、顎からぽたぽたと止め処も無く零れ落ちていく。何故こんなに涙が溢れるのかわからない。ただ、体が、心が泣きたいと叫んでいるようだった。アンジェラはその見えない意志に任せて、涙を止めようともしなかった。
「お母様に見捨てられても、私は生きている。認められなくても、それでも生きてて、私・・なんで・・」
 体が震える。認めるのは怖い、と全身が拒否している。けれど、頭によぎった疑問を口にせずにはいられなかった。
「どうして私は生きてるの・・!」

「死にたかったのかい?」
 唐突の声に驚いて、アンジェラは顔を上げた。階段を上がってくるのはどうやらこの家の夫人のようだ。手には一人分の食事の載ったトレイを持っていた。ゆっくりとした足取りであがってくると、夫人はアンジェラを一瞥してから、ベッドの傍にあった椅子に腰掛けた。サイドテーブル代わりに、もう一つの椅子を寄せてそこにトレイを静かに置く。
「娘がそろそろ起きそうだと教えてくれたんでね。粥をこしらえたのさ。食べるかい?」
「ありがとう・・いただくわ」
 アンジェラは恐縮して肩をすくませながらも、器を受け取った。暖かい器からじんわりと熱が手のひらに伝わる。食べ物を目にすると、途端にアンジェラのお腹が鳴りそうになった。アンジェラはスプーンで粥をすくうと、吹く息で冷ましてから口に運んだ。卵とじにしてあったので、ほんのりと甘い。暖かくて心からほっとした。
 アンジェラが落ち着いて食べるのを見て、夫人は安心したのか、ゆっくりこれまでのこと話し始めた。
「ここはエルランドの街だよ。アルテナ城の近くで倒れているアンタを見つけて、主人がうちに運んできたんだよ。主人は行商をしてて、荷物を担ぐのに慣れてるからちょうどよかった。アンタ折れそうなくらい細いし」
「ありがとう・・本当に。よかったら、ご主人にお礼を言わせてください」
 アンジェラはしおらしく頭を下げてそう言うと、夫人は首を振った。
「主人がいくら荷物を運ぶのに慣れてるからって、さすがに商売道具とアンタを両方背負えやしないさ。商売道具をその場に置いて来たらしくてね、今また出かけちまってる。そのあとアルテナ城に入るらしいから、しばらくは戻ってこないんだ。まあ、挨拶ならあたしのほうがしておくから」
 アンジェラはそれを聞いて、ますます申し訳なさそうに肩を縮めさせた。
「ねぇアンタ。本当に死にたかったってわけじゃないだろ?そんなに若くて、そんなことを考えちゃいけないよ」
 アンジェラは器を手にじっと身を強張らせていた。下手に口にする事もできない。今身分が知られていいことは一つもない。通常ならば王女という肩書きは何をおいても彼女を守る方向に働くはずのものである。しかし今やその肩書きすら意味があるのかはわからない。彼女は女王の命令に背いたいわば、反逆者なのだ。
 しかし、彼女の姿が一般に知られている可能性は薄い。公式の式典などに徹底的に出なかったことが今ここで役に立つとは思わなかった、と自嘲的にアンジェラは頭の片隅でそう思った。
 夫人はため息をつくと、立ち上がってベッドの傍から離れる。アンジェラがじっとしていると、クローゼットが開くような物音がした。夫人は戻ってくると、今度はアンジェラのベッドに腰掛けて、暖かそうなコートと帽子を布団の上に載せた。
「ちょっと時代遅れのデザインだけど、若い頃に使ってたものだからサイズはちょうどいいはずだよ。とりあえず、これを着ておいたほうがいいよ。城のモンだってばれるのはまずいんだろ?」
 アンジェラは驚いて、夫人を見上げた。一瞬、一体どこまでばれているのだろうと怯えた目をする。しかし、ことによったら強行突破してでも抜け出してやろう、という獣のような鋭さが瞳に浮んだ。
 しかし、夫人の方は夫人の方で肝が据わった人のようだった。アンジェラの瞳に鋭敏な光が宿ったのを見て取っても、少しも動じることなく肩をすくめてさえしてみせる。
「そんなに懐疑的な目で見られても困るねぇ。あたしは、魔導師の服装をしてるから城のモンだと思った。それから、アンタが何も話さないことに深い事情があることを感じ取った。それならば、とりあえず身元がばれるようなものを隠す必要があるんじゃないかって、服を提供したまでさ」
「私を助けてくれるの・・?どこの誰かもわからない私を?」
 アンジェラは逆に圧倒されて、目を見開く。夫人は面白そうににやりと笑って見せると、ぽん、とアンジェラの足が再び納まった布団を叩いてやる。
「生きること。それを約束してくれないかい?まっすぐ前を見てね。生きることを逃げちゃいけないよ。何かにつかまってもいいじゃないか。所詮みんな何かに頼って、つかまって、生きてるよ。アンタもそうしたらいいよ。アンタを助けてくれるなにかが、誰かが、この世にはきっとあるはずだよ。それはきっと、アンタが生まれた証になる」
 夫人はそういうと立ち上がった。アンジェラは夫人にお礼を言おうとしたが、夫人は微笑んでそれを制す。
「お礼はアンタがまたここに来た時でいい。そのコートと帽子を返しに来てくれたときでいい。アンタはとにかく今やるべきことをすぐに実行する。生きるための第一歩を踏み出すんだよ」
 夫人はそれだけ言うと、来た時と同じくらいゆっくりとした足取りで階段を降りていく。アンジェラは夫人が部屋から見えなくなるまで息を詰めて見つめていたが、夫人はもうアンジェラに振り返ったりはしなかった。
――生きるための第一歩を。
 アンジェラは夫人の言葉を思い返すと、すぐに器に残っていた粥を口に含んでコートを羽織る。帽子も目深に被り、ベッドの傍らに置いてあった杖を手にする。
「証を、私が生きている証を、みつけてみせるわ・・!」
 アンジェラはそれが目的だと自分にわからせるために、口にした。娘である自分を殺そうとした母親の真意は判らない。今はわからない。けれど、いつか理解できることがあると信じて、アンジェラはとにかく前に進むことを決心したのだった。

 彼女の物語が始まる。



■Fin.


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