【聖剣伝説3】

■記憶の古鍵

掲載日[2007/10/11]








 小さな花びらから舞うその香りは、知らぬ間に漂いはっと気付いたときにはその微かな残り香をすうっと消え入るように霞んでしまう。香りでその存在を知ることはできるのに、その在りかを探すことは難しい。あまりに遠くまでその香りが運ばれてしまっているからだ。
 今年も、その香りの季節はやってきた。

 くん、と鼻を鳴らすと、もうそこにはその匂いはない。不思議だ。無意識のときには確かに匂ったはずなのに、とあたりを見渡す。
「どうした、なにかあったのか」
 同じ見張りの任に就いているブルーザーがデュランの様子をいぶかしむとそう訊いた。デュランはもう二回ほどくんくんと犬のように鼻を鳴らしたが、もはや取り逃がしたようだった。
「今一瞬いいにおいがしたんだが」
「ああ、飯時だからな」
 ブルーザーも鼻を鳴らすが、しかし彼は違う匂いを探していた。たしかに長く勤務しているだけに、二人とも空腹ではある。ブルーザーの言葉も、デュランは蔑ろにすることはできなかった。
「確かに腹は減ったな。だけど、違うんだ。花の匂いだよ」
「花か。腹の足しにもならねぇことを言うのな、お前」
 デュランの体格の二倍はあるブルーザーがデュランを見下ろしながら肩をすくめた。図体はでかいが剣の振りが大きすぎる癖がある彼は、俊敏性の違いで前回の大会でデュランにその勝利を奪われた。しかしその大会でお互いの健闘を称えたのち、腐れ縁のような仲が続いている。
「うーん。俺んち女所帯だろ、おばさんとウェンディと。だからかな」
「なるほどな」
 見張りの塔はその意味を成すためにかなり高い位置にある。季節はそろそろ秋へと入る頃なので、日差しはあってもそこを吹き抜ける風は冷たさを日々増していた。その風に、多少に湿り気と共に孕んだ花の香り。けれど、今はもうその匂いもしない。
「花の香りなぁ。今時期珍しいな」
「そうでもない。確か今時期の花があったはずだ」
「へぇ」
 ブルーザーはもう興味がなさそうだった。男二人で花の話なぞ、盛り上がるはずもない。しかしデュランにとってはそれはどうでもいいようだった。ただ、気になるのだ。どうしてその花の匂いが気になるのかわからないが、どうしても花の名前を思い出したかった。
「なんだっけなぁ…」
「ちゃんと見張れよ?」
 ブルーザーは呆れたようにデュランにそう言うが、デュランが仕事をおろそかにすることなどないので、それはただの忠告にすぎない。
「わかってるよ」
 デュランは眼を城から遠く離れた山稜付近を眺めて言った。この国への不審な出入りがないかを見張るのがデュラン達の役目だった。二人はたがいに背を向けたまま、城の四方を囲む緑の大地に異変がないか規定の時間まで監視し続けた。

 デュランは結局花の名前を思い出せないままその塔を降りることになった。ブルーザーと階段を降りながら、デュランはやはりまだ花の名前のことを考えていた。
「お前、まだ花のこと考えてんのか」
「気になるんだよ。なんでこんなに思い出せないのかそれがまたいらつくんだ」
 デュランは眉間に深くしわを刻ませたまま、ブルーザーにそう言った。
「ふうん」
 あまりにデュランがこだわるのが珍しく、ブルーザーは階段を降りながら実はずっと考えていたことを口にしてみることにした。
「俺ちょっと考えたんだけどさ」
 まずはブルーザーが一言そう言って、デュランの思考を一旦中断させるように差し向けた。デュランは素直にブルーザーの思惑通り、え、と顔をあげてブルーザーに意識を戻したようだった。
「花の名前、思い出せないんだよな」
「ああ」
「知ってる名前のはずなんだよな」
「そうだ。絶対知ってる」
 話しながら、二人はいつの間にか立ち止まってしまった。寒々とした石段のらせん階段は風が吹き抜けていく構造になっていてとても寒い。それでも、二人は思考を合わせるようにお互いの動作を停止させたのだった。
 ブルーザーはしばらくデュランの顔を覗き込むように見ていたが、不意にそこから目をそらすと、ブルーザーの顔の高さの小窓に目をそむけた。
「それ、お前は思い出したくないんじゃないかと思うんだ」
「なんだって?」
 デュランはブルーザーの予想外の言葉に戸惑ったように目を瞬かせた。
「あのさ、俺もよくわかんねぇけど、なにかがきっかけになって思い出すような記憶ってあるじゃねぇか。ほかの人間には他愛のないような内容でも、当の本人が聞くとそれがカギになってまるで芋づる式に蘇る記憶っていうのがさ。だから、お前自身がもしかしたら嫌な記憶を封じるために、その記憶に」
「鍵がかかってるっていうのか」
「そういうことだよ」
 ブルーザーは言ってしまってから、少し後悔しているような、詫びているようなそんな複雑な表情でデュランを見ていた。デュランはそんなブルーザーの顔を見てから、情けなく笑ってみせるしかなかった。
「だから、考えるなって言いたいのか」
「そうだ、無理に思い出すことはないって思う。たぶん時が来たらお前は思い出す」
 ブルーザーはそう言って、もう話は終わったとでも言うように歩きだした。デュランもそれに合わせて足を進ませる。ブルーザーの背中はなぜかとてつもなく不安そうで、デュランはなんだかこちらが申し訳ないような気持ちになった。
「ブルーザー、お前何を心配している?」
 デュランの質問にブルーザーは立ち止まらず、少しも歩行速度を緩めることもなく、みせかけだけは威厳たっぷりに歩いていた。そしておもむろに低い声で、こう答えた。
「腐れ縁の友人をな、馬鹿みたいに心配してる」
 ブルーザーがそう言って振り返ると、にっと口の端だけで笑う彼特有の笑顔を見せた。デュランは思わずその友人の笑顔に、ごまかすように笑い返すことしかできなかった。

 その夜、デュランはベッドに入ってもその花のことを考えていた。世話になっている叔母さんや、妹に聞いたら簡単に判明したかもしれなかった。今時期に香る花などそうそう多いはずがない。きっと答えは返ってきただろう。けれど、デュランはそうしなかった。
――何かの記憶のカギに。
 ブルーザーの言っていることはあながち遠いとも言い切れぬような気もしたのだ。人から無理やり引き出すのではなく、できれば自分で自然に思い出したかった。
 自分自身が封じている過去とはなんだろうか。
 すでにデュラン自身はいやというほど重い過去を背負っている。力の差を見せつけられた敵を知らず死に追いやったこと、そして父を自らの手で葬り去った事実。フォルセナの国こそ守り切れたからよかったようなものの、デュランにとって重い記憶は決して消え去りはしない。
 そんな過去よりも恐ろしく封じたい記憶など、逆にデュランが思いつかないのだ。
――嘘だ。お前は嘘をついてる。
 胸の奥で何かがこだますような声がした。デュランの脈がどくん、と跳ね上がる。まずい、やはり、早かったのかもしれない、とデュランは思うが、胸の奥で木霊する声がまた聞こえてきた。
――あの花の匂いがしたとき、あの人がこの世を去っただろう。
 こだまする声がデュランの記憶を呼び覚ます。デュランは促されるまま、かすれた声でその失った人を呼んだ。
「おふくろ」

 思い出したくはなかった。そうだ、これは忘れていなければならない過去だった。
 デュランはその日初めて、世界でたった一人の尊い存在を失ったのだった。
 息もせぬ母の体を見て、どれほどのことが理解できただろう。声をかけても返さぬ母をどう理解したらよかったのだろう。――デュランはその日のことを覚えていない。
 それを、思い出したのだ。金木犀の花の香りに引きずられるように。

 顔色がずっと悪く苦しそうだった母の表情は、ふっと和らいだようになっていた。しかし、病気が楽になって元気になったわけではないのだと、デュランは肌で感じていた。そう、肌ですべてを感じた。まだ季節は秋に移り変わる最中でそれほど気温も低くないというのに、全身の力は入らず寒気がするようだったのをまず、思い出した。
 デュランはひどくさみしい気持ちをこらえきれずに家を飛び出した。
 デュランの家の周りには、近所の人々がたくさん屯していた。しかし、デュランはその人垣を追い払うように乱暴に手を振りまわしながらその場所を抜け出した。
 もう、この世がこの世でなくなったような気がした。
 母さんがいない。母さんが、いないんだ。
 デュランはぐしゃぐしゃになった顔を拭きもせず、ただひたすら走り続けた。しかし、城下町の外に出ることはできなかった。どんな理由があろうと、子供は単独で城下町から外に続く門を通り抜けてはいけない規則なのだった。
「くそぉ!」
 がむしゃらに泣き喚いたデュランは衛兵の脛を蹴りつけてやると、今度は家とは逆にある町はずれの空き地に走り出した。そこで拾った棒きれをつかむと目に入ったすべての物を蹴ったり叩いたりして暴れまわった。もともとデュランは悪戯好きだったので、加減を知った上でこんなことをしていた。そうするとまだ元気だった頃の母親ならばデュランの手を引っ張って家に連れ戻してくれたりしたものだった。
 しかし、もうその手はなかった。この世のどこを探しても、もう自分をひっぱってくれる手などないのだとデュランは暴れまわりながらそのことがだんだんとわかってきた。
「くっそぉぉぉ!」
「やめなさい!」
 ぐい、と手をひっぱるものがいて、デュランは驚く。もういないと思っていたのに、手を引くものはいないと思っていたのに、デュランの、まだ細い手首にはしっかりと手が握られていた。
 見上げると、この辺では見かけない少女だった。ずいぶんときれいな目鼻立ちをしている。フォルセナの人間ではまず見られないほどの白い肌で、髪の色も不思議に赤い。いや、時間的には夕陽の加減なのか、本当は青いのかもしれない。
「人に迷惑をかけちゃいけないって、習ってないの?」
 はっきりと物おじしない口調で、その少女はデュランを叱りつけた。大概の女の子なら力で抑えつけてやることができるのだが、この少女はやけに威圧感があってしかも当時この辺で一番身長があるデュランよりも、その少女の方が身長が高かった。デュランはそんな初めての状況に勝手がわからず、思わずどもって反論した。
「な、なんだよ…放せよ!」
「だめよ。また暴れるんでしょ。そうだ、少し頭を冷やすといいわ。来なさい」
 少女はデュランの腕をつかんだまま、先ほど追い返された門に向った。
 衛兵に何事かことづけると、衛兵はその少女に敬礼をしてみせ、その門はさっきとは打って変わって簡単に開かれた。
「なんだよ…さっきはだめだって言ったのに!」
 デュランは衛兵に噛みつくようにそう言おうとしたところを、すかさず少女がデュランの耳を引っ張った。
「おとなしくこっちに来なさい!」
 手を引かれ、連れて行かれたのはモールベアの高原と呼ばれるところだった。ここは凶悪なモンスターモールベアというハリネズミが進化したようなモンスターがいるので、絶対に立ち入らないように城下町の条例で決まっていた。しかし、デュランは子供なのでそんなことは知らなかった。
「ここ、モンスターの巣になってるところなんだけどね。ところどころもう使ってない巣穴があるんだよ。こっち」
 少女はそう言って、デュランの手を引いて高原の中央を避けて歩いていると、岩場の陰にある穴を見つけて少女はその穴を検分し始めた。
「ほら、ここはもう使ってないの。モールベアって仲間同士の巣穴をつなげて生息する生き物なんだけど、地盤が固いところだとモールベアが諦めて穴を捨てちゃうことがあるんだって。うちの先生が言ってたから間違いないよ」
「でも、結構大きな穴…」
 デュランは今まで泣いて暴れていたことも忘れてその穴を興味津津に覗き込んでいた。すると、どんっとその少女がデュランの背中を押した。
「え!わああ!」
 デュランは転がるまま穴へと落ちて行った。子供が人ひとり入れるくらいの幅の穴で、その底はデュランが手を伸ばしても地上には届かない。
「なにすんだ!」
「頭を冷やすのよ。そうやって冷たい土の中で、少し考えるの。あたしもここにいてあげるから」
 少女の声しかそこには聞こえなかったが、デュランは少女の声が少しさびしげだったことにようやく気付いた。少女は何か、同じような寂しさを持っているのだということが、その時デュランにも感じられたのだ。
 冷たい土の中、デュランはその薄暗い闇の中で、これからこの中にも入っていく母のことを考える。母はどれだけ無念だったろう。待っていた父とは結局会うこともかなわず、小さな子どもを置き去りにしなければならない母の無念はデュランの小さな胸では測りかねた。しかし、母を、妹を、これ以上心配かけるわけにはいかないと、デュランは冷たい土に抱かれながらそう結論した。
 自分の気持ちの整理がつくと、途端に少女のことが気にかかり始めた。そう言えば、名前も聞いていないし、衛兵と一言二言話すだけで門が開くことなど、普通のフォルセナの子供ではありえないことだ。
「おい、そろそろ出してくれよ」
「うん、いいよ」
 割とあっさり少女はその手をのばしてデュランの手を探った。デュランはその手をつかむと、足を壁に引っ掛けながらゆっくり上がって穴を脱出することができた。
 デュランも少女の服も泥だらけになってしまったが、二人とも最初に会った時よりかは表情が和らいでいた。日もそろそろ落ちかけ、赤く照らされた高原を二人は歩きながら、手をつないでいた。
「そういえば、お前名前は?俺はデュランっていうんだ」
「あたし?あたしはねぇ」

――知ってる。俺はその名前を知ってる。

 結局、少女は名前を言わず、ふわふわと風に髪をたなびかせていた。
 その髪には風でどこからか飛んできたのか、小さな橙の花びらがついていた。







Fin.

■金木犀の香りが私は大好きで。
毎年本当に好きなので匂いがすると探してしまうんです。
今日もそれやっちゃったので、なにか話になればいいなと。
最近デュラン視点が楽です。



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