琥珀色の悪夢




あなたは知らないんです。
私がどんなに父を思っていたか。
私がどんなに弟を思っていたか。
そして
どんなに母が残した国を思っていたかを。

あの日に全てが崩れたのを、あなたは知っていますか?

母代わりとなって育てていた弟を連れ去られ、
私を育ててくれた父の命を奪われ、
城は焼き払われた。

恐くて悔しくて、涙がこぼれそうだった。
たった一人になって、私ができるのは弟を探し出す事だけ。
それだけが私の心の支え。
緊張が私の体を奮い立たせ、
不安が私を前に進ませる。
ただ盲目的に前に進むだけの抜け殻。
私は本当に生きているの?

そう、あなたに会うまで。
生きている実感はなかった。
冷たい槍の感触だけは私の頭の中を鮮明にしていたけれど。
その冴えた頭では何も感じていないことだけがわかっていた。
目の前を遮断する生き物を薙ぎ払う事も、
まるで邪魔な樽を退けるだけの作業とさほど変わりなかったように。
それはまるで悪魔の心。
その砂漠のような乾いた心に清浄な水を与えてくれたのは、
あなたとの出会い。

そう。
あなたは何にも知らないんです。
どんなに、私があなたを想っているかを。
どんなに、私があなたに感謝しているかを。
そして。
あなたを、どんなにか憎んだ事を。




 壮大の一言に尽きるバストゥーク山、その山頂に強大なアマゾネス群率いる王家ローラントが城を構えていた。一度は炎上したローラント城も何度も修繕を繰り返して、今やっと本来の姿を取り戻し始めている。それと同時に、人々の占領されて苛まれた記憶も少しずつ緩やかではあったが、優しく溶け始めていた。
 世界は今、再び歩み出そうとしている。
 狂った支配者によって大打撃を受けたローラントを始め、ウェンデル、フォルセナは各国が助け合う事で次第に交友関係は元に戻りつつあった。もともと何の交友関係がなかったウェンデルとビーストキングダムさえ、光の司祭と獣人王が交友宣言を発表したり、アルテナとフォルセナがパーティを催したりと、世界はめまぐるしくその動きを果たしていた。そして、ローラントとナバールも、その波に乗らないわけにはいかなかった。
 たとえ、相手に壊滅的なダメージを与えられた過去があったとしても。それが時代の流れだという事を、ローラント国民はある程度理解していた。
 しかし、ローラント国内も平定を取り戻したとはにわかに言い難かった。なぜなら、王位継承の問題である。王政国家において、王のいない時代などない。人々のシンボルと絶対的権力者がいなければ、民は反乱と起こしかねない。しかし、それに該当する人間はあまりにも幼すぎた。
 王子エリオットはまだ若干五歳。政治の事など、分かりはしない。また、姉のリースは女帝として王座に就く事を拒んだ。ゆくゆくはエリオット王子が王となる事を、リースは一番に望んでいた。自分が一度王座に就いてしまえば、貴族の中で派閥ができかねない。リース派、エリオット派。そんなものができてしまうのは、後々国が乱れる事は必至だと、リースは読んでいた。
「王はエリオットのみ。私は後見人です。」
 リースはエリオットを取り戻し、国に帰るなりそう宣言した。そう宣言したからには、王以上の苦労を背負わねばならない事も、全て覚悟を決めた上で。
 王家再建というリースの戦いは、今まさに始まったばかりなのだ。


 リースはその日、久しぶりに鍛練に出ていた。数人のアマゾネスを連れて、山頂の訓練場で仲間と槍の訓練をしていた。ずっと国政を片づけた後だけに、体に溜まっていた憂さが晴れていくようだった。汗を流してほっと息をつくと、リースは手にマメを作っているのに気がついて自嘲的に笑ってしまった。
「マメなんて、これくらいじゃできなかったのに・・平和慣れしてしまったのね。」
「どうか、されました?」
 ライザがすぐにリースの様子に気づいて近づいてきた。リースはにこりと微笑むと、手のひらを見せた。
「マメよ。情けないわね。これくらいで」
「あら、本当ですわ。手当てします、お待ちを。」
「いいのよ。」
 リースはライザが踵を返そうとしたのを止めた。
「いいの、これくらいのマメ、あの旅じゃ手当てなんてしてなかったわ。」
「でも、皮がむけると痛いですよ?これまで通りならいざ知らず、今のリース様はペンを握る時間が一日のほとんどでしょう。ペンを持つ手に負担がかかりますよ。」
 ライザの説得はなんとも的を得た説得だった。確かに今リースは国外の商談や各国との交渉等の手紙を捌いていることがほとんどなのだ。もともと苦痛な作業にこの痛みを伴うかと思うと、リースは思わず眉をひそめた。
「手当て、お願いするわ。」
 リースが苦笑いを浮かべてそういうと、ライザはにっこり微笑んだ。
「今すぐに。」
 ライザが再び踵を返し、自分の荷物を取りに行ったときだった。
 唐突に、黒い風がライザの傍を飛び去った。ライザはひっと悲鳴を上げるとよろけて突っ伏した。なんと、いつのまにか腕に傷を受けていた。
「なに?!一体なんなの!?」
 リースはきっと空を見上げて黒い影の正体を見極めようとした。丁度真上の岩の出っ張りに、巨大な黒い鳥がアマゾネス達を睨んでいた。
「黒のコカドリス!!あれは猛毒の・・・!!」
 アマゾネスの一人が悲鳴を上げるようにそう言った。リースは目を見開くと、なんですって!?と慌ててライザを抱えた。ライザは既に熱を発し苦しそうに呼吸をしていた。
「なんて事!!ライザ、ライザ!!」
「リース様・・危険です、早くお城に・・・!」
「分かったわ、それまで頑張りなさい!」
 リースは仲間のもう一人にライザの右側を頼み、自分は左側からライザの体を支え、その訓練場を後にした。残ったアマゾネス達は素早く荷物をまとめ、城に薬師の手配をするよう走りすぎていった。  城ではライザの手当に大わらわだった。止血作業を済ませ、消毒しようとするがどの薬草を使っていいものか分からない。城付きの薬師が今日は行商に出てしまっていたらしい。
「誰でもいいから!旅の者でもいいから!薬師を連れてきて!」
 リースはそう言い放って、ライザの看病をした。ライザは幼い頃からの親友。決して無くしたくはない仲間。
 必死に看病していたので誰かが入って来たのも気づきもしなかった。
「お姉さま・・」
 騒ぎを聞きつけたのだろう、エリオットが心配そうに部屋に入ってきた。リースはエリオットの顔を見て、まるで箍が外れたように泣き伏した。
「エリオット・・・エリオット・・どうしよう。私の友達が・・」
 エリオットは姉のそんな姿を初めて目の当たりにして当惑していた様子だった。しかし、ゆっくり近寄り、姉を、いつも頑張りすぎる姉を優しく抱きしめた。
「お姉さま、大丈夫。きっとすぐに薬師さまがいらっしゃるよ。僕はわかるんだ。」
 弟がそう言ってくれて、リースはやっと落ち着く。涙の跡を光らせながら弟を見上げると、弟は天使のような微笑みを浮かべていた。
「お姉様、泣かないで。大丈夫、ライザは助かるよ。」
 一瞬、弟が父に見えた。
 父は、目が見えなかった分、「何か」を掴むことが出来た。「未来」とも言い難く「予知」とも言えないなにかを。その父の血を、エリオットは確かに継いでいることを確信して、リースはやっと微笑んだ。
「ありがとう、エリオット。もう、泣かないわ」
 リースがやっと立ち上がったときに、ドアがあわただしく開いた。叩き付けるようなその乱暴さにリースはびくりと肩を震わせる。
「あっ、もっ申し訳ありません!薬師が見つかりました!!」
 リースがびっくりしてエリオットを見つめた。エリオットはにこっと、まるで「ほら、言ったでしょう」とばかりに笑ったのを見て、リースは嬉しくなった。
「すぐにお通しして!!ライザを見てもらって頂戴!!」
 そういうと、リースはエリオットを抱きしめた。
(ああ。この子は父の生まれ変わりだ・・・!!)

 薬師は手早く薬草を調合したものをライザに与えた。すると、徐々にライザの苦しそうな呼吸の息は柔らかなリズムを取り戻し、また、額の汗も少しずつ引いていった。それを見て、リースは安堵のため息を発した。
「このまま一日安静にしていてください。傷の方も消毒して毒を抜いておきました。もし、しびれなどを訴えたときには、この薬を飲ませてください。」
 そういうと、薬師は綺麗に折られた薬紙を渡した。
「友人を救ってくださってありがとう。わざわざこんな山奥まで、大変だったでしょう。感謝します。」
 薬師は暑さ除けのためか分厚い布を被っていた。その奥に覗くのは琥珀色の魅惑的な瞳。女だった。 「礼には及びません。お姫様。リース王女、ですね?」
「ええ、申し遅れましたわ、私はリース。この子は弟のエリオット王子です。」
 エリオットは姉の服の裾を掴んだまま、こわごわと薬師を見つめていた。
「どうしたの?エリオット。」
 さっきの自信たっぷりな様子とは打って変わって、エリオットはおびえたように薬師を見上げていた。
「?」
 薬師もエリオットを覗き込むように頭の位置を下げたが、エリオットはリースの細い足の向こう側に隠れてしまう。
「ごめんなさい、なんだか恥ずかしがってるみたいですわ。ああ、薬師さま、あなたのお名前、伺ってよろしいかしら?」
 リースは話を逸らすようにそういうと、薬師はええ、と目を細め、被っていた布を外した。それは顔を隠しておくには勿体無いほどの、端整な顔立ちの女性だった。宝石を連想させるような琥珀の瞳と、長いまつげ。そして筋の通った綺麗な鼻、ばら色の唇。女性であるリースにも、どきりとさせられるほどの美人だった。
「はじめまして、ウェンデル司祭様の弟子、イファナといいます。薬師の技術はウェンデルで学びました。」
「ウェンデル司祭様の!まあ、素晴らしい方でしたのね。」
「いえ、司祭様には拾っていただいたのです。昔はただの踊り子でしたわ。」
 たしかに薬師というより、踊り子という方が似合ってる顔立ちではある。リースは興味津々といった様子で、話を続けた。
「イファナ、あなたの踊り、見せて頂けるかしら?今夜は是非城でゆっくりとしていってください。」
「ありがとう、リース王女。踊りなら、喜んで。」
 イファナはそういうと、にっこりと微笑んだ。



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