「結局、無理だったのね・・。」
うんざりと女は首を振るとため息をついた。身につけていた白いローブが風にふわりと膨らんだ。ほっそりした足が見え隠れして、その女のスタイルが悩ましげなほど抜群なのが判る。しかし、女は寂しげに自分のその体を抱きしめた。
女が立っていたのはアルテナ城の程高い塔の最上階だった。
威厳に満ちた表情でその女は、遠く広がる白銀の海を眺めた。この国は一年中厳しい冬の中にある。この城と城下町、それとこの国の海の玄関であるエルランドは結界によってその寒さを防いでいる。おかげで、かろうじてその寒さをしのぐことはできるのだが。
女は再びため息をつくと振り返って上ってきた階段を下りようとした。そのとき、アルテナ城に仕える女の一人が、駆け上がって女の前に跪く。
「ヴァルダ女王、フォルセナの者が・・。如何致しましょう?」
ヴァルダ、そうアルテナの女王ははっと目を閃かせた。しかし、その仕えている女は下を向いていたので気付いてはいない。
「名を?」
「ロキ・・と」
女王はローブを掻き合わせると階段に向かいながら、女に言い放った。
「丁重にお通しして!すぐに私も行きます。」
「はっ」
ヴァルダは浮き足だって、玉座の部屋に急いだ。彼に会うのを楽しみにしていたのだ、長いこと。
ロキが初めてこのアルテナ城に来たのは、フォルセナの王に優れた剣士を貸してくれと頼んだときだった。
アルテナには雪原を徘徊するポトという生き物がいた。見かけ可愛らしく飛んで跳ねて動き回るのだが、舌を出して体を痺れさせる体液を吹き付ける厄介者だった。それは前からいるモンスターで、それまでは魔法で撃退することが出来た。しかし、唐突に変種が何匹か生まれ、それらは魔法が全く利かず、結界を通り越して町に侵入し、当時被害までが出るという有様になっていた。
それを撃退するために現れたのは、フォルセナの騎士団ではなく、ただ一人の剣士ロキだったのだ。
ヴァルダはアルテナを軽く見られているのかと憤慨したが、ロキの働きぶりを見て驚いた。一日足らずでその、変種のポトを撃退、死滅させたのだった。
「すまぬ、そなたの力を少々見くびっておった。初めに言った暴言、どうか忘れてくれぬか?」
ヴァルダは側近たちがいた昼間の玉座では言えなかったことを、その夜ロキの部屋で伝えた。ロキは女王の方からわざわざ部屋に来てくれたことに驚いていたが、紳士的な対応で優しく頷いた。と思うと、突然ロキが上目遣いに笑うのを見て、ヴァルダは焦った。
「ええ、確か・・・アルテナの国も舐められたものだ!こんな若造一人に何が出来る!・・だったかな?」
ヴァルダはひっと顔を赤くした。ロキがまた笑う。
「昼間はあなた様は女王で毅然としていらっしゃるから、ずいぶん年違いに見えていましたが・・私とあまり変わりませんね。それにまだかわいいお顔でいらっしゃる・・・」
確かにいまヴァルダは化粧をしてはいない、素顔のままだった。いつもは朝早くから化粧をされて眠る直前に化粧を落とすので、素顔を外部の者に見られたのはこれが初めてだった。
「・・・っ私はまだ17ですから・・」
訳も分からず、頬を赤らめながらヴァルダはやっとのようにそういった。明らかにロキはその事を聞いて驚いていた。
「え・・そんなにお若かったのですか・・。貴女はそんなにも早く大人にならなければいけない事情があったのですね・・さぞ、お辛かったでしょう・・。」
騎士としての形式的な挨拶だったかもしれない。
ロキが本当にそう思ってくれているのかわからない。
それなのに、ヴァルダはロキのその言葉に、思わず涙がこぼれたのだ。
「・・・うっ・・ひっ・・」
・・・人に弱味を見せてはいけない。
・・・女王の弱みは一国の弱味となるのです。
そう教え込まれてきたホセの声が何度も頭の中でこだました。でも、涙は止まってはくれなかった。
人に始めてみせる涙。それは本当に弱味だろうか・・?
「・・・ヴァルダ女王・・・」
ロキは驚きもせず彼女の涙を受け止めた。ヴァルダの後ろに周り、後ろから強く抱きしめた。
「今は泣いてしまいなさい。あなたは今だけ、ただの女になるんです。私も今は国と騎士の称号を忘れます。」
「ロキ・・・!」
ヴァルダはロキが後ろから抱きしめてくれていることに感謝した。涙は直接見られてはいない安心感と後ろから抱きしめてくれている心強さ。初めて、安心してヴァルダは泣くことが出来たのだ。
アンジェラは呆然と母が話すのを聞いていた。
ヴァルダは少し複雑な顔で、そして苦しそうにアンジェラの目を見つめた。
「ロキ・・って・・」
「ええ、フォルセナの黄金の騎士、ロキ。デュランの、父親。」
二人は見つめ合ったまま、無言だった。時間がゆっくりと流れていくのがアンジェラには判る。そして、そのことが苦痛なのも。
大人っぽく成長したアンジェラにはすでに、子供がいた。二人の子供。上が女の子で、次は男の子だった。二人の孫達が元気にすくすくと育っているのを見たヴァルダが突然、アンジェラを呼びだした。母の部屋に来るようにと。
不安に胸を詰まらせながら母の部屋を訪れると、母はゆっくりと自分の若かりし頃の話を話し出したのだ。
今のヴァルダにとって、アンジェラに父を知らせることは最大の苦痛だった。アンジェラには罪はないといっても、アンジェラが納得はしまい。自分が夫の父と、外縁の妻との間に生まれた子供だということを。
「あ、あたしは・・・デュランのお義父様とお母様の子・・?!」
驚愕に打ちふるえながらアンジェラは想像もしなかった事実に涙を浮かべた。ヴァルダはアンジェラを優しく抱きしめると、そうよ、と確信を持ってそう伝えた。アンジェラの体がまた激しく震えた。その娘の震えが母ヴァルダの心を痛みにさらすことだということに、娘は気づいていない。
「嘘・・そんな事・・デュランが聞いたら怒るわ・・。私の存在にデュランは父の裏切りを知るのよ・・!」
恐ろしげにアンジェラはそういった。ヴァルダはそれを聞いて、悲しげにアンジェラにつぶやく。
「裏切り・・そうね、確かにロキの奥様には私がしたことは裏切りかもしれないわ・・。でも、あのとき彼はまだ一人身で、私にはあの人しか頼る人がいなかったのよ・・」
ヴァルダがアンジェラの体を抱きしめたまま、涙をこぼした。そのときの苦境を思い出すかのように。
アンジェラはそんな弱気の母を見て再び驚く。母はいつも気丈で毅然としていた。弱みなど一度も、ただ一人の娘にさえ見せたことのない、立派な女王だった。
その母が泣いているのを見て、アンジェラはたまらなくなった。
思えば、確かにヴァルダにはまず両親がいなかった。アンジェラの記憶には祖父も祖母もその姿を現さない。母は物心の付いた頃から玉座に座っていたと聞いたこともあった。ヴァルダの幼い頃に、両親共に他界していたのだ。
そして、ヴァルダには夫もない。アンジェラという娘がいたせいで、女王としての子孫を残すという任務は済んだので。夫の存在をヴァルダにとっても必要としなかった。
「あの人じゃなければ、夫はいらないと思ったの。」
ヴァルダが不意にそういって、アンジェラはびくっと肩をふるわせた。自分の考えと、ヴァルダの発言が見事にシンクロしていたので。
「でもあの人は私を見てはくれなかった。彼の愛国心の強さに、私は負けてしまった。」
ため息を吐くようにヴァルダはそういった。悲しげな瞳、悲しげな顔。恋いこがれても届かなかった思い。一人にされた寂しさ。その全てが今のヴァルダを作り上げた。それは、アンジェラの少女時代の頃の思いとあまりにも酷似していた。母の愛に飢えていた少女時代と。
二人の面影がよく似ているのは、その満たされない愛情故の美しさかもしれないのは、二人ともそれを少しも自覚をしていないとはいえ、なんとも悲しいことだった。
二人のよく似た母娘は、ゆっくりお互いの身を離すと、元の王家の血を引く気品ある表情を取り戻していた。ヴァルダにもアンジェラにも覚悟はついた。アンジェラは母が次になんと口にするかを理解していたようだが、おとなしく母の言葉を待っていた。
「・・・デュランをここへ。彼もこの事実を知る権利があります。」
「はい、お母様」
それから、ロキは任務を終えて祖国に帰っていった。
ヴァルダは待つという戦いに毎日明け暮れた。
女王という責務に立たされながら、その役目から解放されると、恋に身を任せる乙女になった。
同時に、彼女の美しさは日増しに際だったものになっていく。元々の端正な顔立ちは、常に恋に溺れる者がなるがごとくほっそりと艶やかになる。前よりもしとやかに、前よりも色が出て。女は恋に溶けて美しくなる。
その甲斐もあり、ロキはアルテナ城に再び姿を現したのだった。
塔の上で冷えきっていた体を暖めるより早く玉座の間に向かう。彼に会う方が何倍も早く冷え切った体のことなどどうでもよくなることはわかっていた。
会いたい。
今までなかったそれだけの感情が、こんなにも彼女を突き動かす。本能に任せるままに行動することが、開放感で満たされていた。彼女はその時一番幸福だった。
ほど遠くない未来、この恋が最悪の結果になることも知らずに。
玉座に威厳を持って座るフリをする。それはいつもの仕事で特に意識することもなくやっていたことなのに、今では意識的にしないと女王という役をやり遂げられそうもない。
早く。早く顔を見せて。
早くまたその優しい声を聞かせて。
彼女は子供のように彼を待った。純粋な心で。早く彼に甘えたくて。
扉が開く。彼女だけの王子様がそこにいる。しかし、次の瞬間の彼の声が沈んでいることに彼女は気づかずにはいられなかった。
「アルテナの女王ヴァルダ、フォルセナの黄金の騎士ロキ、今ここに。」
「よ、・・ようこられた。遠いところをご苦労であった。」
彼の様子が気になって、いつもなら滑り出てくる言葉が出てこない。早く、こんな席終わってしまえばいいのに、と彼女は思う。
そして、次の瞬間、彼の口は一気にまくし立てるようにこういった。
「今日は女王にある報告で参りました。私は最高の友人であり、最高の指導者であるエドワード王子の従姉妹殿であらせらる女性と婚約いたしました。」
この部屋の空気が一瞬に凍った。
周りにいたウィッチ達も、誰もが口にしてはいなかったが女王の様子で事の次第を知っていた。
それ故にその部屋の冷たい視線は、ロキの体を何本も射抜いた。
ヴァルダは、突然のロキの言葉に目を見開いたまま、ピクリとも動かなかった。ロキの跪いた姿をじっと見つめ、やがて目を閉じた。眉間にしわを寄せた。再び目を開けたときには、一気に彼女の顔が疲れ切った大人のようになってしまった。
「それは・・わざわざご苦労であった。私の友人の婚約、心から祝わせてもらう。今夜はゆっくりとアルテナで過ごされるがよい。」
「あ・・。ありがとうございます・・」
気後れしたようにロキはそういった。が、そういったときにはヴァルダは玉座から即座に立ち上がって部屋を出て行っていた。ロキは、唇をかんで立ち上がると、肩を落として部屋を出ていった。
「裏切り者!」
「よくもアルテナにこれたわね!」
「女王様をなんだと思っているの!?」
「フォルセナの騎士のくせに!恋人への忠誠心もないのね!」
王女づきのウィッチ達が次々にロキの背中を罵った。彼はその罵倒に気づかなかったように、部屋を出ていった。
玉座の間の扉が音を立てて閉まった。何も残さなかった恋に、厳しく終止符を打つように。
厳しい現実を二人に突き立てるように。
涙は、落ちてはこなかった。
最初に思ったのは、自分が悪かったのだという事だけだった。
「初めに弱味を見られた私が悪い。私が、弱くなければ・・彼を好きになることはなかったのに・・。」
呆然と窓の外を見つめていた。いつも通りの銀世界。彼はこの銀世界の中をわざわざ報告のためにここまで来てくれたのだ。何も言わずとも、彼を責めるものは何もないというのに。
「あの人は優しすぎる・・私を弱くしてしまう・・。」
女王としての責務を果たすには、彼はいてはならないのかもしれない。
そう思うことで、彼を吹っ切るための準備が必要だった。
「私は・・あの人を必要としてはいけないんだわ・・」
「・・・・・・どうして会って話をしなかったの」
デュランと共に話を聞いていたアンジェラが、そう聞いた。隣に佇むデュランの表情は読めない。感情をどう表していいのかわからないような、そんな表情だ。
ヴァルダがゆっくり二人に向き直ると、そうね、といった。
「会って何の話をするというの?駆け落ちでも?出来ないわ。お互いに国は大事だったから。」
「お母様はそれでよかった?」
すかさず、アンジェラはそういった。さすがにヴァルダはその言葉に顔をゆがませた。
「あ・・ごめんなさい・・」
「いいの、確かにいいわけなかった。でも、どうしようもないことも私は解っていたの。女王としての分別はちゃんと働いていたのよ・・・」
デュランがやっと顔を上げた。やっと考えがまとまったように、きりっと整った顔をまっすぐにヴァルダに向かせた。
「ヴァルダ女王、俺は親父の事はおろか過去なんて少しも知ることはなかった。俺の親父は騎士としては立派だったが家族を顧みることはなかった。俺は親父を尊敬し、心の中で密かに憎んでいた。今、貴女の勇気ある言葉で、親父の過去の一部を知ることが出来たのは、感謝に値します。ありがとうございます・・!」
「デュラン・・・!」
ああ、なんて!
なんてロキにそっくりな・・!
一瞬、ヴァルダはその頭を下げたデュランをロキと見紛う。涙があふれる。彼の優しさ、彼の心強さが一気に蘇るようだった。
側でアンジェラがほっとしたように、デュランの方を見つめていた。アンジェラはアンジェラで、デュランに父の裏切りの上に出来た娘として見られることが怖かったのだ。
「アンジェラの生まれを、俺は旅の初めに聞いた。アルテナという名前を聞いただけで、腹が立った。アンジェラは何も悪くないのに。俺はあのときの過ちを二度と繰り返したくない。」
アンジェラは頷いた。デュランの言葉があまりの誠実さにあふれていた。
「ありがとう、二人とも。真実を素直に受け止めてくれたことに感謝します・・。」
ヴァルダは安堵して、二人にそういった。二人は一礼すると、仲むつまじく部屋を出ていった。
部屋に一人きりになると、やっと使命を終えたような妙な満足感が、ヴァルダの中に生まれ始めていた。ずっと隠してきた真実。それが受け止めてもらえることが、こんなにも嬉しいことになるとは思いも寄らなかった。
「本当に、よかった・・」
ヴァルダは立ち上がって、お茶をカップに注いでゆっくり飲み干した。体全体を暖かいお茶が潤していく。
「ロキ・・・あなたの子供達はいい子ばかりね・・」
FIN.
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