夏のある日
その年、アルテナは異常な猛暑に見舞われた。
いつもは銀世界にしているアルテナ中の雪が解けてしまい、あたり一帯の湖や河川の水位は上がった。アルテナの城下町の作りはもともと雪を遮断するように堅固で密閉的な作りをしていたため、水はけが悪く、用水路の水がそこここに溢れ、異臭を放つ。しかし、それも溶け出した一ヶ月で各地の水位が収まると、今度は水不足問題が懸念されるようになった。
今までのアルテナには考えられないことだらけだった。
女王ヴァルダは出来るだけ各地の水を集めるなどの対策に忙しく立ち回っており、とても一人娘にかまってやれる時間はなかった。一人娘のアンジェラはまだ、5歳。まだ母親の愛情を何より必要とする年齢だとはヴァルダにも判っている。判っているがどうしようも、国政を放置して娘に時間をかけてやることも、できないのだった。
「アンジェラさま、今日もメリアがお相手をさせていただきます。」
その日もアンジェラの部屋にメリアが来たのを、アンジェラは見向きもしなかった。
アンジェラは乳母のメリアと遊ぶ時間が好きではなかった。メリアが来たということは、母は今日は来てくれないことを意味するからだった。メリア自身、時折アンジェラを見る見下げた眼差しをすることにアンジェラは気づいていて、その態度が嫌いだった。その眼差しの理由は自分にあることも、彼女には分かっていたがどうにもならない。
魔法がひとつも使えない。
理由はそれだった。アルテナの子供たちは5歳の誕生日を迎えると、教会に魔法を使えるようになるための儀式を受ける。早いものはその日から使えるものもいる。遅くとも1年で何らかの魔法が使えるようになる子供がほとんどである。しかし、アンジェラはまだ使えていない。5歳になって、半年になろうというのに。アルテナの王家であるというのに。
「メリア、今日は一人で魔法のお勉強するから、いらないわ」
アンジェラは最近そういって、メリアを追い払うことを覚えていた。
メリアもそれを承知で来るらしく、特に何の反論もせず部屋を出て行く。失礼します、と一言だけ残して。
ぱたん
静かに扉を閉められて、アンジェラはほっと胸をなで下ろす。誰かといて不快な時間を過ごしていくより、一人で好きなことをする方がいい、そう思うようになっていた。
「さてと、お城探検もそろそろ飽きてきたし、今日は城下町に行こうかな」
アンジェラはそういうとさっそく着替え始めた。少し地味なケープを羽織って、赤いブーツを履く。翡翠の瞳さえばれなければ、普通の小さな子供。
「よし、今日は城下町に行こうっと」
鏡の前で自分の姿を確認してにっこり微笑むと、アンジェラは大窓をばんっ!と開けた。今日も日差しは強く、干上がったアルテナの地面を更に焦がすようだ。アンジェラはむっとする熱気に少し後ずさりしたが、気合いを入れて窓の縁に足をかけてベランダに出る。とりあえず、自分の部屋から堂々と廊下に出るわけにはいかないので、隣の部屋に入り込む。隣はただの書物庫で誰もいない。その書物庫に入り、対面側のドアから廊下に出る。掃除婦の女性がうろうろしている以外、大した人は通っていない。アンジェラはにっこりと笑うと、その書物庫のドアを閉めて、足早に走り出そうとした。
「お待ち」
「えっ!?」
アンジェラは吃驚して立ち止まった。どうも先ほどの掃除婦がアンジェラに気づいたのだった。掃除婦がアンジェラに近づきながら尋ねる。
「そこで何をやっていたの?お前の持ち場はどこ?」
ああ、とアンジェラは安堵した。どうやら正体がばれたのではなく、ここに働いている子供と間違えられたのだ。
「ああ、書庫の整頓っていわれたの。でもここじゃなかったみたい。」
くるっと振り返ると、アンジェラは笑いながらそういった。掃除婦もああ、と納得したように頷く。
「その書物庫はあまり使われてないから、整頓する必要はないよ。多分頼まれたのは一つ下の階じゃあいかい?」
アンジェラはまぁ、と驚いた表情を見せると、
「ああ、そうだったの?じゃあ、そっちに行くわ。ありがとう。」
といい、すぐさま階段の方に走り出した。掃除婦はそれを見て、そそっかしい子だねえ、とため息をつくと、再び掃除を始めた。
アンジェラは飛び跳ねるようにスキップしながら階段を降りていった。掃除婦はアンジェラだとは思いもしなかったようなので、騙しきれたことに快感を覚えていた。
「あははっ!これなら城下町に行っても大丈夫そうね!」
そして、アンジェラの思い通り、事は進む。城門を通るために警備の者に呼び止められたが、家に忘れ物をしたので取りに帰りたい、といい、すんなり城門を通過できた。
いつもは母と同伴でなければ歩けない城下町。アンジェラは初めて一人で、城下町を敷き詰める煉瓦を踏めたことに感動していた。
「やったわ!一人でここまでこれるなんて!」
どこにいこうかなぁ、とつぶやきながらなんとなく城下町を歩く。煉瓦の地面が太陽の光を照り返していて、顔が焼けるように熱い。アンジェラはとりあえず涼みに店に入る。
アンジェラが入った店は昼はカフェを、夜は酒場を営む店で、やはりみんな出かけてもばてるだけなのか、店は人でごった返していた。アンジェラは少しのお金を持ってきていたので、ハーブティーのアイスを頼んでのんびりとテーブルについていた。と、その後ろのテーブルにはアンジェラより年上のような男の子達が4人で腰掛けていた。アンジェラは見るとも無しにくつろいでいたのだが、男の子達はやたらと声が大きく、自然とアンジェラの耳に入ってきてしまうのだった。
「それくらいのことできなくちゃ、アルテナ国民失格だぜ?」
「そうそう、瓶くらい軽いもんだろう?」
「できなかったら、お前のおごりだからな〜。」
どうやら中央にあるジュースの空き瓶を浮かすことが出来なければ、そいつがお代を払わされるらしい。一人の賢そうな男の子が奮闘しているが、顔を赤くさせるばかりでびくともしない。アンジェラは
思わず不思議そうに首をかしげてしまった。
(私よりも年上よねえ・・儀式が済んで1年以上立ってるのにまだ魔法がつかえないんだわ。)
なんだか放っておけなくて、アンジェラは立ち上がるとよろけた振りをしてその瓶が立っているテーブルに手をついた。テーブルがぐらりと傾き、瓶は転げ落ちて派手に音を立てた。
一瞬周りの客が吃驚してそちらを見たが、すぐに自分の会話に忙しく戻ってしまう。
「あ〜・・ごめんなさいぃ。」
アンジェラは可愛らしくぺこんとお辞儀をした。さすがに年下の女の子を、しかも可愛い美少女を怒る気はないらしく、男の子達はへらへらと笑うといいよいいよ、といってくれた。
すぐに店の人が瓶を片づけに来てくれた。男の子達が騒然と立ち上がったところを、さっきの賢そうな男の子の手を握り、アンジェラは店を飛び出した。
「あっ、ブライアン待てよ!!」
一人の男の子が気づいて声を張り上げたが、既にその時には店から2人は出ていってしまっていた。
「はーはー」
2人は息を切らして城下町の木陰を見つけると、そこで休むことにした。目を合わせると、賢そうな男の子はアンジェラを見て笑った。人のよさそうな、優しい微笑みだった。
「ありがとう、僕のことが放って置けなかったんだね」
「ああ、ばれてたのね。わざとらしかった?」
アンジェラがあははーと笑いながらそういうと、男の子はゆっくり横に首を振った。
「違うよ、演技はうまかったよ。ちらちら見てたのを僕が気づいていたんだ。」
「あ〜そうだったの?」
アンジェラが照れたように笑う。
しかし、男の子は急にしょげたようのこう言った。
「格好悪いだろ?僕まだ魔法が使えないんだ・・。親も兄弟もみんな使えるのにさ。一生懸命いろんな書物を読むけど、全然わからないし・・。」
「あたしも、儀式を受けたけど使えないのよ。」
情けないような笑みを浮かべ、アンジェラはそういった。男の子は少し気の毒な顔をすると、そう、といった。
「いつか使えるかなぁ・・魔法」
「使えるといいね。もうすぐ使えるようになるよね。」
「そうだね、きっともうすぐだ。」
まるで2人は自分に言い聞かせるようにそういうと、お互いにくすくすと笑い出した。
「似てるね、私達。お兄ちゃんができたみたいよ。」
アンジェラがそういうと男の子の手を握った。男の子もアンジェラの手を握り返した。気温の暑さにもかかわらず、2人はしっかりと握るとそのまま疲れて眠り込んでしまった。
午睡が済んで、夕方に2人は目を覚ました。木陰の中だとさすがに冷えてきて、2人は木陰を出て外を歩くことにした。
「あ、そろそろ君、帰った方がいいよ。夕暮れ時は危ないんだ。」
アンジェラは慌ててこの男の子が送るよ、という前に口を挟んだ。
「あ、あたしじゃあここから近いから帰るね!また遊ぼう?」
男の子はにっこり笑うと、頷いた。
「気をつけてね。また遊ぼう」
そういうと、男の子はすぐ近くの家まで歩くとぱたんと戸を閉めた。それを確認した後で、アンジェラは慌てて城まで帰らねばならないので、全力疾走でお城までを走る。陽が暮れてしまうと、城門はしまってしまうのだ。
滑り込みセーフで城門の閉鎖時間に間に合うと、門の前で静かに佇む人がただ門番でないことに気づいてアンジェラは慌てて方向転換しようとした。が、すぐに呼び止められる。
「アンジェラ!」
怒った声で呼ばれた名前。その声は何日ぶりだろう、母の声だった。
「お母様・・・。」
こわごわと振り返ると、腕を組んだヴァルダがアンジェラを見下ろしていた。
「どこに行っていたの?びっくりさせないで頂戴!」
「ごめんなさい・・」
ヴァルダはアンジェラの手を握ると、アンジェラを門に促すように歩き出す。
「城下町に何か用があったの?ちゃんと言ってくれたら、お母様もついていったのよ。」
「ううん、探検がしてみたかっただけなの。だって、お城は飽きちゃったんだもの。」
「お城が飽きて、城下町が飽きたら、次はお外に出る気なの?魔物に食われてしまうわよ。」
「・・・。」
「城下町も完全に安全といえないわ。ある意味お外と同じくらい危険よ。ねえ、アンジェラ、もうこんなことをしないでね。」
「はぁい・・。」
アンジェラは母の手を握りながら肩をすくめた。
夕暮れの城下町を振り返りながら、城門を引かれるように歩くアンジェラ。それを見つけたヴァルダがふう、とため息を吐くと、お友達でも見つけたの?と尋ねる。
言われて、アンジェラは目を輝かせて頷いた。
「うん!お兄ちゃんみたいなの!優しくってとっても賢そうなの。」
「あらあら・・しょうがないわねえ・・アルテナ城でその子の母親が働いていれば、その子を城に置くことも出来るけど・・」
「本当!?それなら私、もう黙って城下町に出たりしないよっ!約束する!」
ヴァルダは困ったように笑いを浮かべた。今の言葉で、おそらく放っておくとまたお城を脱走しかねないらしいことがわかる。
「はいはい、アンジェラ。じゃあ、その子をお城に呼ぶから、魔法のお勉強もちゃんとして頂戴ね」
アンジェラが満面の笑みをうかべて、ヴァルダにうん!と元気よく頷いた。
それから、ブライアンは王女の遊び相手として、アルテナ城に仕えることになったのだ。
Fin.
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