あたりはいつのまにか地震が止んでいた。しぃんと静まり返った大地には、ゆるやかな風が通り過ぎていった。そんなあたたかな風に吹かれても、マイホームを覆う重たい空気は相変わらずそこに留まっていた。
「まぁったく、諦め悪い女だね。大体、自分の恋でさえ見極められないんだから、しょうがない女だよ。夢も夢。叶うことすら無理な夢なら見ない方がいい。そうじゃないかい?」
 闇のヴェルーニャはあきれたようにこう言い捨てたが。英雄ヴェルーニャは首を振った。
「叶わなくても届かなくても、自分の心にはうそはつけないわ。諦めてしまうのは楽だけど、結局そうやってごまかしても自分が苦しいだけ。それでも夢見るだけなら、追憶の夢なら・・誰にも迷惑はかけないと、そう思ってたのに・・」
 ヴェルーニャは辛そうに目を伏せた。ふん、と闇のヴェルーニャがそれを見て笑う。
「さあ、もうそんなことはどうでもいいさ。それで、どうするんだい?」
 闇のヴェルーニャが威勢良くそう言った。まだ右腕に握られた大剣は瑠璃の喉元に突きつけられている。ヴェルーニャの分身だけあって、英雄の戦いのセンスは幽閉されていた彼女にもしっかり備わっていたようだった。
 バドとコロナが瑠璃を心配そうに見つめ、真珠は涙をこぼしながら、瑠璃くん、瑠璃くん・・と小さな声で呼びつづけていた。
 そんな仲間の間を、ヴェルーニャが一歩前に出た。
「瑠璃を、放して頂戴。」
「その前に、あんたの命が先よ。せっかく楽に殺してあげようと思ったのに、可愛げがないんだから」
 憤慨したように闇のヴェルーニャがそう言うと、竜に目をやった。首をくいっとヴェルーニャに向かって振る。『殺れ』の合図だ。
 竜の巨大な口が開かれる。一気にヴェルーニャを喰らおうと、竜の首がそれでも希望の眼差しをしているヴェルーニャに延びた。
「ヴェルーニャ・・っ!!」
 悲鳴のようなコロナの声が、雄たけびのようなバドの声が天に届いたのか。
 竜は唐突にヴェルーニャの眼前で唐突に横たわった。地面が大きく揺れる。竜が倒れたときの衝撃で誰もがよろめく。
 驚愕の目をした闇のヴェルーニャの視線の先、巨大な竜の背に、もう一人の英雄が、いた。
「どうして・・どうしてお前がここに・・!」
 相手は無言で闇のヴェルーニャをにらみつけると、竜の背に突き刺した槍を一気に抜いた。竜のうろこがはがれ、あちこちに散乱する。竜の返り血を浴びて、その英雄は竜から飛び降りた。そうして、瞬時に闇のヴェルーニャに向き直る。
「瑠璃を放すんだ。悪心ヴェルーニャ」
 芯の通ったシャープな声がそう言った。もう一人の英雄リューシスの声だった。
 ヴェルーニャがリューシスの姿を改めて見つめて目を見開いている。
「僕達の邪魔はもう誰も出来なくなったんだ。さあ、瑠璃を放せ」
「な・・んですって?」
「かわいそうに。竜帝ティアマットが君を利用しようとしさえしなければ、君はこんな目に会わなかったのにね」
 すっかり動揺してしまい立ち尽くす闇のヴェルーニャから、瑠璃はゆっくり離れていった。出血する腕を抑え、よろめく体を何とか支えながら。
 ある程度離れてしまってから、リューシスが瑠璃と闇のヴェルーニャの間にすっと入りこんだ。瑠璃に危害を加えようものなら、リューシス自身が彼を護る、ということらしい。
「利用したのは・・私だったはずよ。」
 呆然と闇のヴェルーニャがそう言ったが、リューシスは黙って首を振った。
「ティアマットは・・懐柔されたように演じてただけなんだ。君はヴェルーニャがいなくなれば消える存在だったから。」
「違うわ!私は自分の力にしたのよ!もうこの体はヴェルーニャの『付録』なんかじゃないのよ!!」
 そう叫んだ闇のヴェルーニャの目には、初めて恐怖というものが生まれ始めていた。威勢のいい口調も今ではヒステリックな叫び声に変わっている。
「君をヴェルーニャから抜き出したのはティアマットだったはず。・・英雄の中に闇があるのを見つけ、それを利用しようとマナエネルギーを使って取り出したんだ。」
 ゆっくりリューシスは闇のヴェルーニャに近づきながらそう言った。
「ヴェルーニャの記憶をなくして僕の世界に追いやったのも奴だ。僕達の心に再び火をつけて、両方とも弱くさせようと企んでいたんだな」
「知ってるわ。そんなの。」
 闇のヴェルーニャが吐き捨てるようにそう言った。
「でもそこから後は私が舵をとったんだから。私は自分の力でヴェルーニャとの繋がりを断ち切った。それから死にかけたティアマットに生きた体を与えて、回復を待って私の言うことを聞くように術をかけた。」
「あの竜の回復を待って術をかけた、だと?」
 瑠璃が心底驚いたようにそう言った。傍には心配そうに瑠璃を支える真珠がついている。
「狂気の沙汰だ。お前にはそんな力があるのか。ティアマットの凶暴さを知らんわけでもないだろうに」
 闇のヴェルーニャは、ふっと冷ややかな笑いを浮かべた。瑠璃がびくりと肩を揺らす。
「なきゃ、こんなことできるわけないでしょ。竜の回復力を落とすわけにはいかなかったのよ。術が入ればきっとその力は薄れるんだから。」
 闇のヴェルーニャが視線をリューシスに戻す。
「だから、ティアマットは私に操られていたはずよ。」
 そうじゃなきゃ、私は殺されてるはずよ・・と闇のヴェルーニャが誰にともなく呟いた。
「ティアマットはどんな形であれ、君の存在をほしがっていたんだ。君がいることで、君の本体である英雄ヴェルーニャが傷つき弱まることを狙っていた。そして、それはティアマットの考えた通りだった。」
 リューシスは、いつのまにか闇のヴェルーニャの目の前まで来ていた。ゆっくり歩ませていた足をそこでようやく止めた。そして、闇のヴェルーニャを哀れむように見つめていた。
「君は、どうあがいてもヴェルーニャの一部に過ぎない。それをティアマットは見抜いていた。英雄ヴェルーニャに対してトドメをさせば、自動的に君がいなくなるのをね。だからおとなしく君の計画に乗ることにしていたんだ。最終的に、自分が世界を手に入れるために。」
 反抗的にキッと顔を上げて闇のヴェルーニャはリューシスを睨んだ。
「なによ。何でそんなことがあんたにわかるのよっ!」
 悔しそうに歯軋りして、闇のヴェルーニャはうつむいた。しばらくそのままうつむいていたが、やがて、闇のヴェルーニャはぎらりと目を嫌な色に光らせてこう言った。
「・・じゃあ、試してみる?ヴェルーニャが死んでも私は死なないこと、証明して見せるわっ!!」
 勇んで歩き出そうとする闇のヴェルーニャの腕を、リューシスはつかんだ。
「だめだよ。それでなくとも、君はもうすぐ消えるんだから。それ以上、罪を重ねない方がいい。」
 随分と穏やかな声にごまかされそうになったが、台詞の内容に驚いて闇のヴェルーニャがリューシスを見返した。
「消える・・ですって?!」
「今君、何故そんなことがこの僕にわかるのかって聞いたよね。何故だと思う?」
 考えなくとも判ったように、闇のヴェルーニャが一歩リューシスから身を引いた。リューシスに握られた腕を振り払うと、猫のようにじりじりとあとずさる。
 判ってるようだね、とリューシスは言った。
「・・女神はある処置を施してくれたんだ。随分思い切ったことを女神様は僕達にしてくださった。僕達二人のためじゃなく、世界の、ひいてはご自分のためだとおっしゃられたけどね。」
 そういうと、リューシスは振り返ってヴェルーニャ、と呼んだ。英雄ヴェルーニャ、彼の恋人だ。
 ヴェルーニャはわけがわからずリューシスの傍に来ると、リューシスは手を貸してごらん、と微笑んだ。
「でも・・今私リューシスのこと・・」
「大丈夫。手を貸して」
 おそるおそる・・ヴェルーニャはリューシスの手に自分の手を近づけていった。途中で嫌な音がするんじゃないかとびくびくしながら、リューシスの手に自分の手を差し伸べていく。しかし。
「なんとも・・ない?」
 そう、リューシスの手にヴェルーニャの手は重なっていた。女神と戦った記憶もあるし、リューシスのことも覚えている。それなのに、手が重なっている。
 ぎゅっとリューシスがヴェルーニャの手を握り締めてくれる。それでもやはり、なんともない。二人が、お互いに照れくさそうに笑った。
 そうして、リューシスがヴェルーニャに向かって囁くようにこう言った。
「よく聞いて・・ヴェルーニャ。女神様が施したのはこういう処置だ。僕の世界のマナの木と君の世界のマナの木をひとつに融合させた。これは君と僕の世界が同じ世界になったということになるんだ。だから。」
 一呼吸おいて、リューシスはこう続けた。
「もう君は悪い恋なんてしてないんだ」
 ヴェルーニャが目を見開くのと同時に、闇のヴェルーニャが突然光を放ちだした。今までしっかりとした存在があった闇のヴェルーニャは、いまでは幻のような蜃気楼のようなぼんやりとした輪郭しか持っていない。
 そして、一粒の涙がその目からこぼれたとき、闇のヴェルーニャは微笑んでこう言った。
「なぁんだ・・そうだったの・・」
 まるでそれが彼女の呪縛を解く呪文であったかのように、彼女の姿がたくさんの淡い光の玉に変わり飛び散っていった。闇のヴェルーニャを形作っていたものは、光の泡となって消えていった。
 ヴェルーニャがもう一人の自分の末路を見つめながら、どういうこと?とリューシスに尋ねる。
「あれは君の”後ろめたい心”だったんだよ。君の心が晴れたから、彼女も消えたんだ」
「ああ、だから、笑ってたのね。」
「そう、本当に君の心が笑った証拠だよ」
 今まで闇のヴェルーニャがいた場所にずっと目をやっていたヴェルーニャは、ようやくリューシスに向き直った。
 心を落ち着けるように深呼吸してみる。それからヴェルーニャはリューシスを見上げて尋ねた。
「ねえ、本当に・・?」
 言いかけたヴェルーニャの言葉に、リューシスは頷いた。
「ああ、本当だよ」
「やだ・・泣きそう・・!」
 そういって、ヴェルーニャはリューシスの首っ玉にしがみついて泣き始めた。小さな子供みたいだ、とリューシスは思いながらも、可愛がるようにヴェルーニャの髪を撫でた。
「あたしっ・・あたしねっ・・本当にもう、駄目だと思ってたの。あなたを思うこと・・」
「うん」
「でもっ・・、いつか叶うって思わなきゃ生きていけなかった・・。たとえそれが、・・追憶の夢でもっ・・」
「ヴェルーニャ」
 泣くじゃくるヴェルーニャを落ち着かせるように、リューシスが一旦身を離して、ヴェルーニャの肩に手をやる。まだ大泣きしたせいでしゃっくりの止まらないヴェルーニャを見て、リューシスは少し笑った。
「夢はね、見ていいものなんだよ。夢見るものはなんであれ人に勇気と希望を与えてくれる。人が前に向かうために必要不可欠なものなんだ。君は間違ってなんかいない」
「うん」
 まだこぼれる涙を一生懸命に拭いながら、ヴェルーニャは頷いた。
「そしてね、夢は叶えてしまってもいいものなんだよ。それはちっとも悪いことなんかじゃないよ」
「そうね・・本当にそうね・・」
 涙が止まらないヴェルーニャは、それでもようやく顔を上げて笑った。リューシスも思いっきり泣いて晴れ晴れしたヴェルーニャを見て、安心したように微笑んだ。

「それで、その後どーなったかというとな。」
 バドが牧場の小屋で干し草ベッドをこしらえながら、ふう、と息をついた。
「バドぉ!この餌、こいつらに全部やっていいのかぁ?」
 リューシスの声が小屋の外から聞こえてくる。バドがやれやれ、とため息混じりにそう言うと、いいよぉ!と答える。
「ていうか、ヴェルーニャにさせろよっ!あいつが全部拾ってきてるんだから!」
 大声でそう怒鳴ってみるが、答えはバドにはわかりきっている。
「やだよーう。あいつ怒ると怖いんだぞぉ?バド知ってると思うけど」
 あはは、と笑いながら小屋にリューシスが入ってくる。バドが干し草ベッド作りの手を止めて、あきれたようにこう言った。
「あんだけ泣いて泣いて手に入れた恋人がこういう扱いかよ・・女ってわからねぇ」
「ほんとほんと」
 餌を平らげられて空になったバケツをたわしでがしがしと洗いながら、リューシスは笑う。
「笑ってる場合かよ!リューシスっ、そろそろ男としての威厳を見せてくれよぉ〜」
「やだよ。ヴェルーニャ怒らせたら怖いからね」
「誰が怖いって?」
 小屋の出入り口で光の逆行を背に現れたシルエットを見て、バドもリューシスも笑いを凍らせた。
「誰が怖いって?ええ?」
「十分怖いよな・・」
 バドがぼそっとそう言うと、リューシスがバドっ!と肘で小突く。
 コロナがそんな中どうしたの?と小屋に入ってくる。ヴェルーニャが、聞いてよ、ひどいのよ、などと話し始めた隙に、二人がこそこそと小屋を抜け出していた。
「この二人がねぇ、私のこと怖いって・・」
 ヴェルーニャが指差した先にいるはずの二人は既に忽然と姿を消していたのに、ヴェルーニャは気づいたのだった。
「あー!!」
「俺たち休憩行ってくるわー!後よろしくな!ヴェルーニャ!」
「おおっ、ようやくリューシスの勝ちが見れてうれしいぜ!でも逃げかよ・・」
「そう言うなって」
 リューシスとバドは仲良く並んで走りながら牧場を脱出した。
「こらぁ!待ちなさーいっ!!後片付けくらいちゃんとなさいよーっ!!」
 全くもう、と言いながらため息をつくヴェルーニャを見て、コロナはそっと微笑んだ。
・・怖い?どこを見てるのかしらね。
・・ヴェルーニャ、こんなに笑ってるのに。
「しょうがない。コロナ、あの二人代わりにこれ片付けるの手伝って。後で二人だけでデザートでも食べに行っちゃいましょ」
 やれやれ、とでも言うように、ヴェルーニャがそう言った。コロナはうんっ、と弾むように返事を返すと、早速片付けを始めた。
「さーぁ!みんな、帰っておいで!」
 ヴェルーニャはペット達を小屋に戻すために掛け声をかけた。ペット達がご主人の声を聞きつけて、いろんな鳴き声で返事をした。
 ふと、空を見つめると、真っ青な空がヴェルーニャの目に飛び込んできた。暑いくらいの日差しがヴェルーニャの肌を照りつける。気持ちよさそうに微笑んで、ヴェルーニャは背伸びした。
「さぁて、今日もいい一日でありますように!」







Fin.


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