【スパイラル〜推理の絆〜】

■天才が目論んだ自殺の考察

掲載日[2009/09/09]













 鳴海歩は相変わらず素早い包丁さばきで朝食を作っていた。歩はほとんど無意識レベルでの身のこなしで、調理してしまう驚くべき才能があった。手さばきだけではなく、もちろん味もどこかの有名店のシェフの一品だと説明されても疑わないほどの素晴らしい出来である。ただし、鳴海歩のシェフの姿はとてつもなく不似合いであろうが。
 兄清隆との勝負がついたあとの歩は実家に帰ろうとしたが、兄が「妻まどかの家事の手伝いをするなら今後ともおいてやってもいいぞ」などと尊大な態度をとり、歩は「別に手伝いたくない」と一蹴して帰ろうとしたところ、まどかが「歩、あんたはここにいるのよ。そうよね清隆さん」と決め付けたようにそう言ったので、まどかに弱い二人は二の句をつなげずに、歩は鳴海清隆夫妻のマンションに住み込みを続けることになった。
 今ではこの生活になってから一週間もたたないのに、まるでそれがもう昔からそうであったかのような日常が続いている。
 歩は朝一番に目を覚まし、朝食を作り始める。これは清隆不在のまどかと二人きりで住んでいた頃と全く変わらないので、ほとんど習慣のようなものだ。そこに兄清隆が決まったように台所に現れる。
「歩、今日もうまそうな朝食を作ってるな」
「兄貴に比べれば大したことない」
 なんとこのやり取りは2日目から全く変わらない。ちなみに、1日目は清隆のセリフの助詞「も」が「は」だったというだけである。
 遺伝子情報が同じだからと言って同じ毎日にしなくてもよさそうなものであるのだが。
 実は、この二人は実質的にクローンの関係にある。年齢に差があるものの、体内に眠る遺伝子情報は全く同一。もちろんクローンの元となったのは鳴海清隆であり、歩は清隆の遺伝子情報をもとに作りだされた人間なのである。これにより、歩は幼いころから何にでも優れた兄と自分があまりに似通っていることと、兄の能力を追い越せない事実に傷つき、ピアニストだった清隆から逃げるようにピアノから逃げたのだが、今は自分と向き合い、鍵盤を奏でる歩の姿を音楽室でみられるようになったようだ。
「おお、これは私の大好きなきんぴらごぼうじゃないか!」
「兄貴、邪魔だからまどかさんを起こしてきてくれ」
 本当にこの人と同じ遺伝子なのかと疑いたくなる時がある歩は、兄のテンションについて行けなくなると決まって追い払おうとする。
「つれないなぁ歩。せっかく兄弟のスキンシップを計ろうとしているのに」
「一度は殺人者にまで仕立てられそうになった奴とスキンシップを計りたいと思わないだろ、普通」
 兄弟としては際どいセリフを吐きながら、歩は淡々と食事の支度を続ける。本当に邪魔だとしか思っていないらしい。しかし、清隆は歩とは違って、そういうことに疎いのか、あるいはまったく気にしない神経のずぶとい御仁であった。天才の思考とは凡人には計り知れないというのが定石であるから、それにあたるのかもしれない。
「歩は手厳しいなぁ。それより、お前、最近私に言いたいことがあるんじゃないのか?」
 歩は清隆の言うことを無視することに決めたようだった。もくもくと鍋をかきまぜたり、電子レンジから野菜を取り出したり、水切りをしたりとせわしなく動く。清隆は天才という肩書のおかげなのか、それとも歩とクローンだからなのか、歩の動く一歩先を邪魔にならないように移動している。まるでその動きはダンスのステップを踏むかのように緻密でタイミングが良すぎる。一口でいえば、気持ちが悪い。
 歩もそう思っているのだろう。苦虫をつぶしたような顔を一向に隠そうとはせずに、自分の与えられた仕事をせっせとこなしていた。
「ふーむ。歩くんはご機嫌斜めか…」
 清隆がようやくキッチンから出て行くと、歩はほっとしたように息をついた。狭いキッチンで男二人がつかず離れずで動き回っているというのは、正直気持ちのいいものではなかっただろう。
「歩、私は負けたのだろうか?」
 唐突に、清隆が振り返らずにそういったので、歩ははたと動きを止めた。不意をつかれて、思わず兄のペースに乗せられたことを、歩はすぐに気づいて舌打ちをしそうになった。
 歩はもちろん、兄のこの中途半端極まりない質問の真意がわかっていた。
 さる「ブレードチルドレン及びその関係者の抹消計画」すなわち「盤面のゼロ」計画について、歩がそれをどうにか辞めさせるに至った勝負結果についての問いだった。
「兄貴がそう思うんならそうだろう?」
「お前がそう思っているんじゃないかと思ったんだ。いや、思ってるだろう歩」
 清隆はまだこちらを見ない。歩も清隆を見たくはなかった。乗せられた上に、兄の罠にこれ以上嵌ってやる気など、歩にはさらさらないのだ。
「俺は、思ってない」
 小鉢にきんぴらごぼうを取り分けながら、歩は返した。
「そうかな」
 清隆が左目だけをこちらに向けて言う。しかし、歩は無視を続けた。正直、歩はここに帰ってから兄がこの話題に触れることを、ずっと恐れていたような気がしていた。しかし、負けるわけにはいかない、と思う。今もまだ二人の勝負は続いている。天才、鳴海清隆は一度勝っただけでは、簡単に倒されてはくれないのだ。
「歩。私はあの日、お前に殺されなかった。私はお前に殺されるものだと信じていたはずなのにな」
 先ほど言った「ブレードチルドレン及びその関係者」の「関係者」には鳴海兄弟も含まれている。清隆は歩によって殺され、歩はその出生の所以で二十歳を超えられない体のため、結論、鳴海兄弟は消滅と相成るはずだったのだ。清隆の構想では。
「俺、兄貴のそのセリフも三文芝居みたいに聞こえるよ」
 熱の籠らない無表情な声は、穏やかにそう言った。驚いたように清隆が振り返ると、歩は少しも動じることがなく、食事の支度を続けていた。
「兄貴は、もとから『俺を殺人者に仕立てようとしたけど失敗するようにしていた』んだと思う。死にたがり人間っていうのは、案外逃げ道用意しておくことも少なくないしな。俺も、生きている間ずっと兄貴と比べて何度も自分に嫌気がさしたけど、結局死は選ばなかった。奪われるためだけの人生を生きる俺でさえ、生きることを捨てきれなかった。天才で、何不自由もない兄貴がどうしてその人生を捨てられるんだ?」
 清隆は歩の言葉を聞いて、さびしそうに笑う。
「何不自由ないのもつまらなくて悲しいものだよ」
「そういう兄貴がいたことも理解する。けど、生きることを捨てられない兄貴も確かにいたと思う。だから、その兄貴は逃げ道を用意した。俺が兄貴を撃たないかもしれない、という逃げ道を」
 清隆は、完全に歩の方を向いて再びキッチンに戻ろうとしたが、ダイニングルームとのつなぎ目のところでぴたりと足を止めた。
「そんな覚えはないが」
「無意識って結構バカにできないんだぜ」
 食事の支度に目途が立った歩が、やっと清隆をみて笑みを浮かべる。
「人が何でも意識して生きてると思ったら間違いだよ、兄貴。心臓は勝手に鼓動するし、血管の弁は血液を常にめぐらせる。呼吸は自動的に繰り返されるし、目の涙はいつも網膜を守るために満たされる。汗は意識してかけないし、爪も勝手に伸びる。一番厄介なのは死への恐怖だ。人は自身が体験したこともない死を極端に恐れるようにできてるからな」
「その恐怖がその可能性を残したというのか?ある意味、死の恐怖を抱く私がこの未来を予知していたのだと?」
「俺はそうじゃないかと思ってる」
 歩はトレイに乗せた食器を食卓に運びながら、そう言う。清隆は歩が静かに食卓に並べる食器を眺めながら、ふっと笑う。
「お前には負かされっぱなしのようだな」
「それは俺のセリフだろう」
 歩は兄の言葉に憤慨したように見返した。しかし、すでに清隆は部屋から出ながら、ひらひらと手を振ってみせる。
「それならば勝負はあいこだな。まどかを起こしてくるよ」
 すたすたと落ち着いた足取りの清隆を見送ってから、歩は食器を置いて空きになったトレイを片手に抱えると、キッチンまで戻り、そこで急に力が抜けてへたり込むように座り込んだ。
「…人生負かされっぱなしの奴に、天才が勝負を挑むなよな…」
 歩は吐き捨てるようにそう言ってから、なんとかもう一度気を取り直した。朝食を摂って二人が出勤してしまうまでは、弱い顔は見せられない。歩はゆっくり立ち上がると、気持ちを落ち着けるように朝食を運ぶことに専念したのだった。






 


■END

■清隆が「きんぴらごぼう」が好物なのは捏造ですww
スパイラルでは有名な、リスト「詩的で宗教的な調べ第3番」をBGMに。
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