【スパイラル〜推理の絆〜】

■2. バス停での出来事。

掲載日[2008/9/25]













 雨が降っていたわけでもないのに、バスに乗り込んだのは妙に体がだるかったからだろう、と歩は誰にともなくそう言い訳をした。

 風邪ひいたことはほとんどないが、たまにこうやって体が重くなったりする。歩は自分の体に無理をさせない癖が幼いころからついていた。それは一体いつからだろう、と考えそうになって、歩は慌てて頭を振る。悪い記憶が呼び起こされそうになる気がすると、事前にそれが自分が判る。悪寒ほどでないが血の巡りがざわつくような気持ち悪さが全身を覆う。
 考えるのはやめよう、と歩は窓の外に目を向けた。
 登校で歩いている道とは全く違う道をバスは走る。各々の停留所に向かって縫うように走る地図を頭に浮かべて、歩はため息をついた。家の近くのバス停までたどりつくのにまだしばらくかかるだろう。もしかしたら歩いた方が早かったかもな、と歩はまた考えてはいけないことを頭の中で思いついていた。
 眠ったら寝過ごすだろうか、と考える。
 思った次の瞬間に睡魔が襲ってくる。
 抗えない強い睡魔が歩を襲った。しかし、抗う気も歩にはなかった。
 運命には逆らえないことを、そして一生もてあそばれ続けることをずっと自覚していた。
 近くには運命そのもの、もしくは神と呼ばれる人間がいたから。
 そんな運命に比べれば、こんな睡魔は取るに足らないエレメント。
 歩はもう考えないようにした。考えないためには、この睡魔を受け入れることがちょうどいいとそのときは思った。

 夢の中でも歩はバスに乗っていた。
 バスの窓が思いの他高いことに気づいて、自分が小さい体なのだと歩は気づく。
 高い窓にぶつかる数多の雫は視界を完全に遮っている。礫はけたたましい音を車内に鳴り響かせていた。
 二人掛けの前の座席に母と兄が座っているのを見つける。兄、後に警視庁の名探偵と呼ばれるその人が辛そうに母に肩を寄せている。朝からひどい熱が出たのだと、まだ幼い歩は思い出した。まだ、兄はこのころピアニストだった。
 歩が顔を上げると、父が歩を見て頷いた。手のひらを父に握り締められて、歩はもう一度母と兄を見た。すると、母がおもむろにこちらに振り返り、厳しい顔で行った。
「あなたは病気にならないでね」
 歩はこくんと頷いた。頷くしかない、強い強制力を持つ声に幼い歩には頷く他なすすべがなかった。
 その言葉が母から子へのささやかな願いの言葉ではないことが、幼い歩にも判っていた。
 願いではなく、それは命令だったのだと。

 胸の悪くなるような記憶に体のほうが先に過敏に反応した。
 過剰なストレスで苦しくなった胸に、歩はとっさに目を開けて息をした。胸焼けを起こしたように吐き気が襲う。喉に何かがつかえたように咳き込んでしまう。
「…大丈夫ですか」
 近くに親子で座っていた母親がすぐに立ち上がって、歩の隣に腰掛けて背中をさする。夢で見た自分のような幼い子供が心配そうに歩を見つめている。
 女に背中をさすられると瞬間的にざわりと体中を拒否感が走り抜けたが、再びそれを瞬間的に歩は抑えた。
(この人は俺の母親じゃない…この人は悪くない。)
 胸につかえる何かよりも、女が歩の背中をさする手の暖かさのほうが何十倍も歩には辛かった。
 吐き気をなんとか堪え、歩は顔を上げた。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
「そう?まだ顔が青いわ。帰ってゆっくり休んでね」
「はい」
 女はにっこりと微笑むと、歩の隣から腰を上げて息子の待つ席へと戻っていった。息子がやっと帰ってきた母に甘えるように手を伸ばしたところまで見ると、歩は辛そうに目を伏せた。
 びぃぃ、とブザーが鳴ってドアが開いた音で我に返ると、そこが家の近くの停留所だと言うことに気づく。歩は立ち上がると逃げるようにバスを降りた。女に頭を下げる余裕もなかった。
 バスを降りた後、窓から子供が歩を見つめて、ばいばい、と手を振ったのを見つけて、歩は何とか手のひらを向けることに成功した。口元も少し上げられたはずだと自己評価したときに、バスは煙を吐きながら走りだした。
 バスの排煙から逃げるように歩道を歩き出すと、後ろから名前を呼ばれた。聞き覚えのある声に歩はまたため息を吐きそうになった。ゆっくり振り返ると、仁王立ちしたおさげの娘が睨みつけるようにそこに佇んでいるのを見た。
「…なんだ。またアンタか」
「なんだはないでしょう!なんだは!せっかく私が方々から情報を…って鳴海さん、一体バスで何があったんです!?顔真っ青ですよ!」
 結崎ひよのは途中まで荒げていた声を引っ込めて、歩に近づいた。
「まさか、ブレードチルドレンがバスに?」
 とっくに走り抜けていったバスを睨みつけるようにひよのがそう言ったが、歩がそれを訂正する。
「いや、バスで酔っただけだ。久しぶりに楽をしようと思っただけなんだがな」
「私を置いてさっさと帰るから鳴海さんは自分で天罰を食らったんですね。律儀な人ですねぇ」
 にっこりと嬉しそうにひよのがそういうので、歩は呆れてものをいうのもイヤになった。どし、と肩をひよのにぶつけると、顔を伏せて言う。
「肩を貸せ」
「はいはい」
 ひよのはさっと歩の腕を掴むと自分の肩に回して歩き出した。ひよのの肩に寄りかかって、ひよのよりも高い自分の身長を確かめて、今がもう幼い自分じゃないことを歩はやっと理解できた。
 呼吸が楽になった気がする。
「ほんとーに鳴海さんは私がいないとだめな人ですねー」
「なんだよそれ」








■END



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■歩ひよ歩ひよvv…歩ひよ?(聞くな)
私の場合、歩とひよのはこういう戦友みたいな関係が好きです。
歩の母との関係については14巻を参照願います。
(明言は避けました。かなり本編の核なので)