運命の歯車
森の中を一人の女が駆け抜けていく。ひどく苦しそうに息を切らしながら、その女はときどき後ろを振り返ると、懸命に足を蹴立てる。苦しそうに歪んだ顔がひどく痛々しい。彼女の後ろからはまだ何の気配もないのに、女は恐れおののくように恐怖に呑まれた表情でひたすらに走る。
「はぁっはぁっはぁっ・・・」
ぐらりと体が傾いた。足を木の根につっかけたのだ。いとも簡単にバランスを崩して、女は倒れた。しかし、瞬時に起きあがると、再び女は鬱蒼と暗い森の中を走り出す。
「ああ、みんなもうダメなのかしら・・」
女は恐怖に打ちふるえるようにそう言った。女の目には涙があった。ただの悲しみの涙ではない。やはり恐怖を感じる者の、恐れの涙だ。と、そのとき彼女の背後の方向から轟音と共に赤い光が立ち上るのを、彼女は見た。
燃えている、と彼女は漠然とそう思った。その方向は彼女が今まで暮らしていた村があったのだ。しかしその方向で、勢いのある炎は空に向けて立ち上っていた。
「ああ・・・どうして・・どうしてこんなことに・・」
炎の光が彼女の顔を朱色にする。涙をこぼして炎を見上げる彼女を助けてくれる者は誰もいない。女は絶望感に打ちのめされたように、ただただその燃え上がる炎を見つめていた。
すると、なんと彼女が一生懸命に走ってきた方向からざわめきを感じた。悪寒に震えるからだを何とか奮い立たせて、彼女は再び走り出す。
「セリン・・・・早く、早く来て・・!」
女は涙ながらにそう呟く。
セリン。この対帝国との戦いのさなかで、セリンの名を知らぬ者などいない。タスマニカの英雄、騎士団長セリン。その、セリンの名を呼ぶこの女は一体何者であろうか?
「こっちだ!こっちに足跡があるぞ!!」
女の顔が恐怖にこわばった。なんと追っ手がすぐ側まで来ているらしかった。女の足が更に速くなる。心臓は既に限界までに激しく脈打ち、息は上がりっぱなしだ。それでも、女は逃げ延びねばならない。死ぬわけにはいかない。
「・・・・っきゃあ!!」
前から先回りしてきた兵に腕を掴まれた。手にはぎらりと光る剣が見える。
「マナの女だな・・・」
「離してっ・・いやあっ!」
女が激しく抵抗するが、男の手はその腕をちぎれそうなくらい強く握りしめていた。血管の流れが止まって指の先が冷たくなるのを女は感じた。
兵の腕に力が入る。剣が女の首を狙う・・・!
「カリナ!」
その兵の背後から、たくましい鎧を身にまとった男が飛び出してきた。男は女を握りしめていた兵の腕に向かって剣を一閃させた。
「うぎゃあ!!」
女は訳が分からず周りを見回して、男を見つけるとほっと顔を緩めさせた。
「ああ・・セリン・・」
「カリナ、良く無事で・・!」
二人は互いに抱きしめあった。が、時間がない。二人は意を決したように頷きあうと、走り出した。カリナ、と呼ばれた女は泣き出しそうになりながらセリンに呟く。
「村が焼かれたわ・・。」
「判ってる、帝国の仕業だ・・」
「どうして・・」
「判ってるはずだ・・・カリナ。マナの監視者は帝国にとってただの邪魔者だよ・・。」
カリナは泣き叫ぶように首を振る。
「何もしないわ・・私たち、ただ幸せに生きたいだけ・・。マナを多く含むからだだけど人には違いないのよ・・!」
「帝国にそんなこと通じやしないさ・・・」
セリンは精一杯カリナの手を引きながら森を走り抜ける。森さえ抜ければ、
砂漠に横付けしたサンドシップに乗り込める。なんとしても、森を抜け切れなければ・・・!
セリンは焦っていた。騎士団長ともあろう者が「マナの村」が帝国に襲撃されることを聞いて、単独サンドシップに乗り込みここまで来たが、こんな所では応援も呼べない。こんなところで敵の襲撃を受けたら・・・!!
「セリン!来るわ・・・!あいつら、回り込んでる・・!」
予感的中と言うところだろうか。セリンは舌打ちした。が、もう遅い。セリンの耳も敵方が回り込むざわめきを聞き取っていた。
あっと言う間に二人は敵軍兵に囲まれていた。逃げると言っても所詮は女の足に合わせていたのだ。セリンは自分が不覚をとったことを後悔した。
「女をよこせ・・そうすればお前の命は助けてやらんでもない・・」
兵の一人がそう言った。セリンはぎらりと目を光らせると、断る!と怒鳴る。カリナの体を引き寄せると、何が何でも守るつもりで剣を構える。
「つまらんことを・・」
一斉に敵軍兵は二人に向かって剣を繰り出した。セリンは片腕でカリナを傷つけまいと強く抱きしめながら、剣を応戦させる。
・・マナの男である俺が死んだら・・カリナだけが頼りだ・・いや、俺とカリナの子だけが・・!!
村は焼かれた。マナの女は結局カリナだけになってしまったのだ。マナの窮地を救うと言われるマナの男の誕生が永遠に阻まれてしまう・・!
「カリナ・・お前だけは・・」
「セリン・・!」
しかし、いかに戦地の英雄といえども、体力に限界がないわけではない。敵軍を打ち倒し着実にその兵の数は減っているが、彼の体はカリナの分まで傷ついて鎧が血にまみれていた。
じりじりと移動をしつつ、セリンは応戦をしていた。森をでる方向に足を走らせながら・・。
やがて森が抜けた。遠くにサンドシップを見て、セリンはカリナの体を突き飛ばして叫んだ。
「行け!サンドシップだ!!俺の仲間がいる!!」
急に女を手放してどっちを追うか混乱する敵兵達を打ちながら、セリンは再び叫ぶ。
「お前は生きろ!生きなくてはならない!!そういう運命だ!!」
「・・・っ・・」
カリナは泣くのをこらえてセリンをもう一度見ようとしたが、セリンは敵軍を食い止めるのに精一杯なのを見て、すぐに走り出した。
セリンはそのカリナの後ろ姿を見て、安堵に顔を緩めた。戦いながら、口が安堵感に弛むのが、自分で不思議だった。
「いい子だ・・!カリナ・・今まで楽しかったな・・!」
何人かがカリナを追おうとするが、寸でで全てセリンは後ろからなぎ倒した。
しかし、セリンも傷の耐え切れぬ程の痛みと出血で頭が朦朧とする。もうダメだと思ったときに、ご丁寧にも胸に敵方の剣が突き刺さっていた・・。
タスマニカでカリナは男の子を出産すると、カリナは女一人でその国を出ていった。
(こんなに敵にわかりやすいところでは、この子は殺されてしまう・・。)
カリナは単身、誰にもそのことを告げずにタスマニカを出た。
そして、同時にカリナは知っていた。
自分の寿命が終わりに近い事を。
(マナの子・・マナの男の母親は、マナの木になる・・。村の伝説で聞いたこ
とはあったけど、まさか自分がそうなるなんて思わなかった・・)
「セリン・・」
涙を浮かべて、カリナはただ一人自分を愛してくれた男の名を呼ぶ。彼はもういない。世界のマナを守るために・・自分の身をなげうって・・・。
「どうして・・どうして一緒にいられなかったの・・・」
カリナは男の子を抱きしめながら泣く。まだ少女のようなあどけなさを残した彼女は、確かに小さすぎ、確かに心細すぎる。
赤ん坊が手を出して、母親の頬に触る。まだ何も知らないその子は目をぱっちりと開けて、何の疑いもなく母親を見つめていた。
「・・。そうね。私には・・まだ運命が残ってる・・」
カリナは涙を拭くと、男の子を抱きしめなおし再び足を急がせた・・。
ポトス村に着いたのは、豪雨の夜だった。
カリナは安心していた。ここまでくれば、帝国の目をそらすには充分だ。早速カリナは村に踏み込むと、入って正面の大きな家の扉にノックをした。
「すみません!ごめんください!!道に迷ってしまったのんです!お願いです!一晩泊めて下さい!!」
何度か同じ台詞と同じノックを繰り返し、やっと出てきたのは迷惑そうに目を歪めた老人だった。
「何だね・・?」
「ごめんなさい、一晩だけ止めてはもらえないでしょうか・・」
カリナが控えめにそう言うと、老人はふと今気付いたように豪雨を見やってから、ふんっと息を吐くと、吐き捨てるように言った。
「入りなさい、一晩だけだ・・」
「あ、ありがとうございます!」
カリナは精一杯お礼を言うと、家に入っていく。老人はどうも独り者らしく、他に人がいる気配はなかった。
「このタオルで拭きなさい・・私は寝るが、食べ物なら余分なシチューがある。ミルクも瓶に少し入ってるはずだ。暖める何なりして好きにするがいい。・・毛布はそこの引き戸の奥だ」
いっぺんに老人はそう言ってしまうと、2階の部屋に上がっていってしまった。カリナはため息をついて自分と子供の体を拭くと、シチューとミルクを温めて、子供に飲ませてやった。
子供の世話をしながら、カリナは自分の生きてきた短い人生を振り返って嗚咽をこらえた。なんて、呪われた人生。愛する人とほんの少ししか時を過ごせず、そして、自分の子供も満足に育ててはあげられないなんて・・。
「・・ねえ、あなたはどんな大人になるのかしら・・?」
「あー?だーぁ?」
赤ん坊は無邪気に笑う。これから母親に見捨てられることも知らずに。
「見捨てたくない・・でもこれしか方法がないの・・ごめんね・・」
「だあ!だーあ!」
カリナは最後に、と子供を抱きしめた。子供、そう、カリナは子供に名前を付けなかった。つければ愛着が湧いてしまい、子供をおいていくことなど自分には出来そうにない・・。だから。
「ごめんなさい・・」
カリナはそういうと、赤ん坊は毛布に来るんで家のなるべく風の当たらない場所に置いた。もう赤ん坊の顔を見ることは出来なかった。必死に目をそらし、カリナはその家を出ていった・・。
その後、老人にその男の子はランディと名付けられ、運命の時を待つ・・。
Fin.
Copyright 1997 BY SAE