【オリジナル】

■月夜の歌声[2]





 レンはセシルスの言っている意味がわからず、暫く呆然としていた。セシルスはそんなレンを可笑しそうに笑う。
「ホラ、私はこうやって入ってきたの」
 セシルスは説明するようにそう言うと、その魔物の前で『声』を上げる。
 大声というわけではない。実際その『声』はただ耳で認識できないほどの高音領域の音。しかしその声は確実に耳に入れば、意識を沈静化させる。つまり、眠りに誘うのだ。
 レン自身はその『声』を自分の耳で幾度となく聞いていたから、自分自身に影響はないと信じていた。しかし、実際別の声でその『声』を聞くと、くらっと意識が遠のきそうになって慌てて耳を塞いだ。
(声の質が違うと・・防ぎきれない・・?)
「どうして、そんなことが・・?」
 レンはセシルスの『声』の可能性に驚いて、慌ててそう言った。質問に答えるためには、セシルスはその『声』を上げるのをやめなければならない。それも一つの狙いだった。
 セシルスは『声』を上げるのをやめ、苦しげな表情で自分を見つめるレンを見つけるとにっと笑った。
「『どうしてそんなことが?』ですって?まぁ呆れた。そんな愚鈍な問いをあなたは幾度となく聞いたはずよ。そしてその答えは『神様がくれた贈り物です』としか言いようが無いこともね」
 レンはセシルスにそう言われて、黙り込んだ。その通りだと、思ったからだ。
「私は声の複写なら全てやってみせるけれど、声の特殊能力とは思っていなかったの。でも、あなたの存在が在ったから私は、スカウトされたの」
「スカウト・・?ココの工房(アトリエ)の?」
「いいえ、違う。でも、それを知りたいというのならあなたはここを出なければならないわ」
 セシルスは今までの笑顔を急に引っ込めると、レンにそう言った。セシルスの表情は、ただ命令を遂行するためだけの冷たい表情に変わっていた。
「出るわけには・・いかないわ」
 レンはそう言うと、セシルスから顔を逸らした。
「あら、そう。そうね、そんなことをしたら、あの可愛い妹さんがどうなるか分かったものではないものね」
「・・・」
 レンは答えなかった。
 この工房で働く者は半ば強制労働者のようなものだった。国はガーディアンとなるものの家族の生活を保障するという特別待遇を設けたが、同時に家族の命を盾とした絶対命令だったのだ。命令に背けば家族の命はない、と言う。
 それほどまでにこの工房は制圧しきれないほど危険な魔物を量産し続けていたのだ。もはや研究者にも、王家直属の部隊にも、どうにもならなくなっていた。早急に、迅速に、量産した凶暴な魔物を取り押さえる部隊を作る必要があった。そしてそれは、強制命令と言う合理的な方法として実行されたのだった。
「とりわけ、あなたの『声』は魔物たちを取り終えさえる手段としてはずいぶんな功績を残したはず。国としてはそんな大切な能力者を失うわけにはいかない。だから・・あなたの妹リアンは女手一つであの店をやっていけるのだものね?」
 その通りだった。その通りだからこそ、リアンはレンにあんな態度を取るのだ。
 レンを工房に送り出すことによって自分が安泰でいられるその悔しさを、辛さをリアンは噛み締めている。姉が強制労働を強いられるというのに、何も出来ない自分が歯痒くて、レンに今日のようなそっけない態度を取るのだ。そういう、「強気」な仮面を被ってリアンは今店を続けられている。それなら、それでもいい。妹に感謝されたくてやっているんじゃない。ただ、妹を守りたいだけ。失いたくないだけ。
 レンはきっぱりと首を振った。
「私は、ここから抜けるわけにはいかないわ」
 しかし、そんなレンを蔑むように見つめるセシルスの瞳を見つけて、レンは体にひやりとしたものが走るのを感じた。すぐにセシルスの冷たい声がレンの耳に届く。
「・・そういうあなたの意思はこの場合無視するようにいわれているの」
 セシルスはそう言うと、一瞬で深呼吸をし、レンに向かって『声』をぶつけた。高音領域の音がレンの耳に届くと同時に、レンは一瞬にしてその声に意識を奪われた。
(・・っ!やっぱり・・防ぎきれな・・!)
 声の圧迫感に、レンは遠のく意識を感じつつそう思うだけだった。体も揺らぎ、傾ぎ、冷たい床に美しい髪をたゆたわせるように倒れていった。
 セシルスは倒れていくレンを見ながら微笑むと、背後に目をやる。
 そこには昼間現れた狡い顔をした男の顔があった。

 同じ夜の、酒場2階のリアンの寝室。ベッドで眠っていたリアンは、気配を感じて目を覚ました。
「・・・」
 リアンは下手に声を出すことはせず、まずうっすらと目を開き辺りの様子を窺った。目に見える範囲では何も変わった様子は無い。
 リアンは寝返りを打つ仕草をして視界の方向を変えた。
 と、そのときリアンの目の前に男の顔があった。リアンは驚愕のあまり寝たフリするのも忘れ、男の顔を拳で殴りつけた。
「うがっ・・!」
「何、アンタ」
 寝室を侵されたという状態には似つかわしくないほど落ち着いた表情で、リアンはそう言った。殴られた男はひっくり返りそうになる体をなんとか堪え、こちらも寝室を侵入したという自覚のない表情で飄々と参ったなぁとぼやく。
 リアンはベッドから身を起こすと、手近にあるランプの火を灯した。窓から見える月の位置で、夜明けまでまだ間があることを読み取る。
「こんな時間のこんなところにお客さんなんて、一体どこの馬鹿?」
 リアンは蔑んだ瞳のまま身繕いをする。カーディガンを羽織り、ベッドから足を出す。
 ランプを手にして、男の顔を照らすようにランプを近づける。
「あちっ・・あちぃよ!こんなに近づけるなよ!」
「馬鹿の顔、よく見ておこうと思って。見ない顔ね。ウチの客じゃ、ない」
 きつい目をしたままリアンはその男の顔を覗き込んだ。
「誰?アンタ」
 リアンは呆れたようにランプを近場のテーブルに置くと、腕を組んだ。男は頬にランプを当てられた所為でひりひりするのか頬をさすりつつリアンを見る。
「ひでぇ話だ。せっかくボディガードに来てやったのに」
「聞いてない、そんなの。誰なの、名前教えて」
 リアンは意も解さず、という表情で淡々と言葉を繋げた。
「俺はリアンのボディーガードに雇われたクロックって言うんだ。お前、誰かに狙われてるらしいぞ」
 リアンは首を傾げると、クロックと名乗った男を見つめる。よく見ると男、というほどよく見ると年端は行っていない。少年のように見える。
「ボディガード?そんなちっちゃなアンタが?」
「クロックだよ」
 むっとしたようにクロックはリアンと同じく腕を組んだ。
「ちっちゃいクロックみたいなのが?」
 リアンは素っ気無く言い直すと、クロックはそう、と頷いた。
「ふうん。」
 リアンはくるっと目を天井に走らせた。気配を感じたかのように。
「それで?話続けて」
 リアンはそういうと服を着替え始めた。少年とはいえ、男の前にもかかわらず。しかし、クロックの方も気にした風もなく、リアンから目を逸らすだけで話を続ける。
 そこにはまるで、十年連れ添った夫婦のような暗黙の了解が二人に流れていたのだ。
「リアンの姉さんいるだろ?レンって声の特殊能力者の」
「うん」
「レンの周りにいつも変な奴がついてくるだろ?リアンの店に昼間も来たやつだよ。」
 リアンは頷くだけで身支度を続ける。
「そのレンの身を案じた奴が俺をリアンのボディーガードとして雇ってきたんだよ。」
「姉さんを案じるなら、私のところに来るのはお門違いよ。でも、その理由はもう分かってるわ」
 身支度を終えたリアンがふっと身構える姿勢をとった。クロックもベルトに引っ掛けておいた短剣を抜くと、抜け目なく一つ窓と部屋の扉に目を走らせた。
 一瞬後、ドアを蹴り破る音と窓ガラスが割れる音が鳴り響く。
 顔を黒い布で多い隠した集団が雪崩れ込み、リアンとクロックを取り囲んだ。リアンはクロックを背にその集団を睨みつけながら一言こう言った。
「姉さんの方には・・間に合わなかったのね・・」
 十人を越える集団が一斉にリアンとクロックに襲い掛かった。男達がリアンを腕に手をかけると、クロックは横から足蹴りを食らわせる。リアンは離された手をそのまま勢いよく振り回すと後ろにいた男に肘鉄を食らわせた。
「あ、ゴメン」
「リアン、謝らなくていい!それ!」
 クロックは苦笑いを浮かべながら、クロックがその男に手刀を一発食らわせ意識を奪う。
 リアンは何度も男達にしつこく手をつかまれるが、リアンはその度に拳を突きつけ、平手打ちをお見舞いし、身軽な体を浮かせて足蹴りをしてやり、当然のことながら応戦した。
 クロックもリアンの攻撃を受けた男を窓に追い詰めたり、短剣を繰り出しリアンに近づくのを牽制した。
「ここから出よう!レンを助けるんだ!」
「当て、あるの?」
 息も乱さずリアンがクロックにそう言うと、クロックはまぁなとだけ言う。リアンはクロックを見て、呆れたように呟いた。
「私、クロックを信じてるわけじゃないけど、今はそうするしかないと思うから、そうする」
「ありがたいね!是非そうしてもらえると嬉しいよ!」
 クロックはそういうと、リアンの手をとり、侵入してきた集団に短剣を振りかざしながら窓に向かった。リアンも捕まえてくる手を振り払い、クロックに遅れをとらないように走りこむ。
「リアンは、背中につかまれ!」
「うん」
 素直にリアンはクロックの背中に掴まると、クロックはリアンの足を腕で固定してやり、窓枠を蹴った。
 ありえない滞空時間を超えて、正面の家の屋根に飛び移るとリアンを背負ったまま何度も屋根を飛び越えていく。集団の姿はどんどん遠のいていく。
「なんか・・反応イマイチ」
 クロックが屋根を跳びながらそう言う。リアンはきょとんとして何が?と尋ねると、クロックは普通はさー・・とぼやくようにこう言った。
「普通跳んだりしたら女って『キャー』とか『こわーい』とか『すごーい』、とか言うのに。リアンは何もいわねぇんだもん」
「ふうん、何度も女の子をおぶってそういわせたんだ」
 リアンは事も無げにそう言うと、クロックが違う!を喚く。
「だって普通そうだろ?」
「普通、って何よ。私は別に吃驚しないわよ。私にだって跳べるもの」
 それを聞いて、クロックはへっ?と調子っぱずれな声を上げた。
「おろしてよ」
「あ、ああ」
 言われるままリアンを下ろすと、リアンはそこから屋根を蹴る。クロックの身長を軽く越えて、隣側の屋根に飛び移った。クロックがそのリアンの姿を呆然と見つめる。
「ほらね」
「ほらね、じゃねぇよ!お前跳べるなら自分で跳べよ!」
 いきりたって、クロックがそう言うが、リアンは首を傾げる。
「だって背中に掴まれって言うから、もっとすごいことするのかと思って。それに、楽だったし」
「お前な・・」
 言葉をなくして落ち込むクロックをよそに、今度はリアンがクロックの腕を取る。
「当て、あるんでしょ?姉さんを助けてくれるんでしょ?ボディーガードさん」




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