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【オリジナル】 |
| ■月夜の歌声[5] |
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ガレット国領のファンベール城から歩きつづけているとふと丘のきれっぱしに立っていた。そこから眼下に河が見える。河の向こうには懐かしい教会が見えた。赤レンガ色の屋根が平地を埋め尽くし、向こう側の山の裾野まで広がっている。美しい山と澄み切った河に挟まれた国アリエスト。二人にとってもはや故郷といえるのはこの国だけだった。 国境を超える為には検問を受けねばならず、許可証が無ければ通ることはもちろんできない。部隊ガーディアンになったおかげでアリエストが発行した通行許可証を持っているから、レンとその家族は国境を越えることができる。 「そういえばクロック。許可証持っている?」 「もっているさ、もちろん。俺、アリエストの国民だぜ?」 「へぇ、そう」 国境で撒くこともできるかと淡い期待を抱いたが、できないのならば仕方ない。もともとリアンが連れて行くことを了承しているのだから、それ以上の疑心は抱かないつもりであったが、なかなか敵陣の人間がそばに居るというのは落ち着かなかった。 「姉さん、具合悪い?」 珍しくリアンが話し掛けてきた。レンは強がって笑ってみたが、今日一日の疲労は隠せるものではなかった。 「ちょっと・・疲れたかな」 「クロック、姉さんをお願い。早く家に戻りましょう」 前半部はクロックに、後半部はレンに行ったものだった。クロックはリアンの命令に肩を一度すくめただけで従った。レンに背中を見せてしゃがみこむ。 「乗って。おぶってやるから」 「いらないわよ。そんなの」 驚いてレンはクロックから離れるように1歩後退ったのだが、リアンがレンにきっぱりと言った。 「乗って。クロックは背負って跳べるから早いの。私も跳ぶから」 跳ぶ、といったのはリアンの特殊能力の一つで、重力を軽減する能力を使う、という意味だ。その能力を使えば、リアンの跳躍力を驚くほど伸ばすことができるので、その能力を使って早く家に帰ろうと言っているのだった。 リアンは先ほどの地震のように、大地から力を引き出すことができる。それは石の王と魔女を両親とする娘の、特別な能力なのだった。 「そう?」 しかたなくレンはクロックに体を預ける。クロックの小さな背中にレンを抱えると、意外なほど軽々とクロックは立ち上がった。リアンがそれを見てクロックに頷くと、先に跳躍した。すぐにクロックもリアンを追って地面を蹴った。 レンはしばらく流れる景色に驚いていたが、やがてこのまま背負われていれば家に着くのだという安心感に安堵して、クロックの背中で寝息を立て始めていた。 一方、ファンベール城では留守にしていた城主ドニ=ファンベールが戻ってきたところだった。ドニは召使のものに土産や荷物を渡しながら、いつも妻が待っているはずの部屋へと急いでいた。 堅苦しい首周りのボタンを外しながら、リラックスした気持ちで妻の部屋にノックしたドニは、返事を待たずにドアを開けた。 「マゼンダ、今帰ったよ」 いつものマゼンダならば、広げた腕に飛び込んでくるところだったが、ドニの腕には何も飛び込んでは来なかった。 一瞬あっけにとられたドニだったが、落ち着いて部屋を見回してみると、マゼンダはベッドに横になっているようだった。掛け布団も掛けずに微動だにしない彼女の姿を見つけて、ドニは優しく微笑んだ。 「お姫様はお昼寝中かな?」 若々しいマゼンダにつられてか、このドニもはや男は若くもないのにこう言うことを言うのだった。この男の容貌はというと、既にでっぷりと突き出たお腹に、頭は少し後退し始めている。どう若く見積もっても四十はくだらない体型なのである。 「マゼンダ?」 近づいてみてドニは初めて、妻の様子がおかしいことに気づいた。マゼンダはドレスのままベッドに突っ伏しており、その首からはおびただしい量の血が染み出していた。ドニはその妻の姿に驚き、2,3歩後退ずさった。 「ひぃっ!」 「ああ、騒がないで頂戴」 別の声が聞こえて、ドニはまた後退ずさろうとしたが、器用にも自分の足にひっかかって尻餅をついた。どすん、としたたか打った尾骨に痛みが走った。ドニは悲鳴をあげたいくらいだったが、なんとかその別の声の気配を探すことを優先させた。 ベッドは天蓋つきだったので、天蓋からの掛け布のせいでベッドの向こう側が全く見えなかった。女はその陰からすっと姿を現すと、尻餅をついて真っ青になっている男を見下ろした。 「誰だお前はっ」 腰が抜けたのか、ドニはもはや立ち上がれもしなかった。女はドニを見下ろしながら、ふふっと不敵に微笑んだ。 「私はセシルス。マゼンダの娘よ。はじめまして、ドニ=ファンベール伯爵様」 今にも泡を吹きそうなドニだったが、ドニはマゼンダがなぜこうにも無残な姿に変えられたのか、それだけは知ろうと気を張った。 「娘?!いや、お前を屋敷で見たことがある。召使だろう!お前が、殺したのかっ・・妻を、マゼンダを!」 「いいえ?」 セシルスはドニの言葉に少しも動じずに、ちょっと肩をすくめてみせた。マゼンダが倒れているベッドの隅に腰を下ろし、足を組んだ。 「殺してなんかいないわ。私じゃ殺せないもの」 意味深な台詞を言うと、セシルスはベッドから立ち上がり、腰を抜かしているドニの傍に寄り、ドニの腕を取った。 「あなたのこの腕じゃなきゃ、マゼンダは殺せないの」 そういうと、セシルスは一枚の紙切れをドニの左手に持たせ、右手にはナイフを持たせた。 「一体何を!」 ドニは慌てふためいた。一枚の紙切れは二人のかつての婚姻誓約書だったし、ナイフの刃先は血がべっとりとついていたからだ。このナイフでマゼンダを傷つけたのだということは、容易に想像ができた。ドニはナイフを投げ捨てようとしたが、女が突然歌いだすと体が勝手に意思を持ったかのように立ち上がった。両手に握り締めたものを捨てることもかなわなかった。 「一体これは・・ちくしょう!ナイフがっ・・」 女は声を上げていた。歌だ。ひどく頭を朦朧とさせ、人の意思を削ぐ歌だ。 ドニはナイフに引きずられるように立ち上がると、よろよろとマゼンダが倒れているベッドの前まで歩いていった。 ドニは女の歌う歌のせいで操られているのだと感じた。そういえば、マゼンダの歌の話の中で、傀儡の歌というのがあると聞いたことがある。人を人形のように操ることができる、画期的で恐ろしい歌なのだと。 「これが、傀儡の歌か!」 セシルスを睨みながらドニは叫んだが、セシルスは無視して歌を続けた。 ナイフはするすると意志をもつようにベッドの上のマゼンダの喉元まで進み、婚姻届の紙がドニの手によってばさりとその喉に落とされた。紙は急速にマゼンダの血を吸いながら赤く染まっていく。 歌のテンポが上がって、ドニへの強制力が強まった。ドニの手のナイフが両手で握りなおしされた。力を入れやすいように、両手で握り締めたナイフの先は、手首から下に伸びている。 「い、いやだやめろぉーーーっ!」 まるで自分自身が殺されるかのような悲鳴をあげて、ドニは涙ながらに訴えた。しかし、振り上げられたナイフは天井に向いて一瞬の間のあと、本人とは裏腹にまっすぐマゼンダの喉をめがけて急降下した。まるで川魚を得ようとする水鳥のくちばしのように、ナイフの狙いは寸分の狂いもなかった。 「うわああああっ!」 ドニの悲鳴とマゼンダの血で部屋中が充満したときには、セシルスの姿はもうなかった。 「―――――!」 びくっと体を震わせて、レンは目を覚ました。背中の震えに気づいて、屋根の上を軽々移動していたクロックがどうした?と屋根の上で立ち止まった。先を行っていたリアンも、ふと一つ先の屋根で足を下ろすとこちらに戻ってくる。 「・・・姉さん?どうかした?」 「マゼンダの声が・・!」 クロックの肩を握り締めたレンの手ががくがくと震えている。目はうつろで、額に汗がにじんでいる。様子がおかしい。リアンは表情は変えなかったが、ゆっくり尋ねた。 「姉さん?マゼンダの声って?」 「レン、マゼンダの声が聞こえるんだな?」 クロックが落ち着いた声でそう言うと、レンがこくこくと激しく頷く。クロックは一旦背中からレンを下ろした。レンはクロックの背中からずるずると下ろされると、屋根の上にぺたりと尻をついた。 「レン、何も考えなくていいから、聞こえてくる声そのまま言ってみな」 レンはこくん、と頷くと口を開いた。レンの瞳に意思の光はなく、口が勝手に動く人形のように見えた。 『・・・あと、もうちょっとだったのに・・もうちょっとで帰れたのに、どうして今になって、今になってこんなことに・・・!』 それまで言うと、かくんと頭を仰け反らせてレンは気を失った。慌ててクロックがレンの頭を支えると、屋根の上にそっと寝かせた。 リアンがレンをしばらく無表情で凝視してから、クロックを見やった。 「どういうことかしら」 「マゼンダの声がレンに届いたらしい。内容からから予想するに意識的に、とは言い難いが。強い思いがレンのエレメンタルヴォイスの能力に引っかかったのかもしれない・・。今の時点ではそれくらいにしか考えられないな」 「マゼンダの身になにか?」 そのことをクロックも考えていたのだろう、クロックはこぶしを顎に当てながら考え込む。 「多分、そうだろうな。でもいまさら俺が戻ったところでは・・・」 クロックはぎゅっと手を握り締めてしばらく黙り込んでいたが、思い直したように顔を上げるとレンの手を引いて再び背負おうとした。リアンがそんなクロックを手伝って、レンをクロックの背中に掴まらせると、クロックはレンを背負って立ち上がった。 「リアン、お前はどうしたい?」 立ち上がったクロックにリアンが不思議そうに顔を上げた。 「マゼンダの様子を見たいかってこと?まあ仮にも私たちの母らしいから気にならないこともないけど、状況が悪すぎるわ。工房と家をみるのが先決」 「そう言うと思った。行こう」 クロックはそう言うと即座に足を伸ばして跳び始めた。リアンもクロックに続いて屋根を蹴ったのだった。 ほどなく国境を難なく越えてクロックがリアンとレンを酒場兼自宅の前まで送り届けると、レンを背中から下ろしながら言った。 「とりあえず、俺はちょっとこの国で用事があるんでここで別れるぜ」 「わかったわ。って、別に私たち敵なんだから行動をともにすること自体おかしなことだけどね」 なんとか気を持ち直したレンは、担いでもらったお礼も言わずにそんなことを言う。リアンはクロックの様子を黙って見つめていた。 「まあ、そうだよな。んじゃ、今からはセオリー通り別行動させてもらうから安心しろよ。じゃーな」 クロックはそれだけ言って、助走をつけて走り始めるとひょいっと屋根に上がって空に舞いながらどこかへと消えてしまった。レンはリアンの酒場とその家の状態を検分しつつ、問題なさそうだと判断したのかリアンに話しかけた。 「さ、工房にいかなくちゃ!リアンはどうする?」 レンはさりげなくそう言うと、クロックが去った方角を見つめていたリアンはレンに向き直ると頷いた。 「私もいくわ、姉さん」 「そういってくれると助かるわ!」 レンはうれしそうに笑うと、行こう!とリアンを促して走り始めた。 酒場のあるメインストリートにはすでに人の気配はなかった。どうやら工房の混乱がここまで到達する前に人々は避難したようだった。家という家はあわただしく逃げ去ったのか扉は開きっぱなしで、荷物をまとめて移動したのだろう、そこここには鍋やら何かの布のきれっぱしやらが散乱していた。ガラクタや落し物に足を取られないように二人は走りながら工房のある場所へと走った。 工房が見えてくると同時に、その手前にはバリケードを張った兵士たちが固まっていた。その先には大小さまざまな怪物たちが吼えたり騒いだりしながら、兵士たちともみ合っているのが見えた。兵士たちはおそらくいつもはアリエスト城を守っている衛兵たちだろう。大きな盾を連ねてバリケード代わりにしているようだが、怪物たちは容赦なく兵士たちをなぎ倒していた。衛兵たちの力では、怪物たちを工房の敷地から出さないようにすることも限界のように思われた。 異形の魔物たちの雄叫びや足で鳴らされる地響き、兵士たちの勇ましい鬨の声に混じって時折聞こえる悲鳴や怒号が辺りを包み、レンの声など届きそうもない。レンはリアンに振り返って言った。 「ごめん、リアン。あんたの力、貸して!」 「わかった」 リアンはレンに言われるとすぐに立ち止まって、念じるように目を閉じた。さっきみたいなこけおどしの地震では怪物が混乱して余計暴れる可能性があった。それでは逆効果になると考え、リアンはそっと地に手を触れた。大地に直接手を触れて、一気に声をあげた。 「大地の主(グランドマスター)地の底に眠る龍よ、目覚めよ!」 リアンが地面に向かってそう命じると、ほどなくして微震が始まった。リアンはレンに手を伸ばして、つかまって、と声を掛ける。レンは頷くとリアンの腕にしがみついた。 ぐいっと体が持ち上げられるような感覚が起こると、地面から龍の形をした土くれが盛り上がってきた。レンは驚いて声を上げないように自分の口を自分の手で封じているのがやっとだった。リアンはその土くれに乗ってレンを背中につかまるように指示し、自分はまっすぐに突き出でた龍の角につかまった。龍はすぐに浮上すると、リアンの心を知ってかすぐに行動を起こしてくれたようだった。 どんっと突き上げるような地響きが起こり、人も魔物たちも一瞬にして動けなくなった。そこに今度は魔物と人の垣根に当たるところに防波堤のような土の塀がみるみる突き出して行く。それを見ていたレンは、思い出したように声を張り上げた。眠りの歌を歌う。レンにその歌の力が及んではいけない、と思い出し、レンはリアンの耳を塞いだ。 衛兵達は慌てて耳を塞いでそれをやりすごす。衛兵たちの間ではレンの力は有名なものだった。何しろ工房に配備されるときには、衛兵達も「彼女の力を受けないように」と厳しく指導されたくらいだったからだ。 やがて、事切れたように異形のものたちはその道に倒れ始めた。その魔物たちを衛兵達や、ガーディアンが慌てて工房に戻すように動き始めていた。 その頭上で旋回する土色の龍に乗っていたレンはようやく息をついた。リアンの耳から肩に手を移動させると、リアンはレンに顔をむけて頷いて見せた。レンも微笑みながら頷いた。リアンはそれから助けてくれた龍に礼を言う。 「ありがとう、グランドマスター」 「リアン、こちらこそ。久しぶりにあなたの顔が見れて嬉しい」 「私ではあんな繊細な技はムリだったから・・本当に有難う」 レンはリアンの言葉に驚く。よく考えたらあの土の防波堤は都合がよすぎるくらい人を傷つけることなく張り巡らされたものだった。たしかに、並みの力でないことが伺える。 「いえ。では、お二人を大地に戻しましょう・・」 龍の声がそう言うと、ゆっくりと高度を落として龍は土に返った。二人は龍に乗ったその場所に再び無事立つことが出来たのだった。 「あんたのお陰で助かったわ!ここはもういいから、先に帰ってなさい」 レンはリアンを気遣うようにそう言うと、手をひらひらと振った。リアンは不思議そうな顔をして、リアンに尋ねる。 「姉さんはどうするの?」 「私は一応ガーディアンだもの。この凶暴なペットたちを檻に戻さなきゃ。夜には顔を出すわ。先に帰ってて」 「姉さん、さっきまで具合が・・」 マゼンダの声を聞いたときのレンの具合のことを思い出しているのだろう、普段表情の変化をほとんど見せないリアンが珍しくレンを心配そうな瞳で見つめていた。レンはそんなリアンを見てから、肩をすくめてみせる。 「気が張ってるのかな。今はそうでもないの。だから今は仕事させて」 正直なところ、こんな中途半端なところで仕事を放っておくわけには行かないのだった。魔物たちに眠りの歌の効力がどれくらい続くのかは、おそらくその魔物によってさまざまだろう。しかもこの工房の魔物たちは通常の魔物たちとは血の色が違う。人工的な力を加えられさらに強く、さらに強靭に品種改良されたものなのだ。もしかしたら眠りの歌の効力も極端に短くなっている可能性がないとは言えない。そして、そんなものが再び暴れ出したりしたら、レン無しで収拾がつくわけがないのだ。 「・・わかった。じゃ、夜にね」 事情を察したのか、リアンは聞き分けよく頷くとすぐに踵を返して自分の酒場へ向かった。レンは妹の後ろ姿を見てから微笑むと、すぐに毅然とした瞳できっと眉を上げ、眠り続ける魔物たちを搬送する作業に参加しはじめたのだった。 ■→NEXT? |