10 歪んだ歴史(前)
夕梨は穴に入り込んだ後、何か不思議な感じがした。目を閉じてしまっていたから、その原因が不確定ではあったが、まず自分が落ちているという事実ににしては風にも煽られず、手足が壁に掠るということもない。お尻さえ地をすべる感覚はないし、落ちている、という事実からかけ離れているような気がして、夕梨は思い切って目をあけた。
(・・知ってる。ここ。来たことがある)
目をあけてから夕梨はそう思った。音のない、意識だけの世界。一番初めコアに瞬間移動をしてもらったときに感じたあの感覚そのままだった。いろんな意識だけの存在がここでは混在している。そして自分もまた意識だけの存在になっているのだ、おそらく。
(・・商人が、別の街に物資を運ぶためなんて言ってたけど・・こんなんじゃムリね。大体、あのテーマパークから物を運ぶことが出来ないし、何よりもこんなルートじゃ物は運べない。)
無重力感を感じる。落ちているわけではなかったのだ。空間と空間の隙間にあるありえない場所。アンノウンスペース。
(ザーヴァも沙羅も見当たらない・・)
夕梨は目を凝らしていろんなところを見つめるが、ここはそもそも形を成すものが入り込めない空間なのだろう。目に見えるものは結局のところ何も無い。見えるわけではないが、そこにいろんな意識があることだけが確かに判る。その意識は誰のものだとか判別できるものではない。逆を言えば、意識だけの夕梨を他の誰かが見つけることも不可能なのかもしれない。
(・・まずいなぁ・・。はぐれちゃったかも)
何も無い空間に漂いながら、夕梨は困惑した。どうしたらここのから目的地へたどり着くことが出来るというのだろう。
夕梨はここに着たばかりの初めの自分を思い出す。
あの時夕梨には何も無かった。一緒にいる仲間も、自分を守るコアという存在も何も無かった。あのときの夕梨にできたことは、ただ一つ。願うことだった。
(・・場所を願えば・・脱出できるかな。ええと、なんて島だっけ)
いまいち抜けている夕梨は島の名前を忘れたようだった。ここにザーヴァがいたら、怒鳴られるか呆れられるかため息をつかれるか、どれかはされたに違いない。どれもされたかもしれないが。
(どうせ、馬鹿だしな・・)
意識の中で夕梨はため息をついた。ふっと思うのは、本当に自分が、元の世界に帰りたいかということ。これまで育ってきた世界に戻りたい。両親とまた暖かい家庭で暮らしていきたい。そう思いながらも、心の中のわずかなところで、帰りたがらない自分がいることに夕梨は前々から気づいていた。
(・・帰っても、しかたないし。別に何が私を必要としているわけでもないし。別にここじゃなくてもいいんだけど、元の世界よりも面白いかもしれないし)
ゆっくり考える。意識だけの世界では時間の催促はないし、おそらく出てしまえば一瞬の出来事なのだ。この空間には時が無い。アンノウンスペース。だから、這い出たときに結果的に瞬間移動ということになるのだから。
(でもまあ、とにかく外には出なくちゃね。こんなところで引きこもっても何の解決にもならないし。島の名前は忘れちゃったけど・・行き先は思い出したわ。・・封印の地へ私を行かせて!)
夕梨が願ったその瞬間、いろんな意識が一気に光を帯びた。目の前に何も無かったはずの、形を何も成さなかったはずのものたちが、光となって夕梨の視界を遮り、それからアンノウンゲートが突然姿をあらわす。神社の連なった鳥居のように、幾重にも重なった石柱が光の向こうへいざなう。
夕梨はその方向に歩いていった。夕梨は、既に形を取り戻していた。
封印の地、と言う場所から想像して、夕梨は何かが祀られているのだろうと思っていた。言うなれば、神といわれるサリャーネの像だとかそういうものがあって、神々しい建物などが存在するのだろうと、そう考えていた。
夕梨が立っていたのはそんな場所ではなかった。
テレビで見るのと同じ島の雰囲気がそこにあった。吸い込まれそうな青が空いっぱいに広がり、水平線をきらめかせる海、そして熱せられた砂浜。そこに一つの違和感がある。砂浜の一部が円形状に石版がはめられているのだ。
夕梨は知らず、その石版にたどり着く。その石版を良く見ると、文殊のような字が円に沿って並べられている。その字がたとえ読めなくとも、夕梨には何をするための石版かが判った。
「コア、これは・・」
「読めた?ユーリ」
久々のコアの声。その声はいつもよりも冷徹で、少しのやわらかさも無かった。いつも守ってくれたコアは、いない。コアはこれまで、夕梨を守ってくれるために最大限の力を貸してくれていた。だが、それもここまで。
「私が体を乗り換えるのには、前の体を封印しなければならないの。生身の体がないとリア・リティンでは自由が利かなくてね。それでリア・リティンであなたに体を借りてサリャーネを捜してたの」
海風が、コアの言葉とは裏腹なほどさわやかに夕梨の頬を撫でていった。
「あなたにだけ、目的地を教えたのは、あなただけをここにおびきよせるため。サリャーネは知ってるから大丈夫。じきに来るわ。私のタキオニアだから」
夕梨はじりっと石版から後ずさった。しかし、それ以上は石版から離れられない。コアがすでに力を使い始めているのだった。
「さぁ乗って。ユーリ。お前が封印されないと、お前の世界が元に戻らないのよ」
「・・そんなっ・・私は・・帰れないの!?」
声が干上がって、悲鳴になりそうだった。夕梨は涙を堪えて、それだけ叫ぶのが精一杯だった。信じていた。コアを信じていたのに・・。
「あら、さっきあなた帰れなくてもいいって、考えてたわよね?」
「・・!」
夕梨は声も出なくなる。なんと言う裏切り、なんという辱めか。このコアがこんなことをするのだと初めからわかっていれば、こんなに頑張ったりはしなかったのに。
「おとなしくして。ザーヴァも沙羅もまだここには気づいていないし、済んでしまえばよかったことだと思うに違いないのよ。ザーヴァにとっても、サリャーネにとってもね。ただその過程を見ればその気持ちが揺らぐと思って、遠ざけておいたの」
夕梨はなんとしても石版に足をつけないように踏ん張った。しかし内から来る力は夕梨の足を一歩、一歩と石版に近づけさせようとする。足がひきつってしまいそうになるが、それでも耐えなければ夕梨は自分の世界を見ることもなく、ここに閉じ込められてしまうのだ。
右足が、石版に乗って、びくっと足を震わせた。
信じられないが、この石版の文字が声になって夕梨の体の中を通っていった。
『出して!出して!』
『もういや!こんなところにいるなんていや!』
『コアのやつ!騙してこんなところに閉じ込めるなんて・・!』
ぞくっと体が震撼した。いままでにも何度もコアはこうやって人を乗り換えてはサリャーネを探しにリア・リティンに行っていたのだ。そして、一度同化してしまった体は封印する他ない。その犠牲者はここにずっと閉じ込められているのだ・・!
恐怖に飲まれ、顎ががくがくと鳴り始める。悲鳴をあげようにも喉が恐怖にこわばって声が出ない。もう、足も震えが止まらず、石版の上にはいつのまにか夕梨の足が両足とも乗っていた。
「さ、座って。もう諦めてね」
「私が、帰らなくてもいいなんて思わせたのはあなたでしょ、コア」
夕梨は最後の力を振り絞ってそう言った。体中はもうコアの力に押しつぶされそうだったが、気持ちだけはまだ夕梨の気持ちが残っていた。
「・・・・」
「ここに引きずり込みやすくするために・・ここで私が簡単に事を諦めるようにね・・。でもそれ、乗ってあげないからね」
ぐっと顔を上げて、夕梨は体を抱きしめる。自分の体を、誰にも触らせまいとするかのようにぎゅっと抱きしめる。
「私は、ここに残りたいと思ったかもしれないけど、それはアンタのためなんかじゃないから!私が、自分でここに残りたいと思ったの。こんなところに閉じ込められるためじゃなくてね」
「余計なことは言わなくていいのよ。じっとしていて、すぐに封印してあげるから」
強い力で体がうつぶせにさせられた。夕梨はなす術もなく石版に横たえられる。声が、犠牲者の声が夕梨の耳元で耳鳴りのように響いた。
『逃げて!逃げて!逃げて!』
(逃げて・・って言われても、こんなんじゃもう・・)
悔しさに、夕梨の頬に涙が伝う。こんなはずじゃなかった。家に帰ることも、ここで生きることもままらない結果になるとは、思いもしない。こんな結果のために頑張ったんじゃないのに・・!
「やっ・・やだっ!!まだ、まだ生きたい!生きたい!沙羅!ザーヴァ!私、ここにいる!ここにいるから・・・助けてよぉっ!!」
「黙りなさい!ユーリ!おとなしくして!」
「馬鹿馬鹿コア!あんたのせいだったのね!全部、巨大結晶の破壊工作ももともとはザーヴァのせいなんかじゃなんだわ!アンタがザーヴァの心をそういう風に仕向けたんだわ!まるで一つのデータを改ざんするように簡単に!!」
「っ・・!」
コアの力が弱まって、横たえられていた石版から夕梨は体を起こした。そして尚も叫び続ける。
「そしてその変動でコアが宿った私の体と沙羅をこちら側に戻すようにして・・、結局アンタが完全に統合するためでっちあげだったのね!全部それをザーヴァのせいにして!」
コアは夕梨の声に反応しない。夕梨は石版から離れることが出来ないが、どうやらコアの図星を指したらしいことだけは判った。
「アンタの所為で、ザーヴァは力を失ったのよ!私の世界は崩壊したのよ!なんでこんなことしたのよ!なんで・・こんな・・!」
「ユーリ!」
声が聞こえて、はっと我に返ると、夕梨の座り込んだ石版からそう遠くないところにザーヴァと沙羅がいた。
「ザーヴァ!沙羅!」
夕梨に希望の笑顔が浮ぶ。嬉しそうに笑って手を振ろうとした瞬間だった。びしり、と何かが音を立てて、夕梨の視界が歪んでいく。一体、何が起こったのか夕梨にはわからなかった。だが、目の前にきたザーヴァと沙羅が驚愕の表情で自分を見ていることに気づいた夕梨は、コアが封印するための何かをしたということだけが判った。
「ユーリぃぃっ!」
石に、なっていた。夕梨は石になっていた。タキオンのように輝くこともなく、水晶のように光を放つことも無い、ただの黒い石になっていた。
「やっと外れたわ。さあ、サリャーネ。私と一緒になるのよ。あなたの体と私が融合したら私は完全体。巨大結晶の復元だって可能だわ」
コアは嬉々とした声をあげて沙羅にそう言った。ザーヴァは石になった夕梨を見つめ呆然としている。
「馬鹿なこと言わないで。私はアンタとなんて融合しないわ」
沙羅は唖然としながらも、コアにそう言った。
「なんですって・・?」
「私がわざわざここまで来て上げたのはね、アンタを滅ぼすためよ」
沙羅がゆっくり夕梨に近づくと、手を当てた。沙羅の体がタキオンのように光のように緑の色を放つと、じゅっと音を立てて夕梨の体が解け始める。
「こ、こら!沙羅!?」
「おとなしくしてて・・ザーヴァ」
溶解しはじめたのは、外側だけのようだった。どろどろに溶けた泥のようなものが落ちると、夕梨は瞬きをした。
「さ・・沙羅?」
助けてくれた沙羅を呆然と見つめて、夕梨はやっとのように声に出した。沙羅がくすり、と笑う。
「ごめんね、怖かったでしょ?夕梨」
「う、ううん。平気っ!」
沙羅が心配してくれるのに慣れていないせいか、夕梨はやけにどきどきしながら返事をした。そんな夕梨を安心したように見つめてから、沙羅は立ち上がる。
「歴史を歪めたのは・・コア自身だったのよ・・」
to be countinued.
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