6 月夜の晩
 夕梨は空を見上げた。空だけは、夕梨が今までに見てきた環境のものとは変わりはない。朝は紗がかかったようなブルーに、うすく広がった雲。真昼は雨が降ることはほとんどなく、透き通るような紺碧。そして、夕暮れには空が真っ赤に染まり、星がきらめき始めると、その朱に闇が染み通っていく。
 夕梨はここに来てから幾度となく空を見上げては、ほっとした。この唯一自分の育ってきた環境と同じものを見ることで、夕梨は自分の中のものを正常にすることが出来た。
 不安や恐れによって苛まれた心を、空で癒していたのだ。
 その日の夜。冷え込むこともなく病原菌もないこの幸せな空間での野宿をしていたときも、夕梨は空を見ていた。
(ザーヴァのやつぅ。力があったときの“ちっとだけ南”は、今じゃ“相当だ”って事、最初からいっといてよね!)
 沙羅も、レザも、ザーヴァも。そこらへんに転がって眠っている。夕梨は沙羅がここまで順応性があるのには驚いた。
(まあ、疲れてたのかも。寝付きよすぎたもんね。)
 沙羅はこの川辺の森を野宿場所に決めるとすぐ、木の根を枕代わりにして、およそ一時間前にことりと眠ってしまったのだ。続けてザーヴァも、レザも、つられたように眠り込んだ。夕梨はと言うと、横にはなったものの寝付けずに、仕方なく空を見上げているのだ。
「いつになったら、帰れんだろうねー・・・・」
 ため息混じりに呟く。呟いてから、夕梨はふっと笑った。
 はは。私ったら帰りたいってしばらく言ってないのに。
 夕梨は今更、今までしてきたことが本来帰るためのことだという事に気付いた。
 そうよ、当然よ。いた場所に帰るだけだもの。
 いた場所に帰る・・・・ソレハ帰リタイトイウ事デスカ?
 は?何言ってんの何言ってんの。私は帰りたいんだってば。
夕梨はわき上がる疑問を押さえつける。自分は帰りたいのだ、と。
「ユーリ?」
「え。あ、ザーヴァ?」
 ザーヴァが頭を掻きながら、こっちにやってくる。ほわわっと大きく口を開けながら。
 しまった。独り言、声大きかったのかな?
「ごめん。起こしちゃって。」
「は?いや、俺まだ眠ることに慣れてないんだ。一気に寝ても、二時間が限度でさ。」
 寝汗でもかいたのか、上着をばたばたと扇いでザーヴァは体に風を通す。
「なんで?」
「元々寝なくってもいいんだよ、俺達。エネルギーなら、掃いて捨てるほどあるんだし。・・・・ただ、今の状態は寝る必要があるけど。」
石がない者は。
 とっさに夕梨は黙り込む。何しろ、ザーヴァをそう言うふうにしたのは他でもない夕梨の所為。
「ご、ごめんね。ザーヴァ。私のせいで、ザーヴァの一生めちゃくちゃだね。」
「めちゃくちゃ?」
 ザーヴァはオウム返しにそう言うと、ぷっと笑った。
「めちゃくちゃなのはお互い様だろー?ユーリだって、生まれたとこがめちゃくちゃなんだからな。」
「そうだけど・・・・。私の場合は望めるものがあるけど、ザーヴァ、あなた本当にここでいいの?」
 ザーヴァがふっと目を逸らす。川の方に目をやって、押し黙る。
「ねえ、ザーヴァ。」
「水浴びてくるよ。来るか?」
 立ち上がりながら、ザーヴァが夕梨にそう聞く。夕梨は一瞬何を言われたか分からなかったように呆然としていたが、次の瞬間顔を真っ赤にして断った。
 ザーヴァがにやっと笑い川辺に走り去るのを、夕梨は目で追っていた。服を脱ぎ捨てて、川に飛び込む。月の光が髪を金色に輝やかせて、飛び散る飛沫は真珠のよう。その様はまるで、妖精。
 きれい。
 遠くで見ながら、夕梨はそう思った。間違いなく、ザーヴァは綺麗だった。銀色の髪も、鮮やかなブルーアイも、ひ弱ささえ感じてしまいそうな細い身体も、綺麗を引き出すアクセサリーにすぎなかった。
 きれいな、ザーヴァ。
 そうか、あんなに綺麗な人が私がいた世界に生きれるわけがない。
 夕梨は半ばその突発的に出てきた思いを、しっかり確信していた。リア・リティンと彼らに呼ばれている世界は、ここほど安らかではないと思う。だからこそ彼らは私の世界を監視して、・・・・きっと、見下しているのだ。
 憎悪を廃棄物として、レザ達に流していたことは生きるために仕方なくやっているのだ。そうしないと、それぞれの思いがぶつかってこの世界は破滅の道を歩むことになる。生き延びるために。利益を生むためではない。決して。
ぱしゃっ!
 一つの水音が夕梨を我に返らせた。ザーヴァが向こう岸に上がっている。
「ザーヴァ!どこに行くの?服くらい着て!」
思わず、大きな声を上げてしまってから、慌てて手を口にやる。まだ二人は眠っているのだ。起こしては悪い。
 そおっと、今更後ろを見ると二人は眠り続けている。相当疲れているようだ。
 夕梨はほっと胸をなで下ろすと、立ち上がってザーヴァが服を放り投げた方に歩き始めた。服を拾い、ザーヴァ、と呼ぶ。
「ユーリ、こんな世界生まれるべきじゃなかったんだね。」
さっき夕梨がしていたように、ザーヴァは空を見上げてそう言った。
「ど、どうして?」
 夕梨はザーヴァの言葉に驚いて聞き返す。といっても、ザーヴァがこんな事を言うのは初めてではない。ただ、あまりに久しぶりだったのに、夕梨は驚いた。
「俺達は多分生まれるべきではなかった生命体なんだ。生命体、って言い切れるか分かんないけどな。」
 力無く、笑うザーヴァが見える。川を挟んだ向こうに。
「タキオンのエネルギーはリア・リティンあってのもの。そして、そのタキオンはどうやって出来ると思う?」
「さぁ、何からかな。力を持ってるものよね。力を・・・・だめ、降参」
「愛情とか、憎しみとかね。人を呪うほどの強い強い思いだよ。」
それを聞いて、夕梨は息を呑んだ。
 だって、それは・・・・!
「あなた達が一番持っては生きていけないものじゃない!」
「そう、そうなんだ。俺達が持てないものをあんた達に持たせて、俺達の未来をつなげてるんだ。」
「・・・・!」
「強くて大きな思い、一番いいのは憎悪だね。それをうまく起こさせるのが、俺達の仕事さ。」
 呪うほどの強い思い。それは愛情にも憎しみにもつながる。そして、それをもっとも効果的に出せる手段は、これしかない。
「戦争・・・・。」
「ああ、そうだ。ユーリ、君は頭がいい。それなのに、君はどうしていつも自分を卑下するの?」
「卑下じゃない。自分の全てを否定して生きるのは、一番楽なのよ。・・・・これは私が見つけた楽な生き方。」
 一呼吸おいて、夕梨はまた話し出す。
「あなた達が、戦争の仕掛人だって言うの?あの世界に争いが絶えないのは、あなた達を維持させるための手段だと?」
「否定しないよ。」
 ザーヴァはこっちを見ずに答えた。夕梨は疲れたように頭を振る。
 私はどう考えればいいの?この世界を。踏み込んでしまった私はこの世界を憎むべきなの?それとも。
「そもそも、君たちも一つの種だ。その種が、あんなにも膨大な思いを抱えたまま生きるのは君たち以外に考えられない。俺達は、それを利用した。レザ達と同じように。」
 もともとリア・リティンにいたレザ達。タキオニアの憎悪を処理するために、ここに運ばれた。
「俺は、そんなことをしてまで生き延びようとは思わなかった。だから、定められた歴史が入っている巨大結晶を壊した。でも、結果としてリア・リティンを滅ぼしてしまった。」
 ザーヴァがため息をついた。
「俺は結局何にも出来なかったんだ。過ちを償うことも。あの世界を救うことも。」
 ザーヴァはそれきり、声を出さなくなった。泣いているのかも知れなかった。
「ザーヴァ、大丈夫よ。あなたがそう思っているのなら、あなたはまだ望みがある。私たちの世界が元に戻ったら、あなたは私たちの世界をどうか救って。憎しみを愛情に変えて。それなら、悲惨な状態は今よりなくなるはずよ。」
 ザーヴァの返事が届かない。夕梨はそれでも言葉をつなげた。
「力を失ってしまったのは分かってる。それでも、お願い。あなたがやらなきゃ、巨大結晶を壊したあなたが。」
「うん。」
 ようやく、かすれ声が夕梨の耳に届いた。
「さ、寝よう。ザーヴァ。あなたの力がまだ私には必要なの。服、ここに置いておくよ。」
 そう言うと、夕梨は服を置いて沙羅達が眠っている木陰に向かって歩き出した。
「ユーリ。」
 ザーヴァが呼んだ。夕梨はゆっくり振り向く。
「ごめん。」
「・・・・。」
 夕梨は何の反応もしなかった。この言葉が自分に向けられたものとは思わなかったので。
「ごめんな、ユーリ。」
 そっと夕梨は頭を振った。
 私なら、あなたをとっくに許してる。
 ただ。
 リア・リティンが元通りにならなかったときには、私はあなたを許せるかどうか自信がない。
「その返事、今は出来ないわ、ザーヴァ。」
 ザーヴァに届かないほどの声でそう呟くと、夕梨は再び歩き出した。
 風が吹いた。この世界にしては珍しく。木がざわついて、枝が薙いだ。
 夕梨はほわわっと欠伸をした。疲労のためか、眠気はようやくたどり着いたようだったが、さっきのザーヴァの話を聞いたあとではどうしても眠れそうには無かった。








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Copyright 2001 BY SAE
written time 1996(多分)